少し運がよいはずの男16
ステータスボードを視ている二人の虚ろな目が光を取り戻していく。
抜け殻だった体に感情が戻ってくるようで、傍から見ていると、神秘的で、それでいて、なかなか不気味にも感じる。
「タカハル、この方の名前はタツヤさんというみたいよ。――そう呼ばれていましたよね?」
まずはエミが切り出した。
タツヤ……聞き覚えのない名前だった。それは当たり前といえば当たり前だ。彼のことは多分知らないだろうと思っていた。
「らしいですね。僕らしき人物がそう呼ばれていた」
彼は実感が湧かないのか、他人事のように言った。本当に多くの記憶が失われているらしい。
「それで、生活圏はタカハルと近いみたいよ?」
エミは少し嬉しそうに私鉄の駅名を俺に告げた。その駅名ならば確かに、実家の最寄り駅と同じだった。だからといって、どうということはない。あの場所にもう戻ることはないのだから。
「へぇ……。そんな偶然もあるものだねぇ」
その街に住む、もう会うこともない弟、友人はどうしているだろうか。
そして、アイツはご立派にやっているだろうか。
そうだとしたら、少し憎い。
「続きを視てみましょう」
少し寂しそうにエミが言い、また彼らの目は虚ろになった。
三つの人影と一つ残った意思。
もういいんじゃないか?
ふとそんな思考がよぎった。
何が、もういいのか。
この場所に留まるのは、もう十分ではないか? そういうことか?
ここにはエミが居る。この場所を維持していくには彼女がいれば十分だ。
確かに頼りないところはある。そして、過去にその頼りなさにつけ込んで、俺という存在の必要性を見出したつもりになっていた。
それで、今、俺がしていることはなんだ?
ただの傍観者で、皮肉を言っているだけじゃないのか?
俺は何がしたいんだ。
気持ちの整理なら、とっくの前についたんじゃないのか? そもそも、そんな必要はあったのか? 割と悲しかったが、俺の人生、こんなものだろうとも思っていた。
ならば、今直ぐに消えることも可能なのか?
そんなものが存在するのか確証はないが、ここから消えて、次の人生ってヤツを目指すべきじゃないのか?
一体俺はここで何をしたかったんだっけ?
二つの意思が戻ってくることを感じた。
到達すべき目標に向かい進む二人とは、なんとなく目を合わせ辛く、飾り物として機能している雲に視線を向ける。
少しして、自分がそんな雲にも劣る存在のような気がしてきて、目を閉じる。
「……なんであんなことに?」
エミが独り言のように言った。
何が起こったのだろうか? 自分の行く先を考えながらも、気になって、耳を傾ける。
「僕は車の運転が苦手なんです。なんというんでしょうか……とにかく、対向車が信用できないんです。いきなりこちらにハンドルを切られたらどうしよう、あの十字路で一時停止を無視されたらどうしよう……。こんな感じのことを常に想像……まあ、そんなことは、ほとんど妄想ですよね。でも、そういう想像してしまうん……だと思います」
「だから、あんなふうにして急ハンドルを?」
「ええ、対向車の人の目がこちらを意識しすぎているような気がしてしまって……きっと相手はなんともおもっていないのでしょうね。でも、自分ではちょっと動かしただけのつもりだったのですが……」
「その結果、農道から飛び出して畑に埋まっている電柱に激突というわけね……」
電柱に激突。
しかし、それは殺人ではなく事故だろう。しかも、タツヤの証言から推測すると、その事故は自損事故以外のなにものでもない。その状況について、少し気になることがあったので二人に訊ねることにした。
「訊いていいか? 車で電柱に激突したのが原因で死んだのか?」
「それはどうかしら、一応、タツヤさんの記憶はそこで途切れていたけれど」
俺の疑問にはエミが応えた。
その瞬間に死んだのか。それとも、意識が途切れた後に、止めを刺されたのか。断定は出来ない。だが、今までのケースから考えると、単純な事故が起こっただけとは考えづらい。
タツヤに訊ねる。
「ちなみに車の年式と車種は?」
「年式ですか……あまり覚えていませんが、二年前に買ったワゴンタイプの軽自動車です。なぜですか?」
「新車を買った?」
「ええ、新車ですよ」
「ふーん……」
二年前の新車。それならば、確実にエアバッグは装備されているだろう。軽自動車という点は、耐衝撃性に関して少しマイナスな要素だが、自損事故で助からずに死ぬ……。あり得ることだろうか?
可能性を想像してみよう。
フロントガラスなどが割れて致命的な箇所に突き刺さることはあり得るか?
エミは事故が起きた場所を農道と言っていた。俺が住んでいた街の農道を思い出す。農道といえば、二台の車がすれちがうのすら、赤の他人の所有する農地にタイヤを少し突っ込みながらでギリギリな道幅だった。あんな乗用車1.6台分くらいの道幅では、とてもじゃないが時速三十キロ以上を出すつもりにはなれないだろう。加えて、タツヤは運転が得意ではないようだし、スピードを出しすぎていたとは考えにくい。仮にその時の時速が約三十キロだったと仮定する。そのまま電柱に衝突する……。大体フロント部分がグチャグチャになるくらいだろうか? その際にガラスが割れたとしても、その破片が十分な速度で人体の、それも急所に刺さる確率は高くないはずだ。
――ということは、だ。タツヤが意識を失ったその後、手を下した人間がいる可能性も十分にありえるはずだ。
いや、むしろ、このハーフウェイ・ポイントに来ることになる条件を考えるのなら、タツヤの死因はガラスの破片で首を切られたというもの、もしくは、鈍器で頭を殴られたというものだろう。
――だが、その考えを今の時点で口にするつもりはなかった。エミも、思い至っていたとしても言わないだろう。自分自身で気づくことがこのハーフウェイ・ポイントから次の場所へと進めるカギなのだろう。極力、他人は手を貸さないほうが良い。
その儀式に手を貸すことの出来るエミと、今はただの傍観者でしかない俺。
ここに来た時、俺には目標が出来た気がする。なんだっただろう、それは漠然としたことだったと思うが、何かをしようと思ったんだ。それは忘れてしまったけど、代替となる目標を思いついた。それは、この場所の謎を解くこと。仮説は既に設けてある。このケースが俺の仮説と一致すれば、例数は三となり、ある程度の客観性を得ることができる。それで俺は満足できるかもしれない。
俺が口を開かないことを察したのか、タツヤがしゃべりだす。
「僕がこの瞬間に死んでしまったということはなんとなく分かりました。けれど、まだ自分がどんな人物であったのかが分からないのです。こういう場合はどうしたら良いのでしょうか?」
タツヤはどちらともなく問いかけたのだろう。エミは応えずに俺の目を見た。
「そうさねぇ、外側から自分を視てみるとか、どうだろうか。自分の父親の記憶でも視たら少しは思い出すかもしれないな。自分の周りの環境を見れば何かが呼び起こされるかもしれない」
「他人の記憶も再現することが出来るのですか?」
「はい。――出来るよな?」
エミに目線で確認を促すと、「あまりおすすめはしませんが……」と言った。
その口ぶりから、父親の方が殺人者なのだと、俺は推測をする。さすがにエミは、既にタツヤのステータスを視ているのだろうとは思っていた。
「っていうか、記憶が無くても、父親を視られるんだ?」
「ええ。大丈夫なはずよ」
そんなことも可能なステータスボードは本当に優秀だ。
「では、視ましょうか」
それには俺も参加してみることにした。
俺の仮定が正しければ、この場所の謎が解ける。




