戦争と平和の【最小公倍数】2
彼女はどうにも言葉数が少ない。無駄口を叩かないと言えば聞こえはいいかもしれないが、会話になると今度は丁寧すぎる。だいたい『私は』『あなたは』『これは』から始まったりする。これが、フィットは特に癪に障るらしい。いつだったか、『喋らないくせに自己主張が激しい』と、別の隊の同僚に愚痴っていたのを耳にした。
かと思えば『尋ね人』とか『広い』など、単語だけで返答したりもする。機嫌の問題なのか、単に彼女はそういう人間なのか。よく分からん。
アテンザは一体、何を見つけて一人で向かったのか。ファイアハッピーやそれ以外の過激派の一味がいる痕跡でも見つけたなら、確かに一人は待機し、一人は応援を呼んだほうがいいのかもしれない。
が、いくら口数が少ないとはいえ、最低限の意思疎通が出来ないわけじゃなかった。そんな重要な伝達をしないとは思えない。
アテンザが走っていったらしい倉庫街の、人が三人横に並べるほどの道の、左右を、後ろを、もう一度左右を確認し、進んでいく。番号の振られた以外は同じ造形の、迷路のような隙間を縫っていく。
――――徐々に、女の声が聞こえた。誰かいる。アテンザ、ではないな。他の部隊の誰かか? 耳を澄ませ、声のするほうへ、倉庫の壁伝いに忍び足で辿っていく。決して広くない路地だ。少しでも顔を覗かせるのは危険だ。声は次第に、はっきりと、輪郭が分かるくらいに聞こえてきた、が。
「オールエー。オーウィシーアリスト、オーアテンザレスグァーディー」
「…………」
「エスタスオンジーニナエム。マイウォンクオーウィ、ディーナアテンザリス」
……何語だ? 分からない。それに────アテンザ? 呪文のような言葉の中に、それだけ聞き取れてしまった。いや、単に言葉の組み合わせでそう聞こえるだけか。
「…………オーレアオーウィー」
「……!」
耳を疑う、とは、まさに今この時のことだと思った。
言葉は分からないが、この声は知っている。紛れもなく、アテンザの声だ。アテンザが、呪文のような言葉を、当然のようにすらすらと唱えた。
「ワイエムエマンカリーナポーコ。マイルオイレザフエタニディーロブス」
「…………イラッセッシェンヌ」
「チセオディートンクロゥ」
「…………イーゥ」
言葉尻や語気から察するに、アテンザはいつも通りだ。淡々と返答をしている。倉庫の壁の影からでは足元しか見えないが、相手の女が、命令に近いような強い口調で喋っている。言葉の長さからしても、相手の女のほうがアテンザに一方的に用件があるように感じる。あるいはその逆か。
…………。
いやいや、何故逆だと考えた? 何故アテンザが異国語を喋る相手の女とさも繋がっていると推測した? そんなはずはない。アテンザはたまたまこの異国語を知っていただけかもしれない。そうだ、普段の会話だって淡々としていて、今とそう変わりない。
「……リウィトンエヌルター」
今度はアテンザのほうから話しかけている。
「エヴァヒジーニソンオットオディシゥオーウィディナワイエムレザフ」
普段しないくらい長い台詞を。
何故だ。何故こんな時に限ってそんな、らしくないほど長々と喋っている。いつもそうじゃないだろう。いつもはもっと、短い言葉で話したり、古語をそのまま訳したような、教科書のような言葉じゃないか。
「…………」
教科書のような。
そうだ。この国の――――ストーリア語だって、ストーリア以外の国では外国語だ。もし外国語として、教本で覚えたものをそのまま使っていたなら、ああいう口調になるのか。
そう考えた途端、今までのアテンザの口調や、たまに発する妙な言い回し、そして今の状況に、辻褄は合う。
辻褄は、合う、が。
「コー。ネス、リウィ!」
相手の女の声だ。急に語気が強くなったと思うと、次にザッと土を蹴る音、それから、金属同士がぶつかるような甲高い音が、声の代わりのように何度も鳴り響く。察するに、剣で戦っているのか? この場からでは状況はおろか、相手の女の影も形も見えてはいない。
応援に入るべきなのか。いや、この狭さだ。かえって動きを制限される。周りを見渡すが、まだ人はいない。しかしいずれはこの音を聞きつけられる可能性がある。どうする。
そうこうしているうちに、金属音がこちらに近づき大きくなる。まずい。離れ――――
「ッ!」
二歩ほど離れた、その瞬間、路地から影が飛び出し、十字の道の真ん中で転がった。
アテンザだ。俯せに倒れ、腹部を押さえながら立ち上がろうとしているが、倒れた地面には赤い影があった。傷か。
呼びかけそうになるのをこらえようと、した。
「レゥ、ヌース…………あ」
もう一人の女も、すっと姿を出してきてしまった。
やばい、と思う間もなかったろう。すぐさま俺も手持ちの剣を抜いて、無言で振り下ろされる刃を止めた。それに対してなのか、女は口笛を吹いた。
「やかましい!」
振り払って剣を弾くと、相手の女も弾いた勢いで後ろに一歩下がった。
真っ白な制服。この服には何故か既視感がある。そして、海兵のような平たい帽子。薄い赤毛を胸元で巻いている。かなり派手だが、金色の目は動物のそれのように、針のように突き刺さる。
目の前には謎の女。アテンザはその斜め後ろだ。立てるか? なんでもいい。理由は後だ。この隙に逃げるなり女の背後を取るなりしてくれ。
「お嬢ちゃん! 大丈夫かい!」
ふとする声。なんだ?
この声は、確か。
ドタドタと大きな駆け足の音だけが聞こえる。
「お嬢ちゃん、ちょっと待ってな。止血してやっから!」
「……オリジンさん、どうしてここにいるんですか?」
「話は後だ、後! ほれ、腕あげな!」
あの男……! オリジン氏じゃないか!
「なっ――――」
駆け寄ろうとすると女がそれを止めるように、左手を刃の背中に添えて、押さえつけるように剣を振る。耳に突き刺さる音で、剣と剣が鳴る。受け止めたが今度は弾き返せない。
「よしできた。さあお嬢ちゃん、こっちだ」
「えっ」
おい。あの男どこへ――――
「よっと」
「うわっ」
急に女は途端に剣を引っ込めた。ので俺も入れていたちからのまま前のめりになった。
一度は引っ込めたが、まだ構えている。
もう完全にあの二人の行方は分からないが、会話を聞くに、応急処置だけ済んで、自分がいた避難先にでも連れて行ったんだろう。
「えー、こほん」
女は咳払いをした。なんだ?
「ストーリア語は初めてなの。優しくしてね」
既に間違ってる気がする。
「あなた、私に聞きたいことがあるんでしょう? 私から話してあげる。私は、アリスト・アテンザを回収しに来たの」
「何?」
回収? アテンザを?
「あなたはあの子の上司? 頭良さそう。格好もいいし。勘付いてるかもしれないけど、あの子はうちの――――アルテッツァ人。どうやってこっちに入ったか知らないけど、ストーリア人じゃないわ」
「…………」
勘付いていた。
いや、感じていただけで確信はなかった。
いや、確信したくはなかった。
いるかも分からない人間を探すために、文字通り実力で成績を修めて、訓練学校の卒業資格を得て、うちに来た。
そんな人間が。
「もう少しでスパイを捕まえられたのに、残念ながら」
「中佐! ご無事ですか!」
「コンフォート!」
声に振り向くと、コンフォートが、ランサーやフィットを連れてきた。と同時に、銃声が前方から発せられ、三人は一度足を止めた。
「驚いた? 私、両利きなの」
もう一度前を見ると、女は右手に剣を、左手に拳銃を持っていた。
「残念ながら、あなたはスパイを見つけて大手柄を得られないでしょう。そして、スパイが身近にいたのに逃げられたと言われて、偉い人に怒られてしまうのでしょう」
あざ笑うように、いや、確かにあざ笑って、女は銃をしまい、その手で黒い仰々しい物体を取り出した。
手榴弾!
「早く後ろに!」
俺よりランサー大尉の方が早かった。目を離したくなかった俺は、後ずさる形で女と距離を取ったが、女はピンを外したそれを、こちらに投げつけず、足下に転がした。まもなく爆発し、結局俺は、火の粉や煙から身を防いだせいで、女がどの方向へ逃亡したか見逃してしまった。