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イクサは──クリスティアオンラインをプレイしていた人で、知らない者はいないほどの有名なプレイヤーの名前だった。
トーナメント優勝回数2回。
イベント攻略回数、数えきれず。
特に有名なのはPvPにおいて無類の強さを誇っていたことだろう。
悪質なPKを繰り返していたクラン総勢五十名をあっという間に真っ向から叩き潰した動画なんて、今でもネットで見つかるし、凄まじい再生回数をしている。
結果。
墨を流したような長い黒髪の女剣士は『疾風』と呼ばれて畏れられたのである。
「と、まあそんな感じですごいんだってぇ~。検索したら動画もいっぱい出てきたよ~」
夢見さんは携帯端末をわたしたちに向けた。
映っているのはイクサが戦っている動画だ。
部活がはじまる前の部室棟は案外騒がしくて音はあんまり聞こえないけど、映像だけでも臨場感がある。
「へぇー夜宵先輩ってそんなにすごいんだ。そういえば、あーちゃんも前作をやってたんでしょ。じゃあ、イクサと会ったことあったりするの?」
「あ、あはは……まあ、その」
わたしは目を泳がせた。
ルナルーン時代に、彼女とは会ったことがある。
会ったどころか、ルナルーンとイクサは戦ったことだって……。
イクサはクランには所属せず、常にソロでいた。そのPCの美貌も相まってとても人気があったし、人気に匹敵する強さも持っていた。
──【魔王軍】も、彼女と戦ったことがある。
あれはPKなどではなく、単純な腕試しとしての勝負だったのだけれど。
別に仲が良かったわけでも、悪かったわけでもない。
そんなに親しいわけでもない。
でもなぁ。
同じ学校にいるなんて。それも先輩だし。うーむ。
夢見さんが携帯端末を見ながら、疾風のイクサの武勇伝を語っている。
知っている話もあれば、知らない話もあった。
「イクサの無敗記録が百を越えたときに、【魔王軍】ってクランが現れたんだってぇ」
あ、それは知っている。
むしろ当事者だ。
「魔王軍? 悪者?」
「んー名前はアレなんだけどぉ~、そこまで悪くはない……らしい」
らしい!?
「で、当時の【魔王軍】総勢数十名が、イクサを包囲した」
「ヤバいじゃん、っていうか卑怯。ひとり相手に大勢なんて」
「だよね~。イクサも『卑怯者め』って言ったらしい。すると、魔王って人が声を響かせて『何を勘違いしている。こいつらは観客に過ぎない』って」
「それでどうなったの?」
「続けて魔王が言う……『我が軍の四天王を倒してみせよ!』」
対イクサ戦。あの激戦は昨日のことのように思い出せる。
最初はドラゴが戦った。スキルを使用せず、単純なプレイヤーの技量だけの戦いだ。
イクサも即座にそれを理解して笑っていた。
一撃でも受けたら交代する。
喧嘩をふっかけた側だし、当事者だけど、正々堂々とした勝負だったと思う。
こうしてドラゴ、アルマと次々に倒したイクサはリゼルとの激闘を繰り広げたんだ。
「あ、喰らっちまったな。俺の負けだ」
「ふん。スキルを使っての戦いだったなら、私の負けだったさ」
そして──次は、ルナルーンが戦うことになったんだけど。
記憶の中のイクサが口を開いた瞬間。
部室の扉が開いた。
「ルナルーン。あいつは強かった。わたしが戦ったことのある後衛職の中でも、一番の使い手だ」
なんて。
戻ってきた夜宵先輩が言う。
どうやら声は外に筒抜けらしい。防音がゆるゆるだ。
でも音楽系の部活でもないから、それでもいいんだろうか。
ともかく。
これで夜の帳同好会の全員が部室に集合したことになる。
「ふふっ、言動こそ悪ぶっていたが、アイツらは卑怯なことはしないやつらだったな」
夜宵先輩は懐かしそうに言った。
なぎちゃんも夢見さんも、夜宵先輩の昔話を聞きたがっている。
みんなが話している間、わたしはテーブルの木目を見ていた。
夜宵先輩はルナルーンの良さを夢見さんに説明して、夢見さんはそれを聞いてメモを取る勢いでうなずいていたり。
くっ、ぼっちにはツラい。
会話に入って良いのか悪いのか。わかんない。
いや、自分自身がどんなやつかなんて話したくないんだけれど。
携帯端末を使うのもなぁ。なんか態度悪く見えちゃうのかなぁ。
他の人が話している最中に、ひとりだけネットサーフィン。
それはそれで普通な気もする。
と。
「三日月。部室の外に声が聞こえていたんだが、キミも前作のプレイヤーなのだろう? ルナルーンについてどう思う?」
夜宵先輩はそんな質問を、
よりによってわたしにした。
わたしは取り出そうとしていた携帯端末をスカートのポケットに入れると(見てればよかった)、懸命に笑顔を作って顔面に貼り付ける。
「ルナルーン……さんは、その……すごい魔法使いだなぁ……と、思い、ます」
「ああ。ネットでは魔法の威力ばかり言われているが、実際は攻守に長けたプレイヤーだった」
そしてふむ、と。
「もしも3人の中に魔法職、後衛の者がいるであれば覚えておけ。ルナルーン、彼女はトッププレイヤーの中でも身体能力が低かった。単純な近接戦闘であれば、おそらくキミらでも勝てるはずだ」
装備の性能は抜きにしてだが、と夜宵先輩は付け加える。
わたしも内心、同意見だ。
特にナギと接近戦をして勝てる気がしない。
「しかし彼女は優れた判断力を持っていた。不利になると見るや離れ、好機と見れば攻めてくる。攻撃を誘えば踏み込まず、むしろ下がって遠距離から攻撃してくる」
「夜宵先輩」
と、なぎちゃんが首を傾ける。
「先輩はそのルナルーンって人に、どうやって勝ったんですか?」
部室に涼やかな風が入ってきた。
カーテンがふんわりと持ち上がり、下がっていく。
そのあいだ、沈黙だけが室内を満たして、
「あれ?」
と。
なぎちゃんがまた首を傾けた。
「えっと……イクサは」
「──負けた。ルナルーンの勝利だ」
わたしの言葉を遮ると、夜宵先輩はすくりと席を立ってみんなを見た。
「何か飲むか?」
「あ、じゃあわたし、ココアで」
「ん」
「………」
「………」
え、なにこの空気。
わたしと夜宵先輩しか喋ってないんですが。
なぎちゃんはまずいこと聞いちゃったかなって表情だし、夢見さんは視線を落としてるし。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
「三日月も知っている話だろう?」
「えっと、その、イクサが負けた……ってのは聞いたことがあります。いや、でもルナルーンが勝ったってのは……」
わたし自身、勝った記憶がないんですが!?
「彼女、いや彼かも知れないのだが……ルナルーンとの戦いはスキルや魔法を使用しての戦いになった。それで戦ったんだが結局、決着はつかなかった」
「じゃあ引き分けってことです、よね」
「いや、あの場合での引き分けは死んだのと同じだ。戦場では引き分けなどありえない。【魔王軍】には魔王だって控えていたのだからな」
そういう考えもあるのかと。
なんというか。
まじめだなぁ。
わたしたちは、『あれ、イクサじゃん』『ちょっとちょっかいかけよーぜ』的なノリだったのに。
「だが、彼らは私を殺さずに去っていった。聞いた話では、そのあとで他のクランを潰したらしい。ゆえに私は前菜だったわけだ。次に戦うときは、と──彼らに負けぬように研鑽を重ねて、トーナメントでは何度か優勝も勝ち取ったのだが」
夜宵先輩は悲しげに唇を噛む。
「どうやら、ルナルーンはクリスティアオンラインⅡにいないらしい」
「はぇっ」
わたしはすっとんきょうな声を出した。
「その名を使っているプレイヤーを、誰も見ていないらしいんだ」
「あっ……でもPNとか変えただけ、じゃないですか?」
「いや、偶然知り合ったドラゴにも聞いてみたのだが……彼女もいないと言っていた」
「なる、ほど」
「だがな、あれほどのプレイヤーだ。きっと戻ってくるはずだ。私は再びあの者と巡り会えると信じている!」
握りこぶしを作った夜宵先輩から、わたしは視線を落とした。
猫の絵柄のカップの中でチョコレート色の液体が揺れている。
──うん。巡り会ってる。それも現在進行形で。
ごくりと飲み込んだココアはとてもとても甘かった。




