第二十七話 厳罰棟所長の訪問Ⅸ
アリアの一連の発言によって場の空気は相当に乱れてしまったが、講演者のマリャベリさんもアリアが放心状態になって力無く座り込んだのを見届けると再び話し始めた。この人とて、何があっても自分が用意してきた発言をすべてやり遂げるまでは帰らないという強い意志を持っているはずで、このぐらいの騒ぎはなかったことにして、自分はあえてよく知りもしない生徒同士のやり取りに関与せず、淡々と発言を続けるつもりらしかった。何があろうと、聴衆が若年層である以上、講演者の方から動揺を見せたら負けだと思っているらしい。ある意味で真のプロである。
「皆さん、大丈夫ですか? 先ほど立ち上がったお嬢さんも相当に混乱しておられたようですけど、今は大丈夫でしょうかね。それでは、私の話を続けましょうか。先ほどは厳罰棟の機構のことを少しお話しましたけど、もちろん、厳罰棟やそこに留置された人々の特徴というのは、そればかりではないんですけど、そのことばかり話していても、本題に入る前に時間が来てしまいますのでね、ここからは少し私の半生のことを話していきたいと思います。私がなぜ今のような地位に就けたかということですね。これを皆さんに話していきたいと思います。皆さんもご存知の通り、私も昔はこの学校の生徒でしたけど、在校時は正直、あまり目立つ生徒ではありませんでしたね。私は最高学年になっても、占い師の資格も取得出来ませんでした。と言いましても、当時は今とは占い師試験の仕様もそれになれる確率も、全然違いましたのでね。誰もが簡単に占い師になれる時代ではありませんでした。何をするにも、本当に運が絡んでいたんですよね。20年も前の話になりますから、当時は校舎もこんなにきれいではありませんでしたし、占いの研究もまだ発展途上で、水晶にしても占星にしても、さしたる文献もありませんでしたから、生徒自身が自分で試行錯誤しながらの勉強でしたね。先生方も自分たちもあやふなや立場にいる中での、教育というものに相当苦労されていて、教材なども全員に行き渡る数はありませんでしたのでね。その中での勉学でした。今は全員が同じ教材を持って、同じ時間だけ勉強するということが出来るようですけど、当時はもう先生へのツテが頼りでしたから、有名な先生のクラスに入ることができて、そこで気に入られて、一緒にべったりとくっついて勉強することが出来た生徒は、どんどん階段を昇っていきましたけど、私のように、媚びだとかお世辞なんてものが嫌いな生徒は、まともな授業を受けられない状況にあったんですよね。その中で追いつけ追い越せでやっていましたから、それは大変でした。
当時の占い界は、エスカー宣言による騒乱の真っ只中にありましたから、学生たちも相当に荒れていて、議論するというよりも闘争している雰囲気がありました。ピリピリとしていて、校内を散策するだけでも大変だった覚えがありますね。何も考えずにぼおーっとして歩いていますと、すぐに黒いマスクで顔を覆った活動家に服を掴まれて、『おい、おまえはエスカー宣言に賛成か反対かどっちだ?』なんて聞かれたりするんですよね。時には、自分の心情と逆のことも話さなければいけないような雰囲気がありましたね。エスカー宣言に賛成している派閥の方が意気は盛んでして(今ではリベラルなんて柔らかい言葉で呼ばれていますけど)、校内にバリケードを築いたりしましてね、自分達の基地なんかを造ったりしていまして、それを排除しようとする警官隊と衝突していました。『本当に未来を占える学生なら、こんなことはしないはずだろ!』なんていう警官隊の拡声器を使った呼びかけ声が校内の隅々まで響いていましてね、本当に勉強なんてしている場合なんだろうかという緊張感がありましたね。今は学生運動なんて言ってもビラを配るとか、週に一度集会をするくらいでおしとやかなものですが、当時はそういう殺伐とした雰囲気の中での学生生活でした。エスカー宣言に端を発した騒乱は結局3年半ほど続きましたが、結局保守派が勝利しまして、今でも水晶やトランプ占いなんかの主流派が幅を効かせてますけど、保守リベラル双方の発言力は当時は互角の様相でしたから、我々占い師の未来がどっちに転がってもおかしくないような状況でした。
そんな殺伐とした雰囲気の中で、私は懸命になって勉学に励んでいた覚えがありますけど、どんな思い出も、残念ながら今ではすっかりモノクロームですよね。今になって、様々なことを思い起こしてみますと、先生に気に入られなくても仲間で組んでわいわいと研究を進める生徒は優秀な成果を収めたりもしていましたね。認めたくはありませんが、友人との協力というものが凡人の知性に良い影響を与え、個人では成し得ない成果を上げることが往々にしてあるようです。ところが、私は性格上、他人と協同で研究をすることが出来ませんで、何か一つ覚えるにも、自分一人で図書館に篭っての一からの勉強でしたから、大変に苦労した覚えがあります。私の性格の欠点は簡単に言うと、他人の言葉から、勝手に悪意を見つけてしまうところにあったんですよね。私はこれを知性の高い人間に有りがちな小さな欠点と思い込んでいます。なぜって、これは物事を深く考えられるから生まれる妄想なんですよね。皆さんには他人に何気ない一言を言われただけでその人の心理が読めるような、そんなことは起きないと思いますが、それは俗人の思考回路が単純だからなんでしょうかね。それとも、私より直感的に近道を進みながら、災いをうまく避けて人生を渡っていけるからでしょうかね。ふふ、それはどうでもいいことですね。話を続けましょう
私が学生だった当時から、何かにつけて一言多い学生というのはいまして、私が図書館で一人机に座って一心に本を読んでいますと、通りすがりに話しかけてくるんですよね。心で思うだけでも差し支えないようなくだらないことなんですけど、その人はなぜかいつも面と向かって話しかけてくるんです。『あそこのクラスの誰それが、先日から男と付き合うようになったらしい。まったく、ふしだらだ』とか顔を近づけて、明らかに私に向けて声をかけてきますと、私にも自尊心がありますから、くだらない会話に巻き込まれるのはまっぴらだと思っていましたから、本当は他人の恋愛を嫉んで噂話を投げつけてくるような、そんなレベルの低い人と絡みたくはなかったんですが、完全に無視を決め込んでしまいますと、今度は向こうが機嫌を悪くして、こっちのありもしない悪口を他で言い触らされる可能性がありましたから(そうでなくても、私は当時から少し根暗で陰険な性質だと周囲から言われていましたのでね)、仕方なく、私も勉強の手を一時止めまして、顔をそちらに向けて作り笑いを浮かべてから、『ああ、そんなことがあったんですか。まったく、人間関係って面白いですね』などと当たり障りのない返事をしますと、特にそこから話が膨らんで盛り上がるわけでもないんですが、向こうも無口に戻って、返事を得られたことだけで、私に興味が無くなったのか、すぐに私の側から離れて他の棚に移って文献などに目を通されていまして、その程度の返事で満足出来るようなことなら、最初から話しかけないで自分の心中だけで解決して欲しいなどと思ってしまうんですね。しばらく時間が経って、私も黙々と勉強に励んでいますと、どうしても人恋しくなりまして、先ほど話しかけられた経緯もありますから、今度はこちらから、『そういえば、あの先生はなんで学校辞めることになったの?』なんて、出来るだけその人が興味持ちそうな話題を選んで話しかけてみたんですが、その人はこちらに一目もくれずに、『さあ、何でだろう?』なんて気のない返事をするだけなんですね。つまり、その人は自分の話を他人に聞かせたいだけの人間で、他人の話にはまったく気を向けない人だったんですけど、私はそういう態度を取られるたびに自分が見下されたような気がしまして、非常に不愉快になるんですね。そんな人間には最初からコンクリートの壁を相手に会話のキャッチボールをして頂きたいんです。そんな人間とは、早々に手を切ってしまうといいんですが、そういう類いの人は、次にまた自分の話したいことができますと、ツカツカとこっちに歩み寄ってきますんで、その上で愛想笑いなどされてしまいますと、こちらも完全に無視を決め込むのもマナー上良くないかな、なんて考えてしまうんですよね。いやいやですが、また無理に笑顔をつくろって応対したりもしますが、そういう自分が好きでもない人間にきちんと応対していた本当の理由というのは、自分には確固たる友人がいなかったという点でして、もし、私の身の上話を長時間親身になって聞いてくれる友人が近くにおりましたら、私もここまで自分が捻くれることはなかったと思うんですけど、とにかく、一人で勉強をしていた私には友人がいませんでしたから、他人にそのことを知られてしまいますと、また悪い噂を立てられて、そこから妄想を働かせてしまい、人間不信の悪循環に陥ってしまいますのでね。好きでもない人間と、時には無理にでも語らうことによって、自分の社交的な一面というのを通り掛かる他のクラスの生徒などにアピールしていたようなところはあります。
そんな生活を続けているうちに、私はいつ頃からか、とにかく人間不信の塊になってしまいまして、それは身近な人間、家族や他の生徒だけでなく、テレビに出てくるような、政治家や芸能人や占い師や財界人など、とにかく何も信じておりませんから、テレビや新聞などを読んでいましても、それに反発することをすぐに思いついてしまいますね。他人の偉そうな意見を聞いてしまいますと、とにかく不機嫌になるばかりで、それならいっそのこと脳みそに何も情報を入れないで生活してみたら……、なんて思いも浮かんで来ますよね。考えてみますと、人間界で常に偉いのは孤高の人間、孤独に人生を捧げた、芸術家や発明家でありまして(彼らが孤独だったのは、自分によき理解者がいなかっただけではなく、彼ら自身が、勉学のため、思索のために孤独であることを望んだからです)、彼らが新しい道を示すことによって人類は安閑とした船旅を続けていられるのです。つまり、世界の舵をとっているのは、金儲けしか目のない政治家や財界人ではないわけです。私も大衆に迎合するのではなくて、マスコミにおべんちゃらを使って自分をアピールするのではなくて、誰からも目を向けられないけども、逆風に負けずにしっかり大地に根をはっているタンポポになりたい、などと学生の時分は思っていましたね。それが私の理想でした。今はそこまで理想主義者ではありませんけどね。出世するほどに、私の考えも変わってきましたけれども、その辺の核心が今日皆さんにお伝えしたいと思っている、『妥協の中にある成功』なんですよね。実は、ここからが本題なんです」
この作品は長大なので少しずつ区切って投稿していきます。気軽に感想をいただければ幸せです。この作品はアラブ系千葉文庫(http://www9.plala.or.jp/applepig/)にも掲載しています。全部で十数個の短編作品を掲載しています。できれば、そちらの方にも遊びに来てください。




