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占い師になりたい  作者: つっちーfrom千葉
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第八話 ガンボレ祭その後Ⅱ


 このまま何事もなく学校の敷地から出られれば、平和だったのだが、広場へ向かう途中の道で、ラルセが突然ぼそっとつぶやいた一言から、事態はさらに変わってしまった。


「京介もガンボレ祭にさえ行かなかったら、ひどい目に逢わずに済んだのにね……」


 ロドリゲスは静かにうなずいて同意した。


「彼はお祭り好きだからねぇ。近隣のお祭りへの参加は欠かしたことがないし、授業をさぼってガンボレ祭に行ってても、なんの不思議もないけどね……」


 天気が良かったので次第に気分も良くなり、上空のステンドグラスのような輝く青空を眺めながら、僕も話に参加しようかと、無意識の内に口を開いていた。


「そうそう、あとね、フランポーゼの店長も祭りに行ってたんだよ。僕はあの人から事件のことを聞いたんだけどね……。 ああっ!」


 仲間との平和な会話の流れの中で、自然と口をついて出てきた言葉だったので、それを言ってしまってから、顔からサァーと血の気が引くのがわかった。ブエナ女史は僕が話し終わらないうちに、どこかへ向けてタッタッターと走り出していた。声をかける間もなく、数秒後には彼女の後ろ姿はもう小さくなっていた。僕は追いかける気力もなくなり、ただ呆然と見送るしかなかった。走り去った方向からすると、彼女が真っ先に向かったのは、広場にある電話ボックスだろうか。


「あーあ……、せっかく黙っててあげたのに……」


 ラルセは自分がスパイを連れて来た癖に、恩着せがましくそんなことを言った。


「店長に悪いことしちゃったな……。後でこっぴどく怒られるかな……?」

 茫然自失状態のまま、僕は肩を落とした。


「まあ、仕方ないさ……。こういう情報戦ではスパイを押し付けられた側が相当不利になるからね……」


 ロドリゲスは秘密を黙っていられなかった僕を弁護してくれたが、その表情には生徒会への憎しみがこもった無念の想いが滲み出ていた。彼のその言葉を聞いて、僕はムラムラと怒りが沸いて来た。だいたい、順を追って考えれば、堂々とスパイを連れて歩いているラルセが悪いのだ。僕は腹立たしくなり、彼女のワンピースの袖からはみ出ている上腕の白肌の部分を思いっきりバシッと叩いた。


「痛いわね! 何するのよ!」


「おまえがあんな女と連れ添ってるのが悪いんだろ!? スパイだってわかってるくせに! よく考えたら、友達でも何でもないじゃないか!」


「仕方ないでしょ? 知り合ったのは……、まだ彼女が生徒会に入る前だったんだから……。今さら、『思想が違うからあなたとはもう付き合えません』なんて言える? 私の複雑な気持ちも察してよ……」


「暴力はダメだよ……、パヌッチ……」

 ロドリゲスが僕を止めようと、後ろから声をかけてきた。


「それだって、わかれよ! あの女がどういうつもりで今日近づいてきたのかくらいは! だいたい、おまえはいつも物事をいい加減に考えて……!」


 そこまで叫んだところで脱力してしまい、言葉を見失ってしまった。ラルセが最後に「ごめんね……」とつぶやき、僕らの会話は途切れた。


 三人でとぼとぼと無言のままで百メートルほど歩いて行くと、やがて視界に広場が入ってきた。入り口にたどり着く前に、向こうからブエナ女史が手を振りながら走り寄ってきた。


「ごめんなさいね……。トイレに行ってたの……」


「ううん……、別にいいのよ……」


 ラルセが静かな声で応じた。彼女は再びラルセの右肩にしがみつき、一歩も離れない態勢になってしまった。貧乏神のようにまとわりついたまま、僕らがこの話題から離れない限り、永遠にこの態勢を取り続ける気なのであろうか?


 広場の中心部へたどり着いたとき、ラルセがそれを見て小さな悲鳴をあげた。彼女が指差した方向を見ると、フランポーゼが、まだ開店時間であるにも関わらず真っ暗で、窓にはカーテンがかかっていた。僕は両肩をを震わせながら近づいてみたが、店内に人影はなかった。入り口のドアには、『お知らせ』と題する貼り紙がしてあった。


『急用により、しばらくの間、休みを頂きます。皆様にはご迷惑をおかけします。でも、どうか、悲しまないで下さい。私が一番悲しいんです』


 その乱れた筆跡から、店長の無念の想いが伝わってくるようだった。僕は肩を激しく震わせて立ち尽くした。怒りを抑え切れず、僕は喫茶店の窓ガラスを拳でガンと叩いたが、それで状況が少しでも変わるわけでもなかった。広場を抜けて正門に至るまでの道は、木製の矢印型標識によって明確に示されているが、それを見ても誰も前に進みたがらなかった。自分達が守りたかったものが守れなかったのに、これ以上、祭りの顛末を詳しく知りたいとも思わなかったし、ここから先の行動はすべて監視されてしまう。余計なことにこれ以上首を突っ込むことで、生徒会のブラックリストに色濃く載ってしまうのも避けたいからである。しかし、あそこまで意気込んでおいて、このまま何もせずに解散するのも不自然極まりないので、僕の背中を軽く叩いたロドリゲスに促され、ふらつきながらも先導することにした。ラルセは僕に同情と共感の思いを重ねながら、下を向いたまま申し訳なさそうに後をついてきた。


 考えてみれば奇妙である。もう誰も現地へ行きたいと思っていないのに、目の前には進む他はない道があるのである。好ましい結果は絶対待っていないのに……。正門の守衛室の中は、真っ暗で誰もいなかったので、何も言わず、通り過ぎることにした。僕らもちょうどそれを望んでいたわけであるし。


 広大な丘の上にそびえる学校の敷地から出て、舗装された坂道を下り、あの日と同じように商店街へ向かった。その道の半ばまで達してみて気づいたのだが、祭りの開催中はずっと道路脇に掲げてあったはずの『ガンボレ祭にようこそ』の横断幕がすでに取り外されていた。こういう物はいつ誰が外すのだろうか? 祭りが終了した瞬間に商店街の人が気を利かせて外したのか、それとも、その翌日以後に学校関係者が邪魔になったから取り外して焼却したのだろうか。気が滅入っているこんな日は、どうでもいいことがひどく気になるのだ。幾日か前は水晶を買うために期待を膨らませ、ワクワクしながら通ったはずの同じ道を歩いているのだが、今日は足どりも重く、士気も上がらず、まるで葬送行進のようである。


 この町の南側一帯を占める丘陵の上には、占い学校の他にも大量の牛を生育している大きな牧場と、国立公園と公民館がある。従って、誰かがこの坂道を丘の上から下って来たとしても、必ずしも占い師関連の学生とは限らず、牧場や公園に遊びに来た近所の家族連れや観光客である可能性もあるのだ。しかし、今日は学校の礼服である濃紺のブレザーを着込んだブエナさんが一緒についてきているため、商店街の通りを行き交う人々にも、我々一同が占い師候補生であることが一目瞭然なのである。


 うちの学校は儀式がある日以外は服装は自由なので、普段着も授業時間中に着る服も基本的に私服である。学生の多くは校内はともかく、外出する際は、なるべく余所の人達に占い師だとばれないようなカジュアルな服装を心がけている。一般人の中には特権階級にある占い師を逆恨みし、相手が学生であろうと、占い師一門には容赦なく敵意を剥き出しにする人もいるからだ。なぜ、占い師が恨まれるのかということを時系列に並べ、事細かに説明するのは難しいが、基本的には中産階級以上の才能に恵まれた知識人が就くことが多いエリート職であることが、その理由の一つである。つまりは、妬まれやすいのである。


 僕の仲間も普段から、町に出るときは不測の事態に出会わないように、一般人に溶け込めるようなわかりやすい私服を着込んでいるのだが、生徒会の人間だけは別である。彼らは自らが占い師であることに異様なまでの執着心とプロ意識を持っており、やたらと自己主張したがる。授業でも突然立ち上がって自意識過剰な発言を繰り返して、学習時間をいたずらに長引かせ、生徒会員である自らを一般人と差別化したがるのである。今日のブエナのように私服を着た生徒の中に一人でブレザーを着て紛れ込むことを何とも思わず、近所に出かけるときにわざと占い専門道具や水晶玉を持っていって見せびらかす委員もいるほどである。


 ブエナさんは僕らが自分と同じく占い師の一味であるということを周囲に印象づけるために、わざとにこやかに微笑みながら、「今日はいい天気ね~」とか「見て見て! あの店の看板ずいぶん派手ね!」などと、どうでもいいことを大声で話しかけてくるのである。そのため、行き交う人達も次第に僕らの方に異邦人を見るような不可解な視線を向けるようになってきた。


 商店街の中心地にある大きな十字路に差し掛かったとき、横断歩道の手前で信号待ちをしている二人の中年の女性がいた。悪い人たちには見えなかったので、僕はお祭り当夜の情報収集を兼ねて話しかけてみることにした。


「やあ! どうも、こんにちは」


「ご機嫌よう。こんな小さな町に、ようこそお越し下さいました」


 これから買い物に向かうと見られる二人の女性は、最初は僕らを観光客だと思い違いして、丁寧な挨拶を返してくれた。だが、次の瞬間、僕の身体を上着からズボンに至るまでなめるように見回し始めた。そして、僕の首に銀色に光る学生章のバッジが付いているのを見付けると、途端に怪訝そうな目つきに変わった。


「あら…、占い師さんだったのね……。どうしたんです、お揃いで? また、身内に不祥事でもあったの?」


「いえ、今日は遊びに来たわけじゃなくて、先日のお祭りのときのことをちょっと調べに来たんです。お祭りの当日何か変わったことはありませんでしたか?」


 その話を聞いたとたん、左側の女性の顔色が少し変わったような気がしたが、僕がそのことを追求しようとすると、それを打ち消そうとするかのように右側にいた太った女性が話しかけてきた。


「お祭り? ああガンボレ祭のことね? 変わったことなんて、何もありゃあしませんよ! 終始、賑やかで平和的な雰囲気でしたよ。この町に住む人間なら、誰だってそう答えるに決まってます。まだ、数日前のことですからね。すっかり老いてしまった私の脳でも鮮明に覚えてますよ。今年のガンボレ祭りは出し物も出店も完成度の高い見事なものばかりで、外の町や海外からも観光客が大勢いらしてました。そうそう、町長さんの家の前には英雄ガンボレの銅像が雄々しく飾られたんです。普段は、教会の地下室の石棺内に厳重に保管されてるから、一般の人はなかなか見られないでしょう? ですから、大勢の司教さん達の手で銅像が引き出されてきて、町長の家の玄関先に飾られると、町の住民が我先にと近寄ってきて写真を撮ったり、絵に描いたり、拝みながら聖水で汚れを拭きとってあげたりと、それはもう神事に相応しい厳かな光景でしたわ! あなた方は当日ご覧にならなかったの? まあ、残念ねえ……」


「お祭りの最後にパレードがあったと思うのですが、その際に何か変わったことが起こりませんでしたか? 例えば、何か参加者同士のトラブルのような……」


 余計な話をされてしまうと、想定外の時間を取られてしまいそうだったので、僕は核心を突く質問をした。


「変わったことだなんて……。みんなで色とりどりの旗や松明を手にして、町を明るく照らしながら、ゆっくりと練り歩くだけですよ。着飾った子供達が男女二人組になって手を繋ぎながら先導して、その後を大人達が英雄を讃える歌を口ずさみながらついていったんです。その凛とした行進の素晴らしさと言ったら! 変事なんて何も起こるわけがありませんわ」


「どこかで火事は起きませんでしたか?」


 相手に考える間を与えぬように、僕は続けざまにそう質問した。


「まあ、火事だなんて! そんな物騒なこと、決して起こりませんわ! ええ、断じて! すぐそこに港がありますから、水の災害だけはちょくちょくありますが、この町の名誉にかけて火事だけは起こるものですか!」


「わかりました。僕らはガンボレ祭の日に、ある商店が火事になって大変だったと伝え聞いたものですから……。その原因を調べに来たんです。お二人が何もご存知ないのでしたらこれ以上お尋ねすることはありません」


 僕は二人の婦人にお辞儀をして、問題の商店のある方へ歩み去ろうとした。だが、その二人は僕らをまだ引き止めたいのか、わざとこちらの注意を引くようにひそひそ声で話し始めた。その二人の声は、道路を隔てた向こう側の通りを歩く通行人には聞こえないが、まだ近くにいる僕らにはちょうど届くくらいの音量だった。


「あの丘の上の学校の占い師さんたちですって……」


「まだ、若いのにねえ……。わざわざ、専門学校にまで入って占い師に……? 他にやりたい職業はなかったのかしら?」


 わざわざこちらに聞こえるように嫌みを言う陰湿な態度に、次第に腹が立ってきた。


「まだ、何か言いたいことがあるんですか? あるなら聞きますけど?」


 そのおばさん二人は、ほら食いついてきたと言わんばかりに勢いづいてきた。


「火急の用事でもないのに、占い師さんほどの人達が、中級家庭以下の人しか住まないような、ここいら付近をうろうろとしているのは、私らからすれば変に見えるんですよ!」


 魔女狩りが行われていた時代のことはわからないが、昨今では、占い師になる人種も多岐に渡っていて、それこそ、思想も性格も様々であるし、占い学校の卒業後に他の職業に就く可能性も少なからずあるのだが、ああいう頭の堅い人間たちは占い師というのは最も性格が変わった人種の集まりだという偏見を持っており、誰に何と言われても、その間違った考え方を変えようとはしないのだ。すぐに、破壊的・暴力的な思想や、世紀末思想などと結び付けて論じ、占い師がまるで人々を間違った方向へと導く船頭役をしているかのように宣伝するのである。


「占い師だからって何だと言うんですか? 僕らもあなたがたと同じ考えを持った普通の人間ですよ!」


 その婦人は自分にとって都合の悪いことを言われたらしく、こちらから不自然に目を逸らし、両手で耳を塞いでしまった。


「でも、あなたたちはお金が好きでしょう? 学校を出たらすぐに大都会に出て、偉くなりたいのでしょう? 偉くなったら、今の友達のことなんてすぐに忘れてしまうのでしょう?」


 もう一人の小太りの婦人が、目を不気味にパッチリと開き、顔を不自然に歪ませながら、今度はそんなことを言い出した。二人はこちらを指差しながら、ケラケラとたいそう可笑しそうに、そして勝ち誇ったように笑い出したのである。


「お金が好きなのは貴族でも一般人でも一緒だろ? あんたらだって、道にお金が落ちてたら拾うだろうし、普段は困ったことがあると占い師の世話になっている癖に!」


 すっかり頭が熱くなってしまい、意地になってそう反論したが、僕はこのとき、京介が言い残した『女との口喧嘩には絶対負けるな』という言葉を思い出していた。


「パヌッチさん、一般の人を威嚇してはダメですよ」


 ブエナが後ろから生徒会の代表としてそう言ったようだが、占い師というもの自体を非難されたことについては、彼女自身も相当頭にきているような、そんな印象を受けた。ブエナさんの輝くブレザーからエリートの威厳を嗅ぎ取ると、おばさん二人は顔を青くして、コソコソと道路を渡ってどこかへ逃げ去っていった。


「パヌッチ、私たちはね、占いを心から信じている人達や、私たちを尊敬してくれる人達だけを相手にすればいいのよ」


 ラルセはそう言うと、すぐに見える位置にあった食料品店に駆け込んで、牛乳を一瓶買ってきて僕に渡した。これを飲んで頭を冷やせということらしい。


「ああいう世俗の人達は占い師は学校を卒業すると、都会に出て行ってしまって二度と地元には戻ってこないとか、色髪の女の子を何人も連れて高級外車を乗り回すとか、都会のど真ん中に邸宅を建てて偉ぶるとか、そういう悪いイメージを持ってるんだろうね……」


 ロドリゲスが先程のひどい悪態をついたおばさんたちの態度をそう解説してくれた。


「確かに最近テレビなんかで派手に騒いでいる占い師の発言が、占い業界全体の品格を落とすようなことになっているのは事実ですよね」


 ブエナさんが今日始めて我々の会話に同調することを言ってくれた。


「必ず未来を当てる預言者のように、占いを神格化しすぎてしまったメディアも良くないんだよね……」


 ロドリゲスが世の風潮を嘆き、寂しそうにつぶやいたそのとき、後ろから僕らを呼び止める声がした。当然、聞き覚えのある声だったので、四人とも同時に振り返った。京介が向こうから右手を高く掲げて、飛び跳ねるように走り寄ってきたのだ。僕は喜びのあまり、何かわけがわからないことを口走っていた。そして、京介と歩道の真ん中でがっちりと抱き合った。


「ひどい目に遭わなかったかい? 怪我はない?」


「やっと解放されたよ! 心に負った深い傷を癒せるかどうかは、これからのリハビリにかかってるけどな!」


 京介は満面の笑みでそう話した。生徒会に数時間も拉致されてしまえば、どんな辛苦を味わったかは容易に想像できるし、詳しく語ってくれなくても、こうして抱き合うだけで何があったかは通じ合うものだ。


「突然消えちゃったから、本当に心配したのよ……」

ラルセは京介の右胸に手を当てた。


「生徒会は最低だが、おまえらは最高だぜ!」


 行方不明だった京介が戻ってきたことで、僕らは古代人が初めて太陽を手に入れたような高揚感を味わっていた。


 彼が加わって、勇気も百倍になったところで、予定通りにりんごの木商店に向かい、焼き打ち事件は本当に起こったのかどうか、実際に起こったのであれば、その真相はどこにあるのかを知るために、あの店を在りし日の姿と見比べてみることにした。祭りの参加者であるフランポーゼの店長や京介の目撃情報が正しかったのか、それとも生徒会が創りあげてブエナに持たせた、架空のシナリオが真に迫っているのかが、いよいよ明らかになるのである。


 しかし、肝心の京介はやはり生徒会に拉致されていた時間が長すぎたためか、心身ともに相当なダメージがあるようで、意気が上がらなかった。現場に着いてから彼に事件の真相を語ってもらわなければならないので、どんなに体調が悪くても、まだ家に帰すわけにもいかないのだ。


「少し顔色悪いわよ……。部屋に戻ってから何があったの? 大丈夫だった?」


 道の途中、ラルセが心配そうに京介に尋ねた。京介はいつになく暗い表情で首を二三度横に振ってから語りだした。


「教科書を取りに戻って、自分の部屋に入ったらさ、いきなり何者かに後ろから羽交い締めにされて、地面に叩き伏せられて黒い布で顔をぐるぐるに巻かれて目隠しをされたんだ。そして、ヘチマで作ったタワシみたいなもので頭をポコポコと殴られてね。『おまえパヌッチの仲間だろ? さっき、広場でとんでもないことを吹聴してたろう? おまえらは生徒会をなめてるのか? なあ? 答えろよ。うそつけ、なめてるに決まってる。おまえたちの無作法な態度のせいで、学校全体の風紀が乱れているんだ。それで、生徒会費を払わないのはなぜなんだ? 仲間と示し合わせているのか?』って矢継ぎ早に聞かれてね。


『おまえらは学校を裏から牛耳って、神のような気になって、偉そうに振る舞ってるが、人に隠れて、裏でコソコソと増殖していく様は、まるでゴキブリのようだぜ!』って答えてやったよ。そしたら、相手は急に無言になって、その静寂の空気がかえって恐ろしかったんだが、しばらくすると、別の人間が『次の生徒会選挙でうちの会長に投票する気はあるか?』って聞いてきたんだ。『ふざけんな! あんな顔と性格の悪い会長に投票するのはごめんだ!』って答えたら、俺を押さえ付ける力が急に強くなって、あそこまでしなくてもいいのにって思うくらいギュウギュウと地面に押し付けられて、『もう、おまえを改心させるのは無理だ。代わりに折檻してやる』ってあきらめたような口調で言われたよ。その後、ヘチマのタワシで五十発ぐらい頭を叩かれたな。叩かれながら、長い間、耳元で呪文を唱えられていたから、すごく惨めな気持ちになったのを覚えてるよ」


「悲惨ね……。プライドの高いあなたにとって、あまりに悲惨な出来事だったのね……。うっううっ……」


 ラルセはハンカチで目を覆いながら、とめどなく溢れる涙を隠しながら泣いていた。


「それで、最後に目隠しをされたままで外へ連れ出されて、どこかの教室に連れていかれて、多分、生徒会室か準備室のどっちかだと思うんだが、そこで汚い机に座らされてさ。黒い覆面をした男たちに囲まれながら、B4用紙三十枚くらいの長大なアンケートを書かされたんだよ。お決まりの『生徒会のどこが好きですか?』に始まって、最終問の『生命存在の社会的意義についてわかりやすくお答え下さい』まで二千問くらいあってさ…。大変だったよ。疲れ果てて目眩がした…」


 京介は半泣きの顔で、生々しく拉致された時の地獄絵巻を聞かせてくれた。ロドリゲスは京介の辛い心中を察したようだが、スパイが見ている中で、おおっぴらに生徒会の悪口も言えないので、彼の肩をギュッと暖かく抱きしめることで自分の気持ちを伝えていた。


「それが辛かったですって? 大衆に事実無根のデマ情報をばらまいておきながら、たったそれだけのことで見逃してもらえたんですから、もっと生徒会に感謝したほうがいいんじゃありません?」


 ブエナは声を荒らげ、ぬけぬけとそんなことを言った。理屈っぽい女が大嫌いな京介は、その言葉にさすがにムカッと来たらしく、野犬のような残忍な目つきに変わっていた。


「おまえらはすぐに規律とか体制維持を盾にとって、正義を標榜してるが、言いたいことも言えない学校社会なんて最低だぜ!」


 京介はブエナさんを指差して、怒涛のようにそう罵った。彼女は彼女で少しうつむいたまま薄い笑みを浮かべただけで、顔色もほとんど変えなかった。あれだけ正論でまくし立てられても、表面的な動揺はまるで見えなかった。『言いたいことはそれだけですか?』とでも言いたげな涼しい顔だった。


 場の雰囲気はこれ以上ないほど悪くなったが、話が終わると、京介は大きく深呼吸をして、なんとか平静さを取り戻したようだったので、僕らは気を取り直して、大きな十字路を南進して、まずはこの町の貧民区へ向かうことにした。


 この町は南に進むほど貧しい人の居住区やその人達を相手にするいかがわしい店が多くなるように建物が配置されている。そのスラム街とも言える南区の中央通りをさらに突き進んだ、この町の南端のまさに南端にりんごの木商店はある。りんごの木商店周辺の貧しさを極めた情景を『貧困の臨界』と呼ぶ人もいる。


 昼間でも人影がまばらなこの地区であるが、夕方になると出歩く人は全くなくなってしまう。この町の住民には南部地区の南半分は固有名でサウスヘルズ地区と呼ばれ、一度踏み込んでしまったら、例え、妖怪に抱きつかれようが、スリに遭おうが、痴漢に遭おうが、想定外の凶悪な宗教団体に多額の寄付金を請求されようが、警察は絶対に取り合ってくれないことで知られている。基本的に踏み込んだ方が悪いという自己責任地区であり、スーパーが付くほどの超危険エリアである。


 この間、水晶玉を買う際にこの地区を訪れた時は昼間だったので、(もちろん安全とは言い切れないが)なんとか商店の入り口まで通り抜けられたが、日も暮れかけてからたどり着いてしまった今日は、安心して歩ける地域とはとても言えなかった。ヘルズ地区の入り口には、誰かに蹴折られてしまったのか、根本から、への字型に折れ曲がった標識があり、『ここより、サウスヘルズ地区 夜間は侵入禁止 野暮なプライドは捨てること』と書かれていた。


「もう、夕方だけど、どうしよう……」


 僕がそう尋ねると、みんな深刻な表情になり、考え込んでしまった。怖いもの見たさで進みたいとか、逆に怖いからもう帰りたいとか、皆それぞれになんらかの思惑があるようだった。


「僕らだけなら行きたいところだけど、今日は女の子が二人もいるからね……。困ったね……」

 腕組みをしてロドリゲスがそう唸った。


「皆さんがどうしても行きたいのであれば、お供しますが、生徒会規則ではこの地区は立ち入り禁止地区に指定されていますけどね」


「僕らは別に生徒会の人間じゃないから、あなたたちが勝手に作った規則なんて守る筋合いはないんですよ」


 僕はブエナさんを睨みつけ、冷たくそう言い返した。


「それじゃあ、完全に日が暮れるまでは進んでみる? 危険を感じたらすぐ引き上げるけどね」


 ロドリゲスのその言葉を追い風にして、僕らはサウスヘルズ地区に足を踏み入れた。


 りんごの木商店までは、まだ三百メートルほどの距離があったので、治安という概念が存在しないこの道を、危険を避けつつ、それだけの距離を進まねばならなかった。この地区の建物はほとんどがバラック造りであり、しかも、どこから運んできたのかわからないような、バラバラの種類の煉瓦を多種組み合わせて土台を組んである。粘土で作ったような古い壁には無数のヒビが入り、いまにも崩れそうだった。辺りを軽く見渡すと、トタンの屋根に穴があいていたり、窓ガラスが割れていたり、あげくの果てにドアがついていない家さえあった。どの家も本当に人が住んでいるのかすら疑わしくなるような荒れっぷりだった。


「この町の北の方の商業区は綺麗な家が多いのに、なんでこの地区はこんなに荒んでいるのかな?」


 そういう光景を見ているうちに少し怖くなり、誰にでもなくそう尋ねてみた。


「僕が父さんに聞いた話では、昔はこの地区も中産階級の人々が多く住むベッドタウンだったらしいんだけど、清閑で綺麗な町並みだったから、そこに憧れて、他の町から流れてきた多くの人が家を建てたいと希望するようになったらしいんだよ。それで居住区を増やすために森の乱伐を進めていった結果、森の南端にあった洞窟に行き着いてしまい、その中から、悪性のウイルスを持った吸血コウモリが大量に発生してしまったんだ……。街はコウモリの大群に襲われて、住民がそれに噛まれてしまって、何百人もの死傷者が出たんだよね……」


「これも、傲慢な人間の乱開発が生んだ悲劇ね……。住んでいたのが動物たちだけだったら、こんなことにはならなかったのに……」


 ロドリゲスの説明を聞いて、ラルセが残念そうにそう感想を言った。


「そのコウモリは今でもこの辺りにいるの?」

 僕は薄暗くなったので不安になり、辺りを見回しながらそう尋ねた。


「あまりにも危険だから、警察や消防を大動員して駆除にあたって、今から十年前には概ね駆除されたらしいけど、その間に良識のある住民は、みんな他の地区に移り住んでしまったんだ。その後、他の地区で住居を持てないようないわくつきの連中が入り込んで来て、ここを住家にするようになってしまって、すっかり荒れ果てて今のような無法地帯になってしまったようだね……」


「この辺りは図書館に置いてあるような精密な地図でも、何も表記されない空白地域になっているんだよな。多分、地図の製作会社の人間も怖くて踏み込めないから、誰も測量したことないんだろうな。ここに来てしまったら占い師なんて無力だよ。占ったって、自分の無惨な未来しか映らないからな」


 京介が淋しそうにそう言ったので、一度横を向き、それにうなずいたのだが、そのとき右手にある民家の窓からこちらを覗き見る黒い視線と目が合ってしまい、僕は怖くなって慌てて目を背けた。気がつくと、僕らを周りを取り囲むように建ち並ぶ家々から、いくつもの不審な人影がこちらを見て、指差しながらヒソヒソ話をしていた。僕らの会話を聞かれてしまったらしい。少し大声で話しすぎたのかもしれない。


「あんまりキョロキョロしてはダメだよ。連中を刺激しないように静かにここをすり抜けよう」


 みんな顔を少し下へ向けて道路だけを見るようにして歩きだそうとしたそのとき、後ろから謎の声が話しかけてきた。


「こらこら、ここへ出入りしてはダメだよ」


 その声に振り向くと、薄いピンクのYシャツとジーパン姿の三十代とおぼしき男性が緊張感を漂わせた表情を浮かべながら、左後方から近づいてきた。


「あなたはどういう方ですか?」


「私はこのヘルズ地区周辺の治安を任されている警察官だよ。名はビヴラータというんだ」


「では、失礼ですが、手帳を見せていただいてもいいですか? もうヘルズ地区に踏み込んでしまったので、あなたにそう言われても簡単には信用できないんです」


 僕がそう言うと、その男性は感心したようにパンパンと二三回手を叩いてから、僕の頭を優しく撫でた。そして、自分の胸に付いていた赤いバッジを外すと、それを僕に手渡した。それには小さな文字で『サウスヘルズ地区専門保安官』と書かれていた。


「僕が自分で警察だと名乗っているのに、その言葉を全く信用しない君の態度には感嘆したよ。まさにそれでいいんだ! この地区ではそのぐらいの慎重さがなければ、入ってものの五分もしないうちに、不審者に襲われて身ぐるみ剥がされて放り出されるだろうね」


「では、あなたのことは信用してもいいんですね? あなたは間違いなくこの地区の保安官なんですね?」


「もちろんさ、もう五時を過ぎたから仕事を終えて帰宅しようと思ったところだが、君達がこの地区に用事があると言うなら、少し時間をオーバーしてもガードしてあげよう。どこまで行きたいのかね?」


 その保安官は優しげな口調でそう言ってくれたので、僕らは彼にこれまでのことを話して聞かせることにした。警察の関係者にあの晩のことを知ってもらえば、何か解決の糸口が見えてくるかもしれないと期待したからだ。



この作品は長大なので少しずつ区切って投稿していきます。気軽に感想をいただければ幸せです。

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