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少し運がよいはずの男15

 ○月●日



 この場所の果てなんてものは発見できなかった。

 この空間の制作者、もしくは管理責任者なんかに出会うこともなかった。

 花が咲いている場所なんかがあれば、ちょっとばかり摘んできてエミに渡すことも出来たのだが、残念ながら、三つ葉のクローバーも、ぺんぺん草すらも生えてはいなかった。

 エミの元から離れてから、方向を変えながらずっと走り続けていた。

 今はUターンして、俺が出発したであろう場所に向かっていた。

 遠くからステータスボードが見えてきたので、そのままステータスボードのもとに突き進む。

「お帰りなさい。どうだった? 何か見つけられた?」

 脚の動きを止めてみると、地面との摩擦力は感じないが、ピタリと止まることが出来た。

「なんにも」

「大丈夫?」

「割とへーき」

 疲労は全くと言っていいほどなかった。やはり、脚という部位や肺という器官は、ここに来るまでの何処かでなくしてしまったのだろう。

「いきなり走りだしたからびっくりした。一ヶ月近く戻ってこないし、てっきり……」

「一ヶ月! 数時間くらいしか探検はしていなかったと思ったけどな?」

「あ、ごめんなさい。一ヶ月というのは下での基準で、ということ」

「ふーん。考えてみれば変なものだよなー」

「ええ。相対性理論とか関係あるのかしら?」

 相対性理論。時間と空間に関する考え方か。

「いや、俺、勉強苦手だし」

「でも、相対速度とかは中学校で習ったでしょう? その単元で先生が分かりやすく話してくれると思うけど……」

「それはそれは随分と進んだ中学校だことで。俺は水上置換法と上方置換法の違いについて小学校から通算して二十回くらいテストに出題された記憶しかないね。――ところでエミ。ここって俺達以外に人が隠れているなんていうことはない?」

「見たことはないわ」

「そうかぁ。もしそんなヤツがいて、時間加速スイッチとか持っていたのなら分かりやすかったんだけどな」

「なら残念。いないわ」

「その心は?」

「はい」

 そう言ってエミはステータスボード俺に見せた。

 目の前のボードに映るのは、たぶんこの場所のマップだ。二つの光が点灯しており、その点を囲むように楕円が描かれている。俺たち二人の現在位置を示すのであろう光に対して、円はひどく狭く見えた。ご丁寧にスケール表記が右下にあったので、指を使ってマップの直径を測ってみると、大体約二キロ程度だった。

「げ。これマジ?」

 ひどく狭いように思えた。

「確かめていないけど、こんな感じなんじゃない? 少しだけアソビはあるみたいだけど、その距離を超えた後ははルームランナーを走っているようにループをしているんじゃないかしら。タカハルが全力で空転しているのが、すごく小さくだけど見えたもの」

「あはは……いい運動になったよ」

「ごめんね。言ってあげたらよかったんだけど」

「いや、いいよ。ちょうど走りたい気分だったから……。にしても、マジで疲れねーのな。ここでなら体脂肪もグリコーゲンローディングも無しでフルマラソンの世界新記録を大幅更新だな、こりゃ」

 今回も脚の疲労感は全くなく、肺による酸素交換も気分的なこと以外には必要なさそうだった。

「走っていた時に思いついたことが一つ。『新規訪問者に対する、この場所の効果的な説明』俺たちはこれを話しあうべきだと思うんだが……」

「そう? じゃあ、なにか意見はある? そもそも、私のやり方でいいじゃない。何か文句あるの?」

「いや、あれだと俺のやることがないじゃん。だから次からは、紹介VTRみたいなのを作って、訪問者の脳内にぶち込んで一瞬で理解してもらおうぜ」

「――却下ね」

「その心は?」

「タカハルが言っていたことよ、あれを長時間休みなく視るのは疲れるって。だからダメ。しかも、前触れもなく思考を他人に乗っ取られたら、自我がおかしくなる危険性だってあるかもしれないじゃない」

 エミの意見に反論の余地はない。

「それは確かに。納得。でも、最近の若人に初期ドラクエ風の演出で迫ってもなあ……」

「……でも、タカハルは食いついたじゃない」

「う……そう言われると否定はできないんだが……」

「ほら、じゃあ、この話題は終了ね」

 エミがドラクエくらい有名なものしか知らないのか、それとも特別な思い入れがあるのか。それは分からないが、おいそれとこれ以上踏み込むのは躊躇われた。俺はエミのバックグラウンドを知らない。もちろん、なんとなくの推測はしている。たぶん、父親と折り合いがついていなかった。

 きっと、家庭内に味方はいなかった。

 家に信じられる人間が居ない。

 それをエミはどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。想像は出来る。それに、この場所にはエミがいるから、やろうと思えばきっと擬似的な体験も出来るのだろう。だからといって、視せてくれなんて言うつもりはなかった。そういう感情を隠しておきたいからこそ、俺に視せようとしないのだ。

 他人の過去を塗り替えようなんて大それたことは思っていないし、その諸々を通り抜けてきた、現在のエミを俺はとても気に入っているのだから。

「――切り替えましょう」

 エミの表情が真剣味を増した。

 来たのか、また。物事はいつも唐突で予想ができない。それにしても、いよいよ下の世界は末期的だ。親が子を手に掛けてどうする。そんなことを続ける共同体は滅ぶしかない。

 すぐそばに人の形が実体化する。それに向かって俺は言う。

「ようこそハーフウェイ・ポイントへ」

 俺は気分を切り替えて、歓迎の意を示すため、手を広げ、胡散臭いくらいの笑顔を作って言った。そんな仕草をエミが鼻で笑う。まあまあショックだ。

「そんなことをするのなら、今回は貴方がきちんと説明してよね」

 エミは新たなる訪問者の方をチラチラと見ながら言った。気になるのなら自分で説明して差し上げればいいのに、シャイなお嬢さんはこれだから……。そんなことを思いつつも、そんなエミだから助けてあげたくもなるのだ。率直に表現してしまうなら、結構好きなのだ。

 だから俺は、きちんと、説明することにする。相対するオニーサンは何が何だか分かっていないようで、視線を彷徨わせている。

「多分オニーサンは――あ、俺はタカハルね。よろしくっと。さてと、自己紹介も済んだし、続き続き……」

 エミが今度は俺の方をチラチラと見てくる。

「はいはい、ここにおわすはエミさん。こんな小さなナリしているけど、ベテランさんなので敬うこと。さて、この場所の説明から……」

「あの。一体、ここは何処なんですか?」

 おお、オニーサンが喋った。身長は俺より低いようだが、その声質は低めだ。癖の少ない短髪が口の動きに合わせて揺れていた。少々神経質そうな目に誰かの面影を覚えるのだが、誰だっただろうか。簡単には思い出すことができないので、気のせいかもしれない。

「この場所は死者の魂……的なもの……が訪れる場所。その名も、ハーフウェイ・ポイント、だッ!」

「はあ……そうなんですか……」

 あさっての方向を指さしながら力強く言ったものの、対する反応は素っ気なかった。

「いやいや、お前、その青春系のノリはなんだ、とか、ぶっちゃけそのハーフウェイ・ポイントってネーミングセンスはどうよ、とか、思わないんですか、と、そんなことをお聞きたいのですが」

「はあ……すみません。ちょっと混乱していて」

「確かに。分かりますよ、その気持ち。では、とりあえずお名前をお聞きしても?」

「名前ですか……」

「そう。イズユアネーム?」

 オニーサンは少し考えてから、

「……すみません、思い出せません」

 首を傾げて言った。

「え! そんなバナナ……。――えーと、少々お待ち下さい」

 俺はエミに手招きをして、オニーサンに聞こえないようにして話し始める。

「こういうことって、前にもあった?」

「名前を忘れてしまうほど重度の記憶喪失がということ?」

「そう。相当記憶がぶっ飛ばないと忘れないよな?」

「……なかったと思うわ。名前、調べましょうか?」

 少し考えてみる。

 判断は簡単だった。

「でもまあ興味深いからこのままいこう」

「……まあ、それでもいいけれどね」

 エミが言い終わるか、というタイミングで、俺はオニーサンに向き直り、言う。

「記憶を失うことは、度々あるようです。でも、安心してください。このエミさんの力を使えば、過去の自分を追体験できるのです! そうすれば自ずと記憶も蘇るでしょう」

 彼は何かをつぶやきながら、少し頭を上下させている。そうするのが彼の情報整理の方法なのだろうと思い、様子を見る。

 ほどなくして、彼は小さく頷いてから、口を開いた。

「はあ……そうですか」

 張り合いがないなあ。やっぱりこの感じ、なんとなく、誰かに似ている気がするんだが……。誰だっけ? なんとか思い出したいところだが、ずっと考えているわけにもいかない。ひとまず今は状況を進めていこう。

「ではさっそく、とりかかりましょう。準備はよろしいですか?」

「はい。大丈夫だと思います」

 そして俺はもう一つ新たな趣向を思いついた。それをエミにこっそり提案してみる。

「――なあ、今回、俺は外からオブザーバー的な感じで参加するのはアリ?」

「どういうこと?」

「主観を視ると、どうしても情報が偏るんだよな。俺と幸薄い女さんの感情のすれ違いなんかひどかっただろ? ここはやはり、客観的な視点が必要だと思うんだよな」

「そう? だって、結局最期には全部視るわけだし……」

「――ま、いいからいいから」

 俺はエミをオニーサンの方に押しやる。

 二人で、二、三言話し、その後で、

「ああ……そういうことか……。――はい、分かりました」

 新たなる訪問者の男性はうつむきながらも、一言一言を噛み締めるように言った。飲み込みが早いということなのだろうか。それとも俺の説明が下手なのか。

 そして、二人の目が虚ろになっていく。ステータスボードが視せる世界に入っていったのだろう。

 傍から見るその光景はなんとも無防備で、二人はいろいろな事象、事柄から切り離されているように思えた。

 俺はエミを尊敬している。精神が丈夫なのだ。自分が親に殺され、その理由もわからないままに、こんな空間に放り込まれ、挙句、後から訪れる人々の水先案内をして、たまには錯乱した人をなだめて、それでも投げ出すことなく人を導くのだから。

 いつか、エミは言った。ココから出ていくことは可能なのだということを。

 大抵の訪問者は事件の一部始終を視終わると、自然と消えてしまうらしい。

 実際にケンジが消えて行くのを見た。その現象についてエミは『満足か絶望をすると、この場所から去れる』と表した。

 今、俺は恐れているのかもしれない。何らかの影響でここから消えてしまうのを。そして、殺人者の感情を視るのを。

 二人が記憶を視ているのを待つのは、きっと時間にして大した長さではないはずだ。そのあと、すぐに彼らの対話が始まるだろう。そこに助言を与えるのが今回の俺の立場と定めた。

 殺人に伴う感情が悪意、憎悪、利益、愉しみなんてのは最悪だ、そんな邪な心理に俺は耐えられるだろうか。殺人にはそんな感情が付帯するのだろう。

 自分の気持なんて押し殺して、さっさと他の訪問者と同じように消えるべきだったのだろうか?

 その場合、俺は、満足と絶望どちらをすればいいんだ?


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