ユーリエの教会にて1
「ようやく着きましたかルーク。正直とんずらされる可能性も考えていたので、約束を守ってもらえて喜ばしい限りですね」
「へいへい。相変わらずの神の如き口の清さだよなセツナっちは」
「……ところで、その方は?」
到着したユーリエの教会裏手で馬車を降りた蜂蜜色の髪の青年ルークは、背中ですーすー寝入っている赤髪の少女を肩越しに一瞥すると苦笑を浮かべた。
会って間もない男――自分のいる馬車で寝入ってしまう迂闊さや無防備さには呆れるが、追い詰められた末とは言え、賭けに臨んだ肝の据わり方には感心すらする。
「んー何か馬車に転がり込んで来た」
「とか言って本当はあなた人攫いを……」
「いや俺っちが無理やり攫って来たんじゃねーって。事情があるんだよ。とにかくどっかに寝かせてやってくれ。俺っちは着替えっからさ」
「……まあ、仕方ありませんね」
少女を託されたセツナは両腕で抱きながら、困惑気味にその赤髪の花嫁を見下ろす。
(彼女も結婚式だったのでしょうか。しかし介添えの者も連れず、あまつさえルークの馬車に乗ったのは只事ではないですね。まさか逃げてきたとか?)
「付け加えとくと、その子追われてるらしい」
「案の定ですか。全く、ただでさえ忙しい日なのに私の仕事を増やしてくれて、大変に感謝感激ですよ」
「だぁから俺っちのせいじゃねえって……ってまあ二割くらいはそうかもしんねえか?」
深く考えるでもなく軽く請け合う感じのルークに、セツナはこれみよがしに大きな溜息をついた。
「んん……」
話声や動きで目が覚めたのか、赤髪の少女――アリシアがゆっくりと目を開ける。
古城での撮影会のみならず次々と湧いては萎む過去の記憶の中、アリシアは今度は父親に負ぶわれていた。
きっと撮影会よりももっと小さい頃の記憶。
庭の手入れなんかをよくしていたから日向の匂いのする大きくて温かい背中は、とても気持ちが良くてアリシアはよくそこで眠っては起き、起きては眠ったものだった。
『アリシア、これからは毎日家にお手伝いの人が来るけれど、誰かの命が危ないと思った時以外では魔法を使っては駄目だよ』
庭先でアリシアが背中に飛び付いておんぶおんぶとじゃれるのを受け入れながら、父親はそんな話をした。商会が軌道に乗り古城を空ける事が多くなったために、屋敷に人を雇い入れると決めたらしかった。一人留守番をさせられるアリシアのためだ。
『母様も言ってたけど、どうして?』
最終的には望み通りにおんぶをしてもらえて機嫌よく問えば、洗いざらした日向のシャツにぺたりと付けた頬に、父親の声が響いて届いた。
『アリシアの魔法を皆に教えるのが勿体ないからだよ。母様と父様だけで独り占めしちゃいたいなーってさ』
『ふふっ父様も母様も欲張りね!』
『そうだなあ。アリシアの魔法だからかな』
『わかった、いいよ。内緒にする』
いつもよりも目線が高い事が妙に嬉しくて喜々として体を揺らした。
『ああこらこら反らないで。落っこちるから』
『えへへへへへ~』
体勢を戻してぎゅっと抱き付くと、やっぱり日向の匂いがした。
この時はまだ魔法が気味悪がられている一般認識も、魔力持ちに分類される者が迫害紛いの扱いを受けるなんていう社会事情も知らなかった。
夢の中、懐かしの父親の背中が薄れたのを感じ、更には入れ替わるようにして男性の声と不安定な浮遊感が訪れたのに訝ったアリシアは、ようやく意識を浮上させた。
目を開け初めに飛び込んで来たのは、眼鏡をかけた見知らぬ男性の端正な顔。
「……どちら様です?」
直前まで見ていた夢の内容なんてすっかり忘れて、アリシアはポカンとした。
「ああちょうどよかったお目覚めのようですね。ご気分はどうですか?」
「…………だい、じょうぶ、で……す……?」
この上なく固まって答えて、アリシアは目を大きく瞬かせた。
何故に自分は若い男性に抱きかかえられ、顔を覗き込まれているのか。
確かさっきまで一緒にいたのは金髪の男性だったはず。
(ま、まさか、またって言うか今度こそあたし売られた……とか? 寝ちゃったし、そうされてもおかしくないわよね)
けれどここで取り乱してはいけないと、胆力を総動員して努めて冷静に問いかける。
「……ええと、すみません。下ろしてもらっても?」
男性はすんなりと応じアリシアをゆっくり丁寧に地面に立たせてくれた。それだけでも少し警戒レベルは下がったものの、解けるまでは当然いかない。アリシアはどくどくと鳴る動揺する心臓を服の上から押さえ、目の前の相手へと向き直った。
自分がどんな状況にいるのかまだわからない。
「ありがとうございます。ええと、ここはユーリエの街なんですか?」
金髪の青年が行くと言っていたし、まずはそこを確認してみる。
「ええ、そうですよ。あなたはあの馬車に乗って来られたのです」
そう言って眼鏡を掛けた黒髪の青年が視線で示す先には、一台の馬車がある。咄嗟の判断で乗り込んだので外装なんてほとんど覚えていないも同然だったが、確かにあんな感じだった気がするアリシアだ。
「そうだったんですか」
(あの人ちゃんと連れて来てくれてたのね。にしてもいつの間に着いたのかしら)
馬車の中までは覚えているが停まったのも降ろされたのも全然わからなかった。
酷い目に遭ったばかりでこうもあっさり寝入ってしまった自分に情けなくなる。
(あーそっか、いつまでも中に置いておけないから降ろされたのかな)
「どなたか存じませんがご迷惑をお掛けしました。あのそれで馬車に乗っていた方は?」
「ルークですか? 彼なら教会に入りました」
「え、あ……ここ教会……なんですか……」
言われて初めて確かにそうだと気付いたアリシアは、教会建物を見やって複雑な気分になった。
(ルークって言うんだあの人)
到着場所が教会と言う事は、親切だった彼は聖職に身を置く者なのだろうか。
それともアリシアを預けるにはここの方が良いと思ってだろうか。
「あなたは教会の方なんですか?」
「いいえ。今日ここに用事があるだけですよ」
「そうですか。あの、ルークさんにお会いできますか? 助けて頂いたお礼を言いたかったのですが」
「……本当にルークが助けたのでしたか。正直半信半疑でしたが」
知人なのか、何気に酷い言い草の相手へとアリシアは頷いてみせた。
「あたしはダーレクに住んでいるアリシアと言います」
「アリシアさんですか。ルークが追われているようだと言っていましたが、それも本当ですか?」
そこまで知られているならばとアリシアは今日の出来事を掻いつまんで話す事にする。
聞き終えた眼鏡の青年も、それにはさすがに驚いたようだった。
「ダーレクの街にはそんな連中が蔓延っているのですね。これは報告の上、一度徹底的に取り締まらなければ……」
「はい…?」
「ああいえ、こちらの話です。お気になさらず。それからルークには少々立て込んだ用事がありまして、伝言があれば伝えておきますよ」
それなら仕方がないとアリシアは黒髪の青年に感謝の言伝てを託そうとした。
その時だ。
「――おーいセツナ、新郎はもう到着したのか?」
第三者の声が割って入って、アリシアは開きかけていた口を閉じる。
セツナと呼ばれた青年と共に声のした方へと視線を向けると、そこには白いタキシードを着た一人の若い男性が立っていた。
(わあーなんかめちゃくちゃモテそうな人)
銀髪が眩しい青年の容姿にアリシアは素直に称賛を抱いた。
生きるのに忙しかったアリシアは、巷ではブロマイドが出回る程の人気を博すこの国の王子の顔を知らなかった。
どこかで見かけてはいても、自分とは縁のない人種だと思っていた彼女にとっては記憶するに値しない、つまりは全く以て興味の対象ではなかった。
この時少しでも顔を知っていれば、きっと後の状況は変わっていたかもしれない。
「ええ、たった今着いて中に――」
「――――なななな何て事だ……っっ!!」
眼鏡の青年が説明するのを遮って、銀髪の青年はアリシアを見て大きく叫んだ。
次にズンズンズカズカと近付いて来るや彼はがしりとしっかりアリシアの両肩を鷲掴んだ。
「え? あの?」
思いもよらない行動と真剣過ぎる視線に晒されてアリシアはちょっと、いやかなり気圧される。
「なっちょっとギル様?」
アリシアとセツナが揃って困惑する前で、ギルと呼ばれた青年は感激したような顔になってセツナを振り向くや、目を潤ませた。
「セツナはやはり僕の有能な右腕だ! まさか今日の相手に彼を――レッド伯爵を連れて来てくれるなんてな……!」
「は?」
セツナは意味がわからず怪訝に眉根を寄せるしかない。
契約結婚の相手はルークだ。
レッドなんて名前の男ではない。
自分の主人は果たして何を勘違いし、かつ激しく思い込んでいるのか。
しかしそんな胸中の疑問も、頭の回転も速く勘のいいセツナはすぐにある事に思い当たった。
「いえギル様この方は違いますよ。誤解です」
「誤解? いいや彼は紛れもなくレッド伯爵だよ。何年経っていようと僕が彼を見間違えるわけがない。それにこの体臭だって……!!」
肩を掴まれたと思ったら、今度は突然首筋に顔を近付けられてくんくん匂いをかがれて、アリシアはピシリと固まった。
(体臭って、体臭ってえッ……!)
自分では指摘される程臭いなんて思っていなかった。
周りの人は今まで遠慮して言わなかったのかもしれない。
そもそも初対面の女性にデリケートな体臭の話をするなんて、この男は何て嫌な奴なのだろうと、そう羞恥に涙目になったアリシアがふるふると憤りで震え出したところで、セツナが引き剥がしてくれた。
「ギル様! レディに何という失礼を!」
「レディ……? ああレディってその格好だからか? ふふっ何かおかしいと思ったら何で女装なんてしてるんだ? ご丁寧に胸に詰め物までして」
女装。
胸に詰め物。
ここまで来るとアリシアにも状況が少し呑み込めて唖然とした。
(酷い……。確かに化粧は汗で剥げてるし、女子の平均よりは身長も高いし、男顔かもしれないけどっ。このカッコして男に思われるなんて史上最悪の屈辱だわ!)
「久しぶりだなレッド。僕を覚えてる?」
「ですからこの方は女性です」
「セツナもう冗談はいいって。早いとこタキシードに着替えてもらって式を始めよう」
そして挙句の果てに彼は何と、トン、とアリシアの胸を軽く押した……というか触った。
「な!?」
「ギル様!」
「はは、よく出来た詰め物だな」
ドレスは胸元を隠し首筋まであるデザインだったが、実際に触っても彼はアリシアを男と思って疑わない。
……というかもう一度言うが、彼は、胸を、触った。
アリシアは自身の髪色以上に見る間に顔を真っ赤にするや、我慢の限界で拳を握った。
「何っすんのよこの痴漢野郎おおおーーーーッッ!」
「あがアッ!?」
渾身の拳から繰り出されたアッパーが見事相手の顎を捉えた。
綺麗な放物線を描いて教会の植え込みに撃沈した青年は薄れゆく意識の中、恍惚とした表情を浮かべる。
「……やっ、ぱり、この撃退力、愛しのレッド、伯しゃ……く……」
彼はガクリと首を傾け意識を失くした。完璧過ぎるノックアウトに暫し呆気に取られていたセツナだったが、我に返ると慌てたように駆け寄って起こしに掛かる。
「ギル様、ギル様しっかり! ギル様ー!!」
変態には強力な一発でOK……というか、事実上の一発KO。
アリシアはまさか自分が自国の王子に手を上げたなんて不敬を知らないまま、腕組みしふんと鼻息荒く睨み下ろした。
それにしても、どうしてかすごく満足そうな面持ちで失神しているのが、地味に気持ち悪かった。