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一度ログアウトしてから食事をした。
昼食はパスタとお母さんがスーパーで買ってきていたらしい、サーモンのマリネ。
近所のスーパーは惣菜に力をいれていることで有名だから、とても美味しかった。
そのあとはあまり急いでいるわけではなかったんだけれども。
わたしは、居間のソファーに腰をおろして身体を預け、携帯端末のチャット機能で連絡を取ることにした。
『アリカ:──と、まあそんな感じです』
旅券のことを簡単に説明すると、即座に夜宵先輩からの返信が。
『夜宵:ふむ、アップデートか。ちょうど今、強制的にログアウトさせられたが』
『アリカ:それみたいですね』
『夜宵:ん、いま発表されたぞ。アップデートで孤島が追加されると書かれている』
『アリカ:(驚きのスタンプ)』
『アリカ:それってつまり……?』
『夜宵:ベルサーニュの北側、だろうな』
こうして10分ほど経過すると、アップデート完了の通知が届いた。
自室に戻り、ベッドにダイブする。
ヘッドセット型の機器を身につけて、両手を胸の前で握りしめた。
「さて、先行プレイといきますか!」
なんて。
誰に言うでもなく言って、ゲームをスタートさせる。こういうときは気合いが大事なのだ。
魔王軍の誰かがそう言ってた気がする。
はじまりの町ベルサーニュは多数のプレイヤーでごった返していた。まるで初日の時みたい。
アーサーにも旅券の説明はしているので、合流場所に集まってくれるだろう。いや、可能であれば……集まれるはず。
「ちょ、お、押さないで!」
「痛ッ! 誰か足踏んだなー!!」
「スリがおるぞい、気をつけよ」
広場から港までは一直線の大通りで繋がっている。いつもは青い海が見えているのに、今では他のプレイヤーの背中や頭しか見えない。
もちろん、わたしが濁流のような人波に飲まれているからだけれど。
「忍者だ」
「すっげー」
そんな声の方向を見てみれば、数人のプレイヤーが建物の壁を走っているのが見えた。
忍者の職業なのか。
マジの忍者なのか。
とにもかくにも、わたしはあんな風には動けない。
◇アップデートのお知らせ◇
ベルサーニュの北側・港に大型帆船が停泊しています。
新エリア孤島が追加され、大型帆船は孤島への移動に利用可能です。
そんなお知らせが来てしまったから、濁流の速さが信じられないものに変わった。
まるでジェットコースターだ。
押しつ押されつしているプレイヤーたちが一斉に北側に向かって駆けていく。
ぐいぐい押されてぐんぐん進む。
あっという間に港に到着したものの、次から次にログインして来る後続プレイヤーたちまで港に押し寄せるものだから、止まりたいのに止まれず、大勢のプレイヤーが海に叩き落とされた。
まるで映画の一場面だ。
「うわっ」
もうダメ、落ちる。
と。
そう思った瞬間に、襟を掴まれた。
すっぽりと人ごみから引き抜かれる。わたしは親猫に運ばれる子猫みたいな格好だ。
「──動くな」
声がした。
他のプレイヤーの肩を足場にして、こちらもジェットコースターみたいに縦横無尽に動いていく。怖い。
わたしはカバンに付けられたキーホルダーみたいにぶらんぶらんと揺れて揺れて。
今度は壁をぐんぐんと駆け上がる。いったい重力はどこにいったのだろう。
「ふむ。大丈夫か?」
わたしは赤色の屋根の上にぺたりと座り込んだ。
首を後ろに反らして見ると、平然とした表情の宵先輩が立ってる。
「はい。……宵先輩ってもしかして実家が忍者の一族だったりします?」
「いや、普通の家だが」
まあそりゃそうか。
屋根の上にはナギとアーサーも既にいた。
どうやらわたしと同じように、宵先輩に引き上げられたらしい。
眼下では濁流のような人の流れも落ち着いてきていて、海で泳いでいるプレイヤーも数える程度になっていた。
「それで」
と、宵先輩。
「あれに乗っていくのか?」
指し示されたのは、やっぱり大型帆船だ。その船の向こう、青い海の先には島のようなものがうっすらと見えている。
以前は確か某天空の城みたいな入道雲があったように思う。
島が突然現れたみたいで、なんだか奇妙な感じだった。
「たぶん……そうですね。旅券にも船旅って書かれてますし」
「あれ?」
と。
アーサーが屋根の縁から身を乗り出して首をかしげた。
「ん、どうした?」
「人が減ってます」
「ホントだ。あーちゃん、人が減ってるよ!」
アーサーと宵先輩、ナギが並んで港を見ている。
わたしも3人の元に向かってみたが、うーむ……確かに減っているようだ。
港に集まっていたプレイヤーたちは、慌てたように通りを駆けていく。それも港とは逆の方向に。
わたしは全体チャットを開いてみた。
『ルー:これ……みんなどこ行ってるんだ?』
『ハベル:旅券を入手できるクエストが見つかったらしい。広場の商人NPCから受けられる、だってさ』
『ルー:ありがと。俺も行くわ!』
通りを新たにひとりのプレイヤーが駆けていく。
どうやら誰も彼もが広場を目指しているのだろう。
騒がしいな、とは思ったけど、これも一種のお祭りのようなものだし楽しむべきだ。以前のわたしでもきっとそうしている。
「広場にいるNPCから、旅券が手に入るクエストを受けられるらしいです。みんなクエストを受けに向かったのかと」
「なら、今のうちに出発したほうがいい。観客が増えれば質問攻めにされるだろうしな」
言いながら、宵先輩は屋根から飛び降りた。
3階くらいの高さだというのに、猫か何かのような音もない見事な着地だ。
続いてナギが飛び降りて着地。アーサーもなんとか着地する。
わたしは──いや、無理だ。怖い。
配管用のパイプにしがみついてゆっくり降りた。
わたしが普通なのだ。きっと。そうであって欲しい。
「さて、楽しんでくるといい」
「えっ」
宵先輩の言葉にアーサーがびっくりしたような顔をした。
わたしもパイプに止まったセミみたいになりながらびっくりした。
「いいんですか?」
「行きたくないと言えば嘘になるが、先輩として枠を奪うようなマネはしたくないさ」
わずかに口元を緩めている宵先輩はアーサーの背中を軽く押す。
わたしたち3人は通りを進み、港にある桟橋を通っていった。
「えっと、これです」
桟橋に立っていた船乗りNPCに旅券を見せると、船乗りNPCは「こっちだぜ」、とわたしたちを案内する。
でも、
「……へっ?」
大型帆船の隣に隠れるように──いや、むしろ押し潰されてるみたいに。
小さな船があった。
もはや観光地の湖にありそうなボートだ。
「おう、お客さんかい」
「そうだ。じいさん、孤島まで頼めるか?」
「へっ、誰に言ってやがる。ベルサーニュで一番の漁師である、このわしに任せれば──どんな荒波も安心だぜ!」
いや、漁師なの?
いや、これで行くの?
いや、荒波には飲まれるでしょ?
突然はじまったイベントに唖然としつつも、わたしは舌の上まで出ている言葉を飲み込んだ。
というか。
いつの間にか、ナギがボートに乗り込んでいる!?
「あれ? 乗らないの?」
「いや、うーん」
「乗ろうよ、アリカさん。でっかい船だと思ってたけど、旅券にはそうは書かれてなかったもんね」
それはそう。
でもこんな船だとも思わなかった。
大型帆船がジンベエザメだとすれば、このボートはコバンザメだ。
運営は……なんで港にでっかい船を置いてるのに乗せてくれないんだろう。
わたしはしぶしぶボートに乗り込む。
最後にアーサーが先輩にこくりと頭を下げてから、ボートに乗り込んだ。
「いざ行かん、大海原はわしらを待っているぞ! ハハハハハーーーッ!!」
出発したボートに揺られながら港を眺めると、先輩が手を振っているのが見えた。
横に停泊していた大型帆船は見上げるほどに大きくてカッコいい。こっちはカッコ悪い。
こうして数分ほどボートが進んで、ベルサーニュの町が豆粒くらいの大きさになった頃。
大海原のど真ん中で、
「こりゃ……やべぇな」
なんて。
孤島への進路を見つめている漁師のじいさんが言った。
「うわぁ」
わたしたちも船の前方を眺めた。確かにこりゃ……やべぇ。
孤島とボートのあいだには、黒煙のような暗雲がうごめいている。時折ぴかぴかと紫電が走って何か巨大な影が見えた。不穏な雰囲気だ。
次第にボートが高い波に乗り上げて、身体が上下する。
「あ、あれは……雲の中に、何かがいるぞ! なんてこった……あいつは海竜だ!!」
漁師のじいさんが飛び込みの選手みたいなフォームで華麗に海面へと飛び込んで消える。
謎の展開についていけないのはわたしだけじゃないらしい。
横を見ると、ナギもアーサーも呆然としていた。
「運営──バカなの?」
突如として現れた海竜とやらが、ボートを通せんぼするみたいに立ちはだかっている。
鋭い牙が無数に生えている口からは、まばゆい光が漏れ出ていた。
放たれる光弾。
直撃したボートの船首。
ぐんっと船首側が海に引っ張られた。
シーソーのように船尾側が跳ね上がる。
そして──わたしたちは吹っ飛んだ。
「うわぁあああああああああああああああ!!」
「ど、どうしよぉおおおおおおおおおおお!!」
「むりぃいいいいいいいいいいいいいいい!!」
上体だけが見える海竜を飛び越えて、放物線を描いて海面に向かう。
どぼーん、なんて擬音では生易しい音がした。気がする。
水中はまるで洗濯機の中のようにぐるぐると、回っていた。
ああ、やっぱり運営は頭がおかしいんだ。
海流に身を任せて流されるわたしは、そう確信したのだった。




