同好会に入ってみよう
ローブの染色に成功した翌日、わたしは授業のマラソンで死を覚悟していた。
体育教師の中崎先生が、「マラソンしよっか」なんて言って始まったマラソンで、体力を使い果たしたからだ。
今はなんとかゴールしてぶっ倒れている。最下位だった……。
最下位というのは別にサボっているわけでもなく、手を抜いているわけでもない。
単純に体力が無いってのが理由だ。むしろ半ばサボってる人にすら抜かれていった。
ちなみになぎちゃんが総合1位で、夢見さんが女子の3位。
夢見さんはスポーツが得意らしい。人は見かけによらない、とは思ったけれど。
よくよく考えてみればアーサーの動きを知っているから当然だとすら思う。
フルダイブして動けるんだから、そりゃあ現実で動けてもおかしくはないよね。
「あーちゃん、大丈夫?」
「保健室行く?」
地面に大の字になっているわたし。
そんなわたしを見下ろすふたりの顔は、不安一色だ。
「だ、大丈夫。ただ……最近は運動してなかったから……」
まさか自分がこんなにも体力がないとは思わなかった。
あるとも思ってはいなかったけれど。
しばらくするとチャイムが鳴る。待ちに待った昼休みだ。
わたしたちは教室に向かうことにした。
「ごっはんごはん~今日は何かなぁ~」
るんるんとスキップしている夢見さんの背中を眺めながら教室に入ると、
「ん?」
わたしとなぎちゃんの机の上に入部届が置かれていた。
もちろん夜の帳同好会のものだ。
「あれ、これ先輩が置いたのかな」
なんて言ってるなぎちゃんの机に関しては、他にも陸上系の部活や女子サッカー、あるいはサバゲー部の入部届すら置かれている。
「萩野さん人気者だねぇ~」
重箱を開けつつ夢見さん。
「人気なんていらないって。そもそも、もう走ったりする気がないのにさー。つかサッカーとかソフトボールとか、サバゲーとか、やったこともないし」
がっくしと肩を落としたなぎちゃんがお弁当を開けた。
どうやら今日はお弁当らしい。
「あっ」
と、同じように重箱を開けた夢見さんが声を出す。
「へい、ちょっと一口交換しようぜ~」
こっちを向いた夢見さんは目が泳いでいた。
右に左に動いて、焦点が定まってない。箸で摘まんでいるのはミニトマトだ。
「あー」
食べれないのかな。
わたしもお弁当なので三人の机がくっ付けられた段階で自分の弁当箱の中を見た。
玉子焼きと肉団子とミニトマトしか入ってない。ごはんどこ行った……?
「アーサー、これあげる」
と。
なぎちゃんが自分の弁当のミニトマトを重箱に置いた。
夢見さんの口があわあわと動いてる。
わたしも同じようにやった方がいいんだろうか。箸でミニトマトを掴むと「あ”ぁ」と悲鳴みたいな声が聞こえた。
箸は隣の玉子焼きを挟む。
玉子焼きを重箱に置いて、かわりにミニトマトを取った。
まるで女神でも見ているみたいな感じで、夢見さんがわたしを見てる。
「ありがとう。これ食べて~」
今度はお礼として重箱を差し出された。
一面の餃子だ。ヤバイとかすごいよりもマジかよ、という感想が喉元まで上がってきた。
なんとか言葉を呑み込む。
そんな奇妙な昼食を終えてから、残った昼休みの時間。
机の端に置いた入部届をちらりと見る。
世界には等価交換というものがあると知っているだろうか。
何かを受け取れば、何かを返さなければならない。
社会に生きる者の常識だな。
机の中を覗いてみろ。
そんなことが入部うんぬんのテンプレ文字列の端に書かれている。
しかも墨で。
さすがに筆、ではないと思う。筆ペンかな?
とにもかくにも達筆だ。
「机の中?」
覗いてみると袋が入っていた。
押し込められてぎゅうぎゅうだ。
「なんだろ、これ」
「あれ? あたしの机にも入ってる」
「ボク入ってなぁーい」
夢見さんは昨日、部室棟には行かずに帰った。
ということはやっぱり先輩が入れたのだろう。
「……ってこれ」
わたしの袋の中にはぬいぐるみが。
「ゲームセンター限定のふわふわぬいぐるみシリーズ、やわらかルピーちゃん」
以前ゲームセンターとクリスティアオンラインがコラボしたときに作られた、クレームゲームの商品が、このぬいぐるみだ。
今はコラボ期間が終わっているからこそ、ゲームセンターでも手に入らない。
オークションサイトで高値で取り引きされているってうわさを聞いたことだってある。
現物を見るのはわたしもはじめてだった。
「うわ……なにこれ」
一方のなぎちゃんは露骨に嫌そうな顔。
ちらりとそちらを見て、
「なん、で!?」
わたしは目を見開いた。
「……へ?」
それはクリスティアオンラインをプレイしたことがある者なら、まず知っている品だった。
クラスメイトの数人が席を立っている。どうやら彼らもプレイヤーらしい。
「これ──クリスティアオンラインのトーナメント優勝景品だよ!」
一年に一度、年末に開催される大型イベント『最強決定戦トーナメント』。
その優勝景品は大量のモルや限定アイテムといったゲーム内の景品だけではなく、郵送されてくるトロフィーやグッズ、賞金などがある。
なぎちゃんの机に入っていたのは、第二回最強決定戦トーナメント個人の部の優勝商品である、超合金・ドラゴンロードだ。
わたしはガラにもなくそんなことを熱弁した。
こちらを見ているプレイヤー(たぶん)たちもうんうんと頷いている。
でもなぎちゃんは超合金・ドラゴンロードの上や下を見たあとで、机にごとりと置く。
「へえー」
まったく興味の無さそうな声だった。
「……なぎちゃん、よかったらこれと交換する? お互い貰った物だけど」
「え、いいの?」
「まあ」
わたしもやわらかルピーちゃんは発表当初は欲しかったといえば欲しかったのだけれど。
ゲームセンターで同級生に会ったらと思うと……行けなくて手に入れてはいなかった。
でもまあ。
なぎちゃんがルピーを好きなのは知ってるし。
「──うん。あげる」
「あーちゃん、ありがとう!」
抱き締められたルピーちゃん。
目の前に置かれた超合金・ドラゴンロード。
「威圧感がすごい」
適当なオークションで売れば結構な金額になりそう。
先輩から貰った物を売るような常識欠如はしてないが。
してないが。
ごくり。
「かっこいいなぁ~」
と。
夢見さんが黄金色に輝いている竜王を眺めている。
確かにカッコイイ。
「でも正直言って……いらない」
わたしは小声で呟いた。
だってわたし、第三回大会のを持ってるんだ。……クリスタル製のサンダーライガーを。
あっちは団体戦のだけど。
「先輩に交換したこと、伝えた方がいいかな」
本当に貰っていいのかもわからないし。
昼休み中の教室は結構騒々しいことになった。
人から人に話が伝わって、クリスティアオンラインⅡのプレイヤーの多さを実感する。
隣のクラスの人や上級生たちまで教室にやって来て。
それでも夜宵先輩は来ていなかったので、話をすることができなかった。
「じゃあ行こっか」
「んー」
「行こぉ~!」
HRが終わったあと、わたしたちは部室棟に向かうことにした。
夢見さんが先輩に会ってみたい、と昼休み中に行こうと提案してきたけど、わたしは半泣きで止めたのだった。
さすがに昼休みに二年生の教室に行くなんてのは、陰キャ一年生にはハードルが高すぎる。
むしろ眼前に棒高跳びのバーがそびえ立ってるようなもんだ。
こうしてわたしたちは部室棟にやってきた。
右側の廊下を歩けば目的地が見えてくる。
「夜の帳同好会。ここだよ」
わたしはノックした。
「ん? 開いてるぞ」
と。
この声は夜宵先輩のものだろう。
「失礼します」
「しまーす」
「失礼します~」
中に入ると夜宵先輩がコーヒーを飲んでいた。
わずかに目を見開いているのは、わたしたちが三人だからだろうか。
「おっ、入部届を持ってきたのか?」
「はい」
「ぶふぁっ!?」
盛大にコーヒーがこぼれた。
どうやら。
わたしたちが入部するとは思っていなかったのだろう。
つまり──この入部届の端に書かれている文字は冗談だったらしい。
夜宵先輩の冗談はわかりにくいな……。
プレゼントもただのプレゼントだったのか。
昨日来てくれたからってだけのお礼の品としては過剰すぎる。
「え、ほんとうに入るのか?」
「これも貰いましたから」
同好会っていうのもおもしろそうだし。
「夜宵先輩ありがとうございます。ルピー、めちゃ可愛いです!」
「いや、喜んでくれるならかまわない」
しかし。
ということはやっぱり贈り物──超合金・ドラゴンロードは、先輩から、ということだ。
あの大会の優勝者って誰だっけ?
「ねぇねぇ」
夢見さんがわたしの袖を引っ張ってる。
そういえば頼まれていたことがあったんだ。
「あ、うん。夜宵先輩、あのー、そのぉ、夢見さんがちょっと聞きたいことがあるらしくて」
「ん? 言ってみろ」
「先輩、ボク、夢見彩紗希です。その、この賞品が貰える大会の優勝者が疾風のイクサだって、ネットに書かれてました。……先輩が疾風のイクサ、なんですか?」
夢見さんの顔がほんのりと赤い。
「紅林夜宵だ、よろしくな。だが、わたしはイクサではないよ。Ⅱでは宵という名前にしているからな」
「……」
わたしは首をかしげた。
それってイクサってことじゃないの?
とにもかくにも、わたしは記名した入部届を夜宵先輩に渡した。なぎちゃんも一緒だ。
「夜宵先輩。ボクも入部したいです」
「あ、ああ」
夜宵先輩は産まれたばかりの小鹿みたいな足取りで、あわあわとしつつも奥のテーブルから書類とペンを持ってきた。
そして夢見さんが記名した瞬間、ふふふ、と笑う。
「これで同好会は安泰だ! あ、もう取り消せないからな?」
まさしく疾風。
部室を飛び出した先輩はどこかへ消えていった。




