3
夜の旧市街は本当に真っ暗だった。
これがベルサーニュやアースラであれば、人家の光があるからまだ明るいのに。
空を見上げると星が見えている。星の明かり程度では、足元を確認するので精一杯だ。
肉串をマユラハに奢った結果。
わたしたちはパーティーを組むことになった。借りは作りたくないとかなんとか。
だったらロールしててもモルを持って欲しい。
「ねぇ、別の時間にしようよ~」
わたしの声に、前を歩いているマユラハが振り返る。
「なにゆえじゃ? ゴブリンを狩るのであれば、むしろ月夜のほうがよかろ?」
「……そうなの?」
「ほれ、見るがよい」
うっすらと見える氷のような髪色。その向こうで少女の指が示している。
指先からスゥーと視線を動かして行けば、少し離れた場所に、たき火の灯りが見えた。
「なるほど」
「火を使うのはおろかな愚行じゃ。場所を知らせておるのと同じじゃからの」
言い終えるくらいにはマユラハは前傾姿勢になっていた。
まるで猫みたい。
「行くの?」
「当たり前であろう」
「うーん」
このエリアでの死亡はなかなかにツラい。
他のプレイヤーがモンスターに装備を奪われたとか言ってたからだ。もちろん冗談の可能性もあるけど。
冗談だと思っていて真実だった場合に失うものが多すぎるのがツラいところ。
精霊王のローブは譲渡不可だから奪われることもないはずで。
白木の杖は宿屋に置いてきたし、ルーンの腕輪も置いてきた。
INI値の強化がなくなったわたしは、さながらスキルのない盗賊のようなもの。
ダガーと剣を装備すると、ほんとうに前衛職になったみたい。でも後衛魔法職なのだ。
目の前にいるマユラハが物理後衛職なのでパーティー構成は終わってる。
仮にモンスターにアイテムや装備を奪われるとしたら、狼のダガーとアイテムくらいか。
「自分はともかく」
マユラハの弓はユニークか引き継ぎされたものだろう。
もしわたしが足を引っ張ってパーティーが全滅し、奪われるなんてことになったら……。
なんてことを思っていると、マユラハがたき火が見える廃屋の風下、そのなかでも高台に移動していた。
ハンドサインで『行け』と言ってる。気がする。マジか。
「いや、無理だって! わたしこう見えて前衛じゃないんだって!」
高台にいるマユラハからわたしはどう見えているのだろう。
初期装備の服にバケツヘルム、剣とダガー……戦士じゃん!?
「行け!」
と。
今度は小声が聞こえてきた。
廃屋内のゴブリンたちはギャハハと笑っているので、どうやらバレなかったらしい。
月光に背を向けている、マユラハのハンドサインが大きくなった。
「マジか」
仮にわたしがデスしたところで奪われるアイテムがあるとすれば、なけなしのモルとポーションやエリクサーくらい。
ベルマリアに注文した品物の前金として渡しているので、もうモルもあまり残っていない。
「……ま、いっか。これも経験ってやつで」
わたしは廃屋に入っていく。
扉のなくなった玄関から建物内を進んでいると、床板がギィッと鳴った。
息を呑む。汗が浮かび上がる。
聞き耳を立ててもゴブリンから聞こえるのは笑い声だけだった。
ゆっくりと。
確実に。
気配を消して。
部屋を覗く。ゴブリンの数は1、2……3……えぇ。
室内は6体のゴブリンが宴会さながらに食って飲んで騒いでいる最中だ。
革の水筒を回し飲みしている様子を見ている限りでは、しれっと輪に入ってもバレなさそうですらある。
「えっ、で?」
これからどうすんの?
「ガァ?」
声の方向をパッと振り向くと、家の奥から新しい革水筒を持って来たゴブリンがわたしを見ていた。
もう1体いた!?
わたしの顔が引きつった。バケツヘルムの下で。ゴブリンの顔も唖然としている。
室内のゴブリンたちも何事かと立ち上がった。
「……せ、戦術的撤退!」
わたしは廊下を駆け回る。
ゴブリンは追いかけてくる。
壊れたテーブルの下をくぐり、逃げ、台所にあった裏戸は開かない。
テーブルの周りをゴブリンとぐるぐると追いかけっこをしてみれば、リーダー格のゴブリンがテーブルに飛び乗って剣を振るってくる。
剣がバケツヘルムに当たった。わずかな衝撃とほんの少しのダメージ。
わたしは再度、廊下を駆けて入口から飛び出した。
ゴブリンたちは少し千鳥足ぎみに追いかけてくる。
「マユラハのアホーーー!!」
「アホとはなんじゃ、アホとは!!」
声が聞こえた気がした。
わたしの周囲を冷たい風がサッと撫でる。
後ろで飛び上がって攻撃しようとしていた、猪の頭蓋骨のようなものを被っていたゴブリンが一瞬で消えた。
──ひゅん。ひゅんひゅんひゅん。
風切り音。
となれば、マユラハの弓しかない。
「う、うわっ」
わたしは頭を抱えてしゃがみこむ。
背後では入口から飛び出してくるゴブリンたちが次々と射貫かれてゆく。
「──どうじゃ! わらわの実力は!!」
あっという間にゴブリンたちが全滅していた。彼らが立っていた場所にはアイテムや装備がドロップしている。
高台で胸を張っている少女は、もはや胸を張っているどころかエビ反り状態。嬉しそうに高笑いを響かせたりなんかしてて。
それがお前の令嬢像なのかと小一時間問いつめたい。
「ハーハッハハハーハーッハハハー……むっ」
「どしたの?」
あとで山分けにするとして、とりあえずアイテムを回収したわたしはマユラハが立っている家の下まで行く。
すると、マユラハは高笑いをやめて首をひねっていた。
「なぜかは知らぬが、ゴブリンの大群がこちらに向かってきておるぞ」
「大声出すからだよっ!」
わたしは冷静に、そして即座にツッコミをいれると、迎え撃とうとしているマユラハをなんとか高台から下ろして、一緒に逃げることにした。
遠くが赤く染まっているのは大量のゴブリンがたいまつを持っているからだろう。
あんなの勝てるわけないじゃん。
こうして先ほどの場所から移動していると、旧市街の大通りに出た。
石畳が遠くまで延々と続いている。
月明かりにふたりの影が照らし出されて、やたらと足が伸びているのがおもしろい。
「おい」
「ん?」
「ゴブリンが大通りには入らないのを知っておるか?」
「え、そうなの」
「うむ。この先に宮殿があるのだが」
と、マユラハが大通りの先を見た。
「そこにおるゴブリンロードに恐れをいだいて、入らぬらしい」
「へぇ」
わたしは死亡した時のことを思い出す。
マユラハが言っているのが事実なら、もう少し逃げられていれば助かったことになる。
今さら感しかないけど。
「あー、壁のところで装備を奪われたって言ってた人たちは、ここをまっすぐに進んだのか」
わたしはぽつりと言った。わたしは街中で戦っているばかりで大通りを進んで行ってない。
宮殿に行くだけなら、このまっすぐな道を延々と進めばいいだけなのだろう。
宮殿なんて崖の上からでも見えなかったはず。
そんなに長く歩きたくはない。
遠くにあるという宮殿を眺めていると、ぞくり、とした。
まるで背中に氷を入れられたような。しかもその氷がミミズのように這い回る、そんな不快感を感じる。
「ふんっ、わらわたちを見ておるな。舐めおって……!」
マユラハが遥か遠くの『ナニか』を知覚しているかのように、瞳をらんらんと輝かせた。
唇は三日月型に歪んでいる。今にも駆け出して戦いに向かいそうだ。
「まあ、よいわ。このような些事にわらわは関わらぬ。それが高貴なる存在というものよ」
くふふっ、と笑ったマユラハはわたしの翡翠色の瞳を見つめて、
「──なあ? そなたもそう思うであろ?」
と言ったのだった。




