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結局──奇妙な成り行きのままに、私はその晩、本当に女の子と飲み明かして過ごすことになってしまった。
ワインを飲みはじめると食欲が出て、はじめは見るのも嫌だと思っていたチキンやポテトが、妙においしそうに見えてくる。口に運んでみると、アルコールの効果なのか予想よりもさらに美味に感じられた。
メイン・ディッシュだけではない。私たちはその後、二人でいっしょにケーキも食べた。
ホールケーキにナイフを入れる役は、たぶん私がみずから引き受けたと思う。酔っぱらった子どもに刃物を握らせるのはごめんだったからだ。
大昔に食べたケーキやプディングにくらべて、こちらのケーキは食べ応えがまったくなくて単調だ。だが、生クリームと赤ワインの取り合わせは、私が思っていたよりも悪くなかった。
食べたり飲んだりしながら、彼女はやたらとケラケラ笑っていたような気がするし、私も何やらうなずいていたような気がする。このあたりの記憶は少しあいまいだ。
消したはずのラジオは、いつのまにかまたつけられて、耳慣れた静かな歌が流れている。清らかで落ち着いた旋律、やさしい歌声が語りかけるように言葉を紡ぐ。
御母の胸に抱かれて眠る幼子の、尊い命を祝う歌……日本語ではたしか、きよしこの夜、というタイトルだったか──。
すっかり腹が満たされたところで、女の子が立ち上がり、部屋の照明をおとして戻ってきた。キャンドルの小さな炎だけがテーブル上を暖かく照らし、女の子の小さな姿をふちどる。
オレンジ色の灯りのせいか、ふわふわとやわらかそうな彼女の髪が金色に見えることに、私はふっと気がついた。
それから、あどけないその顔に目をうつし、よく見るとちょっと西洋人みたいな顔立ちをしているんだなと、ぼんやり思った。長い睫毛がかすかに光り、瞳の色もずいぶん薄い。そういえば、ブティックの店員もすぐに親子とまちがえたっけ……。
そんなことを思ううちにも、もう何杯目かわからなくなったワインが、私のためにそそがれる。
「子どものくせに、ずいぶん酒に強いんだな」
「あたしはもう飲んでないわ」
「かなり、つぎなれてる」
「パパの晩酌につきあわされて、きたえられたのよ」
「何だ、仲がいいんじゃないか」
彼女は答えず、いたずらっぽく笑いながらこんなことを言いはじめた。
「ねえ、いいことを教えてあげる。晩餐会のときに、キリストが十二人の弟子たちに言った言葉よ」
「晩餐会?」
「そう」
うなずいてみせると、彼女は歌うようにゆっくりと続けた。
「イエスさまはおっしゃった。このパンを私の肉と思って食べなさい。このワインを私の血と思って飲みなさい」
ワインが入った自分のグラスを手にとると、女の子はそれを目の前にかかげて、ほほえんだ。
「乾杯しましょう。今日は生まれてきたお祝いの日なんだもの」
ふたつのグラスをあわせると、鈴が鳴るように澄んだ音がする。その音にかさなるように、女の子の声が聞こえてきた。
「あたしはちゃんと知っているわ。祝福されない魂なんて、この世界にはないってことを。どんな命も、祝福されてこの世に生まれ出てくるの」
その晩は何度も澄んだ音を聞いたから、きっと何度も乾杯したにちがいない。
「ハピィ・バースデー!」
鈴の音にも似た声が、乾杯にあわせてやさしく響いたような気がした。
目をさますと、いつのまにか朝だった。
というより昼だった。ベッドルームの遮光カーテンは閉じられていたが、隙間から差し込む日差しの帯が、細く布団を横切っている。どうやら飲みすぎて眠りこんでしまったらしい。
身体を布団から引き離してベッドの端にすわったまま、私はしばらくの間、ぼうっと考え込んでいた。ワインくらいで酔いつぶれたとは情けない。それも一本の瓶を二人で分けて飲んだだけなのに。
あたりを見まわしてみたが、ベッドルームはもちろん、となりのリビングルームにも人の気配を感じない。
もしかすると、ゆうべのあれは夢……?
だが、寝ぼけた目をこすりながらリビングに移動した私は、テーブルセットに視線を向けたとたんに覚醒した。
夕食時に使った食器が、すべて出しっぱなしになっていたからだ。
皿の上にはチキンの骨やパセリが残されたままだし、ロールパンのかけらは乾燥してしまっている。使ったフォークは横に投げ出されている。
惨状の原因である女の子の姿は、すでにどこにも見えなかった。コート掛けにあったダッフルコートが消えているところをみると、どうやら一人で帰ってしまったらしい。
無料でさんざん飲み食いしたのだから、せめて少しは片づけていけばいいものを……。最近の子どもは礼儀を知らなくて困る。
ため息まじりにテーブルの食器をさげようとしたとき、ふと、窓ぎわの床におかれた小さなクリスマス・ツリーが目に入った。ゆうべ彼女が熱心に飾りつけていたものだ。
茶色い鉢の向こう側に、何か赤いものがおいてあるのが見える。
近づいてみると、それは赤い毛糸で編まれた大きな長靴下だった。ゆうべはたしか、なかったはずだ。
私は腰をかがめると、軽くふくらんでいるそれを何げなく手にとった。そして、ぼんぼん飾りのついた縁をひらいて、中身を出してみようとした。
そのとたん。
中から、真っ白な羽根がいっぱいに舞い上がってきて、私の身体をふわふわと包み込んだ。
私は目をみはりながら、舞い散っていく白い羽根を眺めていた。ほうけたようにその場にたたずみ、それからふと振り返ってテーブルのほうに視線を向けた。
そして、ようやく気づいたのだった。
ゆうべのあのディナーが、私のために用意されたものだったということに。
ワインを片手にほほえみながら、うなずいてみせる女の子の姿が目に浮かぶ。
淡く光る金の輪を、頭の上にふわりとのせた、おしゃべりな天使──。
私はさらにしばらくの間、やわらかな雪のように散り敷かれた羽根の中に立っていた。
それから、顔を上げて窓辺に近づくと、閉じられている遮光カーテンに手をのばした。
いつもの私なら、こんな時間にわざわざ起き出したりはせず、夕暮れまでベッドの中で過ごすところだ。だが、今日はそんなことをしたいとは思わない。
カーテンを大きく開けて、目を細めながらも日差しを入れた。閉じた窓も思いきりひらいて、戸外の風を入れてみた。
カーテンを揺らしながら、冷たくさわやかな風が流れ込んでくる。空には光が満ちている。
いい天気だ。
太陽の下を大手を振って歩けなくても、いい風だ。
きっと今夜も晴れているだろう。大きな月と冬の星座が、澄みわたる夜空に美しく輝くことだろう。
メリー・クリスマス。
お読みいただき、どうもありがとうございました。
皆さまにも素敵なクリスマスが訪れますように。
(イラスト 楠 結衣さま)