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ご主人様は破天荒

作者: Kyou

 私はメイドとして、この屋敷で雇われている。


 ある日、私が大浴場の掃除をしていた時だった。


 バタンッ!


「おーい!」


 急にご主人が扉を開け、私のもとに来る。この見た目が8歳の少年が私のご主人様である。


「……どうしましたか? ご主人様……」


「ユリナ! 俺はすごいことをしたぞ!」


 まーた始まった。ご主人の自慢話が……。


「俺はさっき庭にいた猫を見つけたんだ。そいつは足を怪我していてな! 助けようとしたら、手をひっかかれてしまった!」


「はあ……大丈夫でしたか? それから何があったんですか?」


「何も無いぞ!」


「あっ……無いんだ」


 このようにご主人の自慢話は自慢になってない時がほとんどだ。


 ふと、その傷から流れる血が目に入る。


「どれ……。傷を見せてください」


「断る!」


「は?」


 治療を拒むご主人に唖然とする。


「俺の傷は猫を助けようとした証だ! だから、この傷は取っておきたいのだ!」


「また、妙なこだわりを……」


「はは! かっこいいだろ!」


 まあ、ご主人がそうしたいなら従うしかあるまい。


「ですが、せめて消毒ぐらいはしないといけませんよ……」


「なっ……。必要ないぞ。俺は自然と浄化できる力があるんだ」


 ご主人の顔がひきつっている。どうやら、ただ消毒で染みるのが嫌なだけか……。


 私は壁に掃除用具を立て掛ける。


「おい! ユリナ。何をする気だ?」


 私はあらかじめ持っていた消毒液を取り出す。ご主人が怪我をすることはよくあるので、いつも持ち歩いているのだ。


「ご主人様……少しそこを動かないでもらえますか?」


「あっ。落ち着け! ほらっ! 傷はもう治ったぞ!」


「それは反対側の手でしょう。いいからこっちに傷を見せてください」


 ご主人の顔を汗がつたる。やがて、私が歩き始めるとご主人は走り出す。


「あ! おっ……ご主人様! 逃げないでください!」


 私もご主人様を追いかける。さすがに8歳の子どもに負けるほどの走力ではない。


「嫌だ! 嫌なのだ! 消毒は痛いんだ!」


「大丈夫です。痛いのは一瞬ですから」


「怖い! 怖いぞ! ユリナ!」


 結局、この日はご主人を捕まえて無理矢理消毒をした。その後、しばらくご主人が話してくれなかったのは言うまでもない。


 まあ、1日経ったら忘れて向こうから話しかけてくるのだが……。


 そんな日々を私とご主人は過ごしている。


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


「おい! ユリナ! ツリーにのぼるぞ」


「は?」


 私は急にそんなことを言い出したご主人様に目を丸くする。


 ツリーというのは、この街にある展望台のことだ。


「何を言っているんですか? ご主人様」


「だから! ツリーにのぼるんだ! 今すぐ!」


「ええ……。ツリーにはこの前ものぼったでしょう……」


「また上りたいんだ!」


 大きなため息をつくも、ご主人のやることには基本付き合わなければいけない。


 むしろ、良いことなのだ。ご主人が自分のやりたいことをやるのは……。


「はい。わかりました。じゃあ行きましょうか……」


「やった! ありがとうだ。ユリナ!」


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 ニュートーキョー。


 それがこの街の名前である。かつては大都会だったが、一度すべて焼きつくされてしまったため、今では普通によくある街並みになっている。


 そういう言い伝えらしい……。


「早く来るのだ!」


「待ってください。ご主人様」


 人混みを走り抜けていくご主人を追いかけていく。ご主人はこの街の地理に関しては詳しいので、迷う心配は無いのだが……。


 さすがにここで誘拐とかは無いよね……。


 人混みを抜けると、そこにツリーがあった。それは雲を突き抜けるほど高かった。


 だが…………。


「結構人がいますねえ。平日にしては珍しいです」


「そうだな。まあ並べばいつか見れるだろう!」


「…………そうですね」


 ご主人と私は手をつなぎ、並び始める。


「ユリナ?」


「どうしたんです? ご主人様」


「ユリナはなんでメイドをやっているんだ?」


「なんでって……そりゃあ……」


 私は少し考え、やがて結論を出す。


「ご主人様に幸せになってほしいからですかね」


「そうか。……なら俺もユリナを楽しませなくてはな!」


「え? …………」


「ユリナだって頑張ってるんだ! 俺は大好きなユリナにも楽しんでほしいんだ!」


 日頃からご主人の世話をしているからか、私の目には涙が浮かんできた。だが、ご主人様に心配をかけたくないため、すぐにそれを袖で拭き取る。


「やっぱり、ご主人様は変わりませんね……」


「ん? …………どういうことだ?」


 チーン


「次のお客様はエレベーターに乗ってください」


 ツリーの管理人たちが私たちを誘導する。


「さあ、行きましょう。ご主人様」


「ん? ああ。行こう」


 私たちはエレベーターに乗り、空へと向かっていく。


「そうだ。ご主人様は何か最近楽しいことは無かったんですか?」


「うーん。何が楽しかっただろうか……」


 ご主人は悩みながらも、さまざまなことを言う。


「庭でカブトムシを捕まえたことかな、いや昨日のキノコシチューがうまかったことかな……」


「いっぱいあるんですね……」


「でもな……」


 ご主人は笑顔で答える。


「ユリナと一緒の時が一番楽しいな!」


 私はそれを聞くと、やがて笑みを見せる。


「ありがとうございます。ご主人様。……そろそろ着くみたいですよ」


 チーン


 エレベーターの扉が開き、その景色があらわになる。


「わあー!」


「あっ。ご主人様……」


 その景色に夢中になったのか……ご主人は走り出す。


 後を追いかけ、私の目にも景色を入ってくる。


「…………すごいですね……」


 そこには発展した街の風景があった。たくさんの車が道路を走り、さまざまな色の屋根が街を彩っている。


「なっ! やっぱり来てよかっただろ!」


「……はい」


 私は嬉しいような、悲しいような顔をしていた。


「……どうしたのだ?」


「え?」


「最近疲れた顔をしているぞ」


 そう……だったのだろうか……。余計な心配をご主人にかけてしまったようだ。


「大丈夫ですよ。ご主人様。私はなんともありません」


 私は腰に手をあて、元気なアピールをする。その様子を見たご主人は口に笑みを浮かべる。


「よしっ! じゃああっちも行こう」


「そうですね。せっかく来たんだから楽しみましょう!」


 そうやって、長い間私たちはツリーの景色を楽しんだ。


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


「いやあ。いい景色ですねえ」


「ああ! ここからの景色がこの街で一番いいんだ!」


 私たちは長い間、そこからの景色を楽しんでいた。


 ふと、私は首にかけている懐中時計を確認する。その時計は16時を示していた。


「……ご主人様。そろそろ時間です。夕飯の支度をしないといけませんから帰らないと……」


「……そうか……仕方ないな……」


 ご主人様に好きなことをさせてあげられないのは辛いが、ずっとここにいるわけにはいかない。


 帰らないといけない時が……あるのだ。


「じゃあ、行きましょうか」


「ああ」


 そう言って、出口へ向かう。


 その時だった。


 ドゴオオンっ!


「え?」


 確かに入り口の方から爆発音がした。


 そこから、黒いマスクをした男が数人現れる。その男たちは皆銃を持っていた。


「いやっはあああああ! てめえらは今から人質だ! これから、このツリーの管理人どもに金を要求する! 日頃からチケットとかで金をむしってるからなあ! 大量にあるに違いないぜえ!」


 これは……ずいぶんな強盗だな。それにしても、最近はそんな連中が増えている気がする。


「ユリナ! 大変だぞ! どうにかしないと!」


「ええ。……少しここで待っていてもらえますか?」


「……ユリナ?」


 私はその強盗の一人に向かって歩き始める。その男が私に気づく。


「なんだあ! てめえ。ガキがこっちに来てんじゃねえぞ!」


「悪いですが、せっかくのご主人様の楽しみを邪魔されたら困るんですよ……」


 男がこちらに銃を向ける。そして、狂ったような形相でこちらを見つめる。


 この男に人を殺すことへの躊躇いは無かった。


「ガキが調子に乗るなよ!」


 バゴンッ!


 弾丸が私の方に向かってくる。だが…………。


 ガキンッ!


「あ?」


 コロコロっ


 瞬間。形の崩れた弾丸が床を転がる。


 私の持つ傘から煙が出ている。弾丸をそれで弾き飛ばしたのだ。傘は常に持ち歩いている物だ。


「……覚悟はできてますよね」


 私は男たちをにらみつける。そして、まずは銃を撃った男に向かっていく。


「来てんじゃねえって言ってんだろ!」


 バンッ! ドンッ! ガンッ!


 数発の弾丸がこちらに近づいてくる。それを走り抜け、男に近づく。


「ひっ」


「…………」


 傘は男の首を打ちつける。すると、男は意識を失い倒れる。


「なんなんだ!? あのガキは!」


 数人の仲間の男たちが来る。私は傘についた引き金を引く。


 バシュンッバシュンッ


 一発ずつ男に当たる。弾が当たった二人の男はその場で倒れ込む。その弾は麻酔弾だ。警察が来た時あたりで彼らは目覚めるだろう。


 この傘には弾丸を装填し、撃ち込む仕組みが内蔵されている。


 数が減ったが、まだ向かってくる男が残っていた。


「なめやがって! ガキの癖に」


 私は男たちと逆方向に向かった。そして、壁を蹴り、男たちの頭上に飛び上がる。


「……え?」


 そのまま、男の首を傘で締める。男を地面に押し倒し、気絶させる。


「……なんなんだ! なんなんだよ! お前!」


 残った一人の男はある女性を捕まえ、その人に銃を向ける。


「……ひっ」


「こいつがどうなってもいいのか? こいつが殺されたくなかったら、さっさとその傘を捨てて抵抗するのをやめろ!」


 バキュンッ!


「え?」


 傘の先端から煙があがる。


「なん……だ……」


 男は自らの脚に麻酔弾をうけたことに気づく。だが、気づいた時にはすでに体の自由は無くなっていた。


「……が……はっ……」


 最後の男はその場に倒れる。それを見てから、その女性に近づく。


「大丈夫ですか? どこか怪我はありませんか?」


「ええ。ありがとう」


 いつもご主人に襲いかかる動物たちに麻酔弾を撃っていたことで、射的力が上がっていたのは私も予想外だった。


「さて……」


 その様子を見ていたご主人様は呆気にとられていた。そんなご主人に私は笑顔を送る。


「……帰りましょうか。ご主人様」


「……ああ!」


 ご主人様もすぐに笑顔になり、私のところに来る。


 だが……。


 ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……。


 この音はいったい……。


 ドゴオオオオンッ!


「え?」


 強盗がしかけていたのだろうか……。突然、ツリーの壁が爆発した。


 その様子を見た私は焦りながらも、大声を出す。


「早く! 皆何かに掴まって!」


 その指示はすでに遅かった。気圧の違いから建物の空気が外へ向かう。


 一人の五歳ほどの少女が壊れた場所から外に流されていく。


「……くっ!」


「うおおおおおおおおおお!」


「…………え?」


 叫びながら、その少女のもとに向かっていく姿があった。


「お……ご主人様!」


「絶対に助けてやるぞおおおお!」


 展望台から飛び込み、ご主人は空を飛ぶ。


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 ご主人様はうまく空気の抵抗を避け、その少女のもとに近づく。そして、抱き抱えながら、地面に向かっていく。


「くそおおおおお! 助けてやるからなああああああ!」


 地面に向かっていくご主人様はひたすらに前に向かった。どうすれば良いかもわからなかったが、とにかく前に向かった。


「うおおおおおおおおおおおお!」


 ガシッ!


 そんなご主人を私はつかみとり、脇に抱える。


「ユリナ!」


「何やってるんですか! ご主人様!」


 私は上に向かって傘を開き、空中に浮かぶ。ゆっくりと地上に向かっていく。


「あはははっ。すごいぞ。空を飛んでるぞ!」


「はあ……なんでそこまで……」


 私は耐えられず涙を流していた。


「どうして……どうしてあなたはそこまで……自分よりも他人を優先するんですか……」


「……ユリナ」


「もう少し、自分を……自分を大事にしてください」


 そんな私の顔にご主人様はハンカチを当てる。それは涙を拭き取ってくれた。


「……ご主人様?」


「すまん。俺が悪かった。だが、それが俺なんだ。他の人に笑ってほしいのが俺なんだ!」


「…………」


 私は傘を握り締め、深く考える。


「…………そう……でしたね……。あなたはずっと昔からそういう人でした」


「ん? ずっと昔?」


 ご主人様は私に対して不思議そうな顔をする。そんなご主人に私は笑顔を向ける。


「なんでもありません。ご主人様!」


「……そうか?」


「ところで、ご主人様! もうあんな危険なことをしないでくださいね。ご主人様にはお仕置きが必要なようですね」


「ひええ。許してくれ。ユリナ……」


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 屋敷に戻るとご主人はお風呂に入り、食事をした。ちなみにこの屋敷の使用人は私しかいない。


 だから、夕食は私とご主人だけなのだ。


「いやあ……今日は疲れたなあ。ユリナ」


「そうですね……」


 私は立ち上がると、ご主人に言う。


「さて、そろそろ寝る時間ですよ。早く部屋に戻ってください」


「ああ。そうだな。行くか……」


 ご主人もイスから立ち上がると、部屋に向かっていく。だんだんとご主人も眠くなっていたようだ。


 部屋に入り、ご主人がベッドで寝たのを確認すると、私も自分の部屋に戻る。


「ふう……」


 小さく息をはくと、私は指を振る。


 ピュイイン。


 そこには、『ログアウト』の文字が浮かんでいた。


「…………帰るか……」


 私はその文字に触れる。


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 目を覚ますと、頭についたヘルメットを外す。そして、寝ていたベッドから立ち上がり、部屋を出ていく。


 その病院はあの館とは違い、ごく一般的で日本によく見られる様式だ。


 そのまま、廊下を歩き、ある病室に入る。


 そこには同じヘルメットをつけた少年が寝ていた。


「…………お兄ちゃん……」


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 これは半年前の話だ。


 いつものように私は学校から出ていく。そんな時、その男と偶然出くわした。


「よう! ユリナ! 迎えに来たぞ!」


「げっ…………お兄ちゃん。なんでいるの……」


 横を通る友達にクスクスと笑われ、私は恥ずかしくなる。


「なんでって、俺が……俺の大切なキューティクルで、ビューティフルな妹を迎えに行かない訳が無いだろ!」


 イケメン風な声で私に言ってくる。通りすぎた友達が肩を震わせながら笑っているのに気づく。


「…………死ね」


「ちょっ! 対応ひどくね! なあなあ、頼むよ! 一緒に帰ろう! な!」


 兄はここでかまわないと後で拗ねて面倒くさくなる。まあ、明日になったら普通に話しかけてくるのだが……。


「もう…………わかったってば……行けばいいんでしょ。一緒に……」


「おお! わかってくれたか……妹よ……。それでこそ、我が家のプリティーエンジェルだ!」


 後ろの知らない男子が堪えきれずに笑う。


「…………死ね」


 兄にそう言い放つ。


 この前見た写真の子どもがまさか10年後にこんなチャラ男になっているなんて……。


 やっぱり皆子どもの時が一番かわいいのである。


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 兄は18歳で、私は16歳だ。


「ところで妹よ! 彼氏はできたのか!?」


「は? いたら何だっての?」


「……全力でその男を殴り殺す」


 この通り、兄はシスコンである。顔は良い方なのに、残念である。


「お兄ちゃんこそ……彼女はいないの……」


「ふふっ。俺はチューだってしたことのある男……。いずれは彼女がたくさんできて、まさにハーレム状態だ!」


「……そのチューはいつの話?」


「…………幼稚園の友達だ。しかも無理やりされた……」


 下を眺め、めちゃくちゃ落ち込んでいる。そんな兄はとんでもないことを言い出す。


「……せめて、唯一話す女子であるお前が彼女になってくれることを希望する……」


「見境ないだけじゃねえか!」


 兄はそう言われるとこちらを向き、口をへの字に曲げる。


「……そんなことは無いぞ! 俺はお前を特別に愛している!」


「じゃあ……私の良いとこ言って……」


「え?」


「……言ってみてよ……」


 兄は汗を流しながら考え込む。


「そうだな……。よく食べるとことかか? いや、よく部屋でメイドのコスプレをしているとこか?」


「は! なんで知ってるの!?」


「ふふっ。兄をなめるなよ。お前の行動パターンなんて手に取るようにわかる」


「近づかないで……」


「……え?」


 微妙な空気になりながらも、道を歩く。


「……そんなに私って魅力が無いかな……」


「何を言っている。お前は俺の妹であること……それがお前の魅力なんだ」


「…………」


 私は黙り込んだ。その様子に兄は違和感を感じた。


「……ん? どうした?」


「じゃあ……私が妹じゃなかったら……お兄ちゃんは私のことを好きじゃないの?」


 その質問に兄は笑いながらごまかす。


「おいおい何言ってんだ?」


「そういうことでしょ!」


「は?」


 私は走り出した。自分でも言ってることが恥ずかしくなり、走り出してしまった。


「おい! 待て! ユリナ! そっちは!」


「え?」


 気がつくと、私は道路に飛び出していた。横には勢いをつけたトラックがいた。


 …………あっ。


 ドスッ!


 その時、背中を押された感触があった。


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


 兄は今でも意識が戻らない。


 あの時、私を押した兄はトラックにはね飛ばされ、頭に怪我をした。かろうじて命が助かったが、気を失ったままだ。


 あんな……くだらないことを……私が考えたから……。


 私には耐えられなかった。あの日のことを後悔していた自分がいたが、それよりも兄がいない生活が想像できなかったのだ。


 …………。


 お医者さんは言った。


「彼はおそらく脳以外に問題があると考えています。検査の結果、脳に異常は見られませんでしたから……。ただ事故の痛みが原因で記憶などに影響が出ている可能性があります」


 その人はある紙を差し出した。それには『仮想世界更正プログラム』と書かれていた。


「……これは?」


「それは最近開発されたVR……つまりは仮想世界による治療です。現在、彼のような人間が他にもたくさんいます。だから、そういった人を集め、仮想世界で記憶喪失のような異常を治すという取り組みをしているんです。いわば、もう一つの社会といったところでしょうか……。人間は集まることで成長できるものなので……」


「それを……」


「はい?」


「それを使えば……もう一度、お兄ちゃんに会えるんですか?」


 その質問は……私のエゴであった。


「ええ。最近開発されたとはいえ、出来は申し分無いです。悪い話では無いと思いますよ……。あと……念のため、その世界の名前を教えておきますね……」


 お医者さんはその名前を口にする。


「『ニュートーキョー』です」


# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #


「お兄ちゃん……」


 あれから半年経った。


 あの世界で会った兄は確かに記憶が無く、8歳の少年だった。


 それでも……本当の世界でこうやって意識が無くても……ずっと眠ったままだとしても……兄は生きていると実感した。


 例え、生きているのが偽りの世界でだったとしても……。


「やっぱり……お兄ちゃんは変わらないなあ……」


 私を事故から助ける時だって……あの少女を飛び降りて助ける時だって……。


 結局、兄は変わらなかったのだ。


「…………お兄ちゃん……私が……幸せにしてあげるからね」


 私は寝ている兄の手をつかむ。


 その時、私は涙を流しながら笑っていた。

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