第十六話 生徒会総選挙数日前Ⅴ
正門の横に警備員さんが立っていたので、軽く挨拶して抜け出した。彼は、この学校の中には彼しか味方はいないのではないか、と思わせるほどの輝く笑顔を見せて、右手を上げて敬礼した。
いつもは正門を出ると、すぐにホットドッグの屋台に出会うはずなのだが、今日はなかなか姿が見えなかったので、それを探して、うろうろと近くを歩き回る羽目になってしまった。ゆったりとした坂を下り、左への大きなカーブを曲がった辺りでようやく屋台を見つけた。客は一人もいなかった。看板もなんだか色あせて見えた。主人はやつれた青白い顔をして、椅子に座ってうなだれていたが、僕の姿を見ると、慌てて立ち上がり、笑いかけてきた。
「やあ、どうも、こんにちは。今日もいい天気ですな。確か、水晶占い専攻の学生さんでしょ? 占いの調子はどうですか?」
「こんにちは。ええ、どうも、ありがとう。おかげさまで調子はいいですよ。どんな人間の未来にも、占えないことなんてないのではないかと思えるほどです」
「それは素晴らしい! どうぞ、お構いなく、誰彼構わずどんどん占ってやってください。中世ではどうだったかわかりませんが、当代では未来を知ることは残酷だ、などとぬかす人間はほとんどいなくなりましたからな。いや、まったくその通り、そんなことを言う人間には、もう先がないでしょう。それまでは便利だと騒がれて、民衆に当然のように扱われていた事物が、別な作品の発明を境に、全く使われなくなり、人類史から影も残さず姿を消してしまうのと同じように、そんな古い思想持ちの人間なんぞはこれからの時代にまったく必要ありませんからな」
店主はこの時間まで誰とも話せなかったウサを晴らすかのように、一気にまくし立ててきた。
「いや、まったくその通りです。しかし、今日はずいぶん外れたところで店を開いていますね。見当たらなかったから、探してしまいましたよ。何かあったんですか?」
「そうそう、ご注文を聞き忘れていましたな……。いつもと同じでサラサソースのホットドッグ一つでよろしいですか?」
僕の聞き方が悪かったようで、主人は客を待っていたときのような淋しそうな顔に戻ってしまい、何かをごまかすように、話題をすり替えて答えた。
「どうしたんです? 正門のすぐ外の目立つところに店を出せなくなった理由でもあるんですか?」
先ほどの店主の暗い表情が妙に気になったので、突っ込んだ質問を試みた。
「いえいえ、何ということはないんです……。ただ、何と言うか……、難しい時代になりましたなあ……。生徒たちに嫌われることをやった覚えはないのですがね……」
「いったい何があったんですか? 聞かせて下さい。誰かに嫌がらせを受けたんでしょう? 力になりますよ」
「いえ、たいしたことはないのです。ただ、数日前に、『正門のすぐ外で業者が店を開いていると、車の出入りの邪魔になるから、すみやかに場所を変えてくれ』と生徒会の役員の方から脅迫めいた通告を受けまして、こちらとしても、時間を限定して開いているのだし、ここは学校の敷地の外だから、どこで店を出そうが問題はないはずだ。奇妙な言い掛かりをつけないでくれという感じで、ハッキリと言い返したんですが、そこからおかしなことになってしまいまして……」
「生徒会から嫌がらせを受けたんですね?」
「ええ……」
「どんな仕打ちを受けたんですか? 僕も同じような境遇に遭っています。すでに失うものは何もないし、力になりますよ」
僕は自分はもうだめかもしれないが、せめて彼を元気づけようと思ってそう言った。
「いえ、これは軽々しく人に聞かせるような話ではありませんで、それどころか、この話を聞いたことにより、平穏に生きている一般の方まで私と同じ境遇に落ち込む可能性があります。そういうことから、私はなるべく他人に話したくないのです。しかし、聞けばあなたはこの学校で唯一生徒会と真っ正面からぶつかっておられるという。そのあなたがこの話をお聞きになりたいと言うのであれば、喜んでお話しします。あれは、まだ誰から陰口を叩かれることもなく正門の前に店を出せていたある日のことですが、いつもは、きちんと洗濯をしたのかどうかも定かでないような着古した私服を着た、眠気まなこの学生しか立ち寄らない私の店に、その日に限って、立派な紺色の制服を着込んだ目付きの鋭い学生さんが並んでいたんです。一目で、校内でもかなり厳格な組織に身を置いておられる方だとわかりました。その方は辺りをきょろきょろと抜目なく見回しながらうちの店に近づいてきました。今思い返しますと、他に並んでいた平凡な学生さんたちもその方を畏れていて、なるべく顔を見られないようにしていたようです。その方がこの界隈でも特別な力を持っている人だということは、その身体から発散される威圧感ですぐにわかりました。挨拶のために軽く頭を下げる仕草や、身振り手振りから感じられる余裕が、もう他の生徒とはまったく違っていたのです。その人は自分の順番がまわって来ると、穏やかな口調で私に尋ねました。『親父さん、ここで店を開いてもう何年になるんですか?』私は、突然話しかけてきた相手にも心を落ち着けて、おかげさまでもう四年目になります、と平静に答えました。『ふう、そうすると、うちの学生の中にはもう数年間にも渡って、学食を利用せずに、わざわざ敷地の隅までやってきて、このような貧しい食事を喜んで取っている人間がいるというわけですね?』とホットドッグを指差して今度は尋ねてきました。私は、占いの儲けが少なくて、お金にあまり縁のない学生さんや、学生食堂などの込み入った人間関係があまり好きではないという偏屈な学生さんもなるべくお腹いっぱいにしてあげたいと思って正門の前にこの店を出しているんです、とお答えしました。曲げて伝えたわけではないです。実際その通りのことを常に思っていますしね。すると、その方はふっと少しお笑いになって、『親父さん、神様というのは努力している人、才能に恵まれている人の周りには自然と良い友人が集まるようにしてくれるし、知性に溢れた人間の財布の中には常にお金が貯めるようにしてくれているんですよ。ですから、こんな場末の店に、わざわざケチャップ漬けのパンを食べに来るような連中には、何かしら足りないところがあるというわけなんです。それが人望なのか、本人の器量なのかはわかりませんが、とにかくそういうことです。汚い裏路地のどぶには泥にまみれた鼠が集うがごときです。店主であるあなたが、そういう人に同情する必要はないんです』と冷たく言うわけです。それを聞いて、私は自分が一生懸命に作っているものが馬鹿にされたような気がして少しムッときました。そこで、それは違うのではないかと言い返しました。努力を続けて真面目に勉学を続けていても、結局のところ神に報いられずに、食うや食わずの生活を続けている人間もいるはずだと、そう言いましたよ。私だって、十数年前のある日、床の上を今より高速に走り回るビー玉を創りたいと雷に打たれたように思い立って、家に研究室まで作りましてね。長年連れ添った女房にはすっかり呆れられて、ある日彼女に愛想が尽きたよって言われ、逃げられた後も、財産のほとんどをそれに注ぎ込んで研究を続けたけれど、結局願いは叶えられずに、札束を机の上に積み上げる夢を毎日のように見ながら、もう十数年間もこういう露店商をやってるんですよ。そんな私の姿を見て、無茶するなよ、そろそろ辛くはないかと尋ねてくる周りの人間には、自分は子供たちの笑顔を見たいだけだって、研究を始めた当初から気持ち良くそう答えていたけれど、あれからずいぶん時が流れて思い返すと、実際はどうだったのかな……? ビー玉で一山当てて、マスコミに派手に追いかけられたり、道行く人みんなに手を振られてちやほやされるような資産家になりたいという願望も少しはあったのかもしれませんね。何せ、きれいでしょ? ビー玉というのは。ちまたの話題になるような七色に輝く玉を発明したなら、こんな私にも若い女性が、まあ素敵などと言いながら寄ってきてくれるかもしれないし、無駄に歳は取ってしまったけれど、まだ男として終わったつもりはないし、四輪馬車に乗ってサロンに通う真っ赤な美しいドレスに淡い恋心を抱いていた時期もありましたしね。でも、そんな妄想生活を続けていたらどうです? 財布の中にはいつだって小銭しか入ってないんですよ。神様なんて本当にいますかとね、逆にその生徒会委員に真顔で聞き返してやりましたよ。もしいるのなら、十数年間の毎日をつまらない妄想から発生した浪費に費やしていた私にだって、少しはお恵みがあっても良いのではないかとね。そうしたら、その立派な格好の人は何も言わず、二三度首を振ると微笑みながら去って行きまして、私の話に退屈したのか呆れたのかでしょうが、とにかく何も購入せずでした。ところが、次の日には、正門の横に生徒会からの貼紙が……。あの店は不謹慎な店で、無神論思想を唱えているから近づくなとね。どうです? ちょっと、ひど過ぎやしませんか? 私は自分の夢も追いかけられなくなって、生活費を稼ぐためにただホットドックを作っていただけなのに……。いくら生徒会の人達が未来の高給取りを約束された立派な方々だからって、元から恵まれなかった者がここまで差別されるとはね。この世にはほんと神も仏もありはしませんや……」
僕はそれを聞いて、あなたの言うことは正しいと思うから、めげずにこれからもがんばって下さい、と励ますにとどまって、商品を受け取るとホットドック屋から足早に離れたが、実際は、あのおじさんの半生は、全て自業自得のような気もしていたので、この事実をネタにして生徒会を責めるのは難しいように思われた。これは武器と言うよりも蛇足になりかねなかった。僕が生徒会と敵対している理由はあのおじさんのそれとは明確に違うからだ。彼のは自分の分不相応な願望が生み出した妄想に振り回された哀れなる人生を、生徒会に最後の段階になって踏みにじられただけで、僕のように普通に生きているだけで思想的な差別を受けているわけではなかった。話を聞いた限りでは彼との共闘は難しいように感じられた。僕が欲しいのはできる限りかの組織に弱みを持たずに一緒に戦ってくれる頼れる仲間であって、あのホットドック屋のように矢尽き刀折れた老戦士ではないのだ。
社会とは言うなれば大洋に生まれ育った雑多な魚たちの集まりで、そこには、大きな魚も取り柄のない小さな魚も特殊な能力を持つ魚もいるのだろうが、あるいはどの魚も自分こそが世界の中心だと思っているのかもしれない。ところが、その海流は人知の及ばない自然の力で流れ動いていて、実のところは、誰を中心に回っているということもないのだ。特定の力によって、ある一くくりに大網が投げられてしまうと、それが当たらなかった魚達には、なぜか生涯まったく光が当たらないような仕組みになっており、網が投げられて幸せになれた本人も、自分がなぜこんなに恵まれることになったのかはわからないのだが、運悪く網から漏れて、引き上げられなかった魚たちは知らぬ間に暗黒の海流のただ中に我が身一つで漂うだけということに成り兼ねないのだ。つまり、ラルセの人生には網が投げられたのだ。僕は自分だけが取り残された魚になったような気がして、ますます身が重たくなった。
正門の横にはおじさんの言う通りホットドック屋をひどく中傷する貼紙があった。僕はそれをビリッと剥ぎ取って丸めて道端に捨てた。広場のベンチに座って無心にホットドッグをかじっていると、「ここにいましたか」と弾む声が聞こえてきて、ブエナが笑いながら駆け寄ってきた。今日の彼女は生徒会の礼服ではなくて、一般の制服姿だった。
「僕を探していましたか?」
彼女に視線を向けて動揺を見せないようにそう声をかけたが、先ほど生徒会本部に乗り込んだときのような熱い心の炎はすでに小さくなってしまっていて、今、このしつこい女に議論で対抗できるかは微妙だと感じていた。正直、今は逃げたさ半分だった。生徒会が自陣まで乗り込まれたことを根に持って追っ手を差し向けてくるとしたらこの女だと思っていたが、まさに僕の思っていた人物が思っていたタイミングで現れたのだった。
「ええ、探しましたよ。何があったんでしょう? わざわざ本部まで来て、私を探しながら、受付嬢を散々に罵っていったそうじゃないですか。かわいそうに、あの娘は生徒会の中では一番純粋な娘なのに……。本当に何も知らない子なんですよ。あなたの汚れた思想論を吹っかけるのなら、もっと手強い相手がいくらでもいたでしょうに。でも、ヘルズ地区でのあんな一件があった後なのに、私ごときがパヌッチさんに興味を持っていただけるなんて光栄です。今だったら、時間がありますから喜んでお話をお聞きしますよ」
彼女はそこで僕の手に握られているパンの破片を見た。
「正門のところの貼紙を見ましたか? あの店には近づくなと警告してあったはずでしたが……」
「ああ、見たよ。僕自身はあのおじさんが悪い人間には見えなかったから、安心してパンを買ったよ。彼は才能や判断力には恵まれていないかもしれないが、しごくまともな人間だよ。おかしいのは君らの方だ。なあ、頼むからおじさんが元のようになんの迫害も受けずに商売ができるようにしてやってくれよ。あなたたちのいじめはちょっと陰険すぎるぞ」
ブエナはそれを聞くと、何も返事をせずに僕の隣に腰をかけてから足を組んで座り直した。その無機質な表情は、その問題については、私の一存ではどうにもできませんと言っているように見えた。おそらく決定を下したのは生徒会の上級幹部なのだろう。きっと彼女が口を出せるような単純な問題ではないのだ。始めにどんな解答を用意しても、いずれは「それは本部に問い合わせないとわかりません」という答えに行き着くことになる。生徒会の階級の中にあっての自分の発言力の小ささを表に出したくないのだろうか。
しばらく二人とも口を開くことはなかった。冬になりたがっている冷たい風が何度となく二人の横を通りすぎていった。彼女は僕がホットドッグを食べ終わるのを黙って待っているようだった。風に流されたイチョウの葉が舞ってきてヒラと足元に落ちた。その日は午後になっても気温は上がらず、広場にはほとんど人影がなかった。普段は昼休みのこの時間は、自分の部屋の占いの宣伝をする呼び込みや、上級生が使い古した占い用品を格安でバザーに出していたりして結構賑やかなのだ。
そのときちょうど、反生徒会組織の活動員と思われる二人組が視界に現れて、そのまま僕らの方に近づいてきた。毛玉のいっぱいまとわり付いた、センスの悪い安っぽいセーターを着込んでいたので、すぐにそういう派閥に属する人間だとわかった。彼らは生徒会にきつく見張られていて、校内で堂々と政治活動をすることはできないので、鼠が喜んで巣を作っているような埃だらけの部屋に篭っている間に、いつの間にやら世間から置いてきぼりを喰らい、顔はニキビや口髭だらけになり、自然と見かけも悪くなるのだった。そして、数週間ぶりにやっと巣穴から出てこれて太陽を怖がるような、そんな不自然な身振りによって素性がよくわかるのだ。二人は妙に不自然な作り笑いを浮かべて、にこやかに話しかけてきた。校内でこのような人間たちが、おおっぴらに活動をしているところに出くわすのは珍しいことだった。
「お二人さん、いいお天気ですね。今はちょうどお昼休みですか?」
ブエナは二人が自分と思想を異にする人間だとわかると、真っ青な顔色になってすぐに顔を背けた。僕と彼らとは、『敵の敵だが、別に味方ではない』といった感じの関係だが、僕は嫌悪感を顔に出すことなく、にこやかに「ええ、実にいい天気です」と自然な声で答えた。それは隣にいる彼女にしてみれば、反体制派の人間同士が使う合言葉のように聞こえたかもしれない。同じベンチに腰掛けている僕ら二人を友人同士だと思い違いしたのか、反体制派の二人は何の警戒もせずに余裕たっぷりに近づいてきて、僕に薄汚れたビラを手渡した。そこにはよく見知っている生徒会の悪事の数々が列挙してあった。ただ、僕の隣に座っている人が生徒会委員だとはまったく気がつかないようだった。反体制派に属していながら、ブエナの顔も知らないような安っぽい活動家とは仲良くなりたくないのだが、僕はにこやかに頑張って下さい、と声をかけた。僕の言葉に二人は気を良くしたようだった。
「現生徒会をみんなの力で打破しましょう。彼らは偉ぶっていますが、その実は、彼らだけの正義を振りかざし、権力にものを言わせて、好き勝手やっているだけです。彼らは校内にいる生徒を、自分たちに従う者、従わない者の二つの階層に明確に分けようとしています。次の総選挙で彼らを打倒して、本当の自由と正義に満ちた生徒会を立ち上げましょう」
二人は力こぶしを作って、活力に満ちた声で力強くそう言って、僕の肩をぽんぽんと叩いて仲間意識を植え付けてから去っていった。
「ああいう人たちとも付き合いがあるんですか?」
ブエナは二人の活動家の姿が小さくなると、安心したように大きく息を吐き、呆れたようにそう尋ねてきた。
「もちろん知らない人だよ。僕ら二人が平凡なリベラリストに見えたから声をかけてきたんだ。君だって襟元のあの金バッジさえ付けなければ、案外見所があるのかもしれないぜ」
ブエナは二度とそんな話をするなとでも言いたげに、冷たい視線を返してきた。彼女は一度大きく腕を伸ばして深呼吸をしてから再び話しかけてきた。
「知らないとは言わせませんが、次の日曜日は総選挙です。パヌッチさん、どうするんです? 今年もうちの会長に投票して頂けますよね?」
「投票したら、ブラックリストから外してもらえるのかい?」
「あなたとしたら、その第一歩にしたいのでしょう? 今度の選挙は明るい真っ当な道へ踏み出す、いい機会だと思いますよ。うちの会派は馬鹿馬鹿しいからってことで、一票ずつ積み重ねていくような、こんな細々とした選挙活動なんて本当はしたくないんです。だって、活動をしようがしまいが、どうせ大量得票を得て勝つのはわかってますから。実を言えば、支持率は八割でも九割でもいいんです。ご承知でしょうが、どんなに不祥事が起きたとしても、政権を担うのは結局うちの会派しか有り得ないんです。余所はうちのやり方に文句こそ言えますが、どうあがいても十年祭や卒業式などの大きな行事を司ることはできませんからね。ああいう盛大な行事には、それはもう大量の寄付金と、他校や商店街の各店舗との密接な繋がりが必要なんです。うちの会長はそういう裏側の根回しだけで学校生活のほとんどの時間を使ってしまうほど多忙なんです。それらの行事をつつがなく成功させるためには、他の会派では、まだまだ人脈や経験が足りないんです。一般生徒もそれはよくわかっています。ですから、大多数の人は何も言わなくても我々に投票してくれるんです。もっと言えば、私だってパヌッチさんにわざわざ温情をかけにくる義理はないんです。でも、わかってくれますよね? 今度のことを無かったことにしたいのなら、黙って会長に一票投じて下さい。これ以上詳しく言わなくてもわかりますよね? 私につまらない説得をさせないで下さいね。去年だって、あなたの留年がかかっていなかったら、まったく、あなたって人は、誰に一票を投じたかわからないのだから。つまらないプライドに自分の人生を賭けてはダメですよ」
「今年も僕を脅すつもりですか? 去年も今と同じことを言われましたけど、あの時はたしか、もっと上級の人が出向いてきましたけどね」
「そういう反抗的な目付きはやめてください。私だって重職に就いている身ですから、もう、あなたとつまらない言い争いをしようとは思いません。交換条件などと言い出すつもりもありません。下手に出るつもりもありません。こちらの警告に素直に服従して下さい。もう一度言いますね。今年の総選挙でうちの会長に入れていただければ、先ほど本部に乗り込んできて、会長秘書のクレモネさんを罵倒して痛めつけた罪は不問にします。本当にそれがわかってます? 万が一、白票なんて投じたら、あなたの学生生活は本当に崖っぷちですよ」
道理で手強いなと思ったが、先ほどの受付嬢は会長秘書だったのかと思い至りながら、この女のうかつさを腹のなかで笑い、僕はゆっくりとベンチから立ち上がった。
「誰に投票するかは少し考えさせて下さい。なに、日曜日までにはちゃんと決めますよ。さっき、会長の得票が八割でも九割でも信任だと偉ぶってましたけど、去年はギリギリで八割でしたっけ? 校内一の有名人が、さすがに七割だと笑えませんよ。情勢を見ていると、今年は危ない危ない。僕とひなたぼっこしてないで、ちゃんと選挙活動したほうがいいと思いますよ」
僕は自分らしい嫌みをきちんと放ってから、彼女に背を向けて自分の部屋へと向かった。ブエナも僕がタッサンに説教されたのは知っているようで、これ以上追い詰める必要はないと、平和な会見を望んで来たのだろうが、今の発言にはさすがに頭にきたらしく、彼女は苦々しい顔をしながら、獲物を付け狙う狼のようになって後をついて来た。僕は振り切ろうとして足早に宿舎に戻ってきた。
「ちょっと! 投票するって言ってから帰りなさい!」
ブエナは我慢できずに、後ろから大声を張り上げた。僕は自室まで逃げ込むつもりだったのだが、階段を駆け上がると、部屋の前にはラルセが立っていて、僕の心臓を驚かせた。
この作品は長大なので少しずつ区切って投稿していきます。気軽に感想をいただければ幸せです。この作品はアラブ系千葉文庫(http://www9.plala.or.jp/applepig/)にも掲載しています。全部で十数個の作品を掲載しています。できれば、そちらの方にも遊びに来てください。




