少し運がよいはずの男10
三月二十二日 エミ→サチ
声がする。
「ター君ー。起きてるのー?」
声の発生源は私が現在、視ているタカハルの母親のようだ。
でもダメ、この、ター君という呼び方……笑っちゃう。
しばらくして、「起きてるよ」と眠そうな調子のタカハルが居間に降りてきた。
「私はパートに行くけれど、お昼はどうする?」
「冷蔵庫のものを使っていいなら、勝手に作るよ」
あれ、なんだか意外。タカハルって料理は得意なのかしら。
「今日は買い物に行く予定だったし、いまあるものなら好きに使っていいから。そういえば豚バラを余らしているから使ってくれると助かるな」
この母親はタカハルのことを好きみたいだ。親からの無償の愛。そのことが少しうらやましい。
彼女の主観を視ていると、タカハルの味の好み、性格、などなど、いろいろと彼のことを理解していて、そして、愛を持ってタカハルに接していることが伝わってくる。少々過保護かもしれないと感じるけど、ほどほどであればいいことだろうと思える。
でも、やっぱり、十八歳でター君はちょっとね……。
そうだ、ステータスを視ておこう。
『名前/サチ 年齢/三十八歳 特徴/無し』
三十八歳? いや、そうよね……。見た目は相当に綺麗だけれど、二児の母だもの。
他は……思いやりの数値が高い。確かにそんな感じがする。
突出する才能は無し……か。
この人は喋り方や、その主観からのんびりとした人に思える。もしかして、のんびりを変なふうに増長させると、タカハルのような性格になるのかなと思う。
彼は楽天家というか、何も考えていないというか……。とにかく、ひたすらに前向きだと思える。私と違って。
○月☓日 エミ
「ター君と呼ばれているのね。弟さんの時から予想はできたけれど」
タカハルの呼称について、一応言っておこう。彼の母親はいい人そうだから止めてもよかったけれど、タカハルに死因について真面目に考えてもらうためということで。
しかし、
「悪いのかよ」
私が想像していた、照れるという反応とは違う口調で彼は応えたのだった。鋭い言葉を発した彼の顔を見る。――え、ちょっと、ほんの少しだけど目が吊り上がっていて恐い。もしかして彼の逆鱗はここ?
「そういうのって、嫌がりそうだと思った。貴方に限らず、世の中の男子は、という意味も含むのだけどね」
ずるい自己弁護を試みる。失言は私の責任なのに、タカハルが変わっているという論調で会話を進めて、私の発言をうやむやにしようとしている。
「気に入ってはいないよ。まあ、いろいろとあんだよ」
ここに来てからずっと、自信に満ちていたように喋っていた彼が私から目を逸らした。
なんだか悪いことをした気になって、私は話題を本筋に戻すことにした。
「この人を視るのもずいぶん早く打ち切ったわね」
「ああ。そういえば容疑者なんて一人しかいないんだわな」
本当はタカハルも勘づいていたのだろうか。
「親父だ。親父を視る。俺が死んだ日のアイツの行動だ。たぶんそれで全て分かるだろ。犯人はアイツなんだろうからさ」
タカハルは憂鬱そうに言った。
四月四日 エミ→セイジ
この人が……メタルフレームの眼鏡をかけた、この人が、タカハルの父親らしい。
私の父とは違い、レンズの奥の目からは粗野な印象は受けない。眉間や目尻の作りは次男に受け継がれたようだが、マサト君の微笑しているような優しい印象とは違い、なにか厳しい印象を受けるのは気のせいだろうか。彼の冷め切った瞳は私に恐怖を植え付ける。
だが怖がってはいられない。この人は最重要参考人だ。しっかりと視よう。
『名前/セイジ 年齢/五十歳』
五十歳ということは妻であるサチさんとはちょうど一周り違うことになる。
能力値はかなり高い……。タカハル、マサト君のいいとこ取りをしたような数値ね。しかし割と運の数値は高いほうだが、特別に、タカハルのように高いわけではない。つまり、運がよいと考えられていた事象のうち、セイジの計算によって成し遂げられたものがあるということだろう。
集中してセイジの感情を視るようにする。
セイジは弟のマサト君のことを気にかけている。けれど、タカハルのことは、どうでもいいと一断している。彼の主観を視る限り、タカハルには声を掛ける気すらないみたいだ。それぞれの自主性に任せているといえば聞こえがいいが、この態度、私には無関心としか思えない。
彼とは反対に、私の父は過干渉だった。
会社での感情を視る限り、一歩間違えると、恐ろしい人に変容するように感じる。
この人は社会の為、と考えて行動をしているようだが、その積み重ねたものを崩そうとするものが現れたとき、果たして、冷静でいてくれるのだろうか?
でも何故タカハルを?
そして、この場に居ながら、心の片隅にも想像せずに、どうやって?
○月☓日 エミ
「アイツの四月四日が終わっちゃったぞ」
タカハルには何事も起こらずに、野心的な父の姿だけが映っていたはずだ。私だって、ステータスボードを使ってタカハルの死を引き起こした人を知っていなければ、厳しそうな人だな、そんな風に思うだけだったかもしれない。私は父親という存在に対して、不信感を抱いているけれど、すべての父親が悪であると断定するほど愚かではないつもりだ。だけど、彼がタカハルの死因のキーであることについては、まず間違いない。『状態/死亡(他殺・父)』ということは既に確認してしまっているのだから。
タカハルとは得ている情報量の違いはあれど、まずは私もタカハルと一緒に状況を整理していく必要があるようだ。私に課せられた使命は、彼を答えに導くことなのだろうから。
「つまり、貴方の死んだポイントで貴方のお父様はお仕事中というわけね」
まず、これは確定した事実だ。こうなると、一見、彼は殺人を犯してないように感じられるが、ステータスボードの表示では、セイジの関与が断言されている。
その具体的な方法に関してはタカハル自身が解明しなければならないことだ。私がここで助言をしてしまうのは、彼の今後を考えると良いことではない気がする。
タカハルはひとしきり考えを巡らせたのか、目付きを変えて言う。
「俺が死ぬ様子を見ていたかもしれないヤツを視てみよう」
やっと、ようやく、タカハルは真面目にやる気になってくれたようだ。私のように犯人を知らないならば、ベターなアプローチだと思う。やはり、タカハルは優秀なのかもしれない。もっとも、最初からその心に持って取り組んで欲しかったとは思うのだけれど。
「つまりは誰を視るの?」
「ピエロがいたろ。アイツは俺を見ているハズだ。四日のアイツを視る。よろしく頼むぜ」
タカハルは、そのピエロがリュウ君ということに気がつくことができるかしら。
四月四日 エミ→ピエロ=リュウ
人生には様々なことが起こる。
運がとてもよかったとしても、殺されてしまうこともあるだろうし、相手の能力を視ることが出来ても、死ぬ。
そして、この記憶の主のリュウ君。彼は少なくとも、多くの人が最善と薦めるであろう進路を選んだわけではなさそうだった。現代、そして田舎町にピエロの需要なんてあるわけがないのだから。でも、なんでこんなことに? 約二週間の間、彼の身に何が起こったのだろう?
リュウ君の視点に入り、彼の方から、別の視点で一度しか見たことのない風景を眺めていると、その別の視点の持ち主であったタカハルが近づいてきた。
彼は見事ともいえる無神経さで、「お兄さん? おどおどし過ぎじゃね?」と言った。
視点の持ち主であるリュウ君は当然、その気さくで、軽い人物がタカハルであるということに気がつく。
彼の心情からタカハルに気づいてもらいたくないということが分かった。それもそうかな、と思う。いきなりピエロになっていたらね……。きっと、その理由自体はタカハルが死んだ理由には関係しないのでしょうけど。
リュウ君は曲刀を放る。第三者から見ると何故こんなことが可能なのだろうと思ったが、彼の才能を内から体験してみると、なんでもないことのように思えた。イメージをして体を動かすと、半ば無意識でもジャグリングは成功する。
「なんかすごいッスね。芸歴というか、ピエロ歴は長いんですか?」
基本的にタカハルは本当にコドモだと思う。年齢的には未成年、だから子どもでよいのだけれど、実年齢より、精神年齢が低い感じがする。私もムキになって、言い返さないようにしないようにしないと。だって、彼はお子様なんだから。
そして、タカハルが倒れる時を迎えた。
その瞬間、うつむいていたリュウ君は物音を聞いただけで、タカハルの様子を見てもいなかった。リュウ君は奇妙な不信感を覚え、振り返る。
「おい、冗談だよな? ピエロを驚かすなんて悪趣味だぞ――――――」
倒れたタカハルを見る彼が示す感情は新鮮な驚き一辺倒。そこに何かを隠すような不自然さはない。
視界の端に映るコーラのこぼれる様子に、私は命の流失を感じる。どくどくと、アスファルトにこぼれていくだけ。
やはり、彼が直接、手に掛けたわけではない。
ステータスボードの情報だけでなく、状況からも明らかだった。
私は少しだけ安心した。
○月☓日 エミ
「分かったことは二つ。一つはピエロが犯人ではないということ。もう一点、ピエロは俺の知り合い。この考えについて、エミはどう思う?」
タカハルの言ったことはリュウ君の主観を覗いてたどり着く、適切な解答例と考えられた。しかし、二つめのポイントについての考察が少し足りない。タカハルはリュウ君と長い付き合いのようだから、さらに具体的な答えにたどり着いて欲しかった。けれど、仕方ないわよね。古くからの友人が二週間でピエロへの変身を遂げているとは、さすがに想像も出来ないでしょうから。リュウ君が声を発したのは僅かな時間だけだったし。
「一つめについては同感ね。主観をここまでコントロール出来る人間がいたら最早、それは人と言えないわね。少なくとも、実行犯ではないでしょう。二つめについて、私が視る限り、知り合いというより、もっと親しいように感じたけれどね」
私の言葉でタカハルの考えを少しだけ補足した。
「あとはなにかあるかな?」
タカハルが私に意見を求めた。私はピエロがリュウ君であるということを知っていたから、ピエロの挙動に関して注意を払っていなかった。加えて、彼が巡らせていた思考にも怪しいところはなかった。
つまり、今回の視点で疑わしいのは、タカハルがとった行動の方になる。
「コーラがヒントかしらね?」
やはり目立つものはこれでしょう。死ぬ直前の彼が口にしたのだから。そのコーラに関しても疑問点があった。
「そういえば、さっきの瞬間に持っていたコーラだけど、コンビニで買っていたものとは種類が違ったわね」
「あぁ、あの日は買いだめしてある安物を飲んでいたっぽいな」
安物……同じコーラなんだから、安いものがあるのなら、ずっと安い種類でいいんじゃないかと思う。というか、それなら……。
「それなら、その中に毒を仕込めば、アリバイを持ちながら、貴方に死んでもらうことも可能ね」
セイジさんが殺人を実行したのは、ほぼ確定なわけだし。現時点のこの空間でそれを知っているのは私だけであり、タカハルにはじっくりと考えて、真相を見つけて貰う必要があるのだけれど。
だけど、私が考える実行案に対して、タカハルは首を傾げて、納得がいかないという表情をしている。
「とてもそんな仮説は納得がいかないと言いたいようね」
タカハルが何も言わず考えこんでいるので、彼の考えを聞いてみた。
「それをしてくるとすれば、親父なんだと思うが、そこまで直接的な手法は、どうもアイツらしくないと思ってな」
らしくない――か――。
私も父に対してその程度の理解でも出来ていたら、こんな所にいないのかもしれないな。
「感情、感覚というものは難しいものよね……」
思わず口から出た言葉だった。
他人の能力値を参照しただけでは知ることのできない、もっとも重要な要素。
感情。今の私が過去となって、参照できるもの。
測ることの出来ない何か……。でも、アイツのそれは未だに理解が出来ない。
後々になり、悪心がするのをこらえて視たアイツの主観。そして視てしまった『なんか、殺したくなった』なんて感情、私にはいつまでたっても理解が出来そうになかった。
かすかに吐き気を覚えていると、タカハルが口を開いた。
私はアイツの記憶を振り払って、耳を傾ける。
「俺、ピエロの正体を決定づけておきたいんだが、エミさん、ステータスボードの使用許可を」
「それって、重要?」
そのことに関して、私はあまり必要性を感じない。なので、一応の確認をした。訪問者の申し出を断ることは、基本的にはないのだけれど。不真面目なタカハルだし、一応、確認。
タカハルの意思を測ってみようと、顔を一瞥する。
私の視線に対して返答はないが、今までより真剣な顔をしている。……様に見えた。
タカハルの本当の感情が分からない。自分の情けなさに思わず、ため息が出た。
「別にいいけれど、人間関係に関しては、知りすぎるのもどうかと思うけれど?」
確かに、殺人者を解っているからといって、リュウ君を無条件に信用するという考えも、どうかと思う。でも、今までのタカハルの言動を見ていると、興味本位で覗こうとしているという可能性がある。
「まぁいいけれどね……」
あなたは眉間にシワを寄せて何を考えているの?
ここでは直接あなたの考えは視えないの。
「ピエロの三月二十一日を視せてくれ」
彼は何かを決意するように言った。その感情もリアルタイムでは視ることができない。




