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「どーどー……ちょっとここで様子をみよっか」
わたしがイノシシを停止させると、ナギは地面に降りた。
「あたし、イノシシに乗ったの初めてだよ!」
「実はわたしも初めてだったんだけど、上手くいってよかったぁー」
切実に。そう思う。ホントに。マジで。
「さてさて。あーちゃん、作戦はあるかい?」
ナギがわざとらしく腕を組んでキリッした顔をした。
森林地帯の先に存在する丘陵地帯は、くるぶしくらいの高さの青々とした草が生えた、何もない場所だった。
まるで波打っているように小高い丘がいくつも並んでいて、ゴールとなる湖はまだまだ見えそうもない。
「取り敢えず森から出てきたプレイヤーを魔法で狙い撃ち──って、動き出したみたい!」
遠くに見える米粒のような光が動いている。宵先輩だろう。
いや……違うかもしれない。
「なにあれ、すっごい縦横無尽に動いてるけど……」
「宵先輩の身体能力ってナギと互角かも」
「えー、あたしあんなに動けないよー」
そうかなぁ。
ともかく、狼側がスタートしたようだ。先輩はさっそく交戦を開始したらしい。
あれきっと狼と戦ってるはず……。
こちらも森林の中で爆発音が響いたり、閃光が煌めくのが見えた。
森林から抜け出した後衛職のプレイヤーたちが、必死の形相で丘を駆け上げって来ている。
だーめだこりゃあ。
後衛職はパラメーター的に足が遅い人が多い。
逆に前衛職は鎧を着用していても足が速い。
5分のハンデがあって、相手との距離があったとしても、たとえば後衛職──魔法使い系統のプレイヤーであれば、魔法の発現には精神集中が必要となる。
魔法による攻撃が行われるまでに時間がかかるのだから、追いつかれた時点で逃げられない気がする。
単純に。
これって後衛職のプレイヤーが不利じゃない?
「ああ……狼を相手にする、子羊かぁ……」
ひっでぇ。
子羊じゃ勝てないよ。
「あーちゃん」
「うん?」
「これ、離れた方がよくない?」
「まったくの同意見。でも」
どうするべきか。
イノシシに乗ってこのままゴール?
さすがに面白くない。
待ち伏せして攻撃?
さすがに無茶すぎる。
「ねえナギ」
「んー、どしたの?」
「面白くて無茶なこと──しちゃおっか」
「なにそれ。でも……いーじゃん。やっちゃおうぜ!」
わたしたちはニヒルな笑みを誰にでもなく見せ合うと、再度イノシシに跨がった。
弓使いや鍛治系の生産職プレイヤーたちが隣を走っていく。
わたしたちは彼らとは逆の方向に駆け抜けた。
さながら敗残兵を鼓舞する勇猛な将のように。
もしくは巨人に挑むドン・キホーテのように。
まあ誰も追いかけてなんて来てくれないし、巨人は風車なんだけど。
「で? あーちゃん、なにすんの?」
「そりゃもう奇襲です。攻められると思っていない狼さんたちに、窮鼠猫を噛む……いや──子羊は狼を噛む作戦!」
「がおー」
それは子羊じゃない。
わたしたちは森林地帯に突入すると、戦場となっている場所を迂回しつつ遠回りして後方に向かった。
その途中、追いつかれて仕方なく戦っている魔法使いがいたり、獰猛な笑顔の弓使いが「あひゃひゃ」なんて言いながら木の上から矢を射っていたり。
あちこちで爆発やら雷鳴やら氷柱やら竜巻やら、とにかくいろんなことが起こっていた。
「んーこんな流れ弾に当たりそうな場所は却下」
イノシシの召喚を解除して、こそこそと戦場を移動していると、今度は前衛プレイヤーたちが後衛プレイヤーたちの一団を殲滅したところに遭遇した。
「死屍累々。怖いので却下」
「あーちゃん、あっちはどう?」
と、ナギが言った方向を見てみれば。
あれ?
「なんか……あっちの方向だけ静かだね」
「だよねー。でも話し声も聞こえるし、がおーっといけそうじゃん?」
「確かに」
こんな激戦地で会話中とは余裕なものだ。わたしたちも会話してるんだけれど。
他がヤバいので比較的安全そうな方向へと向かう。
進んでいくと声がハッキリと聞こえてきた。
「──へへっ、さすがに無理なんじゃないっすか?」
「かもなぁ。たったひとりに、どんだけ集まってんだよ」
まったくよお、と赤髪の男が気だるげに立っている。その周囲には三十人ほどのプレイヤーの姿が。
どうやら全員が前衛職のプレイヤーらしい。
「仲間割れしてるのかな? あんな人数でひとりを襲うなんて、酷いね」
ナギの言葉にわたしは首をわずかに振った。
「このイベントは誰を倒しても5ポイントだから……いや──」
違う。
まったく違う。
「襲われてる人なんて、いないよ」
視線の先では女性プレイヤーがひとりで進み、赤髪のプレイヤーに相対しているのが見えた。
手を伸ばすだけでも届く距離で、女性プレイヤーが彼を見上げている。
「拙者はこのような、数に頼って戦うなど反対だ。ゆえに一対一の勝負。さあ、いざ尋常に──」
「ん、一対一がいいのか? 俺は全員対一でいいんだぜ? もちろん俺が一、なんだけどよ」
と。
言い終わった瞬間に双方が動いた。
でも、サムライみたいな女プレイヤーは刀を抜こうとした格好のまま──動かない。
理由など単純なこと。
刀が鞘から抜けないからだ。柄頭を押さえられている。
「これ、やってみたかったんだよなぁ」
平然と笑っていた赤髪の男、リゼルは元魔王軍四天王らしく──悪そうに唇を歪めた。
それからおこなわれたのは、単純に言ってしまえば、虐殺だ。
フルダイブ系のゲームはプレイヤー自身の五感を十全に発揮してプレイすることができる。
前衛職のプレイヤーの強さはレベルや装備も重要ではあるけれど、やはりプレイヤー自身のプレイスキルが一番に影響する。
避けて躱して防いで攻めて。
まるで花壇を踏み荒らしているように、ちぎっては投げちぎっては投げ(欠損描写はないんだけれど)、踏み潰し、叩き潰し、擂り潰し、暴れ潰し、まさしくハリケーンでも通り過ぎたような有り様だった。
レベルが違う。
装備の質も違う。
技術も違うし、くぐってきた修羅場の数が違う。
そしてまったく──格が違う。
わたしたちと同じように、一部始終を覗いていたプレイヤーたちが、焦ったように逃げていく。
生身のような五感があるからこその恐怖を感じた。
わたしはリゼルの横で戦ったことも数知れず、慣れている。
でもナギは?
「大丈夫……そうだね」
ニィッと笑ったナギは今にも飛び出しそうな雰囲気だった。
そうか。
そういうタイプなんだ。
幼なじみの新たな一面を見てしまった。
一方のリゼルは地に伏した三十体の、灰色プレイヤーたちの中央で、平然と空を見上げている。
後衛職のプレイヤーは接近戦や遭遇戦をするべきではない。
初心者でもわかりそうなことだけれど。
「でも、確かに」
わたしは呟いた。
森林地帯のあちこちで戦闘が繰り広げられているはずなのに、この場所だけは静寂が満たしていた。
風で揺れる葉っぱや流れる小川の音が聞こえる。
「おもしろそう」
わたしも自然と笑みが浮かんでいた。
元魔王軍四天王らしい笑みだ。
一緒にこそ戦っても、四天王同士は──本気で戦ったことなど、ないのだから。
「おいおい、見てる奴ら……どうすんだ? そっちが攻めてこないなら、こっちから攻めるぜ?」
隆起した地面の裏から、わたしとナギは出ていった。
リゼルは楽しげに眺めている。岩を。……あの野郎、ハッタリかよ。




