始まってる始まりの話 1-1
『何かにお困りの際は、是非「万屋部」にご相談を。
なんでも無償で迅速に解決いたします。
連絡 校内に設置してある専用電話から「064」にダイアル
外部からは電話で「×××ー×××ー××××」まで
※直接部活に乗り込んでこないでね※
受付曜日 月・水・金
※緊急の場合のみ他の曜日受付【要相談】※
受付時間 HR終了後の放課後〜夕方六時まで
本部 文化部専用部室棟三階右奥「万屋部」部室内
責任者 三年 翠 智弥』
という張り紙の下にうそくさく学校の廊下に似合わない可愛い電話が一つ。デザイン電話とでも言うのか、学校の廊下にはいささか不似合で浮いている、洒落た形のものが堂々と置かれているのだ。よく見れば学校公認のシールが所在な下げに貼られているので、あながち違反しているわけではないらしい。というかこの部活をこの学校で知らない人間がいない。地域一帯にさえ知れ渡って居る評判のいい何でも屋的な部活。言って承諾さえしてもらえば何でも完璧にこなしてくれるという。知らない人も利用しない人もいない。
そんな部活の張り紙と電話の前に一人の女子生徒が、今にも失神しそうなくらいの青い顔をして立っていた。
「これで、これでダメだったら……でも、」
などと小さな声で呟きながら受話器を取り上げずに握りしめている。左腕につけている腕時計を気にしながら女子生徒は電話の前で固まっている。時計はもうすぐ六時になろうとしているのだ。早くしないと繋がらなくなる。だけど受話器を取る勇気が出ない。今悩んでいることについて相談できる自信がない。
受話器から手を離して深呼吸を一回する。いつもは賑やかでうるさい廊下もひっそりと冷たい空気で埋め尽くされていた。誰も居ない静かな廊下に自分の呼吸音が響く。腕時計の針が小さな音を出してまた一つ進んだ。
「だけど、もう……」
青ざめた顔でもう一度受話器を握って、今度はそれをしっかりと取り上げた。そして、小刻みに震える指で電話の前にある張り紙に書かれているダイアルを押す。電話のボタンは変に柔らかかった。
〜♪
部室の電話が高らかに鳴り始めた。
ダイアルの上についている小さな画面に、どこの電話からかけて来ているかの場所の表示と、電話をかけてきた人の顔が映し出された。だが誰も見ない。
「おいっ。智弥、電話」
「ちょ、今無理ぃ」
「ざけんな!さっさと取りやがれ」
「今、明日の昼ご飯代賭けて十夜とジェンガしてんだよっ。知捺取って」
「今月の決算誰がしてると思ってんだ!てめぇ馬鹿ぬかすなら存在消すぞ」
文化部専用部室棟三階右奥三つ目の扉の中。万屋部の面々はそれぞれの業務に勤しんでいるようでもなかった。もう終わりがけのこの時間。大体の依頼は片が付いており、その日の疲れを取っている最中だったり、事務仕事に追われていたりしているのがいつもだ。そんな最中に鳴る電話を誰も取りたがらない。というか、電話を取る係は智弥と知捺の二人だったりするので他の部員が取ることは絶対にない。
「終了時間までほっとこうよ〜。もう終わりじゃんかぁ」
「信用、信頼第一とかぬかしてんのはどこの誰だ?客減ったら赤字に拍車がかかんだろうがぼけっ。ジェンガ崩すぞ」
「嫌だ!んだよ〜電話取ればいいんだろ。十夜ジェンガキープ」
「おーぅ」
「さっさとしろ」
ぶつくさ言いながら近くで鳴り続けている受話器を取る。瞬間、ふ抜けていた顔に力が入た。画面を確認して、そこから取れるだけの情報を取って、ふと隣に座っている十夜が両腕でジェンガを抑えているのを見た。
「長らくお待たせいたしました。お電話ありがとうございます。万屋部です。学年組名前をお願いいたします」
定型の挨拶を慣れたように言いきって、相手の返事を待つ。が、
……。
受話器の向こうからは小さく野球部らしい掛け声と、電話特有の機械音しか聞こえてこず、いくら待っても人の声は返ってこない。だけど人が受話器を持っているらしいことは、はっきりしている。小さくだが荒い息だけは聞こえているのだった。それに画面にもしっかりと女子生徒の消沈した姿は映っている。制服のリボンに緑色のラインが入っているので二年の女子生徒だ。
「もしもし、大丈夫ですか?」
智弥のこの言葉に部員がそれぞれがしていた作業をやめて顔をあげた。どうにもおかしいらしい状況に、全員が智弥を見つめる。それに視線だけを返して、近くにあるメモ用紙に智弥はシャーペンを走らせ始めた。
「あの、どうかしましたか?名前だけでも伺えないでしょうか?」
言いながら隣でジェンガを両手で支えている十夜にメモ用紙を千切って渡す。
【二年 斎藤 十夜は個人ファイル確認/知捺と揺奈は一般教室棟三階西へ 依頼者の保護 三人で部室へ】
と走り書きされていた。それを渡された十夜が読んで、急いで知捺に渡した。そしてジェンガからそっと手を放して、部室の壁一面にあるファイルがごちゃまぜに突っ込まれている棚に向かう。その隣に並ぶようにもう一人、長い後ろ髪を一つに結んでいる男子部員が手伝いを始めた。メモ用紙を横から覗き込んだらしかった。
「あの?」
電話からは相変わらずの沈黙しか聞こえてこない。どうしたものかと思案しているところに、電話をかけてきた女子生徒が口を開いたのを画面がとらえた。
『たす、けて下さい。もうどうしたら良いか、解んないんですっ』
かろうじて聞こえるほどの小さい声を生徒は絞り出して言った。同時に部員二人が部室から出て行った。
「わかりました。今、そちらに部員が二人向かっているので合流したら部員の案内に従って部室まで来て下さい。すいませんが、学年組名前を伺ってよろしいですか?」
『……二年一組の、斎藤、です』
智弥が画面で確認した通りの学年と名前を言った。聞かなくても画面にはっきり映っている名札。見ればわかるのだが、たまに名札を交換しているという不思議なことをしている生徒がいるのだ。個人情報をある程度持っているこの部活に関して、そういうことは一切関係ないのだが作業効率を上げるためと、電話近くに忍ばせているカメラに気がつかれないために聞いているのだった。
「斎藤さんですね。わかりました。ありがとうございます。では、一旦電話を切りますね。部員と合流したら部室までお越し下さい」
『……ゎ、わかりました』
「はい。それでは」
言って、そっと電話を置いた。それを見計らっていたように十夜が一冊のファイルを開いて智弥に手渡した。開かれているページには『斎藤 理乃』という生徒の個人情報が書かれている。先ほど電話をかけてきた生徒のものだった。それに素早く目を通して行き、すぐに十夜に返した。
「斎藤さん、学校にいらしていたのですね?」
「ん?それどういうこと」
部室のど真ん中にあるでかい机の上を簡単に片づけていた女子部員が、十夜が棚に戻しているファイルを見つめながら言った。少しだけ眉をよせて首を傾げながら考えて、智弥を向いた。
「彼女、私と同じクラスなんですけれど、この頃学校をお休みしているんです。一応風邪ということになっているようですが、近しい友人には両親を探していると、そう言ってあるそうです。さらにどうも、家には帰宅しておらず、友人の家々を転々と泊まっているようです」
程なくして、部員二人が帰ってきて女子生徒、今回の依頼主である斎藤も部室に姿を現した。