理不尽からの逃走2
「ああもっ、しつっこいなあ!」
ヒールでタンッと石畳を打ち鳴らしドレスをたくし上げ、野生のイノシシのように猛烈な勢いで突っ走る。
煉瓦造りの建物に挟まれた細い裏路地を逃走しながら、アリシアは今日何度目かわからない悪態をついた。
教会から逃走した花嫁衣装のアリシアの後ろからは、これでもかと言う数の黒服の男達が付かず離れず追って来ている。
無論求婚者の群れなどではない。
アリシアを捕まえどこぞの輩に売っ払おうと目論んでいた一味の構成員だ。
このままでは埒が明かないと、彼女は疾走する路地から大通りに飛び出した。
人目のある場所なら拉致して連れて行こうとなんてしないはずだ。
(このまま警察に駆け込んで、それからそれから)
案の定通行人がアリシアを好奇や興味の目で見てくれるので、追って来た黒服の連中は分が悪そうに足を緩めた。
肩越しにチラリと見れば手を頭に当てたり腰に当てたりして息を切らし切らし、アリシアを見送っている。見ているだけでチッという舌打ちが聞こえてきそうな苦々しい様子だった。
(よっしゃあああッ撒いたッ!)
アリシアは内心漢らしくガッツポーズを作った。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「いたわあそこのあの赤い髪の! お嬢様よ早く追い付いてー!」
「げっ! うっそお!」
疾走してくる一台の屋根のない辻馬車の上に、恰幅の良いあの中年女の姿が見えた。
アリシアに話を持ちかけ騙した張本人だ。
その時の母親としての涙ながらの演技は実に真に迫っていて女優顔負けだった。御者席で御者の隣に陣取り、今にも自分で手綱を握って運転しそうな勢いで檄を飛ばしている。
馬車でなら往来でも簡単に連れ去られてしまう。
きっとあの女はお嬢様の乳母か何かの演技でもして周囲を欺くに違いない。
アリシアは一目散に逃げ出した。
捕まっては堪らない。
「ああもう路地に逃げれば黒服だしこのままだと馬車に捕まっちゃうしーっ」
馬車はどんどんアリシアとの距離を縮めていて、疲れ追い込まれたアリシアは諦念すら抱く。
その時、街路の先に停まっていた一台の箱馬車が目に付いた。
ちょうど誰かが乗り込んで走り始めた所だったのだ。
(あれだーッ!)
アリシアは一か八かの賭けに出た。
馬車から逃げるなら馬車に限る。
まだ速度の出ないその馬車に追い付くと、扉に手をかけ勝手に乗り込んだ。幸運にも鍵は掛けられていなかった。
「お願いしますどうか人を助けると思ってこのまま行って下さいいい!!」
身を投げ出すようにして馬車の中に飛び込んで、相手の顔も見ずに土下座で頼みこむと、乗り主の青年がぷはっと噴き出した。
まあ、アリシアは必死すぎて気付かなかったが。
「どうかどうかどうか降ろさないで下さいお願いしますうううーっ!」
「わかったわかった。御者にはこのまま進むように言う。だから顔上げな?」
「あっありがとうございます!」
アリシアが救世主を見るように顔を上げると、濃い蜂蜜色の金髪に青い目の青年はこちらを気にして速度を上げないでいた御者へ指示した。
ぐんと速度が上がったものの馬車後方の窓から覗けば女の馬車は付いて来ている。
距離を保ったままでは撒けない。
ハラハラしながら見ていたアリシアの横で青年が「もっと急いで」と指示を出した。
どんどん距離を稼いでいく。
そのうち間に何台もの馬車が入り、尚且つ何度も道を曲がっていたら、そのうち女の馬車はどこにも見えなくなった。
「へへっどうやら撒けたみたいだな」
満足げに青年が言って、アリシアはようやく落ち着いて恩人の姿を見る事ができた。
一見して二十歳程。
金髪碧眼の中性的な見た目は大人しそうなインドア系で、本を持ち眼鏡を掛けたらよく似合うだろう貴公子だ。
しかし予想に反して口調は陽気そうでどこかやんちゃさを窺わせる。
服装は全体的に黒っぽく動きやすそうな形状だった。
葬儀に出るような出で立ちとも異なるので、アリシアは少しだけ疑問が湧く。
(何だかこの人、どこかの物陰に潜んでいても目立たないような感じよね……)
まるで密偵とか暗殺者みたいだと彼女は思ったが、口には出さなかった。
それより、言うべき言葉があったからだ。
「本当の本っ当にどうもありがとうございます! このお礼は必ずしますから!」
「いやいいって。俺っちの馬車じゃねーし。あんた逃げなきゃいけない事情があったんだろ。男として困ってる婦女子を助けるのは当然だかんな」
向かいの座席に座って深々と頭を下げると、青年は背凭れに寄っ掛かりからからと笑った。
「そんでどうする? もう降りるか? この馬車は隣街のユーリエまで行くんだけど」
アリシアは少し考え首を振ると言いにくそうにした。
「あの……隣街まで一緒に乗せてって欲しいんですけど、駄目ですか……?」
ここで降りたところで待ち伏せされているだろう家には戻れないし、この目立つ衣装で街をうろつけばまた見つかる危険が高い。
どうせだったらしばらく別の街に身を潜めていようと決めた。
「あんたがいいならいいけど、そのカッコ花嫁さんだろ? ホントにいいのか?」
青年が気遣ってか訊いてくる。
アリシアはここまで親切にしてくれた恩人への隠し事は悪い気がして、ありのままを告げた。赤の他人だから話せる身の上話というやつだった。
「そう言うわけで、実はあたし今日売られそうになったので逃げて来たんです。だからお願いします。どうかそのまま馬車を走らせて下さい」
「何てこった……」
青年は大層目を丸くしていた。
こんな酷い話を初めて聞いたのかもしれない。
「さっきの女はそんなあくどい奴だったのか。ならこの街にいるのは危険だな。よし、オケオケッ、このまま一緒に乗ってけ」
「よかったあ……! 重ね重ねありがとうございます!」
アリシアはホッとして小さく笑んだ。緊張続きだったせいか疲れを感じて背凭れにポスリと身を預ける。
「まあ、着くまでゆっくり休んでなー」
そんなアリシアを青年は面白そうに見つめて言った。