戦争と平和の【多角数定理】10
それからしばらくのヴォルツは、かつてのアテンザ大佐の時のように、何かの薬品や小道具を発注したり、誰よりも早く帰ったりした。どうやら本格的に例の研究を自分の物にするらしかった。
果たしていつになるかと待ちわびていたら、それは六年もの歳月を要した。
そして、ヴォルツはあたしを含めた自分の部下の何人かを呼び出した。しおらしいことに、亡くなったアテンザ大佐の遺志を継ぐため、独自に研究を続けているので、協力してほしいと宣った。
その本題は、採血および提供してほしいということだった。まずい。
あたしが最初に読んだ資料は、研究動機、完成図案、使用方法だけだ。それ以降の進捗は知らない。が、すでにある程度研究を進めてきて、その上で採血の協力を求めている。確実にアテンザ大佐の自宅の資料は読んでいるはずだ。更にはあたしまで呼び出している。あの時資料を処分しなかった自分を褒めたいところだけど。
「無理は重々承知だ。でも頼む! 協力してくれ!」
「ヴォルツ大佐がそこまで言うなら……分かりました。自分は手伝います!」
「俺も! 俺たちに手を合わせるなんてよっぽどのことでしょうし」
「ありがとう二人とも! ポーコはどうだ?」
「…………んー? そうねぇ?」
「なんだ? アテンザ大佐の時と随分温度差があるじゃないか」
ちらりと目を反らし、咳払いしつつ矛先も逸らす。
「大佐の遺志を継ぐって言うなら、大佐の娘に直接お願いすればいいじゃない。駄目なの?」
「僕も一番にそう思って所在を調べたけど、今年の誕生日を迎えてすぐに国を発ったそうだ」
「国外に?」
「外国に興味があるから、外国語を習いつつ、外国で仕事を探すらしい。親族から直接聞いた。だからこうやって頼んでるんじゃないか」
「そ、そう……」
あの時アテンザ大佐と一緒に居て、おそらくは目の前で父親が死ぬ瞬間を見てしまった、迷子扱いされた、あの女の子が。
「申し訳ないけど、あたしは遠慮させてもらうわ」
「な、なんでだよ」
「ヴォルツには言ってなかったと思うけど、ほら、いつかの火力過剰のせいで発砲直後は耳が麻痺するってやつ、あったじゃない? あれのせいであたし、目の前で隊員の頭が吹っ飛ぶところ見ちゃってさ……まだ結構キてるのよねー……」
「そ、そうか……さすがのポーコでも、目の前で見たとなると精神的にくるものがあるんだな」
「一言余計に聞こえたけど、まあそんなところよ。悪いけど」
「うん、引退しても戦場での光景が夢に出たり幻覚に見たりして、まともな生活を送れないっていうのはよくある話だしな。そういうことなら仕方ない」
六年前のことじゃないかと返されるかと思ったけど、意外とすんなり。
アテンザ大佐の娘さん、誕生日を迎えてすぐ国外へ発ったということは、十五歳だ。
北のエスティマは十三歳、東のストーリアは知らないが、アルテッツァは十五歳で成人扱いされ、利益のために働く権利と、働く場所を選び住居を変更する権利を与えられる。それを行使したんだろう。十四歳未満は、学業以外の理由で、親族の同伴なしで居住区を出ることは禁じられているから。
けど、十五歳を迎えてすぐというのが気に掛かる。普通は労働訓練を受けてから仕事を探す。実際に働けるのは、早くても十六歳だ。
てっきり軍人の父を失った報復のために、同じ軍人になるのかなーなんて考えていたのだけど。報復なんて考えてないのか。いや、会ってすぐに殺されたと証言したと、あたしは確かに聞いた。いかにアテンザ大佐の、スタンザの娘であったとしても、当時のあの幼さで、父親を殺した敵を恨まないでいられるのか。
まあ殺したのはヴォルツだけど。
……味方に殺されたことを知ってた? いやいや。あの時間帯の、しかも雑木林の中で、そんなの分かるわけない。
あたしは考えるのを辞めた。
進展があればまた報告すると言って、ヴォルツは意気揚々と解散した。おめでたい奴。でもアテンザ大佐の最初の実験の採血があたしだとバレなかったのは幸いだ。
今までもそうしてきたけど、一度あの研究に関わってしまっている以上、念入りに気をつけないと。特に出血。




