名無しの夢の彼らへ
始まりの物語を見たのはいつだっただろう。五人組のヒーローに、バイクに乗った正義の味方。体を分け与える優しい人は、今も元気に動いている。
暗く閉じた悲しみの中でも、物語はいつもそばにいた。
学校の中の図書館で、古いマンガを読み漁る。鋼鉄の腕に不死の鳥、お釈迦様の話に、つぎはぎの医者。何度も何度も読み直して、命について、考える。
歴史の漫画、色んな図鑑、たくさんの絵と本を、物語に触れて来たけれど……同じものばっかりじゃ飽きてしまう。次に手を伸ばしたのは――ライトノベルの一冊だった。
名前を言っても……ほとんどの人は分からない。本棚の隣に、今も有名なライトノベルがあったけど……なんでか無視して、名無しの文字を読み始めた。
そして私は、文字の海に夢中になった。
まだ『小説家になろう』が生まれてない時代。そんな中での、ヒロインとサブキャラクターが、異世界転移する話。流行り出して、名前がつく前の……王道ファンタジーを謳った話。
初めて小説を、自分のお金で買った。もう出ている本のすべてを買って、その後は発売日が楽しみで仕方が無かった。まだ色々と細かくない時期だったから、本屋で普通に、発売日前に買えたっけ。
マンガしか読んでいなかったけど……これを始めに、たくさんの文字を読み始めた。
終戦を歌う深海の魔女の話。
指輪を巡る、小さな種族と仲間たちの物語。
吸血鬼の兄弟と、異種との調停に奔走する少女。
悲しき時代の羅生門。
いつか終わる日常を懸命に生きる、ありふれた空の下で生きる話。
傷を負った騎士と、神の悪夢の童話。
老いた漁師と魚との決闘、残酷で豊かな海の話。
魔女に誑かされ、心を病んだ簒奪の王の話。
有名な物語があった。
無名な物語があった。
退屈な物語があった。
愉快な物語があった。
君よ。多くの物語を目にする君よ。
大切なのは、みんなが知っているかどうかではない。
古くても、無名でも、自分にとって良い物語を探し、歩いてみて欲しい。
多くの人が忘れ去っても、それが刹那の煌めきでも、自分にしか感じられないものであったとしても――
誰かの瞼の裏に、眼を閉じたときに、焼き付いた思い出が残るのなら、きっとその物語には意味がある。多くの人の記憶に残らなくても、胸に残る物があるなら……語られなくなった物語も報われる。
滅んだ国で、いくつもの百合を拾って。
空の欠片を、握りしめて。
魂の場所で、燃え殻に火をつけて。
怪物狩りに、明け暮れる。
いくつもの幻想を、今も触れ続けている。
いくつもの物語が、この体を支え続けている。
私が物語を語る時、ふと言葉が溢れる事がある。
憑いて失った古き人が、自分の中に感じるように。今も確かに私の中に、彼らの物語が生きている。
――あぁ、今度は、私の番だ。
私は――あなたたちの様に、何かを伝えられるだろうか。
私は――あなたたちの様に、何かを焼き付けられるだろうか。
今は名も無き、夢の中の彼らよ。
私は――あなたたちから貰ったモノを、少しは返せるだろうか。