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たしかに豪華ディナーではあった。
スーパーで調達した出来あいのものばかりだったが、いつものクリスマスの味気ない食事と比較してみれば、すばらしく豪華だ。
金融関係の資料をひろげることも多いため、私の部屋のテーブルは、一人暮らしにしてはけっこう大きい。
その大きめの卓上いっぱいに、ローストチキンやサラダ、フライドポテトやニンジンのグラッセ、ロールパンといったものが並べられ、先ほどから食事がはじまっていた。
砂糖菓子のサンタと苺がのったホールケーキも、メイン・ディッシュの横にすでに用意されている。雪のように白い生クリームが、繊細に重なり合う花びらのかたちに絞られていて、なかなかの職人技だ。
薄いチョコレートのプレートに書かれているのは、アルファベットでクライストのミサと綴る、クリスマスの飾り文字。
ケーキの横に置かれているのは、これもスーパーでみつけたらしい、ひいらぎの葉と赤い実で根元を飾ったキャンドルセット。
部屋のあかりがついているにも関わらず、彼女のリクエストで火をともした。
壁際のオーディオ・セットに組み込まれているラジオからは、ひかえめな音量でクリスマス・ソングが流れている。どれもこれも絵に描いたようにお決まりの、クリスマスのイメージだ。
だが……私はいま、本日何度目かの後悔をかみしめているところだった。
なぜなら、私はこういう雰囲気が苦手なのだ。というより、自分が思っていた以上にこれが苦手であることを、たったいま思い知らされている最中なのだ。
部屋に満ちている、いかにも平和で暖かそうなこの情景。彩りゆたかな食卓に、揺れる炎、楽しげな音楽。
そして何より、目の前でおいしそうに食事を楽しんでいる相手……。
失敗したかもしれない。いくら、あとのお楽しみのためとはいえ、相手の言うがままにいろいろと演出させるのではなかった。
「おじさん、食べないの?」
過剰な演出をしてくれた相手が、ローストチキンにかぶりつきながらたずねてきた。
「にんにくアレルギーって大変よね。でもこれ、にんにく使ってないから大丈夫だと思うんだけど。……まさかチキンやポテトが食べられないとか言うんじゃないよね?」
「全部二人分買っておいて、いまさら訊くのか」
私の栄養源はたしかに血液だが、普通の食事だって案外人並みの量をとる。血液だけでエネルギーが足りるはずはないのだ。
アルコールやつまみの類は日々の楽しみだし、チキンやポテトなどの味も実は嫌いではない。
それをいま食べる気にならないのは先に述べた理由によるが、もうひとつ、女の子の食べっぷりに見入ってしまったというのも、若干の原因ではあった。
向い合わせの席にすわっている彼女は、実においしそうによく食べて、チキンなど早くも骨だけになりそうだ。
そんなにおなかがすいていたのか。まあ、もう時間的にはけっこう遅いし……それに家庭の事情を思い出してみるに、もしかすると日頃、満足なものを食べさせてもらっていないのかもしれない。
そういう目であらためて彼女を見れば、着ているワンピースはやけに薄手で、まるで春物のようだ。
そういえば、最初にスリをしたときも上着ひとつ羽織っていなかった。コートくらい、ふつうは親が用意してあげるべきなのに。
やっぱり虐げられているということか。いっしょに食事する人を求めて、繁華街でスリをくり返していたということか……?
だとしたら、と、私はいささか自嘲ぎみに考えた。この子もとんだアンラッキー・ナンバーを引いたものだ。待望のケーキを食べるのに選んだ相手が、よりにもよってヴァンパイアとは。
私の思いに気づきもしない女の子が、無邪気に話しかけてくる。
「一人分だけ買ったってつまんない。二人で食べるからおいしいんだもん。ねえ、いっしょに食べようよ」
「どんなにおいしくても、しょせんはチキンだ」
急にいらいらしてきて、私は冷たい声を出した。
「え?」
「クリスマスに食べるものといえばロースト・ターキーに決まってるだろう。でなければビーフかサーモンのほうがまだましだ」
「ターキー……」
相手がきょとんとしているので説明する。
「七面鳥のことだよ。知らないのか」
「そんなのスーパーで見たことないわ」
「あたりまえだ。この国の人々は、半端な真似ごとしかしてないからな」
かなり挑戦的な言い方だったにもかかわらず、相手は気にしていないようだった。妙にとろんとした目つきで、のんびり訊いてくる。
「シチメンチョウってすごくおいしい?」
「もちろん。丸焼きにしたら、こんなチキンなんて及びもつかないね」
「丸焼き……」
眠たげだった子どもの目がぱっちりしたので、私は思わず続きを説明した。
「頭をおとしたターキーを丸ごとオーブンに入れて焼くのさ」
「えー、頭を……おなかの中身が入ったまんま?」
「中はもちろんくりぬいて、パン粉やらハーブやらといっしょに詰め直す。そして赤いクランベリーソースをかけて食べるんだ。白いブレッドソースでもいい」
「へえ……じゃあもしかして、よその国ではケーキもこんなのとはちがうの?」
指差した先にある白いケーキを、私は鼻であしらうようにして眺めた。
「全然ちがうね。こんなお子様向けの菓子じゃなくて、洋酒がきいた大人の味だ。それにケーキだけじゃなく、クリスマスといえばプディングだ。ドライフルーツとナッツがたっぷり入っている」
「プディングってプリンのこと?」
ふたたび眠たそうな目つきに戻りながら、子どもがたずねる。
「全然、ちがう。プディングってのは、小麦粉を蒸し焼きにして熟成させて……食べる前にはブランデーを……かけて……」
「かけて?」
「………」
不自然なまでに長い沈黙がおりた。女の子が、不思議そうにまばたきする。
「どうしたの?」
「……別に」
「続き、聞かせて。ブランデーをかけて?」
私は返事をしなかった。
ふいに荒っぽい動作で立ち上がると、テーブルを離れて壁際に向かった。くだらないおしゃべりを続けていることが、にわかに耐えがたくなったのだ。
ラジオから流れる音楽は、軽やかな明るいものから、いつのまにかしっとりと大人っぽいアレンジに変化している。
大股で部屋を横切り、スイッチに手をのばして、耐えがたい気分の一端となっている音楽を乱暴に止めた。
「なんて止めちゃうのよ」
女の子の抗議の声が聞こえた。たいして真剣味のある言い方ではなかったが、それでもラジオのそばに寄ってくると、再び電源を入れようとする。
その細い手首を、私はつかんだ。
「つけなくていい」
「どうして?」
「うるさいからさ」
「だって、せっかくステキなムードなのに」
「大人の言うことをきけ! さもないと……」
さもないと、思い出してしまう。いつの時代だったかわからないほど遠い昔の一日を。
いや、もう思い出しているかもしれない──閉じ込めていた記憶のふたが細くひらいて、中のものが見えはじめている。
暖炉の火で暖められた居間に集まる、たくさんの人々。おだやかな笑顔、楽しげな笑い声。それは私の家族と親戚たちだ。
部屋のすみにおかれているクリスマス・ツリーは、ドアの枠を超えるほどに背が高い。オーナメントで飾りつけられた、その姿の美しさは、子どもたちと大人たちによる共同作業のたまものだ。
てっぺんの星は、もちろん台に乗った大人の手でつけられた。小さい子どもたちの無邪気な声が、かわいらしく訴えるのも毎年のことだ。ぼくがやりたい、あたしにやらせて。
飾りつけは前日にすべてすまされて、当日のテーブルに用意されているのは、母お手製のクリスマス・プディング。人々の注目が集まる中、それは均等に切り分けられて各自の皿におかれていく。
その中のどれかひとつには、六ペンス硬貨がかくされている。引き当てた人には幸運がある。今年はいったい誰なのか。
カチン……フォークに当たった小さな感触。みんなが見ている、うれしそうにコインをつまんだ私のことを。
あたたかみのある声が耳元で響く──マイ・リトル・ラッキーボーイ、おめでとう──。
「さもないと」
と、私は言った。記憶のふたを強引に閉じながら、女の子の肩に両手をおくと、顔を間近まで近づけた。
「──仲間にしてしまうよ、お嬢ちゃん」
気圧されたように、子どもが後ろにさがろうとした。私はさがらせなかった。
「私といっしょに生きるかい? きみが言うところの、神様に一番近い種族になれるよ」
「………」
「毎日ふたりで食事をしよう。いろんな国をいっしょにまわろう。あちらこちらをさまよい歩くのも、ふたりでいればきっと楽しい──」
本当のところ、吸血したからといって仲間にできるわけではないことを、私はよく知っている。そんなことができるのなら、この世はねずみ算式にヴァンパイアだらけのはずだ。
もちろん、可能性がないわけではない。私自身が体質を変えたのも、いつだったか人ごみの中で、見知らぬ誰かに咬みつかれたことが原因だった気がするのだから。
だが、その後何度ためしてみても、それを実証することはできなかった。様々な時代に様々な国で、何度ためしても……何度ためしても。
それでよかったのかもしれないと、いまでは私も思っている。自分勝手な試みを、もし成功させていたのなら、祝福されない魂が、さらにふえていただろう。
とはいえ……そんなふうに悟りをひらいた気でいても、ふいに情熱が再燃することはあるものだ。ちょうどいま、小さな女の子相手に試みようとしているように。
「大丈夫、痛くはないよ」
私はやさしく声をかけると、かがみこみながら彼女におおいかぶさっていった。
「じっとするんだ。そうすれば、すぐにすむ──」
女の子は逆らわなかった。じっと私の目をみつめ、私の顔を小さな両手でそっとはさむと、頬に軽いキスをした。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
それから、驚きのあまり頬を押さえながら飛びのいた。
「なっ何をするんだ!」
「何って……誘ってきたのはおじさんでしょお? そんなに驚かなくてもいいじゃない」
女の子が、すねたような口調で言い返す。
「驚くに決まってるだろう!」
「何でよー、自分から仕掛けてきたくせに」
「仕掛けて?」
「相手があたしじゃ不足だって言うのお?」
目つきがすわってしまっている。
先ほどからまぶたが重そうだったのは、満腹で眠いせいかと思っていたが、この目つき、そしてこの口調。これは……。
私はすばやくテーブルのほうを振り向き、彼女の席におかれたワイングラスに、赤ワインがなみなみとつがれているのを見出した。
そのグラス自体は私が、というのか私の下心が、用意させたものである。一口程度の分量を、一度だけ子どもについであげた覚えもある。
だが、しかし。
「わっ、いつのまにかこんなに減ってる! まさか、きみが勝手に飲んだのか」
ワインボトルを確認して、私は思わず大声をあげた。
なんと半分近くも減っているではないか。私自身はシャンパンしか飲んでいないというのに……。
「おいしいねー。おじさんもどうよ、一杯」
どことなくあぶなっかしい足取りで歩いてくると、彼女は機嫌を直した顔でふたたび自分の席にすわった。急速にアルコールがまわってきたのか、すっかり上気した頬は薔薇色だ。
「未成年が何を言う。そんなに酔っぱらったら家に帰るのに困るだろう!」
「へえ、帰してくれるつもりなんだあ。仲間にするんじゃなかったの?」
「やめだ、やめ!」
「なんでー? 遠慮しなくていいのにー」
「軽々しく言うんじゃない。パパとママが悲しむぞ」
「だから悲しまないったらあ」
「いーや! きっと悲しむ」
「うふふ」
女の子はヘラヘラ笑うと、さらにご機嫌な態度になって、ワインボトルを手にとった。
「さあさあ、グラスを出して。今夜はいっしょに飲み明かしましょうよ、やさしいヴァンパイアさん」
こんなに幼い相手からアルコールをついでもらうなど、私の長い人生の中でも、はじめての経験であったにちがいない。