戦争と平和の【連立方程式】1
翌朝。僕は普段より早く家を出た。もちろん、実験の下準備の確認もある。昨日のうちに済ませてあると分かってはいるが。
それからもうひとつ。できれば誰にも知られずに確認したかったこと。
「…………」
地下の収容所。檻と石壁で区切られているだけの狭い領域に、憎むべきストーリア軍の制服。既にある毛布は使わずに、その上着を代わりにかぶって寝ている。
アリスト・アテンザ。
冷静に考えれば、可哀想な子だと思う。あんな父親の娘に産まれてさえこなければ、彼女は今頃アルテッツァの白い制服を着ていて、こんな場所にはいなかったろうに。
だが、もし今日の実験が成功すれば、彼女は元に戻るんだ。正しく、あるべき、アルテッツァの人間に戻る。
そうだ、他のスタンザと称される者たちも、きっと可哀想な者たちなのだ。僕がアルト様の子として救わねば。そうすればおのずと、アルト様の偉大さも証明されるだろう。
「朝食は運んでおいたわ。その後すぐ?」
「ああ。もう薬はほとんど完成しているんだ。あとは成果を出すだけさ。早く見たいじゃないか」
「まあね」
実験室で、僕とポーコと、実験の過程を見届けるための部下が二名。
「意図的に幻覚作用を起こす、ねぇ」
「なんだ? 僕の研究を疑うのか?」
「いえ。でも元はといえば、アテンザ大佐の遺物でしょ? スタンザかどうとか、アルト様の正体がどうとか言ってなかったっけ? なんか違うの?」
「お前本当に僕の話聞いてないな」
「だってあんまり興味ないもーん」
アトラス・アテンザが秘密裏に研究をしていると噂を流した張本人がよく言う。
「別にいいじゃん、放っておけば」
「よくない! 現に、スタンザだったアトラス・アテンザは、この薬でアルテッツァの人間に幻覚を見せて混乱を招こうとしていたんだぞ」
概念だけの、偶像信仰ではない我々のそれを逆手にとって、他人には見えないそれがアルト様だと思わせ混乱させる。恐ろしい計画だ。
それを阻止できた上、奴の研究を改良して、スタンザを事実上一掃するものを、この僕が作り上げたのだ。きちんと結果を出したときには、それ相応の報酬を期待してもいいだろう。
ポーコが少し呆れ気味にしていると、扉の外から駆け足で近づいてくる音がする。
「失礼いたします、ヴォルツ大佐!」
「どうした」
扉は開き、ポーコの部下の兵が顔を見せた。
「アリスト・アテンザが、脱走しました!」
「何ッ!」
どういうことだ。見張りは何をしている!
「現在、二名が追いかけております」
「くっそ!」
ここまで来て! なお抵抗するか、スタンザの娘! どうやって脱出したのか気にはなるが、今はそれどころじゃない。早く捕まえなければ!
「お前たちはここにいろ! 行くぞポーコ! お前の部下も連れてこい!」
「ええ、分かったわ」
こうなったら、僕自ら、この手であの娘を引きずってきてやる。
ここに連れてきさえすればいいんだ。死ななければいい。腰に下げた剣と、拳銃の存在を確認し、僕は部屋の外に出た。




