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わたしたちは旧市街に向かった。
先輩たちもすでに許可証を持っているらしい。さすが先輩。
道中ふたりの先輩はマユラハについての話を口出しせずに聞いていた。
そして断崖絶壁の上に到着すると、ようやく口を開く。
「そのマユラハというプレイヤーが島にいたのは、確かに変だな」
「そうにゃね。先行プレイしてるプレイヤーの話しなんてのは聞こえてくるものにゃし」
断崖絶壁の上から旧市街を眺めると、果てが見えない。
石造りの建物がどこまでも続いている。
ここは高台だからこそ、旧市街にいる他のプレイヤーたちの姿も見えた。
ゴブリンと戦っている人も、わたしたちみたいに追われている人も。多くのプレイヤーが来ているみたい。
「うわっ、また降りなきゃいけないんだった」
わたしは肩を落とす。
もう少し、ほんの少しでいいからマシな降りるルートはないのだろうか。
梯子を降りながら崖下を確認してみると、旧市街のなかに特徴的な青みがかった氷のような髪色が見えた。
「いた、マユラハ!」
「ん? どこだ?」
「崩れた壁のとこです!」
「にゃー。ほとんどの建物が崩れてるじゃん」
「あっちです、あっち!」
「アリカ」
「はい?」
「私たちはマユラハのことを見たことが無いから、まずはどんな見た目なのかを教えてくれ。そうしないとわからないぞ」
「ごもっとも!」
わたしは梯子の途中で降参だとばかりに空を見上げた。
ほんと、ごもっとも。
ちなみに見上げると、みゃーこ先輩のお尻から尻尾が生えているのが見えた
旧市街に降り立つと、みゃーこ先輩はアイテムボックスから弓を取り出している。
他の装備とは違って、武骨な弓だった。
どうやら弓使いとかレンジャーとか、そういった武器系の物理後衛職なんだろう。
ふんふんふーん、と。
鼻歌を奏でながらわたしと宵先輩の先を進んでいくみゃーこ先輩が、立ち止まる。
あっちあっちと指を示してる先にはゴブリンがいた。1体だ。
首から縦笛のようなものをぶら下げているゴブリンが「ギャッギャギャ~」、と歌っているのか叫んでいるのか、判断の難しい声を出しながら歩いてる。
あそこは昨日、わたしたちがゴブリンから奇襲を受けた場所だ。
「どうします? やっちゃいます?」
前衛最強のひとりとも言われるイクサがいるから、負ける要素がないぜ。ふはは。
「そうだな。まずはアリカの実力を見せてもらおうか」
「へっ」
「それはいい考えにゃ。アドバイスするにも、クセとか見ないとにゃ」
「にゃんですと!?」
わたしは驚いたあとですっごい嫌そうな顔をした。
後衛魔法職・精霊使いにソロでモンスターに挑めっていうのか、この先輩たち。
ゴブリンは「ギャッギャギャ~」、と人気のない……いや、ゴブリン気のない路地裏へのカドに姿を消した。
「……行ってきます」
なんて言いながら、わたしはしぶしぶゴブリンを追いかけた。
振り向いたけど、先輩たちはマジでついてきていない。
マジか。
マジなのかぁ。
路地裏に行き、カドを曲がると、歩いているゴブリンの後ろ姿が見えた。
行動パターン的に考えて……このあと昨日と同じ場所、崩れた建物に入っていくのだろう。
魔法を使うなら、集まったところに一撃を叩き込む方がいい。
でも遮蔽物のない直線の方が攻撃はやりやすい。
わたしはまばたきの一瞬だけ悩んだ。
そして決めた。
腰に装備している狼のダガーを抜いて。
左足を大きく踏み出す。
弓矢を引くようにダガーを後方に。そして一気に──投げた。
ヒュンッ。
と。
グギャ。
ほぼ同時に聞こえた気がする。
わたしはぶっ倒れた鼻歌ゴブリンの生死よりも、周囲を見回して安全かどうかを確認した。
あの黒板を引っ掻いたような声も聞こえないし、もちろん他のゴブリンの姿も見えない。
「やった、でも」
ゴブリンの姿が消えていない。まだ生きている。動いてはいないけど。
考えられるのは、
狼のダガーに記載されていないような何らかの効果があってスタンしている。
あるいは死んだふりをしている。
このどちらか、だろう。きっと。
「絶対に後者でしょ」
魔法を撃ち込めば簡単に、そして安全に倒せる。
でもルピーを呼ぶには魔石が必要だし、何より結局魔法を使うなら、こんな戦い方をした意味がない。
ナイフ投げは、魔王軍四天王の頃に、同じ魔王軍四天王でありエルフの暗殺者であるアルマに習った。
これは特定のスキルではなく、単純なプレイスキルだ。
魔力を消費しないで敵を迎撃したり、魔法防御を上げてきた相手に物理ダメージを与えるために……それはそれは長い地獄の特訓を受けた。
そんなナイフ投げ。
久しぶりに使って、見事に命中。
正直うれしい。
だからこそ、とどめを魔法にしてしまうと、なんの為に練習したナイフ投げをしたのかわからなくなりそう。
わたしは背負っている剣を抜いて、ゆっくりとゴブリンに近づいていく。
「さて、どう動くの? 叫ぶのは確定として……逃げる? それとも戦う?」
ゴブリンに問いかけたと言うよりは自分に問いかけて、倒れたゴブリンの間近に立つ。
動かない。
もうぶっ刺してしまおうか。
剣の切っ先を下にして振り上げる。
と。
「カカカッ」
ゴブリンが顔を上げた。
にぃっと醜く歪んだ口から、獣ような牙と青黒い舌が見えた。
手には笛を持っている。
いや。
違う!
「──吹き矢!?」
ゴブリンがバッと身を起こして、咥えた筒に、勢いよく息を吹き込んだ。
シュッ。
と、何かが発射された。
キラリと見えるのは針状の何か。きっと毒が塗られている。
とっさに気づけたからか。
針はわたしの髪を少しだけ穿って、後ろの乾いた木材に突き刺さった。
「カカカッ」
ゴブリンは笑いながら針を再装填。
「テキ、オシイ」
笑っているし、バカにしてやがるな、こいつ。
「仲間を呼ばなくても勝てるって思ってる? ゴブリン風情が、このわたしを前にして?」
わたしが今もルナルーンだったら、この旧市街は焦土と化していただろう。
まあ今のわたしはアリカなので、せいぜいが廃屋の一軒を倒壊させられる程度だ。
「……ふぅー」
熱くなっても仕方ない。
相手の武器は吹き矢で、射てば装填までは無防備。きっとわたしの剣でも勝てる。
剣を構えるわたしと、吹き矢を構えるゴブリン。
双方が汗を流した。
一瞬だ。
まるで西部劇の決闘みたいに、次にどちらかが動いたその瞬間に決着がつく。
ごくり。
「来い!」
吹き矢の先端がわたしの胴体を狙っている。
ゴブリンの頬が膨らんだ。
でも、
「…………あれ?」
立っていたゴブリンの姿が消えた。
一瞬で、決着はついたのだ。
ただ。
なんというか。
思ってもみなかった決着だ。
「これで貸し借りは無しだ。命の恩人たる、高貴なるわらわに感謝するとよいぞ!」
と。
どうやって上がったのか。倒壊している家から飛び出た柱の上に、マユラハが立っていた。
手には氷のような弓を持っている。
ゴブリンがいた場所には、小魔石がひとつと吹き矢、あとは背中に刺さってた狼のダガーが落ちてて。
あと氷の矢が地面に突き刺さっていた(もう溶けそう)。あ、あばば。
「おまっ……横取りしたなぁー!」
「むっ」
「むっ、じゃない! わたしの獲物だぞ! 助けてくれなんて言ってない!!」
「なんじゃと! わらわが射らねば、お主は死んでおったわ!!」
「避けてた」
「避けれぬ」
「避けてた!」
「避けれぬ!」
「避けれぬっ!!」
「避けてたっ!! ……いや、避けれぬと言っておろうが!!」
ひょいっと飛び降りて目の前までやって来たマユラハと、額がぶつかるくらいに近寄って言い合った。
そりゃもちろん『避けれぬ』──の可能性もあった。でも『避けてた』のだと思いたい。
答えなどは一生わからないだろう。
「謝って!」
「なにゆえ助けたわらわが謝らぬとならんのじゃ!」
「謝って!」
「謝らぬ!」
「謝って!!」
「謝らぬ!! って、これでそなたが『謝らぬ』と言ってもわらわが『謝って』になるだけであろう?」
「まあ、それはそうだけど」
「ふふん。わらわをからかうでない」
ノリのいいやつだなぁ、とわたしは思った。
別にゴブリン程度のモンスターを横取りされたからってそんなに怒るほどのことでもない。
「で、ちょっと聞きたいんだけど。自称高貴なわらわさんはソロでやってるの?」
「わらわはマユラハじゃ。偉大なるマユラハさまと呼ぶがいい」
「うん、それでマユラハはソロなの?」
「偉大なるマユラハさまと……なんじゃ、ソロ?」
わたしは首をかしげた。
ソロって言葉がロール的に駄目なのだろうか。
徹底してるなぁ。
「あー、じゃあ一匹狼……なの?」
「わらわは狼ではない」
「それは知ってるけど……」
どうやら貴族の令嬢ロールしている人と会話するのは難しいらしい。
ふと、マユラハが空を見上げて聞き耳を立てた。
「むっ」
「どうしたの?」
「ゴブリンじゃ。わらわはやつらを狩るゆえ、ここでさよならじゃな」
と。
思った以上に身軽な動きで壁をかけ上って、あっという間に崩れた家の屋根から氷髪の女の子が見下ろしている。
「ねえ、あれ忘れてるけど、もらってもいいの?」
わたしは落ちている魔石と吹き矢を見た。
「好きにするがよい。わらわは寛大であろ?」
「うーん」
本当に寛大だったなら自分からそれを言わない気がする。
それでも。
わたしがアイテムを拾うまでは、マユラハは屋根の上にいた気がした。でも今はもういない。
「まあ、いいやつだとは思うよ」
誰もいなくなった路地では、壁に染み込むように声が消える。
左下のチャット欄にわたしの帰還が遅いので心配してくれている先輩たちの書き込みが、新着メッセージとして届いていた。
先輩たち、わたしの戦いを見てるんじゃなかったの……。




