第二話 ラルセとタロット占い
その次の日の朝、試験失敗のショックから立ち直れない僕は、昼頃まで寝ているつもりだったので、目が覚めてからも、布団の中でゴロゴロしていた。しかし、部屋のドアをノックする者が現れたので、起きなければならなくなってしまった。自分の意に反して身を起こすというのは不快なものである。ドアを開けてみると、京介とロドリゲスが少し笑みを浮かべながら立っていた。
「やあ、おはよう。掲示板に前期の試験結果が張りだされたようだけど、どうする? 一緒に見に行くかい?」
ロドリゲスは慎重に言葉を選びながら、僕にそう聞いてきた。今日が試験結果の発表日だと言うことは知っている。この2人だって、僕の試験の出来が他の人間と比べて異常に悪いことはわかっているから、おそらく一度は、僕に声をかけずにそっとしておくことを考えたであろう。しかし、それはそれでかえって機嫌を損なうことになるかもしれないと、そこまで考えた末に一応様子を見に来たというわけだ。まさに『小さな親切大きなお世話』を地でいっている。
「いや、悪いけど、見なくてもわかるから」
僕も彼らの気を悪くしないように勤めて平静を装いながらそう答えた。
「そうかい、じゃあ、僕ら二人だけで行くから…。気が向いたら後からおいで」
それだけ言うと、ロドリゲスはドアを静かに閉めた。お互いに相手の心と行動を知り尽くした恐ろしいやり取りである。その直後、コップ一杯の水を飲んでから、僕はまた眠りについた。
昼過ぎになって、ようやく布団から這い出て、出かける準備をした。やはり掲示板へ結果を見にいくつもりである。結果など死んでも知りたくはないが、どうせいつかは誰かに知らされるか、視認する羽目になるのなら、早いうちに自分の方から好きなタイミングにおいて確認しておいたほうが、案外衝撃は少なくて済むものである。長年の不遇な体験から、僕はこのような結論を導きだしていた。それに、この時間ならそんなに人はいないだろう。ショックを受けているところを見られなくて済む。
だいたい、こんな一回の試験で実力を判断するなんて、そっちの方が間違っているよな。いや、しかし、本当に優れた占い師なら、どんな緊張する場面でも、しっかり結果を出すであろうし、難しいな。
そんなことを考えながら歩いていると、あっと言う間に掲示板の前にたどり着いてしまった。案の定人影はほとんどなかった。広場には木製の掲示板は全部で六枚用意されていた。成績の良い者から順に名前が掲載されていた。上の方に自分の名前がないことはわかっているが、一応1枚目から見ていった。水晶専攻の生徒の中では、ロドリゲスが十四位。これはすごい。尋常ではない。水晶専攻の生徒は総勢千五百人もいるからだ。うちのクラスの他の生徒も、まあ、無難なところにいた。無難でなかったのは僕だけか。
「京介は二位(三人中)かあ」
そんな独り言を呟きながら、自分の名前を探しに、六枚目の掲示板の前に来た。千三百を超えた辺りに僕の名前があった。想像していた通り、容赦のない結果だ。それほど道徳に逆らって生きてきたつもりはないのだが、この世に神はいないのだろうか? 僕の名前の下にはボールペンで『バカ』と落書きが記してあった。たぶん、たでま先生が例の一件の後に書いたのであろう。大人気ない行いではあるが、彼の気持ちもよくわかる。そっとしておこう。
「あっ、バカだ。バカがいる!」
突然、後ろからそんな声が聞こえた。反射的に振り返ると、ラルセが立っていた。
「あんた、でも、すごいよ。水晶専攻なのに、水晶が三十五点って。なかなか出来る事じゃないわ…。まさに天才的ね…」
彼女は間髪入れずにそう言うと、今度はケタケタと笑い出した。
「うっさいな~。おまえはどうだったんだよ?」
彼女の口の悪さは今に始まったことではないので、僕は別に気分を害さなかった。この悲劇的な状況においては、かえってこのぐらいの反応をされたほうが気持ちいいぐらいである。
「聞きたい? 三位だったわ。試験当日は調子も良くなかったから、まあ、いいとこでしょ?」
ラルセは少しふんぞり返ってから、さらっとそう言いのけた。
「ふ~ん、まあまあだね」
背中が凍りつくような感覚に襲われたが、動揺を悟られないように、顔色を変えずそう言った。
ラルセは占星術専攻であり、僕と同じホームルームの生徒だ。水晶と並ぶ、人気学科の占星術は七百人近い生徒が専攻している。その中で三位とはただただ恐れ入る。性格は人類史上類を見ないほどに悪いが、成績は超優秀で、我が校の推薦候補生の彼女は、ロドリゲスや京介と並んで、僕の親友の一人である。血液型はB型で口癖は「なめてんじゃないわよ」。
彼女は僕の親友であるばかりでなく、校内の学生間の発言権も極めて大きく、リベラル派の中でも名うての実力者であり、僕の学生生活を語っていく上で、欠かせない存在なのだ。知性はきわめて高いが、その清楚で現代的な外観に似合わず行動は極めて破天荒であり、ただのおてんばな女生徒だと思っていると痛い目に遭うだろう。
彼女の精神力の強さを証明するかのような、二、三のエピソードがあるので、ここでそれを紹介しておくのも良いと思う。女性のすべてのタイプが大きな円形のグラフを形造っているとしたら、ラルセは間違いなくその一番端っこの線上の際にいて、一般の人が人生のレールの上を、よそ見をせずにまっすぐに歩んでいった場合、絶対に出会えないタイプであると思われる。
そのエピソードとは、彼女が休日に隣町に買い物に行ったときのことである。三両編成の満員の電車内で、一組のカップルが他の乗客の迷惑を顧みず、やけに大声で騒いでいたらしい。彼女が乗り込んだ瞬間から、すでにそのような状態だった。そのカップルはちょうどラルセの真向かいの座席にいたらしい。話し声がやたらと大きいとか、甲高い声で笑うとか、その程度のことであったら、このような周囲を見ようとしない、視界の狭い若い世代にはよくあることであるし、後で笑い話にでもすれば済むわけだが、そのカップルのふざけ方がどうやら度を越していたらしく、まず、男性の方が女性の大事にしていた手帳を取り上げて、それをいやらしい目で読もうとしていた。女性の方は大声で笑いながら、それを取り返そうと必死に男の方に身体を絡め、男性はそれでも腕をうまく逆方向に伸ばして、彼女に取り返されないようにするから、二人はしっかりと組み合っていて、これはもう、他人から見れば相当に淫らなことをしているようにも見えたのだ。周囲にいた客もこのような行為を見逃すわけにはいかないと思っていたようだが、衆目の中で自分だけが道徳観を発揮して注意をすることに躊躇していた。公共の場での事件にありがちなのだが、周囲にもののわかった大人が多ければ多いほど、かえってこういう状態になりやすいものだ。結局のところ、そのカップルの騒ぎはラルセが乗り込む二十分以上も前から続いていたらしい。
少なくとも、ラルセはその時の様子をそのように説明した。彼女はこの一件がすべて終わってから一年以上経過した現在に至っても、自分の破天荒な行動をすっかり棚に上げて、怒りをあらわにしていた。当時の彼女にとっても周りにいた客と同様に、相当に腹立たしい光景であったらしい。一つ述べておくと、彼女も普段は性格は大人しい方で、少なくとも校内にいる限りは、例え、自分にとって不利な出来事があっても、決して他人に対して怒鳴ったり、手を出したりということはなかった。
これは、見知らぬ人間には、自分の性格をなるべくよく見せたいと考えているからなのかもしれない。まあ、僕らとふざけて遊んでいるときはその限りではないが、それでも最低限の良識や態度は守っていた。しかし、この時はこの眼前で暴れ回っているカップルの醜態に逆上したらしく、わずか十数秒で心中の怒りの樽を下から上まで満タンに満たしてしまい、まず、二人をギラっと睨みつけ、次の瞬間にはバカップルに向かって突進すると、まず、持っていた傘で男性の頭をひと殴りし、その後で女性の身体を傘の先端で何度も突き回してやったらしい。その時に彼女が発した、「なんてざまよ! この、都会を汚し放題のネズミどもは!」という大きな声は、隣の車両の客までも驚かせたらしい。
このカップルも、普段であれば、一般の説教好きの年寄りや、駅員などの忠告など耳にも貸さなかったのだろうが、この時は自分たちよりも若い女性に怒鳴られてしまい、周囲にも恥を撒き散らす羽目になったことで、不快感をあらわにする以前に恐れをなしてしまい、すっかり怯えてしまい、次の駅で速やかに下車して姿を消したというから、この時のラルセの剣幕がいかに凄かったのかが伺える。
彼女は喫茶店などで僕らと語り合っているときに、自分の失敗談としてこういう話をしてくれるのだが、ラルセの生態を知り抜いている僕らが聞いても耳を疑うような話が多いのだ。少なくとも、彼女は校内ではエリートとして知られているので、一般の人がこの話を聞き付けてしまったら、それはもう、驚きのあまり大手の新聞に投稿でもしかねないレベルの逸話が多い。それでも、彼女はどうしても許せなかったからの一言でこの話を終わらせた。
偶然ではあるが、次のエピソードも電車での話で、それも、この一件は前の事件から数日しか経ってないらしいのだ。それは、ラルセが近所の駅のホームで電車待ちをしていたときのことである。その日、彼女は天候占いの研究のことで、難しい懸案を抱えていたらしく、朝からひどく物思いにふけっていたらしい。ホームで考え事をしているとき、まあ、エリートであるラルセのことなので、天候にさぞかし難しい人生哲学を絡めて考え込んでしまったのだろう。彼女は上り電車に乗るはずが、誤って下り電車に乗り込んでしまったのである。電車が動き始めてからすぐにそれに気がつき、動転してしまい、顔を真っ青にしながら、「ああー! 間違った!」と思わず口に出して、大声で叫んでしまったらしい。その声を聞いて、近くの座席に腰掛けていた学生ふうの男性が彼女の方を驚きの目で見たらしいのだが、ラルセはその男性を逆に睨み返すと、「なんで、教えなかったのよ!」と唐突に呼び掛けたらしい。もちろん、この男性とはこの時が初対面である。
彼女が後で語ったところによると、この時はすっかり気が動転していて、自分が乗り間違えたということを、大声を出したことで周囲にも知られてしまうという失態も合わさって、相当に恥ずかしかったらしい。そこで、照れ隠しでこのような呼びかけをしてしまったらしい。しかし、男性の方は見知らぬ女性に何の因縁を吹っかけられたかわからず、キョトンとした顔をしていたらしい。この人にしても衆目が注目している状況で、簡単に冷静な態度を崩すわけにはいかなかった。まさか、自分が大変な癇癪持ちに絡まれているとは思わなかったであろうから。しかし、次の瞬間、ラルセの強烈なるビンタが飛んできて、男性の右の頬を直撃した。
ここからがよくわからない話なのだが、ラルセはその男性を殴ったことで、彼に対してすまないことをしたという気持ちと、失態による気恥ずかしさが合間って生まれ、自分の殴りつけた相手に対して、唐突に恋をしてしまったらしい。彼女は殴ってしまってから、自分のそのような感情に気がつき、介抱するために、優しく話しかけようとしたが、時すでに遅く、男性は彼女に恐れをなして、驚きと恐怖の入り混じった悲鳴をあげながら、早々に逃げ出してしまったという。それでも、彼女はこの時のことを深く後悔していて、事件の後、数日間はこの男性を探して同じ駅に通ったというから、この恋も簡単にいい加減なものとまでは断じきれないところがあった。この時のことを思い出しながら、「あの時は本当に惜しいことをしたわ」と彼女が何度か呟いているところを確認したことがある。
以上が、彼女の性格にまつわる二つのエピソードである。こんな話を紹介せずとも、僕の書いたこの文章を読み進めてもらえれば、彼女の荒い複雑な性格は十分に伝わると思うのだが、最も重要な友達の自己紹介を兼ねてこの話を掲載させてもらった。では、本筋に戻ろう。
「なんで、おまえ、今頃、こんなとこにいるの? 朝一の授業はどうしたんだよ?」
僕がそう尋ねると、ラルセはあくびを一回してから、このように答えた。
「今日は寝坊。それでね、暇つぶしに広場に来て、同じクラスの生徒の順位は全部見ておこうかと思ったんだけど、あんたの名前を探してたら、随分はじっこの方まで来ちゃったわよ。千三百四十五位って…、これ以降の生徒のほとんどは、試験当日休んでた人達じゃない? ってことは実質的にはあんた最下位よ。本当にたいしたもんだわ、オラウータンや初めて水晶を操る人だってあんたよりは上に行くわね」
「まあ、試験当日はいろいろあってね…。俺の人生は常にそうだけど、何もかもが思い通りに進まないんだよ…」
僕が泣きそうな顔で理由を説明しようとすると、彼女は僕の肩を軽く叩き、それを制止した。
「今さら言い訳はいらないわ。あんたがコアラよりプレッシャーに弱いことはよく存じてますから。でも、あんまり低いところにいられると、あんたと仲のいい人たちまでが、全校生徒からそういう目で見られるわけだから、次はちょっと上へ行ってね……?」
僕らは、宿舎にある自室の方へ向かって歩きながら、話し続けた。
「俺もねぇ、この学校に入る前までは占星術にあこがれてたんだよ。でもやってみると難しいじゃん……。そんで結局あきらめちゃったよ。すごいよな……、何でおまえあんなにできるんだよ?」
彼女の性格を考慮し、気を利かせて僕がそう尋ねると、ラルセは褒められたことで嬉しそうに目を輝かせた。
「あんた、なめてんじゃないわよ。ちょっと勉強すれば格好がつく水晶とは違うわ。占星は心よ。美しい星空に自分の素直な思いをぶつけるの。ロマンチストでなきゃできないわ。まして、占う前に金の勘定をするような男には一生修得できなくてよ。あんたは絶対、ロマンチストじゃないものね。どちらかというと、野生に近いわ」
彼女は凄まじい悪口を並び立てた。調子に乗ってくると、いつもこんな感じである。
「ラルセだって、お金大好きだろ?」
僕はかろうじて、一言返した。しかし、彼女は全く意に介さない様子だった。
実はこのラルセも一学生の頃はそれほどできる生徒ではなかった。他国からの留学生であったため、不安と戸惑いがあったのか、入学当初はエリートならではのプライドの高さなどは微塵もなく、今からでは信じられないことだが、遠慮しがちで大人しい生徒であった。
人にものを尋ねることが苦手であったため、水晶や占星のクラスでも、仲間とうまくなじめず、それが災いしてか成績も平凡であった。僕とどっこいどっこいの成績であったから、出会ってからも、なかなかうまくいかない学校生活のことで話が合い、すぐに仲良くなることができた。当時はよくお互いの成績を比較して、楽しんでいたものだ。ところが、どんなキッカケがあったのかはわからないが、昨年の夏頃から突然星占いに真剣に打ち込みはじめ、うちの学校の高名な占星の先生に師事するようになり、それで自信をつけてしまったのか、性格もうなぎ登りに高飛車になり、今では学内の女性占い師ではナンバーワンの実力者と評価されるまでになっていた。対称的に僕の成績は昨年夏から落ちつづけ、今のように天と地のような膨大な差がつくことになってしまった。
「信じて欲しいんだけど、今回のテストが僕の限界じゃないんだよ。才能は体中に有り余ってるんだ。だけど、試験本番に弱くて、いつも六・七割の力しか出せないんだ…」
「六割も出しきってあの程度なの? それなら十割全部出たところでたいして怖くないんだけど…」
ラルセはその大粒な目を見開き、心底呆れているような顔でそう言った。
「そういうことじゃないよ。本番で全力を出せない人間だと表現したいんだ。例えば、実際にプロの占い師になってからの、お客を相手にした占いってのは、あそこまで緊張する局面ではないと思うんだ」
「だめよ。それは通らないわ。占い師といっても一人の学生である以上、明確な評価基準作りのための試験は避けて通れないし、その試験で結果を残せなかったら、どんなに罵倒されても文句は言えないわ。それと、あなたは甘く見てるみたいだけど、お金を払って占いの結果を待っているお客さんの目は、それはもうシビアなのよ。悪い結果が出たとしてもそれを上手くごまかしていい結果であるかのごとく伝えるとか、あるいはそのままに伝えてお客に反省と奮起を促すとか、その辺を瞬時のあいだにどう判断するかが占い師の技量なの。三十分も考える時間がある学内の試験とは比べものにならないほど難しいのよ」
「僕だってこんな結果を出してしまったら、そこまでかっこいい占い師になろうとは思わないよ。六割程度の実力でいいんだ。僕のこれまでの人生は何をやっても常に六十点くらいだから、将来占い師になれても結局その程度なんだろうね」
「いつも六十じゃだめなのよ。私たちエリートが目指すのは、出来か不出来かわからない七十でも、いつかはできる八十でも、油断大敵の九十でもなく、完璧なる百点でなくてはならないのよ。『七十でも結構です』ではなくて、『百点以外はいりません』と答えられなければ占い師としては失格なのよ」
いつからこんなにエリート意識の強い女性になってしまったのかはわからないが、こんな厳しい言い方をしていても、かつては同じ悩みを持っていたライバルとして、僕のことを心配してくれているため、僕らの友人としての関係は途切れることなくうまくいっていた。
「あっ、そう言えば、昨日、宿舎の二階で、たでま先生がウロウロしてたらしいじゃない。あんたの部屋に行ったの? そうなんでしょ? ちょっとそれ以外は考えられないんだけど…」
「ああ…」
「何しに?」
「ちょっと、占ってほしいって…」
「何を?」
彼女は興味を持ったらしく、核心をついた質問を立て続けに繰り出した。
「いや、当店は顧客の秘密保持の原則を厳守しておりますので、残念ながらその質問には答えかねます…」
僕の顔色が悪い方向へ変わったのを見て取ると、ラルセは不気味な笑みを浮かべた。
「はっは~ん、これは女性がらみの問題ね。そうでなければ、髪の毛よ。たでま先生、最近薄くなったもん。どちらにしても、ろくなことでないわ」
絶対の自信を持って彼女はそう言い切った。思わず話しすぎてしまったかと、僕は慌てた。
「ち、違いま~す」
しかし、僕の表情の微妙な変化を伺いながら、彼女はたたみかけた。
「あっ! もう、わかった。髪の毛だ。やっぱり、禿げてたんだ。キャハハハハハ! 男同士のお悩み相談って寂しいわね~」
彼女の推理能力は学内屈指だ。両親は心理学者だったのではないかと疑うほどである。
「一応言っとくけど、その問題にあんまり触れない方がいいよ。おまえは口軽そうだから忠告しておくけど、他所でそのことをばらしたりしたら、これからの人生を左右しかねないよ」
「わかってるわよ。そんで、いくらもらえたの? 少しは財布の足しになった?」
「たった千だよ…。でも、自分の担任の先生からそんなに取れるわけないだろ……」
「やっすう~。あんたねえ、占いをなめてんじゃないわよ。あんただけよ、占いでちょこまかと小遣い稼ぎしてんのは。他の生徒は、将来占いで食べていくためにとがんばってるのに…」
「しょうがねえだろ。高くすると、見事に誰も来なくなるんだよ、うちの店は!」
僕は誰にもぶつけることのできなかった現実を吐露してしまった。親友である彼女には話しやすいということもあるのだろうが…。ただ、さほど当てる自信もないから見料を取りにくいとは、とても言えなかった。
「水晶は単価が安いものね。憑依や易は1回で十万近くもらえることもあるらしいわよ」
「そうなんだ……、やっぱり、専攻する教科を間違えたかな…」
「それもあるけど、あんたの場合は雑な性格と技術の無さよ。たぶん…」
いろいろと話しているうちに、知らぬ間に宿舎にたどりついており、僕らはそのままコンクリート造りの正面階段を登った。彼女と最近の話をしているうちに、精神的には相当追いつめられてきたので、僕は話題を変えることにした。
「あっ、そういえば、おまえ、また男できたんだって? 聞いたよ、京介から」
ここまで余裕綽々だったラルセの顔色がさぁーっと変わった。相当なダメージを与えることができたらしい。
「な、なんで、京介がそんなことを知ってんのよ!?」
「この前見たんだって、フランポ-ゼ(校内にある喫茶店)でね。金髪だって? イギリス人? それともアメリカ人?」
「ここの人じゃないわよ。同い年だけど、学生っぽい雰囲気はなくてね、ちょっとおしゃれな人なの。この間さあ、突然、私の店に来たのよ、占ってほしいって。運命よ! 運命の出会いよ、これは!」
ちょうど、そのとき僕の部屋の前に到着したが、打ち切れない話だったので、そのまま立ち止まって話し続けた。
「無茶言うなよ。なんで、おまえの店を男前のやつが訪問すると、それが運命の出会いになるんだよ。だいたい、前の男はどうなったんだよ。ほら、あの、バスケが好きだっていう…」
しかし、彼女は僕の質問を無視した。多分その話題は掘り進めると、都合が悪いことになるのだろう。
「彼ってねえ、画家になるために、今勉強してるんだって。超かっこいいよね、そういうのって…」
「今どき芸術家になりたいとか、簡単に言う男は怪しいよ。後ろ暗いことがあるんだよ。あるいは普通に生きていくことが出来ないくらいに学歴が低いんだよ。絶対犯罪歴とかあるぜ、調べてみな。それに僕だって、今勉強してんじゃん。目的は違うけど。かっこいいだろ?」
「はあ? あんた、なめてんじゃないわよ。あの人は、ここらの男とは違うわ。眼がキラキラと輝いてるのよ。瞳孔の奥まで光ってるのよ。たぶんねえ、私たち結婚するわ。こんなこと、占わなくてもわかるわ。水晶を使わなきゃ運命の糸が見えないような人は、恋をする資格はないわね。会った瞬間にわからなきゃ馬鹿よ。結ばれてたのよ、ずっと。運命の糸で! 生まれてからずっとね!」
彼女は語尾に力を込め、僕の目を見続けながら、勢いよくそう語った。
「結婚も何も、おまえの性格でそんな長くつきあえるわけないじゃん…。気に入らないことがあったら、すぐに手を出しちゃうんだから……」
「あんたみたいな、落ちこぼれの占い師に何がわかるのよ!」
彼女はついに禁句を発した。
「ようし、わかった! そこまで言うなら、白黒つけてやるよ!」
僕はラルセの手を引っ張って、部屋に引き込んだ。
「痛いわね! ちょっと、手を離しなさいよ!」
「いいからそこに座れよ。客にとって都合の悪い結果は正確に当てられる、僕の占いの本当の怖さを教えてやるよ」
僕はにんまりと笑ってそう言った。
「万年学年ビリのあんたの占いじゃあ、どんな結果が出たところで、あまり信用できないんだけど…」
彼女はお返しとばかりにわざと低い声で言ってから、ほくそ笑んだ。そして、中世の貴族のような優雅な態度で、テーブルの脇にあったイスに腰掛けた。
「タロットならいいだろ? 水晶は今調子悪いからさ…」
「あれ、お得意の水晶使わないんですかい、ボス? ひひひ…、相当自信を無くされたようで…」
「昨日の占いで酷使したから、ひびが入ったんだよ。しばらくは使えないし、もしかすると、新しいのを買わないといけないかも……」
「ひびが? だったら、それまともな水晶じゃないじゃん」
「うっさいな~、いいから、覚悟決めとけよ」
そう言いつつ、僕はタロットを取りだして、それを細かく切って何度もシャッフルした。
『タロット』は、ある問題の結果を事前に求めるときに使われる占いだ。未来や過去を占うという点では、水晶と似ているが、こちらは時間を指定しなくてもよいというところに強みがある。それと、あまり技術の高くない占い師がやっても、曖昧にではあるが、それなりの結果を出せるのも特徴だ。さらに言えば、占い師は自分自身の未来に関することを占うことができない。高い技術を持つはずの、たでま先生やラルセが僕のところへやって来たのは、そういう理由があるからである。
「はい! ではこれから、タロットによって、秘められたあなたの運命を見ていきます。三枚のカードを選んで引いてください」
僕は入学当初であった一年前に授業で習ったとおりに進めた。裏面にされて机の上に並べられたカードを睨んで、ラルセは眉間に皺を寄せて、考え込んだ。エリート占い師も占われる側にまわると案外弱いらしい。
「う~ん、すぐには選べないわ…。ちょっと待ってね…」
彼女もタロットの絵柄がどんな未来を示すかということは重々承知しているのでかなり慎重だ。
「はいはい、深く考えてはいけません。あなたが直感と閃きで選んだカードが運命の一枚ですよ!」
僕は先生に教わったように、わざと仰々しくそう言った。
「わかってるわよ。じゃあ、これで、お願いします」
彼女は3枚選んで手に取った。
「あっ、そう言えば、まだ占いの料金もらってないよな。早く出してください。いい結果がでませんよ、そんなことでは…」
「あんたねえ、私から金取るの? どれだけの付き合いだと思ってるのよ? それにあんたが無理矢理連れてきたんじゃない!」
「これも商売ですから。あいすいません!」
僕は両手を左右に広げてふざけた身振りを交えながらそう言った。
「いくら欲しいの?」
「占い師の方から、図々しく金額を提示するわけにはいきませんが、これから食堂で、カルビ定食を食いたいと、そう考えております」
彼女はそれを聞くと、机の上に紙幣を一枚置いた。僕はそれを二つに折りたたんでポケットに入れると、彼女が選んだ三枚のカードを裏返しのまま受け取った。
「さあ、では、あなたと新しい恋人との恋の行方を占います。一枚目は、次に運命が大きく動く時間です」
そう言って、僕は一枚目をめくった。一枚目のカードは『太陽』だった。
「ってことは二日後? 一体何があんのよ~……」
僕がタロットの詳細を説明するまでもなく、彼女もこの占いのことを知り尽くしているから、急に不安そうな顔になった。
「もう、だいたい結果が見えてきたようですけど、二枚目いきます。二枚目はその事件が起こる原因ですね」
二枚目をめくると、『戦車』のカードだった。彼女はもう何も言わなかった。僕は笑いをこらえながら、そのまま占いを続けた。
「二日後に……、大きな喧嘩が原因で~」
僕は東洋の詩を詠むようなリズムでそうつぶやきながら、結果を示す三枚目をめくった。言うまでもなく、三枚目のカードは『死神』だった。
「きゃ~!!」
ラルセはそう叫んで、へなへなと床に倒れこんだ。
「まあ、こうなるのはわかってたけど、おまえ、早すぎるよ。一体何する気だよ、二日後に…」
僕はそう言いつつ、タロットを片付けてしまうと、今度は水晶を取りだした。
「ちょっと! 見ないでいいわよ。あんたの占いなんて、はなから信じてないから!」
ラルセは僕の方を睨み付けながら、そんな開き直りを訴えた。
「なあに、心配するな。二日後の占いなんて、ミスったりしないよ。最後まで責任もってやる」
僕はそう言いつつ、水晶をこすった。すると、あっという間に鮮明な映像が浮かんできた。
「あ~りゃりゃ。こら、ひどいわ」
水晶に映ったのは、鉄拳で金髪の彼氏を殴りつけている彼女の姿だった。彼氏は体中あざだらけで、その上鼻血を吹き出していた。
「これじゃ阿鼻叫喚だよ、おまえ…」
僕はそう言うと、水晶をくるっと回し、その画をラルセに見せた。
「うそよ! 私はこんなことする女じゃないわ!」
僕はもう、聞く耳持たなかった。
「よく言うよ。おまえ、あれだろ。前彼とも最後はこんな感じだったんだろ? その時は鉄パイプかなんかで……」
僕は落ち着いた口調でそう言いつつ、コートを羽織って、昼食のために出かける準備をした。
「こんな未来は嘘よ! あんた、金返しなさいよ! 間違ったんだから!」
ドアから出ていこうとしている僕に向かって、ラルセが後ろからしがみつき、そう叫んだ。
「すいませんが、当店では占いの結果に関して、一切責任を持ちません」
僕は冷たくそう告げると、彼女の手を強引に振り切り、さっさと定食屋に向かったのだった。
この作品は長大なので少しずつ区切って投稿していきます。気軽に感想をいただければ幸せです。