戦争と平和の【最小公倍数】6
「アテンザ。ものの場所と、建物内の各部屋の場所は覚えたか?」
「はい」
彼女の返事は決まって『はい』か『いいえ』の二択だ。簡潔で無駄なことを言わない分にはいいか。
「そうか。そろそろ別の仕事を教える。通常の、書類の紐付けと整理と違って、毎日やるような仕事ではないが、覚えないといけない仕事だからな」
「分かりました」
二週間。
他の三名と比べると、これでもかというくらい口数が少ない。アテンザ以外は全員、元からこの部署にいる人間なので、我々が馴れ合いすぎかもしれないが。
数少ない同性だからと、ランサーは昼食に誘って食堂で食べたりしているが。そのランサーとすら会話の数は全く、本当に全く増えてないらしく、ランサーは『話しかけたら返してはくれるから、自分から話題を切り出すのが苦手なだけなのかも』と言っていた。それを聞いたフィットは『ランサー大尉に気を遣わせるなんて生意気にもほどがある!』と息巻いていた。コンフォートは『まあ最初はそんなものじゃないですか? 僕も入隊したてはあんな感じだったと思いますよ。あまり喋らなかったりとか』と言った。最後のコンフォートの言葉には、全員が首を横に振った。
アテンザと紙の束を連れて、一度作業部屋を離れる。廊下を歩く人間はあまりいない。すれ違ったらお疲れ様ですと、一言掛け合う。
「アテンザ」
「はい」
「仕事は慣れたか?」
「はい」
「そうか」
確かに返事はしてくれるが、会話しがいがないな……。
「アテンザのところも、軍事関係の家柄か?」
「いいえ。私は両親を既に持っていません」
既に持っていない? 昔に死んだということか。直接的な言い方を避けているにしたって、変わった表現をするものだ。
「そうだったのか。俺やランサーなんかは、代々軍務関係の仕事する家柄でな。伝統と言えば聞こえはいいが、俺は、自分の名前に奴隷にされているように感じる」
「……フォワード中佐にとって、この仕事は嫌な仕事ですか?」
「ふっ……ははは! 直球だな」
あまりにも素直な疑問に笑い出してしまった。何故かアテンザはほっとため息をついた。俺が怒るとでも思ったんだろうか。
「本当に最初の頃は、確かに嫌だったな。十八の時に、親に脅されるようにして入った。間の悪いことに、すぐ前線に参加させられた。……十八の頃だから九年前か。ひょっとしたらアテンザは知らないかもな」
若いから、という意味で笑いながら言ったのだが、今度は目を反らされた。駄目だ。会話のツボが全く分からない。
「まあ、あれだ。前線といっても、俺はちょっとズルをしてな」
「ズル?」
「ああ。敵陣に向かって単独で進む振りをして、実はずっと隠れてた」
「隠れてた」
「自分でも情けないとは思ってるぞ、今でも」
「……今でも?」
「ああ。あまり詳しくは言えないがな。苦い思い出ってやつだよ。アテンザはどうなんだ? 出稼ぎに選ぶような職業じゃないだろう」
訊ねると、虚空を見ながら小さくうーんと唸った。さっきの変な表現といい、また婉曲な言い方をしようと言葉を選んでいるのだろう。
「私も詳しくは言えないのですが」
「ああ」
「尋ね人」
「尋ね人? あー、人を探しているってことか」
「はい。……尋ね人という言葉は変ですか?」
苦笑気味にいいやと答えた。文脈によってはアテンザ本人が尋ね人として行方を捜されているというふうにも捉えられそうだが、わざわざ言うのもなんだろう。廊下を左右に分かれるところまで来て、左だと言って促す。
「人を探しに、わざわざ?」
「はい」
「名前は?」
「分かりません」
「ここに所属しているのか?」
「分かりません」
「歳は?」
「分かりません」
「男か?」
「多分」
「そもそもその人は軍人なのか?」
「その時は軍人でした」
「今も軍人なのか?」
「分かりません」
「…………一応聞くが、生きているのか?」
「分かりません」
「…………お前…………」
それ以上はもう出る言葉がなかった。言葉のほうが先に呆れて俺の口から出ていったような気分だ。
親に脅されて、という俺の入隊理由も大概だが、こいつは飛び抜けて信じられない理由だ。当時は軍人だったから、今も生きていて更に軍人を続けていれば、という、文字通り、万の一つの希望的観測でもって入隊した、と。
かつて軍人だった、今も軍人かもしれない、男かもしれない人物――――この国にどれだけ該当する人物がいると思うのか。探したいと言っている本人が、その素性を何も知らないのでは話にならない。その上で、なんということもなく『分かりませんが何か?』と言わんばかりの顔で言うものだ。
「純粋と言うべきか阿呆と言うべきか」
そう言った頃、資料室に着いた。扉を開ければ、一面本棚だ。収納されているのは本ではなく、用済みになったが、後で必要になるときがあるかもしれないという理由で寝かせられている紙の束だ。書類もやがては資料になる。
「先月の予算申請や活動報告、必要な設備や雑貨の在庫と申請数と補充後の在庫数、その他もろもろ、月ごとにまとめて、月が変わったらここに、部隊ごとに保管するんだ。俺たちの部隊は、一番左から数えて二列目の、三番目の棚だ」
「分かりました」
持っていた書類のいくつかをアテンザに持たせ、内容の種類ごとに、新しい日付が一番上に来るように重ねて、まとめさせる。
「こういった感じだ。今後のために一応、という形で保管するだけだから、たいしたことではない。気になることはあるか?」
「ここにある資料を見ることはできますか?」
「ああ、もちろん。そのための資料室だからな。他の部隊のも見て構わん」
「昔の資料もありますか?」
「あるが、一年ごとに片付ける。去年より前の分は全て別の倉庫だ」
「別の倉庫?」
「入隊日に教えなかったか? 地下にある、一番大きい扉の部屋だ。気になるなら見に行くか?」
「はい」
なら早速と、すぐさま資料室を出て、地下へ行く階段を目指す。
まさか昔の資料に興味を示すとは思わなかった。
「例の尋ね人のことでも調べるのか?」
「念のために」
「名前も年齢も知らないんじゃなかったのか? ここにあるのは、あくまでこの地域の所属の部隊だけで、全部隊の資料はないぞ」
「知っています」
「ならいいが」
元々、砂粒ほどの手がかりでここまで来るような奴だ。あれば理想だがなくても仕方がないというのは承知だろう。
地下への階段は、この建物の正面玄関とは真反対だが、資料室からは近い。どうせいずれはこの地下に眠らせるんだ。近い方がいい。
「階段に明かりはなくてな。一番下までは暗いから、足元に気をつけろよ」
「はい」
地上から差し込む明かりの、壁から段差へ反射するおこぼれの光。それも徐々に費え、やがて言葉よりも暗く感じるような闇になるが、この闇は一瞬だ。
靴底から感じる、性質の違う床から鳴る自分の足音で、地下に着いたと分かる。
「ちょっと待っててくれ」
「はい」
確かこのあたりだったと、壁に手のひらを這わせていく。すると、突起物にぶつかり、これだと、そのスイッチを切り替える。ただ明かりを点けただけにしては仰々しい音で、そこら一帯が明るくなった。目の前には、めまいがしそうなほどの数の、横にも縦にも大きい鉄の箱たちだ。
明るくなるのを待って降りてきたアテンザが、右に左にと首を動かしている。
「広い」
「ああ、広いし量も多いが、さっきの資料室と配置は同じだ。鍵が掛かっているが、俺たちの執務室の鍵の管理番号と同じだ。必要なら他のも開けれるように親鍵を借りてくるが」
「いいえ。時間がかかるので、今日は中佐の隊の分だけで大丈夫です」
「そうか? じゃあ、俺は先に戻ってるから、明かりを消すのだけ忘れないようにな。そのほうがゆっくり読めるだろ」
「ありがとうございます」
言うなり、アテンザはそこで寝ている資料を起こしに向かった。無事に鍵を開けたのを確認し、俺はまた、今度は上と下でぼんやり明るくなった階段を上がっていった。
自分の名前に両手両足を繋がれて入った俺。アテンザは、目的こそぼんやりしているが、少なくとも自分の意思で来たことだけは確からしい。お互い不純な理由だが、理由なんてそんなものだろう。元来た廊下を歩きながら、アテンザの努力が一手間分でも報われればいいと思う。