第十四話 生徒会総選挙数日前Ⅲ
僕は意を決して生徒会本部のある建物に向かった。いくつも平行に並べて建てられた校舎の間をすり抜けて、敷地の一番奥にある体育館を目指した。不思議なことに、僕は生徒会へ向かう間、他の生徒の存在を全く気に止めなかった。たくさんの生徒とすれ違ったはずなのに、僕の視界には映らなかったのだ。
その体育館の手前右手側にある、古い四階立ての灰色のコンクリート造りの建物が生徒会本部である。この学校の建物の中ではかなり古い建物で、角型で窓の数も少ないので硬質的な印象を受ける。
僕は正面口から堂々と入り込み、一階の数日後の投票日の準備でにぎやかな選挙対策本部には目もくれず、そのまま階段を駆け上がって、二階に向かった。二階には生徒会への要望や相談を受け付ける窓口があった。受付のカウンターには清楚な女生徒が一人座って待ち受けていた。選挙が近いこともあって、僕の他に選挙の方法や前日投票の仕方などを尋ねに来ている学生が幾人か見受けられた。僕は緊急の用事があって来たのだが、法を無視するわけにもいかず、それらの人の後ろに並び、自分の順番が来るのを待たなければならなかった。カウンターで他の生徒が話している声が自分のところまで届いてくるのだが、どの生徒も図書館で借りた本の背表紙が少し汚れていたとか、体育館に貼ってあった生徒会長のポスターが一枚剥がれていたことなど、どうでもいいことを伝えるために、わざわざこの本部まで足を運んでおり、もう少しマシな時間の使い方ができないのかと説教してやりたくなったのだが、自分の心のいらつきから、これ以上敵を増やすこともないなと思い止まった。
並んでいた学生の数は次第に減っていき、やがて僕の順番が廻ってきた。カウンターの女性は明るい丁寧な人で、僕のことを確認するとすぐに、「あら、パヌッチさん、こんにちは。今日はどうされたんですか?」と、こちらの気持ちをプラスにもマイナスにも全く動かすことがないような、口調で話しかけてきた。『思想的に対立しているあなたが来ても、別に怖いことは何もないんですよ』とでも言いたげに見えるのは勘ぐりすぎだろうか。営利のためには法も無視するような、かなりの悪徳企業でも、受付の女性だけはなぜか綺麗で上品だったりするのだが、生徒会の人材配置もまさにそれに習ったものだった。
「こんにちは。率直に用件だけ申し上げますが、今日は生徒会長は来ていますかね? いなければ副会長でもブエナさんでもいいのですが、できれば、今すぐここへ呼んでいただけますか? とにかく、一言だけ、今すぐに言っておきたいことがありまして」
この受付の女生徒も生徒会員ではあるのだろうが、ほの暗い内部の事情には疎い人間かもしれないので、僕はなるべく語気を弱めて、とりあえずは、こちらが憤っているということを悟られないようにそう伝えた。
「生徒会長ですか? 会長は選挙の日程についての広報活動と、ご自身の当選後の政策を有権者に伝えるための宣伝に出ておられまして、今現在、校内をくまなく廻っているところだと思われますが……。会長に何か用事がありましたら、生徒会への意見書というものがありますから、その用紙に記入して頂ければ、会長が戻って来た際に、あるいは目を通して下さるかもしれません。そうなさいますか?」
「いえ、それは必要ありません。どうせ、ここで長ったらしい文章を長時間かけて書いてみたところで、署名のパヌッチの欄を読まれてしまった時点で、あなた方はそれ以上読んではくれないでしょうし、私の不快感が1%でも伝われば、それはそれで有り難いんですけど、基本的人権にも関わるような重要なことですし、やはりこちらとしては面と向かって言いたいのですがね」
多少、言葉に毒を混ぜてそう言ってみても、この受付嬢は、その清純な眼差しを真っ直ぐにこちらに向けて伸ばしたままで、顔色を変えることは全くなかった。この段階では、こちらのことを生徒会に少しの不満を持った、ちょっと変わった生徒くらいにしか思っていないのかもしれない。こちらの怒りを多少なりとも感じていながらの、この平静な顔つきはなかなか出来るものではない。よく訓練されていると感じた。
「なるほど、会長に面と向かってお話ししたいということは理解できましたけれど、残念ながら、それはかなり難しいことでして。ご存知の通り、平素から相当に忙しい方ですから、生徒会の職務に忙殺されてしまい、授業すらキャンセルしなければいけないこともたびたびあるのですが、今は選挙期間中ですし、我が校最大の行事である十年祭も迫っておりますから、それに輪をかけたような忙しさで、校内校外を問わず、日々飛び回っているような次第です。我が校の中においては、あのように高名で重要な人物ですから、どの授業に出ていらっしゃるかということも、身近な人間にすら秘密にしていらっしゃいますし、もちろん、あなた様にも、それをお伝えすることも出来ませんが、何か会長や生徒会自体にご不満があるのでしたら、私がここでご意見をお伺いしまして、後で会長にお伝えしておきますが、そうなさいますか?」
「あなたに事の次第を話したところで、果たしてそれが彼にまで伝わりますかね? 生徒会の内部事情や人間関係、それもこの学校のみならず、卒業生や地域社会も巻き込むような、複雑で深遠な人間関係の構図を、無垢なあなたに説明して聞かせたところで、あなたはそれを理解できますか? 事によると、生徒会やこの地方の保守的な組織の悪口と受け取られかねないような内容も含んでいるかもしれないですし、私が一年以上も前から感じていることをまとめた、膨大な思念を、あなたにすべて話してしまった後で、やはり意味がわからなかったから、会長が戻って来てからもう一度話してくれないか、などと言われても、こちらとしては困るのですがね」
「パヌッチさんが生徒会からなんらかの不利益を被ったことについて訴えたいとおっしゃるのでしたら、私の方でも、うけたまわることができますし、生徒会の人間関係についても、あなた様が言われている内容に沿っているかはわかりませんが、私の存じている範囲でよろしければ、お話しいたしますが、とにもかくにも、まずはあなた様の思うところを話して聞かせていただけませんか?」
「なるほど、会長の代わりにあなたが僕の話を聞いてくれると言うのですね。僕が生徒会に対して言いたいことを簡単にまとめてしまうと、自分達の思想と折り合わない特定の人間を差別しないで欲しいということなのです」
「生徒会から差別を受けたというお話ですけど、あなたの学生生活の中のどんな局面でそれを感じられましたか?」
「どこでも感じますよ! 授業中、食事時、広場のベンチで昼寝をしている時にさえね」
「どのような不利益を被ったか、もう少し具体的に話していただかないと、こちらとしても対応しにくいのですが……」
「僕の行動に対する直接的な妨害工作も、あなた方の組織から、これまで何度も行われてきたんですけど、それ以外の日常的な活動の中でも、生徒会の影響力を感じることはあるんです。例えば、この間、授業の関係で第四校舎に行ったんですけど、ここの向かい側にある、あの八階立ての建物です。ええ、そうです。そこでですね、一人でエレベーターに乗ったんです。僕は七階に向かっていたんですが、四階で一人の男子生徒が後から乗って来たんです。制服が新しかったので、一学生だとすぐに分かったのですが、眼鏡をかけて、きらりと目の光った、かなり真面目そうな子でした。彼は僕の方を見ると、一瞬ですが、こちらを明らかに見知っているような驚きの表情を浮かべまして、ええ、挨拶こそしませんでしたけど、僕としても新たに乗ってきた生徒に視線を集中していましたから、その様子がはっきりと分かりました。
彼はきっと僕のことを知っていたんです。そして、すぐに僕の方から視線を外すと、その後は一度もこちらを見ることなく、額を壁に押し付けたまま、エレベーターの隅の方でじっとしていて、僕が降りてしまうまで身動き一つしなかったのです。その行動が少し不自然に感じたものですから、こちらで少し個人的な調査をしたんです。ええ、聞き込みや関係資料調査を含めてですね。そうしたら、案の定、その一学生は生徒会委員だということが判明したのです。お分かりですか? つまりですね。生徒会内部では、この学校の中で自分たちに刃向かう者、又は、刃向かう恐れのある者について、入学してきたばかりの一学生にまで、危険な人物であるということを教育して教え込んでいるわけです。入学して数年経って、物心ついてきてからなら、本人の道徳観や常識も育っているでしょうし、組織力を維持するための、そのような思想教育も、ある程度は必要かもしれませんが、入学してきたばかりの生徒にまで自分達のブラックリストを見せ、おまえの敵はこいつだと教えるのはいかがなものでしょう? 僕は少し行き過ぎだと思うのです。例え、社会の一部で、それに近いことがまかり通っているとしてもです」
僕の強い口調での説明を聞いても、その受付嬢はぽかーんとした表情を崩さず、実は本当に僕と生徒会とのこれまでの因縁を知らないのでは? と思わせるほどだった。
「あの……、おっしゃっていることが少し分かりにくいのですが、要約しますと、パヌッチさんはエレベーターの中での、その一幕だけで、生徒会では内部で思想教育が行われていると思われたわけですか? 私には、それは少し先走ったお考えに思えるのですが……」
「そのことだけで判断したわけではないですよ。僕なりにこの一年半の間に様々な体験をしてきましたから、その中で一番最近に起こったことをわかりやすく紹介してあげたんです。最近起こったことの方が記憶も正確ですしね。こちらの記憶も、あなた方の記憶もね」
受付の女性は未だ顔色を変えなかったが、その笑顔は少し硬質的になり、余裕が無くなってきたように見えた。かすかな表情の変化なので、こちらの思い過ごしかもしれないのだが。
「先程、何気なく、ブラックリストとおっしゃいましたが、まあ、そのような物があるか無いかはさておきまして、とりあえず、そういうものがあると仮定しまして、そのリストにご自分の名前が載っておられると感じる理由は何ですか?」
「言うまでもないことですが、僕や僕の友人の行動が見張られていると感じるからですよ。あなたもここの幹部から聞いていて知っているとは思いますが、僕は何度か生徒会長を始めとする生徒会の執行部に煮え湯を飲ませたことがありまして、まあ、それによって、こちらも少なからず不利益は被っているのですが、その何度かの失態を機に、僕自身の行動に制限が付いたような気がするのです。制限というものを具体的に言いますと、クラス単位で喜びごとがあった時などによく行われる生徒同士の小さな集まりのような会があるときに、参加受付票が僕にだけ配られなかったりするのです。僕にだけ渡すのを忘れていたのでしょうか? でも、僕の隣や手前の席に座っていた学生も、その会について知っていたりしますし、配り忘れで片付けることはできないと思うのです。明らかに何者かの意思が働いて、僕をイベントには加えず、のけ者にして、クラスの中で孤立させようとしているのです。そういう強権を発動できる機関が生徒会以外に、もし、あるのでしたら、教えてもらいたいぐらいです」
「まあ、驚きました。と申しますのも、生徒会は内部でいくつかのグループに別れて活動いたしておりますから、私もすべての部署の活動や行動についてまで、それほど詳しく知り抜いているわけではないのですが、私自身はそのようなスパイ行為や陰謀については何一つ知りませんし、誓って生徒会はそのような事をする組織ではないと言い切れますが、もし仮に、自分の行動にパヌッチさんが今おっしゃられたような陰謀がまとわり付いて来たとしたら、とても恐ろしいことだと思いますし、あってはならないことだと思います」
「生徒会の人間は、僕にこのように問い詰められると、すぐに今のあなたのような、とぼけた態度を取って、知らない、聞いたこともない、きっとあなたの思い違いだ、病的な被害妄想だ、などと、のたまうのですが、いい加減認めてしまったらどうです? あなたもブラックリストについて知っているのでしょう?」
議論を交わしているうちに、次第に受付嬢の視線が尖ってきて、僕からの因縁を受け止めているかのようなスタイルに変わってきていた。彼女は明らかに僕を敵として受け止め、挑戦状を受け取ったのだ。
「ブラックリストという言葉をどのような意味で使われているのか存じませんが、私としましては知らないと申し上げるしかありません。それがなぜかと申しますと、あなたの言っておられる特定の生徒に関するリストの種類はそれこそ多岐に渡るでしょうし、百歩譲って、それが仮に存在するとしましても、あなたのおっしゃるリストは、いったいどれにあたるのかということが、そもそも私にはわかりませんしね。なるほど、確かに、生徒会の一部の人間が、学内の一部の特定の生徒を警戒するために作り上げたリストというものはあるかもしれません。しかし、それが生徒会幹部からの命令で作られたものなのか、それとも個人の意志によって作られたものなのかを証明することはできませんし、そもそも、個人が趣味で作成した物でしたら、誰も罪に問うことはできませんものね。人間は好奇心の塊ですから、誰でもそのようなリストを作る可能性はありますしね」
「僕は一部の人間の勝手な好奇心で差別されてはたまらないと言っているんですよ。いいですか? 人間は誰しも好みを持っているんですよ。食べ物に好き嫌いがあるように、人間同士の関係においても好き嫌いがあるんです。ちょっとした事故で不利益を被ったからといって、すぐに相手側を危険人物と決めつけてしまうのは非常に危険なことなんです。自分の主観だけで他人の価値を決めることになりますからね。とにかく、生徒会委員全員に僕に対する敵意識を植え付けるのはやめて貰いたいんです」
「今、ちょっとした事故とおっしゃいましたが、あなた自身は、具体的にどのような事件がきっかけになって生徒会と敵対する羽目になったと思われていますか?」
「そんなこと僕に聞かなくてもわかるでしょう? あなたはこんな重要な部所の受付を任されるくらいだし、生徒会長から有り難い指導を受けているでしょう?」
「いいえ、私はパヌッチさんと敵対しているとは思っていませんので、あなたがどんな事件を起こされて、どのようにして、あなたの言われるような不利益を被るリストに載せられてしまったかが、全然わからないのです」
受付嬢はニコッと笑ってからそう言った。あくまで自分は中立的な立場の人間であるということを強調したいらしかった。しかしながら、生徒会の本部という保守系組織の中枢にいながら、自分はリベラルな人間に対して敵意を持っていない、どんな人間とも対等に付き合える、などとと言われても、僕にはとても信用できないのだ。
「僕は自分では、風貌も思想も取り立てて変わったところのない普通の人間だと思っていますが、精神的にはまだ未熟な若者ですから、これまで単純な思い違いから、いくらか過ちを犯してしまったことはあります。その中でも、一番大きな失態は、やはり新入生歓迎会の一件だと思います。まあ、あの事件では僕もそれなりの処分を受けましたので、すでに罪は相殺されているはずで、今更、何を言うつもりも、言われるつもりもないのですが、あの一件が僕の学校生活の大きな曲がり角だったような気はしていますね。なにしろ、会長を含めた生徒会の幹部と学長にまとめてダメージを与えてしまったわけですからね」
「なるほど、それでは、生徒会のブラックリストにご自分の名前が載ってしまったことには、自身の責任も少なからずあると理解しておられるわけですね?」
「確かに反省しなければならない点は多くありますけど、もうとっくに済んだことでしょう? あの一件で生徒会は恥をかいた。僕は禁固処分を受けた。それでイーブンでいいじゃないですか。なぜ、そこからさらに、僕の人生に負荷をかけようとするのかが、わからないのです。あの事件が僕の責任だと言うのであれば、あの日、あの場所に僕を招き入れた生徒会や先生方にも責任はあるんですよ。悪いことをしたのは僕ですけど、それを止める権利や義務はあの会場にいた全員が持っていたわけですからね」
「今、冷たいお茶でも、お出ししますから、それを飲んで頭を冷やしなさって、とりあえず落ち着いて下さいな。熱くなってしまっては議論がおかしな方向に向かってしまいますからね。そうですね、あなたのおっしゃるように、確かに校内で起きた事故の責任を、生徒一人に押し付けてしまうのは良くないことですね。例え、あなたに落ち度があったにせよ、それを止めることをできなかった生徒会を含め、周りの生徒達や、あなたをまともな人間に教育しきれなかった親御さんと先生方、不良学生をきちんと管理できなかった地域社会にも問題はあると思います。そして、生徒会の意向を無視して、あなたを勝手に壇上に上げたロドリゲスさんにもね……。しかし、私が思うところでは、やはりこの一件で一番の当事者はあなたですし、あなたの非で多くの人が不利益を被ったことは事実ですから、あなたはもっと猛省しなければならないと思います。大事件を起こしたにも関わらず、それを生徒会へのダメージだ、などと良いように解釈して開き直り、公的な機関に真っ向から盾突こうとする、あなたの態度こそが、あなたをブラックリストに載せた最大の原因だと思いますね」
「では、僕の名前がブラックリストに記載されていて、そのリストをあなた自身もご覧になったことがあるというところまでは認めるんですね? あなたは生徒会本部の受付嬢という要職にありながら、ご自分でそのリストを覗いた時に、自分はなんて卑劣な人間なんだろうという罪の意識にも似た感情は心に沸いてこなかったのですか? 生徒会が特定の人間に差別意識を持って作り出したリストを、自分で好き好んで使用するということは、あなた自身も差別に関与したことになり、引いては、生徒会の偏った思想を自分の心に受け入れてしまったことの何よりの証明になってしまうんですよ」
「私は自分の信条に関わる行動は、組織に頼らず、すべて自分で決めて行いますから、そのようなリストを信用して、人間の好き嫌いを判断するようなことはいたしません。でも、当事者を前にしてこれを言うのは辛いのですが、私自身の考えでは、そのブラックリストというものが存在することも、あなたがそのリストに載ってしまっていることも、至極当然のことだと思いますね。と申しますのも、人間関係というものは危険なもので、本来関わるはずのなかった人間と、ある日、不意に出会ってしまって付き合うようになり、その人間関係が仇になって、その数年後に、まるで落雷のような、残酷で突発的な不幸を招いてしまうということが世間では往々にしてありますものね。人を好きになるということは一見良いことにも思えますが、その実は危険なことでもあり、他の人間への信頼という愛情にも似た思いは、裏を返せば、その人に裏切られてしまったときに、嫉妬を通り越した最も醜い感情を、人間の心に呼び起こすものです。蝶と花のような、ファンタジックで清らかな関係も、一旦壊れてしまいますと、沼地の底に積もり積もっている泥土のような、本当に汚らしい粘着力を持った醜い争いを、人間たちに起こさせるものです。生徒会内部の人間も含め、まだ世間の恐さを知り得ない若者たちが、あなたのような、思想にかぶれて学業をおろそかにし、公権力に刃向かうような危険な人間と出会ってしまうことや、それがために大切な人生の方向を、切り立った崖の方へと向かわせてしまうようなことは、絶対に避けたいことなのです。ですから、そのリストを作成した人達の、切迫した心境は、私にはよくわかりますね」
「あなたはこの件を、まるで他人事のように言いますけど、まだ学生の身分なのにブラックリストなどを作成して、特定の人間だけを差別してしまうことを危険なことだとは思えないんですか? 残念ながら被害者は自分ですけど、僕はこれが例え他人事であったとしても、本当に非道で冷酷な処置だと思いますけどね」
「あら、おかしなことをおっしゃますね。あなたが生徒会の会長や幹部を、偏屈で意地の悪い人間だ、などと周囲に吹聴してまわるのも、私には思想的な差別だと思わずにはいられません。差別意識というのは必ずしも公的な機関や身分が上の者たちから放たれるとは限りませんものね」
僕は彼女の口からでるそれらの言葉を、社会全体から放たれる無機質で灰色の波動のように感じてしまい、イライラとしながら聞いていたが、ここへたどり着いて一時間が経過してから、ようやく自分の前に出された冷たいお茶を一気に飲み干して、心を落ち着けてから、再び反論を開始した。
「それはその通りです。確かに差別行為というものは、立場や身分に関わらず、誰にでもそれを実行することも、関与することもできるのです。しかしですね、その権利を市井の人間が行使した場合と、権力者が行使した場合では、差別を受ける側に与える影響の大きさは全く異なるはずです。例え、僕があなた方を嫌っても、それは一個人の気持ちの中にある限り、公の機関や組織に対して、それほどの傷や痛みを与えないものですが、あなた方から僕に振り下ろされた鉄槌は、僕自身の人生の歯車をあさっての方向に狂わせてしまうほどの威力があったのです。先程、占い協会の幹部の方が見えて、僕の親友に審査の合格通知を渡していったのですが、僕は合格通知を受け取るどころか、厳しい叱責の言葉を拝領する羽目になりましたよ。つまり、あなた方の行為の影響力は……」
そこで、受付嬢は初めて表情を変え、右手を僕の顔の前に押し付けて発言を静止させた。もはや僕の発言で彼女が顔色を変えることなどありえないのではと思い始めていたので、僕自身がかなり衝撃を受けたほどだ。
「ちょ、ちょっとお待ちください。今、なんとおっしゃいました? あなたの親友に合格通知が来たと言うのですか? ぶしつけな質問ですが、誰が合格したのですか?」
「ラルセですよ。協会の幹部からたいそうなお褒めの言葉を受けとっていたようです」
彼女はそれを聞くと、眉間に深いシワを寄せ、今日初めて暗い考え込むような表情を見せた。
「あれ……? ラルセって……、あのうるさい子よね……? 彼女だって、たしか相当イカレてるのに……。全くノーマークだったわ……。信じられない……」
彼女は低くそうつぶやくと、さっと椅子の向きを変えて、振り返った。受付の奥にある小部屋には、眼鏡をかけた男子生徒が一人座っていて、机の上のノートに何か書き物をしていた。
「ねえ、あなた、今の話聞いてた? 占星のラルセが協会の審査に合格してたんですって……。知ってた?」
「ええ…、かなり深刻な情報でしたので、まだ幹部の皆さんにはお知らせしていなかったのです。一時間ほど前に協会から合格者の名簿が届きまして、確かにラルセの名前がありました。占星専攻での合格者は二人だけのようです。これから掲示板に合格者名簿を貼りに行く予定なのですが、彼女の件の報告だけは事実確認をしてからにしようと思いまして……」
奥の男子生徒は仕事の手は止めず、顔だけをこちらに向けて、静かな声でそのように答えると、受付嬢は再び僕の方に視線を戻した。
「信じられませんけど、事実みたいですね……。しかし、困ったことですね。彼女も生徒会の支持者ではないですし、ああいう困った性格ですから、今回は軽視していたのですが、よりによって、一回目の審査で合格とは……、予想以上に、彼女の技量への協会の評価が高かったのですね。でも、彼女が合格したことは、あなたにとって良かったんじゃありません? 少数のリベラル派にとっては願ってもない追い風になりますし、彼女を盾にすれば保守層の切り崩し工作もしやすくなります。あなたは数時間前の友人の合格発表を受けて、もっと浮かれた気分でいなくてはならないのに、今のあなたの、まるで農家に食べ物を求めて忍び込んできた野犬のような顔つきは何なんですか? 残念ながら、この件も生徒会にとっては痛いことですけど、あなたは腹の中では、ほくそ笑んでいるはずだし、あなたが差別だなんだと言って、ここに乗り込んで来た理由がますますわかりませんね」
「僕も今回の審査で自分が合格するとは露ほども思っていなかったですし、友人のラルセが合格したとわかったときは、もちろん素直に喜びました。しかしですね、協会幹部の長々とした祝辞を聞いているうちに、段々と複雑な気持ちになってきたのです。自分は書類審査の段階で、すでに落とされていたというのに、朝、目が覚めてからずっと、今日が審査結果の発表日だからと希望を胸に秘め、自分が協会幹部に審査されているという緊張感を持ちながら待っていたのは、実はまったく恥ずかしいことだったんですよ。結果から言えば、僕は協会幹部による審査の過程まで進めていなかったわけですからね。それを知ったとき、友人が合格して嬉しいなどという、浮かれた心情は消し飛んでしまい、なぜ、自分だけはこんなに悲惨な結果を受け止めねばならないのだろうという、現実に舞い戻ってしまったわけです。そこで、あなた方が協会に対して何か卑劣な工作を仕掛けたのだろうという結論に落ち着くしか無くなってしまったのですよ。なぜかって、もし、この答えすら否定してしまったら、今回の審査で僕が落ちたことは、ただ単に、僕の占い師としての技量が基準点に全く達していないという、ひどく受け止めがたい結論にたどり着くしかなくなってしまいますからね」
僕のその話を聞くと、受付嬢は二三度深くうなずき、何かを納得したような落ち着いた態度と口調になって再び説明を始めた。
「なるほど、先程から思想がどうの、ブラックリストがどうのと騒いでおられた理由がやっとわかりましたわ。しかし、まあ、お気持ちはわからないでもないですよ。何しろ、この学校も数千人規模の生徒を抱えていますから、何か試験を行う度に、あるいは今回のような協会の審査を行う度に、少数ではありますが、自分が落ちたのは生徒会の陰謀のせいだとか、先生方の教え方が悪かったのだ、などと、自分の想像だけでわざわざ相当に湾曲した考えをお創りになって、それを訴えるために目を真っ赤にしてここへ来られる、被害者意識の強い生徒さんが後を絶ちませんのでね。そういう生徒さんが尋ねて来られる度に、私は丁寧な態度でこう言って差し上げるんですよ。『あなたの頭の中で、この厳しい結果をどのように受け止めてもそれは自由ですが、自分の能力評価だけは、きちんと客観的にしたほうがよろしいですよ』ってね。占いでも学業でもスポーツでも、実は一緒なのですが、誰でも自分の技量以上に成功し、評価されてしまう瞬間はあるものです。ただ、そのときに、できないダメな人間はすぐに『自分だけができる』と思い込んでしまうものなんです。本当にできる人間は、『自分ができることは、きっと他人にもできてしまう』と考えるものなんです。そこで、そこから先の努力の仕方に違いが出てしまうのです。パヌッチさんの思い違いの根本となる出来事は何でしたか? きっと、あるはずですよ。あなたにも、勘違いの元になる、不必要な他人からの褒め言葉というものがね」
何週間か前にも、別の案件で、これと同じような出来事に直面した記憶があるのだが、基本的に生徒会の窓口になっているような人間は、百科事典よりも分厚いマニュアルによって、どんなに意地の悪い人間が訪ねてきたとしても、冷静に対応できるように仕込まれており、この受付嬢はそういう意味で、下っ端の方にいるブエナなどより、よっぽど手強い相手だと感じた。確かに時間はある。僕は生徒会の選挙とは全く無関係だし、今はラルセや京介と顔を合わせて雑談する気もしない。それに審査に落ちた直後で授業に出る気もしないのだから、今の僕に時間は有り余っているわけだが、この受付嬢と長時間に渡って討論していても、意味のある結果にたどり着くことはないだろうし、ことによると、この無駄に長い話を延々と聞かされているうちに、脳の中枢がおかしくなってしまい、相手の思い通りに洗脳されて、生徒会の主張を丸呑みして自室に戻ることになりかねないので、僕は結論を急ぐことにした。
この作品は長大なので少しずつ区切って投稿していきます。気軽に感想をいただければ幸せです。




