2
はじまりの町ベルサーニュから東、山岳地帯にあるダンジョンの名前は『灼熱の迷宮』という。
このダンジョンは冠された名前の通り──、
「あっっつ!!」
かった。
先ほどの薄暗さなど嘘だったと言わんばかりに、周囲は赤い灼熱の色に包まれている。
転移した場所はどこかの地下──それも中州のような場所だった。
もちろん周りに流れているのは水などではない。溶岩流だ。
「うわっ、すごい……ところ」
どうやらわたしと同じで、アーサーも暑いのが苦手らしい。いまにも倒れそう。
五感を伴うフルダイブ技術のせいで、息を吸い込めば熱湯でも飲んでいるかのような気分になる。もちろん気分、だけなんだけど。
夢で怪我をしてもリアルの肉体に影響がないように。
ゲーム内で暑いからって──もはや熱いのだけれど、そんな状況でも実際の肉体には何も影響はない。
まあ影響がどうであれ、苦手なものは苦手だ。
「これ、どこに行けばいいの?」
ナギが平然とした様子で、きょろきょろと周囲を見ている。
中州だから、対岸は左右にあった。
どちらも草木のひとつも生えていない黒い岩ばかりの土地だ。
わたしは腕を組む。
「制限時間は20分だから……う~ん」
「制限時間? あ、これか」
視界の右上に小さな数字が表示されているのに、ナギも気づいたらしい。
わたしはもう一度だけ確認してからうなずいた。
「ダンジョンに入れるのは基本的に1パーティーだけなんだけど、そのパーティーが居座っちゃったら、次の人たちが入れないでしょ」
そこで各ダンジョンには制限時間が設けられている。
決められた時間までにクリアが出来ない場合、挑戦失敗となってダンジョンの外へと強制的に転移されてしまうのだ。
逆に制限時間をかんがみてしまえば、ダンジョンの難易度と広さがわかってしまったりする。
「だから……たぶん、うん。制限時間20分のダンジョンだと、中規模の広さでギミックが少ない系だって思うんだけど」
わたしは既に激戦を終えたような表情のアーサーと、物珍しそうに辺りを見ているナギにそう言った。
うん、たぶん二人とも聞いてないわ。
「このHPじゃ溶岩流を泳げるわけもないし、飛び越えられる距離でもない。つまりどうにかすると渡れる……はず」
特殊なアイテムやダンジョン外での何らかのアクションを攻略に必須としている、なんてことも考えられた。
が。
「最序盤のダンジョンでそんなギミックを配置しないと、さすがに運営を信じるとして」
わたしは溶岩流に触れるか触れないかというところまで足を進める。
真夏日にストーブを使っているような熱風が吹いた。
目を細め、周囲を見ていると、溶岩流の中にいくつかの影が見える。しかも動いている。
「氷よ──吹雪となれ、我の魔力を捧げる」
詠唱なんてのは気分だ。
設定厨の魔王が、「魔法を使うときは呪文を唱えてくれないと調子がでない」とかなんとか言っていたのを思い出してしまっただけ。
それも題名・大魔法設定集なんてデータまで送ってきているから……ヤバい人だった。
わたしも暗記してしまっている……ヤバい人なんだけどね。
「あーちゃん、何を言ってるのかな?」
「魔法の詠唱だと思うよ」
後ろで声が聞こえた。
精霊魔法を使用するには精神集中だけではなく、代価が必要とされる。
これはゲーム内の設定において、精霊使いは魔力を捧げることで人間に友好的な精霊を上位世界から呼び出し、代価を支払って力を借りる。と記載されているからだ。
もちろん精霊魔法のシステムにも、その設定が反映されていたりする。
「我が前に現れよ、ルピー!」
極小の魔石3つを前方にばらまく。
空中に停滞したそれらが一瞬で消えると、そこには小さくて丸っぽいペンギンが浮かんでいた。
「うわ、かわいい!」
ナギが駆け寄ってくる。
水色の羽毛を生やした、ペンギンとミミズクの中間に位置しそうな姿。
それが低級氷精霊ルピーだ。
この精霊は前作では氷の町にいて、町に入るための試験で戦うことになるんだけど……。
精霊使いが最初から使役できる精霊でもある。
ぬいぐるみ化されているほどに人気の精霊がふわりふわりと浮かんでいる。わりと小さな翼を羽ばたかせて。
「るぴぴ」
ルピーが鳴いた。
前作ではこういった音声などはなかったはず。
「おっと、もうすぐ消えちゃうから攻撃させるね」
さすがに極小魔石では長く現界させていられない。既に半透明になっている。
わたしは溶岩流の一点を指差した。
「【氷風】!」
ルピーが小さな翼を天へと掲げると周囲に吹雪が舞い始める。
それらが集束して握りこぶしくらいの小さな暴風の塊に変わると、指示した場所に進み、バァーンと激突して爆発した。
「よし、命中!」
溶岩の中から電気ショックを喰らった魚みたいに、ギザギザな鱗で全身を覆った錦鯉みたいな生き物が数匹浮かんで、対岸へと渡れるようになった。
モンスターを倒すことで作動するギミックだったらしい。
でもこれ……遠距離攻撃ができないパーティーだったら、どうしろって言うんだろう。
「あーちゃん、今のペンギンは?」
「精霊は攻撃したら元の世界に帰っちゃうんだよね。まあ攻撃しなくても帰っちゃうんだけど」
これが精霊使いの最大の障害とされている。
一撃の威力は高位の魔法職すら越えることがあるけれど、もちろん魔力は消費するし、代価(魔石)も大量に必要になってくる。
その上で、精霊を召喚しても攻撃の範囲外に逃げられれば不発となり、その上で、召喚に使った魔力や代価も返っては来ないという変な性能のスキルを持つ、変な職業だ。
「ええー、触りたかったのに」
「魔石が貯まったら召喚してあげるよ」
わたしは遠い目をした。
精霊使いと言えば、クリスティアオンラインにおいての金欠と魔石クレクレの象徴でもあるのだ。
『よろ』
『その魔石ちょうだい』
『そっちの魔石も』
『なんでくれないの?』
『魔石くれないと魔法が撃てないでしょ!』
『魔石くれ』
『怒るの意味わかんない』
わたしは伝説の一場面を思い出した。
掲示板に晒された某精霊使いの映像だったが、今になれば彼の気持ちも少しだけわかる気がする。
今回は低級氷精霊の攻撃でモンスターを数匹倒せたけど、これだって偶然に複数匹に当たっただけで、本来狙っていた結果ではない。
さらには当たらなかった場合も考えると……。
「対岸に渡れば、先に進めるみたいだね」
ぴょんぴょんと浮かんだモンスターを踏み台にして、対岸に渡ったアーサーが言う。
対岸には、中州からは見えなかった地下へと降りる階段があるらしい。
ナギに手を引かれながら、わたしはなんとか対岸へと渡りきった。
「ドロップアイテムは渡ると出てくるみたいだね。どうぞ、アリカさん」
アーサーから極小魔石を1つ手渡された。
いや。
うん。
一回の魔法で、もう既に損失が出ている。
「貰った魔石、使っちゃってごめんね」
「ううん、ボクじゃあ溶岩の中に攻撃なんて当てれなかったし。どんどん使ってよ」
「でも……実は精霊使いって一番の不遇職、運営に嫌われてる職業No.1、戦いたい相手ランキング殿堂入り……」
わたしはどんよりとした雰囲気で呟いた。
アーサーは聞こえているのかいないのか、くすくすと笑った。
「もー、なにしてるのふたりとも。はやく行こうよ!」
そんなわたしたちの手を引いて、ナギが大地に隠された階段を降りていく。
先頭が治癒使いで中央が精霊使い、そして最後尾が騎士見習い。
あきらかに定石の隊列じゃない。
普通のダンジョン攻略を目指したパーティーだったら、何をやっているんだと口論すら始まっているかも知れない。
クラン【魔王軍】でもありえない光景だ。
でも。
わたしは自然と笑みがこぼれていた。