まどろみの思い出2
「あた……いや私のことはレッド伯爵と呼んでくれ。ところで君は?」
とりあえず自己紹介は必要かと、アリシアは今日限定のレッド伯爵を名乗った。
仮装するなら設定まで細かく凝ってその役になり切る事を信条としている凝り性の父の影響だ。それはこの日会ったのが誰であれ発揮された。
アリシアの問いに、少年は逡巡するような間を置いてから小さく唇を動かした。
「…………ート」
「ええっミート!? お肉って、まんまだね!」
「ち、ちがっ…ぅ………ド!」
「え? 何? ああわかった、フードか! それもまんまだね!」
直前の悲鳴の主とは思えない小さ過ぎる声に、まるで聞こえないアリシアは何度か訊き返し、それで辛うじて聞こえた部分に無意味に自信を持った。
「そっかそっか君はフードって言うんだね。名は体を表すって言うくらい良い名だ! よろしくフード!」
「…………」
アリシアはにっかと歯を見せて不敵に笑うと、握手した手をブンブン上下に振り回した。
明るく輝かんばかりの笑みを見ていた少年は、訂正を口にしようとして結局はしなかった。
「……あ、あなたは、僕がいっ嫌では、ないのか?」
「え? 何で?」
今度はちゃんと聞こえた唐突な質問にアリシアはキョトンとして小首を傾げた。
「だだだって、こ、こんなに太っているし、ぼ、僕は、人と喋るのが苦手、で……」
よくどもる、と少年は言った。
周囲はそんな彼を馬鹿にし嫌っているそうだ。
「詳しい事情はよくわからないけど、好き嫌いなんて会ったばかりの知らない相手に論じられないし、そもそも君は君のなす行動で以て評価されるべきであって、見た目や喋り方で馬鹿にされる筋合いはないと思うけど。そんなことで私は君を嫌わないよ」
よく父親が芝居がかって口にする台詞を真似て言ってやれば、少年は依然おどおどとしていたもののきらりと目を輝かせた。
「……本当に?」
「ああ。でも、もしこの先君から嫌なことを無理強いされたり意地悪されたりしたら、そりゃあ嫌いになるけどね。そうでない限りは、私レッド伯爵は寛容な男さ、はっはっは! 君こそ私のこの髪の色を何とも思わないの? 珍しいけど血みたいで気持ち悪いとか」
赤毛より赤い母譲りのアリシアの髪色は人の多い場所では目を引く。
大きな街に行くと必ず好奇の視線と共に、何か良くないものかもしれないと敬遠される身からすれば、アリシアの方が逆に少年に訊きたかった。
すると彼は数度言葉を言い掛けては固まって止めるという、逡巡や躊躇とはどこか違った不思議な行動をした。強いて言うならば緊張か。
「ねえ、どうかした? 答えたくないなら別にいいよ答えなくても」
「――きっ綺麗な色っ、だっ、と思うっ!」
思いのほか大きな声が返って、アリシアは「へ?」とビックリして目を見開く。
けれど驚きの原因はそれだけじゃない。
「……ホントのホントに、そう思うの?」
「う、うん」
きっとお世辞でも嘘でもない。
ストレートな物言いが内気そうな少年から出たのは何となく意外に思ったけれど、アリシアは嬉しくなった。
初対面の相手に髪を褒められるなんて初めてだった。
「そっか! ありがとうフード!」
ずいっと身を乗り出して少年に近づいて、アリシアはお日様いっぱいのような笑みで感謝の言葉を告げた。
少年は何故か動揺したようだったが、そこを指摘する前にアリシアは優先すべき事を思い出す。
「そうだったいけない早く手当てしないと! だからフード、ちょっと怖いかもだけど我慢して!」
そう言うや自分よりも身長も体重もある相手の前に屈んで、膝の裏と脇の下に手を差し入れる。
「――【綿菓子ボール】【星の散歩】!」
アリシアが少年にはよく意味のわからない言語を紡いだ途端、彼女を中心に風が起こった。直後彼女は彼を軽々と横抱きに、次には垂直跳びのように膝を曲げ、跳躍。スイスイ~とまるで流れ星が散歩するような動きで空を駆ける。
「は……!? なっ何故おっ大人二人がかりでやっとの僕を、持ち上げられるの!? そっそれに、森が下にっ!?」
「飛んでるからだよ。はっはっはっ、実は私は魔法使いなのだよ――皆には内緒だがね?」
設定では豪快さが売りのレッド伯爵口調で言ってその上に余裕の悪戯っぽい笑みを重ねる。
少年はしばらくポカンとしてアリシアを見つめていたが、顔を俯けた。
「? どうしたのいきなり元気ないけど?」
「…………」
「怖がらなくても大丈夫だよ、落としたりしないから」
「…………」
それきり何を話しかけても問いかけても、躊躇うような、あ、とか、う、しか喋らない。
そんな様子に思い当たるものがあった。
(やっぱり魔法使いを知らない人は魔法使いが怖いんだ)
アリシアは得意満面だった表情を凋ませて前だけを見据えた。
フードの反応が予想外ではなかったものの、正直落ち込んだ。
近所から通ってもらっている古城の使用人達にも実は魔法の事は隠している。
両親からの言い付けだったとは言え、いつも優しく世話を焼いてくれる皆に隠し事をしているのが、時々酷く辛かった。
だけど、その理由が今わかった気がする。
幸い少年は暴れたりはせず、アリシアは目立たないよう古城の傍の茂みに降り立つと、まだ少年を支えて人の集まっている庭へと連れて行った。
庭の方ではフードを捜した馬車が古城を訪れていて、アリシアが連れ帰った彼の姿を見るや、護衛なのかどこかの立派な制服を着た兵士達は大層喜んだ。
(なんだ、きちんと心配してくれる人がいるんじゃない)
見ていると本心から少年を案じている様子なので、彼を嫌っている相手ではなさそうだった。
そうしてきちんとした手当てを済ませて早々、その少年一行は古城を後にした。
彼らは謝意の言葉の他に謝礼金を差し出したが、勿論断った。
これはアリシアの純粋な人助けだったからだ。
そして両親もそれをわかっていた。
少年フードは手当てをした後も喋ってくれなかったし、何より、アリシアとだけ喋ってくれなかった。
結局彼が慌ただしく馬車に乗り込む最後まで目も合わなかった。
視線を感じて振り向くとそっぽを向かれてしまう、とそんな感じで。
「アリシア、あんな恩知らず、早く忘れた方がいいよ」
「リシャール……。そうなのかな……そうだよね」
同じく赤毛のリシャールは二つ年上の母方の従兄だ。
遊びに来ていて仮装写真を一緒に撮った彼の客観的な意見に、アリシアは頷いた。
フードとの思い出は、少し悲しく残念で、小さな傷をアリシアの心に残した。
数年後、両親の会社が潰れるまで彼女はこの山奥の美しい古城で過ごしたが、彼がそこを訪れる事はなかった。