少し運がよいはずの男17
一月十二日 ススム
「どうも、アオタケ先生じゃありませんか」
背後から低音の声が聞こえた。
呼称から察するに、どうやら私の職業を知るものが呼び止めているらしい。
振り返ると、なぜか、私の感情に憎らしい、腹立たしいというものを喚起させる顔をした中年男性がいた。少し記憶を探ると労せずして思い出すことができた。憎らしく思うのは、当然のことだった。なにせ顔の造りがアイツと酷く似ている。
「スドウさんですね。息子がお世話になっております」
「それを言うなら、こちらこそ、です」
私の会釈にスドウ氏は微笑みで返した。
その仕草に私の心に重いものが落ちるのを感じる。その笑みが、目が、どうしようもなくアイツに似ているのだ。
昨年、私は目の前に居るスドウ氏の息子の担任をしていた。彼の言う『こちらこそ』とは、そのことを示すのだろう。スドウ氏にとっては社交辞令のつもりかもしれないが、彼の息子は私に大変な負担を強いたのだ。彼の言葉を笑ってやり過ごすのは骨が折れた。
アイツ、スドウタカハルには本当に迷惑をかけられた。不自然なくらいに統一模試の成績だけはよかったアイツが進学しなかったせいで、私の評価は決定的に下がったのだ。今年度からの転勤がそれを証明していた。おまけにスドウタカハルは授業態度がひどく悪いときていた。黙って教科書を二十分ほど読んでいたかと思えば、後の七十分は景色を眺めているという始末。私の授業に集中していない証明の為に、設問を答えさせれば、『先生の言っていることがわかりません』と言って、自分の無能さを、さも正当なもののようにする。アイツは無能なくせに影響力だけは強かったため、私は文系進学クラスという、数学教師にとっての閑職に回されるハメになってしまった。アイツの担任を三年もの間させられたことは私の教員生活において最大の汚点となり続けるだろう。
――だが、それをスドウ氏に言うことは出来ない。
なぜなら彼は私の息子の上司なのだからだ。そもそも、タツヤが採用されたのだって、私がアイツの担任をしていた時期とタツヤの入社試験の時期とが重なったという件も、少なからず影響しているはずだった。間違いなく、タツヤはそこまで優秀な人間ではないからだ。
ヤツが死に、タツヤが順調とは言えずとも及第点の仕事をしている現在であるものの、余計な波風を立てないのが無難だろう。
それにしても、スドウ氏はアイツとよく似ている。
少し垂れながらも鋭さのある目付き、これを見ると腹立たしい気分になるのとともに、少しの恐怖感を覚える。アイツが真剣な目付きになったとき、私にとってよくないことが起きるのだ。
とにかく、アイツへの恨みから余計なことを言ってしまう前に立ち去るべきだろう。
「それでは、今後とも――」
「少しお待ちください。話があります」
頭を下げ、立ち去ろうとしたのだが、スドウ氏は私の言葉を遮るように、口を開いた。
彼の真剣な目付きは、アイツが私に向けるそれと同一ものに思えた。
ひどく嫌な予感がした。
だいたい、私はこのスドウ家の顔を生理的に受け付けないのだ。さらに悪いことに、スドウ氏の口元は薄く笑っていた。アイツが私に笑顔を見せるときは飛び切りの嫌がらせを思いついたときだったことを思い出してしまう。
しかし、タツヤの件もあり、スドウ氏の話を無視することもできない。彼は社内で相当な権力を握っているらしいと、息子から聞いていたからだ。
「ええ、分かりました。長くなるのでしたら、何処かに入りましょうか?」
第三者が多く居る場所では滅多なことはできまい。念のための提案だった。
「いえ、それほど時間は取らせませんよ」
スドウ氏は私の目を見ていった。その視線には反論を許さないという意思が感じられた。
私はその凍るような眼差しを見て、スドウ氏はスドウタカハルよりも恐ろしい人間であることを確信した。スドウタカハルは子どもの無邪気を秘めていた。それは時に残酷だが、限度があり、選択する手段も幼稚なものに限定されていた。しかし、スドウ氏の残酷さには、おそらく際限がなく、必要であればどんな策でも講ずるだろうことが感じられた。
私はスドウ氏の提案には従うほかないことを理解し、彼の促すままに、人気の少ない場所へと進んでいってしまう。
彼が立ち止まると、つまらなそうに一つ息を吐いて、言った。
「学校、お辞めになったらどうですか?」
氏は何でもない世間話をするように、くだらない笑い話のように、一息で。
この男は何を言っている?
何故、そんなことを言える?
何故、そんなことを命じる?
いや、そんなことの前に何故、私がそんなことをしなければならない?
「……そんなことはできません」
当たり前じゃないか。当然のことだ。
しかし、私の返答を聞いたスドウ氏は声を出して笑った。
「アイツ程度にシッポを掴まれるような貴方が、私に意見ですか」
嘲るように彼は言った。
「なんのことです?」
「逆にお聞きしたい、なにからお話すればいいですか? 内申書のための献金要求ですか? 旅行代理店のリベートですか? それとも――」
「何を言っている!」
思わず叫んでしまった。
それを、そのことを何故、一保護者が知っている。
「――あとは……そうですね……これはアイツも知り得なかったことだと思いますが、生徒の盗撮なんていうものも……」
彼は私が声を荒げることなど、予測済みだと言わんばかりに、止めることなく言葉を続けていく。
「お願いですから、それ以上は……」
「大丈夫ですよ。誰も、聞いて、いません。むしろ今はアオタケ先生が下手に声を上げて人が集まってしまうのが一番のリスクですかね。だから、どうか、冷静になってください」
スドウ氏は口角を少し釣り上げた。
「全てはアオタケ先生の態度次第です」
彼は私の目を覗き込んで言った。
「来年度になったら対応も大変ですからね、すぐに行動することをお勧めしますよ」
視線を外さずに続ける。
「貴方に選択権はないんですよ、申し訳ありませんがね」
いつの間にか、彼の顔からは笑みが消え去り、無機質なものとなっていた。
「なにも心配することはない、タツヤ君は優秀ですから」
私の肩を軽く二度叩いて、スドウ氏は街に消えていった。
○月●日
なんだ?
なぜだ?
なぜこんなことに?
なんなんだ。
「二人とも落ち着きましょう。とにかく感情的になるのだけは駄目……」
三者の内で最初に口を開いたのはエミだった。
言葉を咀嚼しかねる。
落ち着く?
俺は落ち着いている。
そう思い込みたいだけなのかもしれないが、落ち着いていると思う。
俺もスドウセイジの接触の意図について考察を始める。
第一にすべきは状況の整理だ。
殺され、この場所にいるのは、アオタケタツヤ。
彼は俺の高校時代の担任だった、アオタケ……下の名前は……確かススムだったか……あのアオタケススムの息子らしい。
おそらくアオタケタツヤを殺したのはアオタケススムだ。
エミもそのようなニュアンスをかもし出していたし、逆説になるが、タツヤがこの場所にいるのがその証明となる。
今までの情報から、アオタケタツヤが自動車で自損事故を起こし、その場に居合わせたアオタケススムが、意識を失ったタツヤに止めを刺した、ということが推測できる。
まあ、ここまではいい。ある程度、歪みのない線で繋げることが出来る。
しかし、大元には俺の父親、スドウセイジが存在していた。
にしても、あのクソヤロウ、ここまで潔癖だったとは予想外だ。アオタケがろくでもない教師なのは知っていたが、教師を辞めさせるように動くとは……。――と、ここまで考えて、別の発想が浮かんだ。つまり、タツヤがスドウセイジと同じ会社で働いている以上、アオタケススムという存在のリスクヘッジを考える必要があり、結果、教師を辞めさせるのが選択できる手段の中で簡単で効果のありそうなものだったのだろう。
更に悪いことに、近いうちにスドウセイジはアオタケの行いを白日の下に晒すだろう。アイツは自らの規範に忠実だ。長い間アイツの身近にいた俺はアイツの行動理念を少しは知っている。アオタケはアイツが大嫌いな保身を考え、利己主義で、権力を振りかざす、こんな感じの人種だ。だから、アイツはアオタケが教師という話題になりやすい立場を失ったなら、本格的に潰しにかかるはずだ。
しかし、アイツは気がついていない。アイツ自身もそんな人間と大差がないことに。今なら分かる。俺を殺すということはアイツの自己保身以外の何物でもあるはずがないからだ。誰しも、自身の破滅を望んでいない。だが、その原因を元から断つ、という考えは利己的で、排他的で、俺には受け入れがたい感情だった。
状況の整理はついた。
間違いなくこの場でもっとも混乱しているであろうタツヤの様子を窺うと、うつむいて、なにやらブツブツと呟いているようだった。
彼になんと声を掛けるべきかを迷う。俺はスドウタカハルなわけで、完全にアオタケススムの恨みを買っている。
タツヤが深く息を吐いたのが聞こえた。状況から、ため息をかとも思ったが、ゆっくりと吐き出された息は、むしろ深呼吸のように感じられた。
こんなとき、俺ならばため息をつくだろう。口から空気と一緒に悲しみを吐き出し、心に麻酔をかける。俺とは違い、タツヤは心を殺すのではなく、作り治せるような人間だといいのだが。
どちらにしろ、彼には考える時間を与えるべきだろう。
それにしても父さん。
そんなに俺が邪魔だったのか。
アンタの未来に、俺はどんな存在として立ちはだかる予定だったんだ?
「僕の死んだ日のアオタケススムの行動を視せてもらえるかい?」
タツヤが言った。
「いいんですか?」
エミが言う。
そんな表現ではアオタケススムの関与があったのだと、言っているようなものだ。
「ええ。お願いします」
一月十五日 アオタケススム
スドウ氏が妙な警告をしてきてから三日が経過していた。未だに私は通常通りに学校へ通い、教鞭を取ることしかできない。
あれは彼なりの笑えないジョークだと思いたかった。だが、彼の手にしていると思われる私の不正の数々は確かに事実であった。
彼は私をゆすっているのだろうか。いや、氏は金に関して潔癖らしいと、前にタツヤが言っていた。
そうなると、氏の言ったことは本心なのだろうか。
三日間考えても時間だけが経過し判断ができなかった。そもそも、他人の気持ちなど読めないものだと思う。アイツが別れを切り出した理由は幾年が経過しても分からなかった。仕事は安定し、変な趣味もなく、学歴もある。私のどこに不満を抱いていたのか、分からない。
教材を崩さないように注意しながらデスクのマグカップを持ち上げる。中身のコーヒーに口をつけると、やはり不味かった。
この一杯が不味いのも、スドウタカハルのせいだった。私の授業の手法が駄目だと、まだ一学年だったアイツの煽動によって、学校中に広まってしまった。それは当然誤った認識だが、一度付いてしまったイメージは七十五日程度では消えずに、三年間残り続けた。そして、ヤツが三学年のときは、進学に数学の必要のないクラスの時間潰し要員しか任せてもらえなくなり、ヤツの卒業と同時に、私は転勤を余儀なくされた。改善すべきだったのはスドウタカハルの態度であり、断じて私ではない。誰も理解することはできなかったが、当たり前のことだ。
机の固定電話が電話が鳴った。
他の職員達は急に忙しそうになり、用件を受ける気がないらしい。私も応対したくない。だが、この学校では私が一番の新参者であり、受話器を上げるべきは私なのだろう。
「はい。S高校です」
「ああ、S高校さん? N書店ですが……」
既に嫌な予感はピークを迎えていた。
「はあ……ご用件はなんでしょうか?」
「それが、おたくの生徒さんが万引きを……」
電話の先の人物は言いにくそうに言った。何故言いにくいのか。この学校の場合は二パターンある。書店の人物がこのようなケースに慣れていない場合、もしくは……。
「もしかして、また、ですか?」
再犯の場合だ。
「ええ、S高校さんでは、きちんと指導をされていらっしゃるのでしょうか?」
「……私達の指導が及ばず、大変申し訳ありません」
思わず舌打ちをしそうになったのを、堪えた。そんなことは思ってもいないが、謝罪の言葉を吐く。この学校のガキには何を言っても無駄なのだ。だから、どの職員にも覇気がなく、誰もが、放課後は電話の対応を臆する。
「とりあえず、どなたか先生、来てもらえませんか?」
「はい。なんという生徒でしょうか? 担任を向かわせますので」
「はあ、ええと……タケマエ君だそうです」
また舌打ちをしたくなるのをなんとか抑える。
「1-3のタケマエでしょうか?」
「ええと……そのようです。――ではすみませんが、そちらから家庭への連絡をお願いできますでしょうか? 制服と生徒手帳から学校名とクラスまではわかったものの、他の情報は完全にだんまりでして……」
やはり私が担任をしているクラスのタケマエだった。
「はい。申し訳ありません、承知しました」
「では早くお願いしますね。こちらも忙しいので」
向こう側から回線は乱暴に切られた。忙しいなんて当たり前のことだ。余計なことを言うな。
電話番号録からタケマエの家の電話番号を探してダイアルする。数回のコール音の後に留守番電話のメッセージが流れた。伝言を吹きこむ。
「S高校のアオタケです。息子さんが万引きをしたらしいので、メッセージを聞かれたらN書店にいらしてください」
受話器を置くと隣のデスクの同僚が話しかけてきた。
「アオタケ先生、いけませんねー、あんな言い方をしたら。親御さんからクレームが来ますよー」
ニヤニヤと黄ばんだ歯を見せて笑う、教諭に腹が立つものの、言い返したら敗けだ。無視をし、職員室から駐車場へと向かう。
今年度で何度処理したかを忘れてしまうやり取りを終え、書店を出ると、もう夕暮れだった。
クソガキとクソ保護者を見送ったところで、ため息が出た。叫びそうになるのを堪え、車に入る。
店員、生徒、保護者、三者すべての態度が気に入らなかった、虫酸が走って仕方がなかった。積んでいるMDからプログレッシブロックの物を取り出して、プレイヤーに押し込むと、精巧でありながら奇怪なメロディーが聞こえてくる。キーを捻り、エンジンをふかすと調子よくかかった。
アクセルを踏み込み、クラッチを繋げる。シフトレバーに少しガタがきている気がするが、十年経ってもまだまだ乗れる。人もこうあるべきだと思う。大事に慎重に精巧に造られたものは、時がたっても色褪せないのだ。だから、衝動的に万引きをするなんてバカのすることだ。
そして、スドウタカハルが私の慎重で精巧な積み重ねを奪ったのだ。そのせいで私がこんな学校でガキのおもりをしなくてはならない。
学校帰りは人通りの少ない農道を飛ばすことにしている。
いつもとは多少違うルートだが、今日もシフトレバーを切り替えていく。
少し先に白い煙が見えた。
こんなところで事故か、と思った。
面倒事は嫌だと思いながらも、この町の狭い農道をUターンして引き返すのは難しかった。
法定速度よりもだいぶ速い速度で現場と思わしき場所に近づいていく。
その場所まで着くと、路肩に車を停めて、様子を見るために車から降りる。
なんとなく見覚えのある軽自動車だなと思ったが、フロント部分はぐしゃぐしゃで、そのせいで車種は曖昧だった。
これは完全に廃車だなと、思った。
ドアは開いていなかった。運転手は外に出てはいないようだった。
さすがにそのまま見過ごすのは気が引けて、中を覗く。
――タツヤが口元から血を流してエアバッグに突っ伏していた。
ああ。見たことがある車だと思えば、タツヤの車だったからか。
……これ以上失ったら何も残らない。
現在、スドウセイジと私をつなぐのはタツヤだけだ。
どうせ運ばれても助からないと思った。思い込んだ。
タツヤがいなければ、スドウセイジと関係がなくなる。
それならば非常にシンプルな選択だった。
私はもう失いたくない。
自分の決断の早さが怖くなり、少し後ずさりをした。
何かを踏み、バリンと音がした。
音の元を見ると、丁度握りやすい大きさのガラス片が出来上がっていた。
それを掴み、ドア開けようとした。
ドアにカギはかかっておらず、開いた。
私は息子に必要のない傷をつけてしまう。
タツヤは私と同じでドアをロックしないのだと。
最後に知った彼に関することだった。
○月●日
ふう、とタツヤの方からため息が聞こえた。
「あの日、僕は外回りの帰り道で事故を起こした。思い出した、完全に思い出した」
タツヤは一人、納得したように言った。
そして、俺の方を見て言う。
「タカハル君に一つ聞きたい。父の授業はそんなに駄目だったかい?」
「そうですね。……ええ。駄目でした。数式が間違っていることを指摘すると逆上するような先生でしたから」
俺は俺の感じた事実を述べた。少し迷ったけれど。そして、それは確実にアオタケススムの知る事実とは相反するのだろうけど。俺にとっては事実だ。
「そうか……すまなかったね」
「何がです?」
「父の考え方はさ、父自身がとても有能な場合にのみに限り、ある程度の正当性を持つのさ。でも、タカハル君が言うには指導力はないらしいし、その自覚もまるでない。つまり、父の君への思いはただの逆恨みでしかないということになる。だからすまなかったと、言ったんだ。そういえば家で高校生くらいに見える人が写った写真を切り刻んでいたのを見たこともあるよ。いま思えば、あれは君だったのかもしれない。まったく……酷い逆恨みだよ」
「別にいいです。そんなもんでしょう、たいていの人間なんてものは。タツヤさんが謝る必要すらない。俺の人生にとって、申し訳ないけど、アオタケ先生は全く影響がなかったですから」
タツヤのあまりの物分りのよさに思わず俺は笑う。それは彼も同じだったようで、同じように笑っていた。
「――僕はもういくよ。きっと僕は満足していると思うから」
満足……。ああ、エミがこそこそ話したのはそのことか。
「そうですか。大丈夫ですか?」
「ああ、十分さ。君を恨むのはお門違いだということくらいは僕にも分かる。それより、君の方こそ、アオタケススムの子供である僕を許していいのかい? あの人が教師で居続けた理由は僕という保護が必要な存在があった、という理由もあっただろうしね」
「まあ、そういう仕返しは来世にとっておきますよ」
「来世か、君はロマンチストのようだ」
「まあ、結構そうなのかもしれませんね。ですから、またどこかで会いましょう」
タツヤが息を吐いた。
「最期に父は僕のことを思ってくれていたみたいだね……ごくわずかだけど、一応は」
そう言ってもう一度、タツヤは笑う。
タツヤの体から、淀んだ色の粒子が漏れる。思えばケンジがここを去るときも、今のタツヤと同じように、体から濁った粒子が漏れて逝った。俺は姿勢を変えず、注視するこももなく、それを見送る。
すぐにタツヤは完全に空気と同化した。少なくとも、俺の目にはそうなったように見えていた。少しして、エミが俺の前に立ち、言った。
「……大丈夫?」
「何が。大丈夫だよ」
「……うん。それならいいよ」
「次は俺の目標を達成させる番だな」
「目標ってなに?」
「ナイショ。俺は不言実行だからね」
「ぺらぺら喋るくせに、肝心なことを言わないのはよくない」
「俺が消えたら目標達成だと思ってよ」
「本当に勝手ね。いい加減改めるつもりはないの?」
「エミも目標を教えてくれないからね。まあ、それが分かっていないからこそ、ここに居続けているということなのかもしれないけどね」
「……私も目標ならあるわ」
「それは俺にも教えてくれるのかい?」
「教えてもいいけど、先にタカハルが言わないなら教えるわけにはいかない」
「じゃあいいよ」
「……そう」
「当てるのはいい?」
「いいけど、もしも正解だった場合には、タカハルの目標も言ってもらうことになるから」
「それはいやだ。不公平だ。だって、俺が答えたことを正解にして俺の目標だけを知ることができるから。反論ある?」
「ないわ。そのつもりだったし」
「おーけー。不可侵条約締結だ」
「これ以上ないくらいに平等な条約ね」
「ステータスボードがそっちにある以上、不平等極まれりってもんだけどな」
「……その手があったか」
「いや、ないよ」
「条約は一方の有利になってしまうものなの。どうしてもね」
「ステータスボードは反則だろ。それに条約は例えだろうが」
「分かっているわよ。この場所にいる限り、私たちは対等な関係。そうでしょう?」
「そうであるなら、ありがたいね」
「少なくとも私はそのつもりでいたわ。……だから、私の目標は永遠に叶うことはない」
「なに? 今の、ヒント?」
「……そうね。そうとってもらっても構わないわ」
「まあ、それを考えたい気持ちもあるんだが、結局のところ当てちまうと困るのは俺だから、考えるのはやめとく」
などと言いつつ、考察してみる。
対等では叶わないということは、エミが上の立場か下の立場にならないと、実現しないということか? 基本的に、対等で有るからこそ、人々の関係性は上手くいくと思うのだが。
エミが死んだ状況を考えてみる。彼女は父親に殺されたらしい。理不尽に。その状況を打破するにはなにが必要だった?
それは、壁。彼女を守るもの。つまり、彼女は何かを守れるものに成りたかった?
けど、対等な関係でも人は守れる。それを彼女は知らない。仲間なら仲間を守れる。
「結局、タカハルはどうするつもりなの?」
「とりあえず、この場所、ハーフウェイ・ポイントの謎を解く」
「謎? 謎も何もここは……」
「親に殺された人が来る場所?」
「そうよ。そうでしょう?」
「それはどうかな。それならもっといるだろ、きっとさ」
「じゃあ、死んだ場所の範囲が決められているとか……」
「うん。俺とケンジ、タツヤも割と近くで死んでいるな。でも、エミは違うだろ。あの辺り、見覚えがないようだったぞ」
「……ええ、そうね。――じゃあ、年齢は?」
「知る限りタツヤが最高齢、エミとケンジが下だな」
「前にはそれより下の人もいた。……じゃあ、関係はない?」
「いや、地域も年齢も幅は決まっているのかもしれない。けど、数カ月に一人くらいの少人数に絞られるような決定打にはならないだろうな」
「タカハルはどう考えているの?」
「死因が勘違いされている、取り違えられていること。これが共通点じゃないか?」
「勘違い?」
「ああ、そうだ。実際のところ俺は毒殺か薬殺だろうな、きっと。でも、心不全だということになっているらしい。確かに心不全は、割と微妙な死因だ。けど、マサトがそう信じているということは、俺の死は疑われていないということだ。つまり、正しい認識がされていない。ケンジは確かに事故死なんだろうが、ヤツのミスが原因だと言い切ることはできない。タツヤはもっと確実で、事故で死んだわけじゃなく、アオタケススムにガラスで刺殺された。エミは……嫌なら言わなくていいが……」
「私は……そうね……撲殺? 多分ね。でも、下で私は失踪したことになっているはず。確かに、当てはまるとも言えるわね」
「加えて、ステータスボードの殺人者の記述。あれにも違和感、乖離がある。結論を言うと、ステータスボードが示す殺人者は殺人をしたと一番想っているヤツが示されている……のかもしれない。これはまったく気休めもいいところな発想だ。俺の親父が殺人者なのはいい、実際に幸薄さんには殺人の意図はないのだろう。最終的にコーラをすり替えたのは彼女だ。でも、殺人の意思は親父にこそあったはずだ。まあ、これはいいとしてだな、やっぱりケンジの母ヨシミが殺人者として示される理由が、やっぱりないんだ。アイツの事故の責任は俺にもマサトにもあるだろ、やっぱり。でも、ステータスボードが示す殺人者の項目が自覚の問題なのだとすれば、免許書を隠すために財布を抜いておいた、ケンジの母親が、息子を殺したと自覚しているのは、割と自然だ」
この考え方でいくと、俺の親父は罪を背負ったつもりになっている、ということになってしまう。タツヤの親父のアオタケも、自らが子を殺したことを自覚している。ということになってしまう。
「けど、彼らは殺人者だと疑われていない」
「そういうこと。……どう思う?」
「否定する材料は思いつかないわね」
「そうか……」
そして、俺の目標は遠ざかった気がした。
俺の望むこと。単純な表現をするなら、エミの笑顔を見たい。
エミの本当の笑顔を見る。俺がこの場所で最初に立てた目標はこれだった。でも、きっと笑顔からは遠ざかった。俺が遠ざけたようなものだ。それでも俺は、本当の、真の、笑顔が見たい。だから、これは必要な儀式だと思った。そう信じた。
思い返してみれば、俺の人生はトライアンドエラーばかりだった。だから、諦めるのが早い性格も上等だと思っていた。けど、諦められないことは存在する。ここに、知らなかった世界に存在したのだから。
会話が途切れた。俺は考えていたことを全て語ってしまった。途切れた会話に思わず笑顔してまうような、そんな関係を築けていない俺達は真面目な顔をして雲を見ている。
青く、白い風景を見ていると、一つ思いつく話題があった。
「林檎はさ、しぶといぞ」
「え?」
「林檎の木。枯れているみたいだって思っていただろ?」
「ええ。そういえば、そう思ったかも」
「俺は詳しいわけじゃないんだけど、あれはきっと休んでいるんだろうな」
「休んでいる?」
「そう。休んでいる。枯れたように見えるのは表面だけだ。葡萄の木なんてもっとカラカラになっているんだ。例えるなら、剥けて数日経ってしまった指の皮みたいに、カラカラだ」
「あまり綺麗な表現じゃない」
「まあ、そういうなよ。でもさ、その枯れたような木の皮を向くと、水が溢れてくる。ビビるぞ、正直俺も最初に見たときは意味が分からなかった。だって、そんな水分があるなら、さっさと表面も潤せばいいのにな」
「それはなんでなの?」
「さあ? 俺、その時はその分野には興味がなかったから、調べなかったんだ」
「なにそれ」
もう少し、生きているつもりだったから。
「さておき、良き季節を迎えたら、木は復活しているんだな」
「うん……」
「……終わり」
「え?」
「え?」
「終わりなの?」
「終わりだよ?」
「タカハルは何か教訓めいたことを言おうとしているんだとばかり……」
「いや、エミが疑問に思ったみたいだったから。俺なりに知っていることを言ってみた」
「そうね。貴方はそういう人ね」
「もしこの知識から教訓を得るとしても、それはエミが勝手に考えて、思いついて、信じることのほうがいいだろ? 俺は別にそういうものなんだなと思っているだけだ」
「ええ、覚えていてくれてありがとう」
「どういたしまして」
俺の言葉にエミが笑う。
笑顔を見ることが出来た。また、見ることが出来た。
そして、いまだに俺がいなくなれない理由を悟る。
俺はこの笑顔を何度も見たい。いつまでも見ていたい。
だから、ここに居たい。いつまでも。
我ながら単純で欲張りで終わることがない願いだ。




