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「ねえ、アイ。早く起きて。朝ごはんとっくにできてるよ」
階段下から聞こえてくる声で、私は目を覚ます。
香ばしい匂いで満ちた部屋の中、目一杯伸びをしながら窓に目を向けると、日はすっかり昇りきっていることがわかった。
自身を「ケイ」と名乗った半魔人の少年と共に暮らすようになってから、今日でちょうど一ヵ月。
この家に住むようになってからは、三週間が経過したことになる。
「僕は人間の母親と魔人の父親の間に生まれた〈半魔人〉だよ」
『LOJ』の中でも存在が明かされることのなかった半魔人を前にして、その時の私がどういう反応をしたのかは、正直はっきりと覚えていない。
「魔人との子を身に宿した母さんは、僕が生まれるより前に親族から絶縁されたみたい。人目につかないように身を隠しながら、母さんは一人で僕を生んで、一人で僕を育ててきてくれたんだ」
ケイの語る内容は、残念ながら容易に想像がつくものだった。
その行動の善悪は置いておくとして、敵である魔族との子を身籠った女性と、いずれ生まれる人間と魔人の両方の血を受け継ぐ子は、彼らにとっては理解し難い存在だったに違いない。
前近代的な価値観が蔓延るこの世界では、到底受け入れられるものではなかったのだろう。
そして魔族側も、ケイ達にとっては味方ではなかった。
魔獣がケイを襲っていたことが、その証拠だ。
着古したぼろぼろの衣服を身につけただけの、十歳前後の一人ぼっちの少年。
自分に彼の親代わりができるとは到底思えないし、魔族でも人族でもないこの少年が自分に害をなさないとは言い切れない。
それでも、彼をそのまま放っておくなどという選択肢はなかった。
「……見てたならわかると思うけど、私も人との交流なんてほとんどないわよ。提供できるのは、食料と寝床くらいになるけど」
「もちろん、それでいいよ。食料は自分でなんとかする。僕一人だと生きていけないんだ」
そんな簡単なやりとりで決まった、ケイとの共同生活。
「なんなら自分は外で寝たって構わない」と言うケイの意見を却下して、私が最初にしたのは家探しだった。
自分一人だけならまだしも、子どもに野宿をさせるなんてとんでもない。
子どもの健全な成長のためには、規則正しい生活と質の良い睡眠が必要なのだから。……多分。
そんな考えの元、猫どころかねずみの額よりも狭い人脈と、今までひたすら貯めてきた資金を駆使して見つけたのが、この家だった。
一階にはリビングとキッチン、それにお風呂やトイレが。そして二階には鍵付きの部屋が三つある、二人で住むには十分な家。
そんな家が相場の半値ほどで売られていたものだから、最初は怪しく思ったのだけれど、どうやら立地が悪いらしい。
「魔族の居住区に隣接してるこんな家、とてもじゃないが一般人には住めないよ」
この家を紹介してくれた人はそう言っていたし、実際長いこと空き家だったという。
確かに、周囲は森に囲まれていて、一番近い村までだって歩いて行こうとすれば優に一時間は超えるだろう。
しかし私達にとっては、むしろその方がありがたい。
おかげで半魔人であるケイも、人の目に怯えることなくのびのびと暮らしているように思われる。
自分で言うのもなんだけど、この家に移り住んでからのケイは、出会ってすぐの頃よりも明るい表情をしている。
「ねえ、聞いてる? 朝ごはん、食べないの?」
なかなか降りてこない私に痺れを切らしたのだろう。部屋まで呼びに来てくれたケイに、私は「はーい」と返事をする。
「何か手伝おうか?」
「いらない。もうできてるから」
「アイは座ってて」という言葉に甘えて、私はダイニングチェアに腰を下ろす。
そのまま視線を前に向けると、リビングの窓からは家の前の畑がよく見えた。
「ケイが植えた薬草、育ってきてるね。蕾みたいなのが見えるけど、あれって花が咲くの?」
葉野菜に目玉焼き、それに穀物のパンがのったお皿を運んできてくれたケイに尋ねると、ケイはちらりと窓の方を見て「うん、そう」と答えた。
「この野菜も〝ケイの畑〟で採れたの? すごいねー!」
「……何回も言うけど〝ケイの畑〟って呼ぶのやめて。センスない」
「いいじゃん。あれは〝ケイの畑〟だもん」
私とのこの暮らしを「無理を言って用意してもらった」と思い込んでいるケイは、私にあまり頼ろうとはしない。
そんな彼が唯一望んだのが、「家の前にある畑を使わせてほしい」ということだった。
私が〝ケイの畑〟と呼ぶそこで、ケイはいろいろな種類の草や野菜を育てているらしい。
「こっちはポーションの材料になる薬草。商人から買うのと同じ効果のものが作れると思うよ。ちなみにこっちは毒消しで、こっちは痺れ止め。向こうには食料用の野菜も植えてる」
そう説明を受けたこともあるけれど、草にも野菜にも詳しくない私にはちんぷんかんぷんだった。
「損得を考えてケイと暮らしてるわけじゃないのよ?」
家計の足しになるように草や野菜を栽培しているのかと思った私は、以前そう尋ねてみたことがある。
しかしどうやら、それは考え過ぎだったようで、ケイからは「知ってるけど?」との答えが返ってきた。
「アイのために、やりたくないことを我慢してやってるわけじゃない。僕のやりたいことが、たまたまアイの役に立ってるだけ」
その言葉を信じて、畑に関してはケイの好きなようにやらせている。
だからあそこは〝ケイの畑〟だ。
「そういえば、今朝新しい草を植えたんだけど、雑草じゃないから抜かないでね」
「わかった。ちなみにどれ?」
「あれ」
ケイが指し示した先には、なるほど雑草とどこが違うのかがわからない草が植わっている。
私がぴんときていないことはケイにも伝わったらしく、彼はわざわざ「放っておいてくれれば、それでいいから」と付け加えた。
「あれは何に使える草なの?」
「これといった使い道はないんだけど、魔族の匂いがするんだ。僕は勝手に〈魔草〉って呼んでる」
「魔族の匂い?」
初めて聞くその言葉に、私は頭の中で疑問符を浮かべる。
けれども、ケイは当たり前のような顔をして「うん」と答えた。
「魔族には独特の匂いがあるんだよ。魔族は匂いで敵が味方かを判断しているから、魔草を植えておけばこの家は魔族に襲われないと思う」
「魔族に匂いがあるの? 私、今まで感じたことないんだけど」
「人間にはわからないみたいだね。母さんも『なんの匂いもしない』って言ってた」
ちなみにケイによると、半魔には半魔特有の匂いがあるらしい。
それを聞いた私は、思わずケイの頭に鼻を近づけてみたのだけれど、ケイからは心底嫌そうな顔で「やめて」と言われてしまった。
「……毎日ごはんを作ってもらって、魔族に襲われないよう対策もしてもらって。なんか私の方が恩恵を受けちゃってるよね」
「別に、そんなことないと思うけど」
「ねえ! 今日のお昼は私がごはん作ろっか!」
自分では良いアイディアだと思ったその提案は、すぐに「無理しなくていいよ」と却下されてしまう。
「作りたいなら止めないけど、アイより僕の方が上手だし。アイの料理、基本的に〝焼く〟しかないんだもん」
まったくもってその通りの発言に、私はぺしゃりとテーブルに突っ伏す。
「栄養補給さえできればオッケー!」と、料理の腕前を磨いてこなかった過去の自分を叱りたい。
「それに『僕が家事をやる』って約束でここに置いてもらってるんだから、気にすることないよ」
「そんな約束したっけ?」
確かに共同生活を提案された時、「一通りの家事はできる」とは言われた気がする。
けれども、だからと言って自分よりもうんと年下の子どもに家事を任せてしまっている現状は、果たしていかがなものだろうか?
そもそもケイとの共同生活を受け入れたのは、何も家事要員が欲しかったからではないのだ。
「……欲しいものがあったら言ってね。お金はたくさんあるから」
せめて何かできることを……との考えから、そう言ってみたのだけれど、ケイからは「は?」という言葉と、呆れたような視線が返ってくる。
「いらないよ。何、今日はどうしたの?」
「年上としての威厳がないなあって思って。このままじゃいけない気がする」
「最初から威厳なんて求めてないよ。それに、僕は自分にできることをやってるだけ」
「……あと、健気なケイを可愛がりたい気持ちになってる」
「意味わかんないんだけど」
私とのやりとりが面倒になったのか、ケイは「暇なら素材でも集めてきたら?」と冷たく言い放つ。
それでも諦めきれない私は、「なんでよお。ケイのこと可愛いがらせてよお」としつこく言い続け、その日は一日ケイから無視される羽目になったのだった。




