ある青年の企み
その頃、リベラエスタ国の大都市の一つユーリエにある大きな教会でも、結婚式の準備が着々と進められていた。
因みにユーリエとはアリシアの暮らすダーレクの隣町で、アリシアと青年の乗った馬車の目的地だ。
「ギル様、本当によろしいのですか? 式が始まればもう引き返せませんよ。世間様に男色家だと知られるのですよ。本当の本当に宜しいのですね? 後で泣き言を言われても私は知りませんよ? ……言っておきますがこれが最終確認ですからね」
「ああ。これでいいんだ」
その教会で、とある高貴な青年が専属執事からの最後通牒のような質問に実にあっさりとした態度で応じた。
こういう思い切りの良さは長所でもあるが、時々彼――ギルバート・ベルグランドの周囲を悩ませる原因でもあった。
因みに彼はまごう事なきリベラエスタ国の第四王子である。
「研究施設を解体や閉鎖されたり、重要な研究を途中で強制的に中断されるなんて耐えられない。それならいっそ両親の言う通りに形だけでも身を固めるさ。それに偽ったところで僕は本当に男が好きだしな。……ああ、彼は今一体何処で何をしているんだろうな。ひと目だけでもいいから会いたい……! そして海辺の見えるホテルで……ん~ちゅっちゅっ!」
「はいはいはいはい妄想はそこまでで。自分を抱きしめてタコの口で妄想に浸るとかキモいのでおやめ下さいね」
「ああ、いや、僕としたことがすまないセツナ。つい昔を思い出したら興奮してしまって……!」
「わかりました。ではもうちゃっちゃと進めますね」
何気に酷い事を言われているギルバートもそれを全く意に介していないが、セツナと呼ばれた青年も諸々をスルーして淡々と頷いた。
執事のお仕着せを着てはいるが、彼は元々護衛としてこの目の前の主人に仕えていた。
ただ、今では執事なのか護衛なのか判然としない。セツナ自身、両方を兼務していると思って最近はやっている。
ギルバートの――新郎の装いに合わせ丁寧に撫でつけられた繊細な銀髪は光を細かく反射して、女性も羨む艶めく髪質をより際立たせている。
陰影がけぶるような紫の瞳を細めギルバートは窓辺から外を眺めた。
空には雨の気配など欠片もない。
「ハハハハ、これはこれは見事なブーケトス日和じゃないか」
窓辺の逆光に佇むシルエットはスラリとして長身、けれど脆弱な印象はない。均整の取れた体つきだ。タキシードの上からでもわかる鍛えられ胸板と存外広い肩、長い脚、咽仏の出た男らしい首筋とシャープな顎の線。
鼻筋の通った横顔は引き締まって知性を醸し出す。
……まあ、醸し出すだけだが。
聡明さを内包したような瞳は、一度見つめられたら忘れられないと見る者を惹きつけてやまない。
……まあ、彼の日常を見れば別の意味で確かに忘れられないだろうが。
そしてそんな彼には何より大事なものがある。
自ら立ち上げたとある分野に関する研究所である。
身分を返上してでも生涯研究者の道を貫くと決めている彼は、自らの才による数々の発明品の特許料で以てその研究施設を建てた。
ここ、ユーリエの街に。
ギルバート・ベルグランドは王子であると同時に熱心な研究者でもあるのだ。
……紙一重でマッドなんちゃらかもしれないが。
とにかく、この街で十代の大半を過ごし先日二十歳になったばかりの優秀な彼に、しかし現実は厳しくのし掛かった。
ある日王城に呼び出され、両親からいい加減研究一辺倒の引き籠り生活をやめて結婚しなければ、研究所を国王権限で潰すと言われたのだ。
兄王子達とは違って今まで女っ気一つなかった彼を心配した両親の親心なのだろうとは理解できたが、内心ぎくりとしたのは言うまでもない。
――男が好きだと気づかれたか?
最初ギルバートは呼び付けられた父王の執務室で、じわりと背中に掻いた嫌な汗と共にそう懸念したものだった。
しかし、杞憂だった。
一方、有無を言わせない半ば脅しのような物言いに彼は裏切られたような衝撃と沸々とした怒りを覚えてもいた。
だからその場で近いうちに必ず結婚すると両親に約束したのだ。
ずっと想い続けている相手を見つけるまでは何より大切な研究所を護る。
そう自身の魂に誓っていたギルバートは、要は誰かと結婚さえすればいい――それが一般的な形であろうとなかろうと……と、そんな極端な結論に達していた。彼は馬鹿と天才は紙一重を地で行く男だった。
そしてそれは両親からの条件を満たし、尚且つ彼を煩わせる婚姻と言うものへの面倒事を一気に解消できる企みでもあった。
自身が男色家だと明かしその証明のように男と結婚する事で、周囲からの五月蠅いくらいの縁談話も途切れるだろうと踏んだのだ。
そう言うわけなので両親の薦める相手は論外。
では即席の相手をどうするかと悩んだ末、良き参謀たるセツナに相談し今に至る。
幸か不幸かこの国は同性愛に寛容ではない国だ。
しかし同時に幸か不幸か同性婚が合法でもある。
王家の歴史上、男を娶り王妃とした強権的な国王によりそう制定されたらしい。子孫がその法を覆す事のないよう彼の王は遺言にまで記したという。以来法を覆す手間もあってそのままだったのだ。
現代はその風潮から同性婚など皆無に等しいので忘れられてもいた法である。
ギルバートの目論見は醜聞を代償に成功するだろう。
「セツナにはいつも苦労を掛けるな」
「今更謝罪とか労いの言葉は結構です。心底本当に今更ですからねえ。ああ今から忙殺されるクレーム処理の日々に頭痛がします。クレーム処理班として臨時バイトでも雇って下さい。私一人では全部をフォローし面倒を見るのは無理なので」
「…………」
そんな美形王子と常に行動を共にする執事のセツナもまた印象的な人物だった。
軍人のようなスッキリとした黒髪短髪に切れ長の眼、薄い唇、瞳も黒で冷静沈着を絵に描いたような涼しげな雰囲気を持つ。
竹林に一人無音で佇む姿を違和感なく想像できる、そんな男だ。
縁なしの伊達眼鏡が特徴的でもあった。
現在そんな二人の主従が居る場所はユーリエに建つ教会の新郎控え室。
ギルバートは窓の傍から自身の執事へ近付くと、親しげに肩を組んで顔を近付けた。さほど身長の変わらない二人なので目線もほとんど同じである。
「誰もいなければぶっちゃけ僕はお前でも別に良かったんだがなー?」
「――殺しますよ?」
「ひいっ、ちょ待った待った冗談だ冗談んんんっ! だからその隠し刀仕舞えーっ!」
超反射で飛びのいて両手でガードするギルバートは、はらりと一筋自身の銀の髪が散ったのを見て蒼白になる。
「しししっかり避けたつもりだったのに……っ」
「ああ残念。折角の晴れの日ですし、御髪を綺麗さっぱり剃り上げて差し上げようと思い立ったのですが、何故か急に」
一方セツナは元々切れ長の一重眼を更に細くして、白々しくも自らの主人を一瞥した。手練れとか一騎当千の雰囲気を時に彼は醸し出す。だが今はお遊びと言っていい程度の身のこなしだった。それでも相手が武芸の経験もない普通の男だったなら、確実に一本剃り上げられていただろう。
懐にたった今切れ味を披露した小刀を仕舞う涼しい顔の執事に、ギルバートは恐怖を忘れ呆れた。
「いつも思うがセツナのその切り替えの早さ、特技の域だな。主人に刀向けるような下剋上執事も世界広しと言えどお前くらいだと思う」
「どうも」
「褒めてないッ」
「まあともかく、頼んだ者が到着するまでまだ時間がありますのでゆっくりしていて下さい」
毒舌執事はそう言って静かに部屋を出て行く。
式の邪魔をされては困るので親兄弟にも隠して入念に準備を行ってきた結婚式。
だから身内を招待してはいない。
だがこれでいいのだ。家族に紹介するような相手と式を挙げるわけではないのだ。
相手はセツナが金と伝手で頼んだ今日限りの、そして今日初めて会う男だ。
偽装結婚し、世間的に自分の嗜好を周知させるのが最大の目的だった。
なので教会発行の結婚証明書も偽物。籍は入れない。
まあぶっちゃけ書類上正式に伴侶となってもギルバート的には何ら問題はなかったが。
その時は庶民が一生遊んで暮らせるくらいのお金なら払うし、と彼はきっちりビジネスと割り切ってもいた。
「一体どんな相手だろうな。せめて綺麗めで頼みたいところだ」
男であればどんなでもいいとは言ったが、できれば自分の好みがいい……と彼は図々しくも思う。
この日、ギルバートは男同士の結婚を世間に大々的に公表するつもりで、既に教会には記者達も呼んである。
教会と言う特別な場所に招待された記者達は、何かの重大事に感づいているかもしれないが、彼らの予想を裏切り想像の遥か斜め上を行くのは必至だった。