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 金曜の六時間目の授業が終わった瞬間に、教室の空気が弛緩(しかん)する感じがわたしは好きだ。

 周囲から楽しげな会話が聞こえてくる。青空を飛ぶ小鳥のように、弾んだ声。暗さの感じさせない明るい雰囲気。


 休みの日に旅行に行くと話してる人もいるし、彼氏とデートだとか言ってる人もいる。

 明日から三連休が始まるからだ。その分だけ宿題も増えるわけだけど。


 前を見るとヘッドフォンをつけたなぎちゃんが帰ろうとしている。

 くるりとこちらを見て、わずかに首をかしげた。


「あーちゃん、帰らないの?」


「あ、いや、帰る帰る」


 わたしは荷物をリュックに押し込んで席を立った。

 そのあと廊下から下駄箱まで夢見さんたちと一緒に進み、校門から出ると別れる。

 どうやら夢見さんたちの家は、わたしたちの反対方向らしい。


 もう目を瞑っても帰れるくらいには慣れてきた道を歩く。いや目を瞑ってたらさすがに帰れないだろうけど。

 同じ風景。ふたりで並んで帰るのも、もう何度目だろう。


「あっ」


 なぎちゃんが立ち止まった。

 そちらを向いたから、わたしは電柱に突っ込みそうになる。あわてて避けて、変なポーズで動きを止めることになった。


「ど、どしたの」


「ちょっと寄っていかない?」


 親指が向けられてるのは駅だった。

 これからどこかに遠出するのかな、とか思っていると、なぎちゃんは駅の中にあるドーナツ店に入っていく。

 周りには制服姿の学生もいて、「ああ、これが高校生か」なんてわたしは呟いた。


 店内は学生ばかりで座る場所はひとつも空いてない。レジまでは行列ができている。

 いわゆる陽キャな雰囲気だ。わたしひとりだったら絶対に来てない。確信。

 充満する砂糖の甘い香りと色鮮やかな店内の装飾。きっと蜜蜂なんかはこんな気分で花粉を集めているんだろうな。

 そんなことを思っていると、列が進んでいた。


「あーちゃん、何にするの?」


 ドーナツはたくさん並んでいるけれど、わたしが買うのはいつも決まっている。


「フレンチクルーラー。わたし、これしか食べないんだ」


「そうなの? あたしはオールドファッションかな」


 フレンチクルーラーは至高の存在だ。もしも今日が地球最後の日でもフレンチクルーラーを頼んでるはず。

 それからさっき蜜蜂のことを考えていたからか、わたしは妹と母のドーナツを持ち帰ることにした。蜜蜂もこんな気持ちなのかな。

 わたしとお母さんはフレンチクルーラーしか食べないけど、妹はポンデリングしか食べない。

 偏食一家だった。


 ようやく支払いが終わると駅から出てベンチに座る。

 わたしたちはドーナツを半分こした。オールドファッションなんて何年ぶりに食べたのか、思い出せない。

 ポロポロとした食感には違和感がある。美味しいんだけどね。


「フレンチクルーラーあっめー」


 なんてなぎちゃんが笑ってる。

 そんな「あっめー」がわたしの普通だからか、オールドファッションは少し物足りない。


彼方(かなた)ってポンデリングだっけ」


 なぎちゃんが唐突に言った。

 わたしの妹はポンデリングだったのだろうか。確かに頬っぺたがもちもちだけど。いや違うか。


「あいつはポンデリングしか食べないね」


「そうだったそうだった。あー、懐かしいなぁ」


 なぎちゃんが家によく遊びに来てた頃は、お母さんがおやつとしてドーナツを買ってくることが多かった。

 そんな時になぎちゃんがポンデリングを食べちゃって、妹がワンワン泣いていたのを思い出す。


「うん、食べたら泣いちゃうんだよね」


「今でも?」


「まー、さすがに妥協を覚えたのか、わたしがポンデリングを食べたらフレンチクルーラー食べるくらいには成長してるよ」


 はたしてそれが成長なのかはともかく。

 寄り道なんて中学時代にはやらなかったことだけど、高校生になってからは時々していた。

 なぎちゃんと二人だったり、夢見さんがいたり、青ヶ浜さんや梓川さんと一緒だったり。

 以前のわたしとは全く違う。

 お母さんが買ってくるドーナツを食べるだけだったのが、自分で買って帰るようになった。

 そんな風になるなんて、以前のわたしでは思ってもみなかったことだ。


「ただいま」


 わたしは自身の成長を感じつつ帰宅した。

 靴を並べていると廊下を妹が走ってくる。なんだ妹よ、ドーナツに気づいたのか。

 でもどうしてだか、妹は青い顔をしている。


「おねーちゃん」


「ドーナツ買ってきたよ」


「そ、それよりも来て!」


 妹がわたしの手を引っ張る。あんなに「ドーナツだーうわーい」とかはしゃいでいた妹はもういないのか。

 わたしは目尻に涙が浮かぶのを感じた。

 みんな成長してるんだな。


「どうした?」


「なんていうか……なんていうか! なんていうか、なの!」


 なんだそれは。

 テーブルにドーナツが入った箱を置く。リビングのテレビがついていて、お天気コーナーの真っ最中だった。

 明日は雨らしい。


「あれ、お母さんは?」


 妹を見ると唇がわなわなと震えていた。

 その上で目が泳いでいて、動揺してる絵を書けってテストの問題があるならこの様子を書いておけば満点が貰えるだろう。

 こっちこっちと案内されたのはお母さんの部屋の前だった。

 ノックもせずに開けようとしている。わたしは妹の頭に軽くチョップをした。


「こら、ノックしないとダメでしょ」


 妹は「うーうー」言いながら跳びはねてる。痛かったとかじゃなくて、言いたい言葉が出なくてもどかしい感じ。

 あるいは駄々をこねている子供か。


「……まあいいか」


 わたしはノックせずに扉を少しだけ開けた。

 音が聞こえてくる。


「うわー、やられちゃいますぅ~☆」


 それはやけに甲高い、いわゆるアニメ声だ。


「ナイトさんたちぃー、助けてぇ。うわわーやられちゃったよぅー。しょぼーん」


 わたしは絶句した。

 妹も絶句している。


「あ、スパチャありがとー! えへへ、歌って欲しいの? えー、どうしよっかなぁ~☆」


 リビングに戻ったわたしと妹は死んだ魚のような目でドーナツを食べた。

 会話は無かった。

 そしてドーナツの味も無かった。

 あんなに甘かったドーナツはどこに行ったのだろう。


「少し大人になると、世界が違って見えてくるね」


 わたしは遠い目をしながら言う。

 ナギとアーサーが首を傾げているけれど、みゃーこ先輩は「うんうん、力を持つものには責任が」とか意味のわからないことを言ってる。

 ドーナツを食べたあと、妹は死んだ魚のような目で宿題してくるって言いながら部屋に入っていった。泣いてるかもしれない。

 わたしは宿題を放置してクリスティアオンラインⅡにログインした。


 現実はとてもツラいものだから、こんなときくらいは現実逃避をしなくては。 


「あの、そういえば先輩って何者なんですか?」


 わたしはみゃーこ先輩を見ながら言ってみた。目は死んでいる。

 一方のみゃーこ先輩は目を輝かせながらスクール水着みたいな防具の胸を張った。


「猫屋敷みやこでござる。オレさまは部員ではないが、貴殿らと同じ【夜の帳】のメンバーにゃ!」


 なぎちゃんと夢見さんがポカンしていた。

 どんどんみゃーこ先輩の顔が赤くなっていく。

 キャラが大渋滞していたのをわたしはあえて指摘しなかった。

 ツッコミの皆無なボケだ。


 するとみゃーこ先輩の目にじんわりと涙が浮かんだ。


「2年の猫屋敷みやこです。コスプレ同好会に入ってます。夜の帳同好会には入ってないんですけど、あの、よろしくお願いします」


 挨拶を受ける。今さらだったけど、わたしたちはちゃんと自己紹介をしたのだった。

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