ユーリエの教会にて2
「申し訳ありませんでしたあああ!」
「いえそのアリシアさん、謝らないで下さい。むしろあなたの方が謝罪を受けるべき立場ですし」
所はユーリエの教会。新郎の控え室。
赤くなった顎に小さな氷嚢を当てて長椅子の上でうんうん唸っている青年を横目に、アリシアは彼の執事だと言う黒髪眼鏡の青年セツナへと謝っていた。
あの後すぐに瞬間沸騰的な怒りから我に返ったアリシアは、ギルという青年の服装の意味に気が付いて青くなった。
半分短気を後悔しもう半分は当然の報いだと思いつつ、今日この教会で行われる結婚式の新郎の顔に何て事をやらかしてしまったのか、と。
(うーん、赤くなってる部分にファンデ塗ったくったら何とか誤魔化せるかも?)
何でも屋で役者達のメイクの手伝いなんかもした経験のあるアリシアは、内心そんな方法を考えつつ、とりあえず今優先すべき事項を口に出す。メイク云々は彼が目覚めてからでもいいだろう。
「ええとその、花嫁さんに謝りたいんですが」
しかし新郎に謝る気はない。
「花嫁に……それがですねー」
セツナは返答に窮した。
今日ここに花嫁はいない。いるのは花婿だけだ。
ギルバートの同性婚発表前に部外者に真実を話していいものかどうか悩んで言葉を濁すセツナへ、アリシアは最悪の事態を想像する。
(ま、まさかあたしのせいでもう既に怒って式取り止めたとか? こんな恰好してるし二重結婚とか結婚ブッキングとか変な誤解をされちゃったとか? だったら直接乗り込んで誤解を解くべきだろうけど、でもこのカッコじゃ説得力無いって言うか、あーどうしよ~ッ)
アリシアとセツナが双方迷いの中互いの顔色を見て微妙に引き攣った半笑いを見せ合っていると、控え室に誰かが入って来た。
「あ~腹痛かった。朝飯に変なもん食ったかな」
「ルーク。どこに行ったのかと思えば」
「あっルークさん! 良かった一目でも会えて。この度は大変お世話になりました!」
大恩を感じて駆け寄るや大きく頭を下げるアリシアへと、洗った手も拭かずに戻ってきたルークは水滴をピピピと適当に飛ばしながらアリシアを見た。
「おっ目が覚めたか。つーか何でここに?」
「……ええと成り行きで」
ふうんとだけ頷づき細かい事は追究してこないのはありがたかった。
まあ長椅子の上の青年の惨状をチラリと見たので、何か察するものがあったのかもしれないが。
ここでようやくアリシアはルークのタキシード姿を見て小首を傾げた。
「奇遇ですね。ルークさんも結婚式なんですか。あれ? でも今日はそこの人ので……あれれ?」
困惑し、本当に他の式とブッキングしているのかと懸念するアリシアだったが、背後の長椅子からいつの間にやら身を起こした青年につんと長い髪を引っ張られ、不意打ち同然に後ろから腰を抱かれた。
(――!?)
「再会してよくわかった。正装でも女装でもとても凛々しくて魅力的だって。正直こうして抱きしめると想像よりも華奢だけど、君は僕の理想だよ。セツナの依頼を受けてくれたみたいだし、ふりでも君の横に並べるなんて夢みたいだ。ああそしてあわよくば君に抱き抱えられ最後に組み敷かれたい……!」
「ヒッ」
体中がぞわっとしたのは言うまでもない。
猫が毛を逆立てる時はこういう気分だろうか。
「ち、ちょっと放してよっ。あなた意味わかんないし気持ち悪い! ってまた人の匂い嗅ぐな変態っ」
「ああッ君は何でそんなに素敵な声なんだい!? 高い声でも魅力的だ……!」
「人の話を聞けえええーーーーッ!!」
セツナもルークもポカンとしてこちらを見ているし、放してくれない両腕を思い切りペシペシと叩くと、くるりとダンス中のように体の向きを変えられた。
「命の恩人で理想の人レッド伯爵。ああずっと君に会いたかった」
真正面から美貌を向けられ満面で蕩けるように微笑まれ、頬ずりされそうになったアリシアは本当にわけがわからず顔を引き攣らせた。
「あたしはレッドなんて人知らないし、絶っっっ対人違いいいーーーーッ!」
両手を突っ張って距離を取ろうと試みる赤毛の少女のそれをも嬉しそうに受け止めている銀髪の青年。奇しくも二人は花嫁衣装と花婿衣装でお似合いで、知らない者が見たならまさに晴れの日のカップルだと思うに違いない。
片方だけが異常に激甘な二人を見ていたセツナが、レンズの向こうに視線を隠しておもむろに口を開いた。
「……ルーク、それを脱ぎなさい」
「えー折角着替えたのに何で?」
「たった今、新たな代役を見つけましたので、あなたはもうお役御免です。元々あまり乗り気じゃなかったでしょう。勿論ここまで足を運んでもらったので報酬は支払いますよ」
「……本当にもういいのか?」
ルークがまだ疑り深く確認すると、セツナは頷いた。
嘘でも謀り事でもない気配に安堵したように息を吐き出すと、ルークは晴れ晴れとした顔付きになる。
「俺っちも無駄に顔晒したくねーしちょうど良かった。で、代役ってどこに?」
セツナは無言でアリシアを見た。
ルークも彼の視線を目で追う。
「はあ? 冗談だろ? だってあの子はおん――」
「しっ! 黙って!」
呆れと驚きで声を大きくするルークを、セツナは自身の口に指を当て叱るように制した。
無論、ギルバートに聞こえないようにだ。
「……ああ、そう言う事。まあいいけど、どうなっても俺っち知らねーよ?」
「そこは私も未知数です」
「一つ訊くけど、あの子に危険はねえよな?」
「偽装新郎のあなたの代わりなだけですし、そのつもりですが」
「なら安心した」
ルークは報酬をもらえるならあとは別にもう関係ないと思ったのか、いそいそと脱ぎ始める。
離れてもらえずセツナかルークに助けを求めようとしたアリシアは、彼らを見るや叫んだ。
「って何でははは裸なんですかルークさん!? 意外にイイ体ですし!!」
正確には下着一丁だが、抱き寄せられているのも吹っ飛びアリシアが赤くなって両手で顔を覆うと、ルークはからりと笑った。
「しっかり見といて恥じらうってホント最初から面白れーなアリシ……あんたは。ま、んじゃ頑張って」
(え、何が頑張ってなの? そして何で今あたしの名前あんたって言い直したの? 別にいいのに)
そしてその姿のまま部屋を出て行く。
「ええっちょっルークさんそれは公共わいせつ罪!」
しかし注意も虚しく扉は閉まった。
「そ、そんな……」
思わず追うように腕を伸ばしたアリシアが、彼の大胆行動に唖然とするのは普通の女子として当たり前だ。しかしそうは思わない者もここにはいた。
「レッド伯爵、頬を赤くして他の男なんて見ないでくれ」
顎を掴まれてくいっと向きを戻される。
「いやあれを平気で流せないでしょ普通!」
「もしかしなくても、君も、その……男が好きなのか?」
「相手によるわよ。そんなことより早く放して!」
(ん? そういえば今君もって言った? も……? ……まあいいわ)
青年は多分三つ四つ年上だろうが気を遣う気には到底なれず、また殴ろうかと本気で考え出した時、眼鏡の青年セツナが諭すように言う。
「ギル様、理想の花婿に興奮するのは結構ですが、式もまだですし少々気が早いですよ。私はこの方と今後について色々と話し合っておかねばならない点が多々ございますので、どうかそれまで大人しくこの部屋から出てとっとと散歩でもしてきて下さい。邪魔です。あなたがこの調子では……気が変わって逃げられますよ?」
無駄に強調された「気が変わる」「逃げられる」の部分で明らかにびくっと全身を強張らせたギルバートは、状況がわからず困惑するアリシアをあっさり放すと言われた通りに部屋の入口に向かった。
「それじゃあレッド伯爵、いやレッド、また……また後でな……っ」
今生の別れでもあるまいし、というかアリシアとしてはその方がいいが、何度も名残惜しげにこちらを振り返る姿は、ドナドナ~と売られゆく小鹿っぽかった……。