少し運がよいはずの男2
四月三日 タカハル
……自宅籠城生活を始めて、約二週間が経ってしまっていた。
ここ数日、何をしていたかを思い出そうとする。
寝て、食って、食って、本を読んで、食って、寝て? あとはなんだっけ?
ああそうだ、無計画にネット通販でバイクを買ったのだが活用予定は未定。というか、そもそも運転免許を取得していないから、愛車で公道を走行することすらも出来なかった。自分の無計画さには自信があったけど、無免許上等なんてアナーキーに生きるつもりは一切ない。
そんなテキトー暮らしをしていると、日に日に家族のプレッシャーが強まっていくのを感じる。次第に我がハートのプレッシャー許容量が危険水域に入り、焦った俺。
なにかすること、できることを探すという名目で、今日から、散歩に出かけることを日課にすることにした。
財布をポケットに突っ込んで、靴を引っ掛ける。
「行ってきまーす」
両親は共働き、弟は学生なので、ブランチを迎えた現時刻に家は空っぽだ。返答を待たずにドアに鍵をかけ、歩き出す。
俺の暮らす町は田園風景の広がる田舎町だ。コンビニエンスストアは自宅から徒歩五分のところに一店舗。それ、どんな都会だよ、と思われがちだが(そう思わない人間はこの国にはいないはずだ)、その店舗を除くと、次のコンビニは徒歩四十分が所要時間。やっぱり残念なクソ田舎だ。ちなみにその最寄りのコンビニエンスストアは高校生の時分にアルバイトをしていたこともあり、現在、無所属(教育機関や会社等)・新・な俺には、いろいろと聞かれるのがめんどくさくて立ち寄ることが困難な場所になっていた。ジュースの自動販売機だって近くにはないんだ。呆れて物もいえない。まあ勿論、御存知の通り、自動販売機なんて便利なものは町に数箇所あれば相当な都会なのだから仕方がない(そう思わない人間はこの国にはいないはずだ。……多分)。
つまり、コーラが飲みたいと体が欲する時に家に在庫がなければ、必要な最低所要時間は約四十分。
することがないのだから、ちょうどいい散歩だ。
外出の相棒、ハードディスクタイプのポータブルプレイヤーとともに、四十分の長旅をする。ポップパンクのアルバムとポストパンクのミニアルバムを一枚ずつ過ぎたところで、コンビニという名のオアシスにたどり着くことができた。
「いらっしゃいませ」
自動ドアが閉まる音と同時に、今までに聞いた覚えのないキーが高めの声が聞こえた。若い女性? そういう印象を覚える声だった。僥倖だと、期待をして新たな店員さんの顔を見る。
そして、ここが遠いという前言撤回。そもそも最寄りのコンビニとかどうでもいい。既に忘却の彼方だ。入店感謝と、俺に、挨拶をしてきたのは、パッと見は年上で顔には化粧っ気がない、幸の薄そうな美人さんだった。
いやいや、ホント、下心とかじゃなくて、家から近いところは、最近ダイエット系飲料の在庫を増やしていて、少々ムカついていたというのもあった。それに、あそこはナイスミドルばっかりでムサっくるしいのだ。
実際、今は春なのだ。そう、恋の季節で、新しい季節なのだ。
ともかく、最寄りのコンビニへの未練は断ち切れた。飲み物が欲しくなったらここに来ようという決意を固めた。
ここまで四十分かかる? それがどうした? プログレ系なら四トラックも聴けない僅かな時間じゃないか。
早足で冷蔵庫からコーラのペットボトルを数本取って、自分なりのキメ顔でご挨拶。
「新人さんですか?」
「……そうですね」
会計中突然に問われ、驚いた様子の幸薄女(仮)は応えた。
「大学生さんとかですか?」
「まぁ、そのようなものですね」
語尾に、ね。を付ける人なのだろうか。勝手な基準で大変申し訳ないが、少し減点だ。なんだか好きじゃない。
そして、自分で訊いておいてなんだが、そもそもこの一帯に大学、専門学校なぞなかったことを、幸薄さんに質問してから気がついた。ならば、この辺りに引っ越して、電車か原付で通っているのか? いや、この町を拠点にして通うとしても、電車などを使って一時間くらいのところに国立大の教育学部の校舎があるだけだ。こんなところでわざわざ一人暮らしを始めるのは自然じゃない。じゃあ、実家ぐらしか? ……いや、それこそあり得ない。あの大学に地元の人間が受かったなら、近所の噂になるくらいの難易度の大学ではあるし……。
――まぁなんでもいいけど。人には人の事情がある。俺だって昼間からコンビニに出かけている。俺にも俺の事情がある。
「三円のお返しです。レシートはご利用ですかね?」
いろいろと考えて、適当に応えている内に会話が終わってしまいそうだった。ナイスミドル、もといおっさん達が相手なら、「いらねーっす」と返せばいいところだったが、ここは好青年を装って、丁寧にいこうと思った。
「どうもです。レシートは必要ないです。コーラ、どうも、ありがとうございました」
「またお越しくださいね」
やはり、ね。をつける人なんだろう。
暇だし、これからはここに通うことを決意した。もちろん下心とかそういうものではない。美女を愛でる、いや、これはもはやリスペクトというべきだろう。リスペクトするのは男性として生まれたからには当然なのである。
ボトルの蓋をひねると、ガスが抜ける音がした。
はて、何かを忘れているような気がしなくもないわけだが、耳に付け直したイヤホンから聴こえる、『私の体はあなたのもの』という、アメリカ人が作った、歌詞だけ見るとどうかしているとしか思えない曲が楽しくて、身の上の細かいことはどうでもよくなった。このポストパンクを聴きながら踊りたい気分だった。
そんなことをしていたならば、即、通報されるだろうけど。
○月☓日
「一旦、休憩、休憩でーす。コイツさ、誰か知らないけど、マジでつまらねぇ。卒業式から家に籠っていた期間なんて、チャプターがついていたら早送り確定だったぜ」
「…………」
俺が小粋なジョークをかましてやったというのに、エミは呆れ顔である。『早送りどころか、最初からカットされているじゃない』って、いうキャッチボールを期待していますよ、俺は。
再度エミの表情を窺う。最初に見た無言状態とは違い、今回は、『死ねば?』って言葉が聞こえてくるような冷たい表情をしていた。ま、俺、死んでいるらしいし、さすがにもう一回は死ねないよなー。はははー。
くだらなすぎるジョークだ。微塵も笑えるものでなかった。
なにか途方もなく悲しくなったので、一人で空笑いをしておいた。ははは……。
「なにかいえよー」
・はい/いいえ○。
ピコピコと鳴るボード。
「それ、・いいえ○。も使えたんだな。驚きだよ、本当にな」
「もちろん使えるわよ。言葉づかいだけじゃなくて、頭も残念な人のようね」
泣きたい。泣きそうになったのは、高校の卒業式のアレを除けば、小学生のころに観た、返ってきた青だぬき時以来だと思う。完全にそれらとは違う系統の涙が出そうだった。
この不思議空間歴は長くないが、外見から推測すると、エミよりはこちらが年長のように思えた。俺は年下にバカにされたままでいいのか? 自分を奮い立たせるために、『気を確かにね、タカハルっ』と幸薄さんボイスのつもりで脳内再生してみる。
……すげー気持ち悪いな、俺が。なんでこんなことをしてしまったのだろう……死んでいるらしいけど、死にたい……。
エミに反抗をしてみたくなって、悲劇の男を演じてみることを思いついた。
「うるさいよ……殺されたのに明るく、元気に頑張っているタカハル君をいたわってくれよ」
そして、よよよ。と目線を左下に向ける。とてもそれっぽいことが言えたと思う。『うるさいよ……』のトーンとか、心の闇的な何かが表せていて、マジで最高。
だが、俺が思っていた以上に言葉は威力があったらしく、エミの表情が曇る。
「ちゃらけているから、てっきり気にしていないものだと思ってしまったわ。ごめんなさい」
あれ? どうした? ヤバいぞ? 彼女が返してきた言葉はなんだか深刻な感じだった。どうやら彼女は俺の悲劇(笑)を受けて、真剣に謝ってくれているらしい。俺とは違ってエミはイイヤツらしい。イイヤツは嫌いじゃないし、そんな人に対してフザけた態度をとるのはよくない気がする。謝らなきゃマズイ。謝罪という苦手な種類の言葉をひねり出す。
「えーっと、エミさん。英才の貴女様と違い、エフォートが足りないので……」
ギリッっと、歯に力の入った顔で睨みつけられた。
「いちいち区切った後、エ、で始めなくていいから」
エ、が続くという偶然かもしれないだろ。いや、そりゃまあ、わざとだけど。早々に気づかれて恥ずかしいつーの。たしか謝ろうと思ったはずなのに、意味もなく取り繕ってふざけてしまう。バカな自分のことが手に負えない。
「とにかく、ごめん。美人の険しい顔は好きじゃない。しかも、気にしていないことは大正解だ。なんの問題もない。ただそのクールビューティーフェイスをだな……」
言っている途中で思ったのだが、いよいよ自分が手に負えない。
「いい加減にしなさいよ」
うつむきながらエミが言った。少し顔を赤らめたような気がする。
そして、俺の言葉はとても気持ち悪かった。死んでいるからって、イタいセリフを言いまくってはいけない。死ねばいいのに……。これも、しつこい。自らの悪ふざけに消化不良を起こしてきた。
「私に嘘は通じない、と考えておいたほうがいい。変なことを言うのは止めなさい」
エミ様はご立腹のようだ。
これ以上下手なことをしないほうがいいかもなと思う。
――で、『変なこと』って具体的には何? と口にしそうになる口にストップをかけた。さっきからテンションがおかしい。
それにしてもエミの言う『私に嘘は通じない』とは?
その一言を考察することで妙に心が冷えた。そして、生まれた疑問を口にする。
「話は変わるが、聞きたいことが出来た」
「何?」
「ステータスボードで視ることの出来る視点は、俺の視点だけなのか?」
「あなたの、と言ったのが間違いだったわね。覗く人の指定は可能よ」
覗く。とても甘美な響。
「つまり、幸薄女の視点も――」
「……出来るわよ。ただし……」
俺の言葉を遮ってエミが言った。
そんなことが出来るなんて、いったい、何ペタバイトのハードディスクで情報を記録しているんだ、ステータスボード……。
「十八禁的な要素は自動的にカットされるわ」
「いやいや、そんな使い方しようと思っていたわけないだろ……」
顔の前で手を振り、否定した。まったく、俺がエロいことばかり考えていると思わないで欲しいね……。……ちくしょう、ステータスボードすげーよ。ハイテクすぎるよ、ふざけんなよ。マジふざけんなよ。しかし、その仕様は技術の進化を妨げるに違いない。エロは技術の進化には欠かすことができない。
今現在の俺の考えは、後になれば視ることが出来る。だから、『嘘は通じない』ということなんだろうな。きっと。
さてと、少し真面目になるか……。もう一回、頭を切り替えて。
「行き詰まったり、実行者の目星がついたりしたら試させてもらいたいが、いいか?」
「エッチな目的でなければ、協力してあげる」
「エミ先生は、冗談に厳しすぎると思います」
「隣で貴方がニヤニヤとしている状況を考えるだけで吐き気がするだけよ。それより、続き、視ないのかしら?」
まだまだプカプカ雲に包まれた談話コーナーに居座りたい気持ちはある。けれど、エミ先生は物語の続きを御所望らしいので、ステータスボードへ意識を集中させることにした。
エミの顔がさっきからずっと赤いことには触れない方がいいことだけは理解できていた。
エロの力はやはり偉大である。




