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はじまりの町ベルサーニュの西側には、現代人が見たことのないような原生林が広がっている。
存在するのはわずかな獣道だけで、舗装された道どころか荒道すらも有り得ない。ただの自然ばかり。
となれば目的地への道程がわからなくもなりそうだけれども、そこはゲーム。
湖の方向がアイコンで示されていた。
司会のお姉さんは『鬼ごっこのようなもの』だと説明し、鬼側のクリア条件を『イベント開始から、一時間が経過するまでに1名以上を倒していれば』と説明している。
1名以上を。
それはつまり鬼側のプレイヤーが鬼側のプレイヤーを倒しても、クリアとなることを示していた。
更には、ポイントの獲得総数でランキングが変動するとも。
イベントのクリアだけを目指すなら、同じ派閥同士で敵対する意味はあまりないけど、ランキング入りを目指す人がいれば──敵は他のプレイヤー全員かも知れない。
子羊が子羊を、狼が狼を襲うかも知れない。
でも子羊同士で仲間割れしていると狼に襲われてしまう。狼同士で争っていると、子羊に逃げられてしまう。
前を注意して左右に注意して、後ろにも注意する──そんな長距離のサバイバルレースだ。
子羊側──後衛職のプレイヤーが先に出発するのは、単純に前衛職のプレイヤーよりも足が遅い者が多いから、だろう。
きっと大部分の子羊は狼に追いつかれる。
でも、後衛職の一撃は重い威力のモノばかり。
戦うか、戦わないか。
進むか、待ち伏せるか。
協力するか、寝首を掻くか。
「ほんと……このイベントを考えた人は、いい性格してますね。もちろん皮肉ですけど」
「だな。これでこそクリスティアオンラインⅡだとも言える」
宵先輩は口の端に笑みを浮かべた。
そろそろ時間だ。
「あーちゃん、がんばろうぜっ!」
「うん。先輩たちもがんばってください!」
「ボクもクリアして見せるよ!」
宵先輩はそんなわたしたちを見て、楽しげに頷いた。
わたしは『西』を選択。
即座に光に包まれて、比較的平らな場所に転移した。周りには大勢のプレイヤーが見える。
「あ、スタート地点は同じなのか」
どうやら子羊も狼も同じ場所に集められているらしい。
もちろん西側を選択したプレイヤーだけだ。
「あ、開始まで100秒だって」
ナギが頭上を指さす。空中には数字が浮かんでいた。
◇開始まで残り100秒◇
イベントをクリアしたプレイヤーにはクリア報酬が配布されます。
またランキング上位のプレイヤーの方には豪華な賞品が別途用意されております。
みなさまのご健闘をお祈りしております。うんぬん。
わたしはそんな文字を見てから、周囲を見てみた。
人だかりが出来ている中央には赤い髪がちらりと。
「ご健闘、かぁ」
「あーちゃん、作戦ってある?」
「どう、だろう……。まあ子羊なわたしたちはゴール付近で戦うのが一番いいとは思うけど」
ゴール付近で戦い、ピンチになればゴールする。
それは若干ズルいことかも知れないけれど。
逆に密集してしまえば、同じ子羊側のプレイヤーたち同士の戦闘すらあるかも知れない。誤射だと称して味方に撃たれる可能性なんて嫌すぎる。
『お前たちも、私の居場所がわかるのだろう?』
宵先輩からのメッセージが届いた。
東の方角を見てみると、ほんのりと何かが光って見える。
どうやら遮蔽物があっても同じクランのプレイヤーは光って見えるようだ。
『ふむ。であれば私たちの位置に注視しつつ進めばいい。私たちが動けば、そちらの狼も動き出したということだ。ランキングに載ることは良いことだが、クリアを優先しろ』
「「はい!」」
『それはそうと』
空中に浮かんでいるモニターに、宵先輩が映った。
アイテムボックスから刀を出して装備している。
周囲を見回し、腰のそれをコツンと叩いて、
「ここで、こいつらをぶっ殺したら──どうなるんだろうな」
などという。
「はい? ……はいっ!?」
わたしは宵先輩がいる方角を、二度見した
「開始まで残り70秒だろう? しかし何を禁止などとは言われていない。開始までに、私ならば──そうだな、ここに集まっている者の半数をキルできると思う」
ライブ中継されている映像はプレイヤーたちの様子を映し出しているが、ちょうど宵先輩が映ったところでそんな発言である。
カメラ映像が動揺したように震えて固定カメラ化した。
こっちの様子も向こうに見えているらしい。宵先輩がカメラを見ている。
「しかしそれをすれば、私は指名手配されて今後満足なプレイが出来なくなるかもしれない。だが東側エリアで半数が、いや大勢が開始前に死亡した状況で、運営はイベントを強硬するだろうか?」
「い、いや……それは……どうなんでしょう」
「あーちゃんあーちゃん、あーちゃんが映ってるよ!」
空中にはわたしも映っていた。まるでテレビ電話だ。
なんというか、わたしに抗議しろと言わんばかりだった。
「ええ。まあ、運営は頭を抱えるでしょうね」
「第一回のイベントが中止にでもなれば、運営はどうするんだろうな」
宵先輩は刀の柄を握った。
その周囲のプレイヤーたちが青い顔で身構えている。
「あ、あばばばばばばばばばばばばば」
「ふふっ……まあ冗談なのだが」
わたしはがっくりと肩を落とした。
周囲から、「冗談かよ!」という心の声が聞こえた気がするよ、ほんと。
「あはは、先輩おもしろーい」
けらけらと楽しそうに笑うナギ。
安心したように動き始める空中の映像。わたしは疲れた。精神的ダメージだ。
ほんとうに宵先輩の冗談は笑えない。
「残り10秒、かぁ」
わたしはアイテムボックスから精霊王のローブ(青)を取り出して装備した。
周囲からざわざわとした声と視線を感じる。
精霊王のローブは白と銀色を基調としたローブだけど、フレンチブルーに染めているので一見するだけでは同じものだとわからないだろう。
裏地は星の煌めく夜空色にしているのでオシャレだ。
わたしはオシャレだと思う。
「あのローブは……」
周りからぽつりぽつりと声が聞こえた。
ベテランプレイヤーは精霊王の姿を当然知っているはず。
彼らにバレなければ大丈夫だろう。
「ああ~このベルマリアに造って貰ったローブは綺麗だなぁ~」
わたしはわざとらしく言った。
でも周りの人たちはそれを信じたみたいだ。まさか本物だとは思わないだろうし、ボスの装備を真似するプレイヤーも少なくはないから。
そのとき、ピピピピピッ──イベント開始の音が鳴り響いた。
追われる側。
子羊なんて呼ばれている後衛職のプレイヤーたちが、一斉に木々の間へと突入し、姿が見えなくなっていく。
わたしたちは立ち止まっていた。
「お前たちは行かないのか?」
よく会う禿頭のPCに言われた。彼は前衛職なので狼側だ。
彼はまだ出発していない、わたしとナギを交互に見て、首を傾げている。
「そうだよ、あーちゃん行かないの?」
「ちょっと待って。……召喚、イノシシ!」
この数日でベルマリアにネックレスに加工してもらっていたイノシシの牙を触媒にして、ポンッとイノシシが現れた。
また周囲がざわついている。
──召喚師か、あの娘。
──召喚師は上位職だぞ? まだいないだろ。
──だとするとテイマー系……?
──召喚って言ってたぞ。
──じゃあ精霊使いだな。
「「「うわぁ」」」
何度目だよ、このやりとり。
「よっと」
わたしはイノシシの背中に跨がった。
そして手を差し出す。
「ふたりで乗るの?」
と、ナギ。
「うん。わたしって足が遅いから」
手を握り、引っ張る。
後ろにナギが乗るとわたしの腰に手を回した。イノシシのふたり乗り、とーぜんノーヘルだ。
『じゃあ先輩、アーサー。行ってきます』
『行ってきまーすっ!』
『ああ。お互いがんばろう』
『がんばって!』
背中の毛を掴んだわたしの命令で、イノシシが爆走する。
木に激突でもすれば一生の笑い者だ。
それでも──笑われることはなかった。
まさしく縫うように木々の間を駆け抜けて、ぐんぐんとイノシシのスピードが上がっていく。
自分の足で走っている後衛職プレイヤーたちがぱくぱくと口を開けて呆然としていたが、わたしは操縦が初めてだったので必死だった。
でも。
ナギが楽しそうに笑っている。がっしりと腰に回していた両手を万歳するみたいに広げて。
わたしはこらえていた笑い声が、口から噴き出しているのに気づいたけれど。
けれども、それが心地良い。
楽しげに笑っているふたりを乗せたイノシシは爆走し、ついには先頭を走っていたプレイヤーをも追い抜いた。




