戦争と平和の【因数分解】2
すでに展開されている対象を、別の対象(=因数 ) に分解する。
それは、後に第一次国境線戦争と呼ばれる紛争のことだった。
私は九歳で、母はいなくて、父は軍人だった。
隣国ストーリアとの、領土拡大のための国境線争いが始まり、父は戦いに、私は親戚の大人に連れられて別の町へ行った。
けれど、幼かった私は、何故父がいなくて、何故知らない町の知らない家にいるのか、よく分からなかった。だから父を探しに、夜中にその家を抜け出した。
昼間に見た景色とは全く異なる風景を、頭の中で照合しながら、昨日までいた町へ向かった。でも、小さい子供の足はたかが知れていて、途中の林で休まざるをえなかった。道や方角が合っているかどうかももう分からなかったけれど、中途半端なところで止まるより、とにかく進んで元いた家へ戻れる可能性に賭けて、少し休んだら、もう一度歩こうと思っていた。
時間は分からない。適当な木の根にもたれて眠っていると、肌寒かった夜風の中に熱を持った空気があることに気づいた。目を覚まして見渡すと、林の向こうの空が橙色になっていた。すぐに分かった。それが炎だと。それが戦火だと気づいたわけじゃないけれど、大人が私を連れ出した理由を漠然と理解した。
どうすればいいのか分からなかった。炎は遠くに思えたけれど、私が小さかったからだろう。実際は思っていたほど遠くではなかったのかもしれない。何故なら、林の中に父がいたからだ。よくは覚えていないけれど、きっと驚いていたはずだ。親戚に預けたはずの私が、仕事場にいたのだから
父は私の手を引いて歩いた。きっと、どこか安全な場所にでも隠れさせようとしたのだろう。
音がした。直後、握られていた手が重さに引っ張られて、私も後ろに倒れた。
手が離れた。その横で、父は仰向けになっていた。きっと転んで倒れたのだと思って、起こそうとして、近づいた。
近づいて────
夜空に反射した戦火の、ぼやっとした光以外に照らすものがなかったので、はっきり見たわけじゃない。けれど、声をかけて揺すっても微動だにしない。頭に浮かんだ『もしかして』が、実際にそうであると思い知るのは、すぐではなかった。
私はまた、どうすればいいのか分からなくなった。父に会いに、住んでいた町へ戻りに来て、疲れて、会えたけれど。
再会して間もなく、父は死んだ。いや、父も死んだ。もう町に戻る必要はない。しかし、もと来た道を今からまた引き返すのは、来たときよりも途方に暮れるものだった。ここに来るまで、そんなこと考えてなかったけれど、戻ることは、来ることより果てがなく、いつかきっと、などという希望もなかった。
そんな時だった。
足音と、人影が来た。
その後ろにある橙色の、夜空の逆光で、本当に影が立って歩いてるようだった。やがてその影は膝をついて、何か喋っていたけど、何故か覚えていない。いや、何故と言うほどでもないか。小さい頃だし、目の前で父親が死に、途方に暮れていたところだったし。その人は私に手を差し出した。
反対の手には、銃らしきものがあった。
その手を取っても、いいものなんだろうか。
考え込んでいると、差し出したそれとは反対の手に抱えていた銃を、背中にしまいこんだ。私が見ていたからだろう。そして、今度は両手を開いて差し出した。私はもう背中のものを見なかった。
彼に手を引かれて歩く時間は何もなかった。ただお互いに無言でいた。だけど、無言であることの緊張感は不思議となかった。息を吸ったら吐くように、彼と歩くことも、そうあるもののような、そうあるべきだとでもいうような。
林を抜けて、ひらけたところに出て、まだまだ歩く。やがて空が白んで、水の中から水面を見たような色になった頃。彼は足を止めて、また膝をついて何かを話した。やっぱり話した内容は思い出せないけれど、彼はある方角を指した。そして、そこへ行けというように、肩を掴んで振り向かせて、背中を叩いた。振り返ると、彼は立ち上がりながら私の頭を撫でて、指差したほうとは真逆のほうへ去っていった。
指示されたほうへ進むと、父が着ていたのと同じ服の大人に連れて行かれた。