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だからといって、私が子どもに情をうつしたなどとは思わないでいただきたい。
徒歩で十分ほどいったところにあるマンションに、彼女をつれていったのは、下心があってのことなのだ。
自分から部屋に上がりこみたいと申し出てくれる女性なんて、考えてみると願ってもない存在ではないか。ちょっと、いやかなり若すぎる気もするが……。
だが、やはり早計だったかもしれない。エレベーターで高層階に上がり、女の子を自室に招き入れた私は、早くも後悔しはじめていた。
コートを脱いで身軽な格好になった彼女は、口のほうまで一段と軽やかだった。あちらこちらをのぞいては、いちいち正直な感想を述べてまわる。
「えー、ずいぶん殺風景な部屋なんだ。ヴァンパイアのお部屋って、もっとこう優雅でゴージャスで、薔薇の花がいっぱいかと思ってたのに……」
「勝手にイメージしないでくれ」
私の部屋は、シックなモノトーンを基調として、スタイリッシュにまとめられている。生花はもちろん、生活感が出るようなものもできる限りおかない主義だ。
まあ、お子様にはわからないセンスかもしれないが。
「あれえ、ベッド? 棺桶で寝るんじゃないの?」
「いつの時代の話だ」
「ツリーがどこにもないじゃない。クリスマスだってのに、飾りつけしてくれる彼女もいないわけ?」
「いたら、きみなんかつれてくるか」
「それもそうね」
女の子は呟いてから、気を取り直したように今度はキッチンへと足を向けた。
「あ、でも、ケーキくらいはちゃんとあるよね? それにもちろんチキンとかも……」
などと言いながら、人の冷蔵庫をことわりもせず勝手に開ける。なんて、こまっしゃくれた子どもだろう。下心のためとはいえ、やはりつれてこなければよかったか……。
だが幸いなことに、そのとき冷蔵庫の中に入っていたのは、おしゃべりな女の子を黙らせるにふさわしい品だった。
輸血用の血液パック──つまり血液製剤の山である。ちょうど補充したばかりだったのだ。
血液製剤というのは、一般ではなかなか手に入らない品だが、まったく無理というわけではない。たとえば私は、さる筋の病院に保管されているものを、さる筋の人間からときどきゆずり受けている。
さる筋とは、ヤのつく職業がらみという意味だ。保険証がなくても受診できる病院には、赤血球製剤だろうが血小板製剤だろうが、なんでもそろっていて重宝する。
なぜ私が、そんな分野に足を踏み入れているかといえば──あまり語りたくはないが──血気盛んなお兄さんを少々おどかしてみたり、欲求不満のお姉さんを少々、いやいっぱい満足させてみたり……。
実は、今日めずらしく不便な時間に外出していた理由も、それだった。やはりときどき顔を合わせておかないと、効果が薄れるのだ。
そんな事情を知りもしない女の子は、まじまじとパックの山を眺めたあと、いったん冷蔵庫のドアをしめた。
それからまた、おそるおそる開き、再び青ざめた顔でそれをみつめた。
「……なんなの、これ」
「血液」
「何するの」
「飲むのさ、無論」
庫内の冷気が流れ出して、子どもの顔に当たる。その顔に怯えの色を走らせながら、彼女は私を見上げた。
「言っただろ? ヴァンパイアだって」
「……こんなのがおいしいの?」
「悪くはないが、生き血にくらべれば落ちるね。きみのほうが、はるかにおいしそうだ」
私は、彼女に寄りかかるようにして手をのばすと、冷蔵庫のドアを閉めた。
私たちはみつめあった。
オフホワイトのコートの下に女の子が着ていたのは、同じように白くてシンプルなワンピースだった。色白の肌とふんわりした長い髪の彼女には、とてもよく似合っている。
あどけない顔と、むきだしの細い首。唇をつければ、さぞかしやわらかいことだろう。
こんなに若い娘の生き血なんて、それこそ何十年ぶりのことか──。
私はやさしい声で、静かにたずねた。
「……こわい?」
「………」
「味見してもいいかい……?」
子どもの家庭事情は、先ほど教えてもらった。この子が今晩帰らなくても、誰も気にしたりしないのだ。心ゆくまで、じっくり味わってもいいのだ。
そう、じっくり、ゆっくりと……。
身をかがめ、硬直している女の子の首に吸い寄せられていった、そのとき。突然、強烈な臭気が鼻孔をおそって、私をのけぞらせた。これは……!
「ひっひっ昼に何を食べた!」
「え? えーとギョーザとレバニラ炒めと……」
夢からさめたような顔つきで、女の子がきょとんと答える。
「でも匂わないでしょ。お店の人、大丈夫だって言ってたもん」
「その店員は花粉症だ」
「えー、十二月なのに……まあいいや。匂いなんてきっと、ケーキ食べれば消えちゃうから」
冷蔵庫内の記憶がなくなったかのように、元気を取り戻した態度で私をのぞきこんでくる。怯えていたはずなのに、おかしい。
「さあ、ケーキを出して。ほかの場所にかくしてるんでしょ」
「かくしてない。そんなもの、買ったことなどないからな」
「ない?」
「ない」
「クリスマスなのにケーキがない?」
いきなり叫ぶように言うと、女の子はよろめいた。さっき血液を発見したときより、どういうわけか、よほど動揺しているように見える。
「うそでしょう、ケーキがないなんて、ないなんて。ああ、あたしってなんて不幸な子どもなの。ようやくありつけると思ったのに、クリスマスケーキがないなんてー!」