第十一話 ガンボレ祭その後Ⅴ
「さてと……、そろそろ店の中を見せてもらってもいいですか?」
僕が後方を向き直してそう尋ねると、交渉人マリアンヌはなにか不都合でもあるように表情を曇らせた。
「実は……、私もまだ店の中へは入っていないんです……。つい先程、あなたがたがここへ尋ねて来られる十分ほど前に改築が済んだばかりなのです」
「そうでしょうね……。私たちがここへ来たとき、あなた、外で待ってたものね……」
ラルセが少し同情するかのようにそう言った。
「なぜ、あなたは今夜になって再びここへ来たのですか?」
「家に匿名の電話がありまして、重要な案件があるからすぐに商店まで来るようにとのことでした。その電話は最後に『数人の占い師が尋ねてきたら、何をされても絶対に店の中へ入れるな』と言い残して唐突に切れました。私に連絡が取れるのは生徒会の一部の方だけですので、電話がかかってきた時点で、なんとか言う通りにしなければならないという思いはありました。外で待っていたのは、外装のペンキが乾くのを待っていたのです。さっきまではドアノブにも触れませんでした」
「じゃあ、仕方がない。家の外側だけでも見せてもらおうか」
もうすでに、凶行の当事者がいなくなってしまったので、ここにいる理由もないのだが、祭りの事件の痕跡だけでも発見できはしないかと、僕らは商店の周りをぐるりと廻ってみることにした。謎の交渉人の女が携帯の電灯を持ってきてくれた。店の側面には窓枠の横に、僕らが数日前に訪れたあの時と同じように動物の剥製がついていた。しかし、なぜか熊の上半身剥製に変わってしまっていた。
「ここに飾ってあったのは鹿の首の剥製だったのよね……。作り直した人達……、きっと慌てていたから細かく調べなかったのね……」
ラルセが毛深い熊の頭をゆっくりと撫でまわしながら、寂しそうにそう言った。辺りをよく見渡すと、懐中電灯のほのかな明かりでも、改築のいろんな痕跡を見つけることができた。大工道具の箱が一人分だけ一式まとめて置き忘れられていたり、片っ方だけ脱げ落ちた生徒会の人間の物と思われる学校の制式靴も見つかった。逃げる際に落としていったのだろうが、ここからも建て替えを行った連中が相当慌てていたことがうかがえる。証拠の写真を撮ろうと、僕がカメラにフィルムを詰めているときに、ロドリゲスと京介が少し離れた場所で焼き焦げた切り株を見つけた。
「すごいね……、ここまで火炎瓶が飛んで来たんだね……」
もはや、事件の恐ろしさに震えることしかできなかった。僕は人間の心の闇の深さと恐さを胸の中に抑えつつ、カメラのシャッターを何度か切った。鹿と熊がすり替わってしまった剥製と脱ぎ捨てられた片方の靴、そして、まだペンキが乾いていない外壁の写真などを証拠としてフィルムに納めることができた。これで、今後生徒会との間に抜き差しならない論争が発生したときに少しは有利になるかもしれないと、カメラを鞄にしまいながら僕は一人安心感を持っていた。そんなとき、僕らの真後ろから、パチパチと小気味よく手を叩く音が聴こえた。振り返ると、ビヴラータさんが満足そうな笑みを浮かべながらそこに立っていた。
「いやあ、しかし、君たちはたいしたものだ。数々の卑劣な妨害に遭いながらも、それをくぐり抜け、ついに真相に達したわけだ。僕は感動をおぼえたよ。権力に立ち向かう勇気は、近頃の若者にはなかなか感じられないものだからね。さて、事件は解決したようだし、僕もそろそろ帰らせてもらおうかな」
「いえ、ビヴラータさん、そう簡単にはいきませんよ」
ロドリゲスは冷静な表情でそう言って彼を呼び止めた。
「ん? 僕にも何か言いたいことがあるかね?」
「ええ、その通りです。先程、この前の通りで、半裸のヘルズ地区の住民と出会いましたよね?」
「ああ、かなり酔っ払っていたようだがね。あのおじさんのことが何か……?」
「彼はあなたを『保安官』とも『警察』とも呼ばないで、ビヴラータさんと名前で呼びましたよね? それが気になるんです」
「おいおい、君はあの娘と同様に、僕も生徒会の回し者だと疑っているのかね?」
「そうではないです。ただ、ブエナ女史があなたと会ったとき何の反応も示さなかったのも気になるんです。彼女はあなたを知らなかったんですよね?」
「そうなるだろうね」
ビヴラータ氏は少し暗い声でそう返事した。
「知っての通り、この地方の警察署の幹部はうちの学校の元生徒会委員で占められています。警察内でうちの学校の卒業生の派閥が幅をきかせているからです。それだけ、生徒会と警察との関係は密接なのですが……、ブエナさんはあなたのことを全く知らなかったですね。このことはおかしくないでしょうか?」
「ビヴラータさん、あなたは何者ですか?」
僕がそう尋ねても、彼は何も答えなかった。これまで一応は仲間であった者を追い詰めていくのは忍びないが、仕方なく、僕はさらなる真相を追い求めるべく、店の正面に走った。
「ちょっと電話を借りますね!」
生徒会委員が逃げ去った今、それに雇われた交渉人に存在意義は無く、別にマリアンヌに断る必要はないのだが、僕は一応彼女の了解をとってから、店のドアを開けて中に踏み込んだ。室内は塗り立ての塗装料のきつい臭いが立ち込めていた。その臭いに一瞬で脳が犯され、空間が歪んで見えるほど視界は乱れ、気分が悪くなった。予想した通り、中に店主のおじいさんの姿はなかった。店内は落ち着いていた。いくつも整然と並べられた木製の戸棚に新品の占い製品が並べられていて、数日前の亡霊の住家のような無気味な雰囲気は消え去っていた。腐臭を漂わせながら生きる、あのじいさんの寝床だった面影は全くなかったのだ。
レジの横に最新型のプッシュホン型の電話が置かれていたので、僕は受話器を手に取った。警察へ通報するのは生まれて初めてなので上手く事情を説明できるかどうか自信がなかった。急いで警察署の番号を入力すると、すぐにつながった。でたのは女性の声だった。
「はい、こちら中央警察署です。ご用件をお願いします」
「も、もしもし、少しお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、ご質問をうけたまわります」
「今、サウズヘルズ地区に来ているのですが、ここでビヴラータという保安官を名乗る男と出会ったのです。この人は本当にこの地区担当の警察官なのかを緊急に知りたいのです」
少し間を空けて、かなり動揺した女性の声が返ってきた。
「ビヴラータ? ビヴラータですって? たしかにその男はそう名乗ったのですか?」
「はい、その通りです」
「しょ、少々お待ちくださいね。担当の者と代わりますので……」
次に電話にでたのは中年のヒステリー気味の女性の声だった。彼女の強くて鋭い声が、僕からすぐに主導権を取り上げた。
「もしもし、あなたはビヴラータと名乗る人間と出会ったということですけど、本当ですか?」
「本当です。今、ヘルズ地区の南端にある、りんごの木商店という店の外で待ってもらっています。彼が本当に保安官なのかどうかを知りたいのです」
「何ですって! ビヴラータは自分が保安官だと名乗ったの?」
「その通りです。サウズヘルズ地区の入り口でこの人に出会ったのですが、彼は自分のことを、この危険な地区の唯一の警察官であると説明したのです。そして、数時間ほど、この人にこの地区を案内してもらったのですが、その間に不審な人物と多く出会ってしまい、その人たちに理屈っぽい言葉で責められたせいか、僕はもうすっかり人間不信になってしまって、用事が片付いてしまった今になって、本当に彼が保安官なのかどうかが不安になってきたので、この人の素性を確認する電話をした次第です」
「あのねえ、あなたたちはサウスヘルズ地区に入ったら、どんな人間に出会っても、何を言われても、決して信用するなと学校で教わらなかったの?」
「確かにその通りに教わりましたが、彼は警察だと自分で名乗りましたし、保安官専用の赤いバッジを持っていたのです」
「保安官用のバッジなんて、昔は警官以外の人間は付けられなかったけど、今では似たような物が子供の玩具売り場に普通に売っているし、それだけで他人を信用するなんて考えが甘すぎるでしょう? 生き馬の目を抜くような時代に生きているんだから、もう少し慎重にならないとダメよ!」
「それではやはり彼は偽警官なのですか?」
「当然でしょう? うちの警察署では制服以外に警官の身分を証明するものはないし、サウスヘルズ地区にはもう十数年前から誰も配置されていないのよ。その理由はもうあなたにもわかるでしょう? そうよ、その通り、何百人配置してもあそこの治安を守れるか自信がないからよ。それなら始めから誰も配置しない方が、例えどんなひどいことが起きたとしても気分的に楽ですからね。でもね、私たち中央警察署の署員も、ヘルズ地区の住民の更正を完全にあきらめたわけではないのよ。実は、週に一度、ヘリコプターを使って上空から地区の隅々までビデオカメラで撮影しているの。何か変わったことが起きてないかとか調べるためにね。時々、地上から悪質な住民の手で石や空き缶などをぶつけられることもあるけど、防弾のヘリコプターだから心配はないわ。そういう投石があれば住民がまだ羞恥心を持っているということだから、かえってこちらも安心しますけどね。でも、それだけでは彼らに扱いが悪いとデモを起こされそうなので、そうならないように、月に一度くらいの割合で上空から消臭剤を撒いてやるんですよ。そうすることで、こちらから、『ほらほら、私たちも一応はあなたたちのことを意識していますよ』というアピールをしているわけね」
「なるほど、では、彼は警察関係者ではあり得ないということですね。それを踏まえてお聞きしますが、僕らはこれから彼とどう接していけばいいのでしょうか? しつこく付きまとわれてしまって困っているんです」
「そんなことも他人に聞かないとわからないなんて、あなたはどこの学校の生徒? え? 占い専門学校ですって? 本当に占い師になりたいんだったらね、自分の進む道に関することを他人に聞いているようではだめよ。ビヴラータの素性はまだ子供のあなたたちには教えられないけど、その男は自分の心の弱さから、人生を完全に踏み外してしまった哀れな人で、一緒にいてもマイナスになることしか起きないから、あなたの生きる道に大きなT字路でもあったなら、そこでうまく別れることね。自分にとって不利益にしかならない人を切り捨てる。それぐらいのことはこれまでの半生で何度か体験しているでしょう? とにかく、なるべく早くその男から遠くに離れなさい。それと、もう深夜だからいつまでも危険な地区にいないで、自分の家に帰りなさい。わかった?」
それだけ言い終わると電話は向こうから一方的に切られてしまった。受話器からはツーツーという発信音がむなしく聞こえてきた。もうつながっていないことを確認して僕は静かにそれを置いた。憔悴して店から出ると、ドアの外すぐのところにビヴラータ氏が壁にもたれるように立っていた。その眼には光があり、まだ何か言いたいことがあるようだった。
「そこまで丁寧に調べあげるとは見事だ。いささか君たちを見くびっていたよ。ヘルズ地区で初めて会ったとき、この頭が子供の占い師と判断した時点で、僕はただの遊び半分のエリート学生の調査隊としか思わなかったのだよ。こんなに足を使った泥臭い推理捜査ができるとは思わなかったよ」
「あなたはいったい何者ですか?」
「僕はさっきも言った通り保安官だ。警察関係者と言った方が伝わりやすいかな。え? 警察署の人は否定していたって? それはその通りさ。これからそのことを説明するとしよう。実はね、僕は見ての通り制服の着用を認められていない非公式の警察なんだ。若い頃は本当に中央署で働いていたのだが、理由があって追放処分になってね…。それでも、僕は保安官として町を守りたいという思いがあったのだが、この町のほとんどの地区にはすでに優秀な警官が配置されているから居場所がなくてね……。それで、誰も配置されていないこのヘルズ地区で、誰の命令も受けずに自分の意志だけで勤務をするようになったのさ」
彼は僕らに対してずっと嘘をついていたのに、それを少しも恥とも思わない様子で、淡々とそんなことを話し続けた。
「空を見てください。暗いでしょう? これも時間を無駄遣いさせたあなたのせいです。僕らも暇ではないので、偽者の警官だったあなたと話すことはもうないですよ。今にして思えば、なぜ、あれほど多くの情報をあなたに渡してしまったのかと、悔やまれるほどです」
「まあ、そう言うなよ。僕はさっきも話した通り中央署をクビになった身だが、心はまだ警察官さ。どんな人間が警察官に向いているかって聞かれたら、真にこの町を良くしたいと願っている者だと僕は答えるね。いくつか人道に背くことをしてしまったために、普通の人間として生きられなくなってしまったが、これは自分の癖だから仕方ないんだ。どうも、少しずつ自分の住める場所を狭くしてしまうというのが、生まれついて持った僕の悪い癖らしい。クビになった後は、ヘルズ地区を用もなくふらつくのが趣味になったんだが、飽きられてしまったのか、最初は適度に遊んでくれた住民も、最近はあまり相手にしてくれないんだ……。だから、仲間でつるんで楽しそうな君たちがうらやましかったのさ」
「では、あなたもこのヘルズ地区の住民なんですか? そういえば、この地区の住民の挙動についてずいぶん詳しかったですね」
「違うよ。ここには住んでいない……。寂しくなるからこんなことは言いたくないが、多分、身分としてはここの連中より、もっと下さ…。では、僕はもう行くよ。歩けば歩くほどこの町は暗くなるが、この暗闇をいくつか越えた先に、戻りたくはない我が家があるのさ。できたら、また会おう。君たちの人生のためには、僕のような人間にはなるべく出会わないほうがいいのだろうが……」
思わせぶりな言葉を残して偽警官は去って行った。その背中には敗北者としての哀愁が満ち満ちていたが、呼び止める気にはなれなかった。
もうこの頃には、心に何も思い浮かばないほど疲れきっていたし、事情を聞く必要のある相手も、勝手なことだけ言って帰ってしまっていたので、僕らもすることはなく、早いところ解散したかったのだが、取り残されたようにドアの前にポツンと交渉人のマリアンヌがいて、何か話しかけて欲しいようにこちらをじっと見つめていた。
「言いたいことがあるなら聞きますよ。ただ、あなたは疲れきった僕の心を慰めるようなことも、すっきりと納得させるようなことも言えないでしょうけどね」
挑発するようにそう言ってやると、マリアンヌは小さくうなずいて、口を開いた。
「よくぞ言ってくれました。このまま、生徒会の不十分な嫌疑を残したまま、今日という日を終えてしまっては、あなたたちも胸にしこりを残したまま帰路につくことになります。そして、こちらの方が大切なことですが、ここで決着としてしまっては、あなたの目から見て、私は交渉人という仕事を何もしていないに等しいのではないでしょうか? どうか、交渉人としての私に最後の仕事をさせて下さい」
「しかし、あなたは交渉人としては不適格ですね。それは、あなたが生徒会の人間に雇われているということです。彼らは完全な保守派ですし、それに雇われているようでは、公平な仕事をしているとは言えませんからね。だって、そうでしょう? 生徒会も警察も一つの偏向した勢力としてつながっているのですから、彼らを擁護するのであればもう一つの勢力については不利な証言をするに決まってますからね」
「いえ、私はきちんとした資格を持った公正な交渉人ですから、例え、対抗組織の人間と出会って交渉する機会を得たとしても、決してあなたの言うような差別はしていないと誓います。確かに、私を雇って賃金を支払っているのは生徒会です。でも、私は心の奥底まですべて彼らに従っているわけではないのです。彼らを信頼できる雇い主や仲間と信じているわけではなく、ただ、一つの雇用関係を有するだけの、占い師学校の保守派層の生徒の集合体と見ています。ですから、彼らにとって不利な情報でも、きちんと相手に伝えて、公平な交渉を行ってきたのです」
「では聞きますが、ここの店の店主は、いったいどこへ行ってしまったんですか? 彼との交渉人だったあなたがそのことを知らないとおかしいでしょう?」
「はい、実のところを申しますと、店主のブレゴール三世は祭りの夜、店を焼かれてしまった際に精神錯乱状態に陥ってしまいまして、警察当局に身柄を拘束されてしまいました」
「それは何も語っていないのと一緒なんですよ! そうでしょう? 警察という機関を間に挟んでしまったら、大事な事実情報をすべてうやむやにされてしまうということは、今日の一連の出来事で十分証明されているではないですか!」
僕は最後の力を振り絞って彼女を責め立てた。ラルセやロドリゲスはといえば、その頃にはもう疲労困憊で意識を失う寸前であり、ふたりとも石段にしゃがみ込んで、どこか遠くの方をぼんやりと見つめていた。僕が早く決着をつけることを待っているようだった。ここで会話を終わりにして、この屁理屈女を蹴飛ばして帰り支度をすれば彼らは喜んでくれるだろうが、それだけはできなかった。
交渉人マリアンヌは全く疲れた様子も見せず、笑いや怒りや焦りといった感情を表に出すこともなく、笑みのない冷たい表情のままで僕との会話を続けた。
「大変残念なことですが、昨今、警察内部では様々な不祥事がありまして、少なからず報道もされておりますけれども、そういうことで市民の信頼を幾分損なっているということはあります。ただ、それを差し置いても、はっきり申し上げまして、あなたがたには店主のおじいさんを救い出すだけの力はないと思います。なにしろ、まだ何の力も持たぬ未成年ですからね。警察権力と正面から向き合うときに、世間の事情に疎いということは、思いもよらぬハンデになると思いますよ。ですから、ここは交渉人たる私にお任せ下さい。私自身がこれから当局へと直接赴いて、今回の一件について詳しく事情を説明して、三世の身柄の引き渡しを要求して来ようと思います」
「あなたに任せてじいさんが釈放されたとしても、事件の途中経過がわからなければ真実は何一つ明らかにならないし、きっと、警察もあなたも釈放された理由すら説明してくれないんだろ? 考えようによっては、例え、あなたの交渉がうまくいったとしても、それすら、あなたと警察との出来レースだったと判断されるかもしれないですけどね」
「それは違いますね。確かに、私自身があなたがたに有益な情報をもたらすことはないでしょう。私たちは契約外のお付き合いですからね。しかし、おじいさんが店に戻れば彼の口から真実が明らかになるはずですし、それによって、これまで私がこの地区でどんな仕事をしてきたのか、そして、店主のおじいさんとどんなに温かな人間関係を築いてきたのかが、きっとわかっていただけるはずです」
その時、二人の論争の均衡を破るかのように、遠くの方から爆音が鳴り響いてきた。あまりの轟音にみんな反射的に耳をふさいだが、よく聴いてみると、それは車のクランクションのような音だった。
「ちょっと待って、何か来たよ!」
ロドリゲスがそう叫ぶや否や、けたたましいサイレンを鳴らしながら、黒塗りの高級外車が猛スピードで近づいてきた。僕は何が起こったかわからず錯乱してしまい、「わあ!」と叫んで歩道へと飛びのいた。砂埃を巻き上げながら、僕らの前で車は止まり、運転手席からサングラスをかけた黒いスーツ姿の男が顔を出した。
「祭りの件でわざわざ、警察にまで連絡をいれやがったのは、おまえか?」
僕が『そうだ』と返事をする前に、二人の男たちが車の後部席から大きな布袋を引きずり降ろした。その袋は地面に叩き落とされると、その衝撃に反応したのか、もぞもぞと動きだした。中に生き物が入っていることは一目見てすぐにわかった。
「こんな汚らしいじじいを拉致しておくことが、俺たちに何か利益になるって言うのか? 当局からの命令がなかったら、誰がこんな損な役目を引き受けるかってんだ! そんなに返して欲しいのなら返しておくぜ!」
それだけ言い残すと、男たちは乱暴に車のドアを閉め、乗用車は猛スピードで闇夜の中へと走り去っていった。その間、わずか十数秒の出来事だった。僕は置き去りにされた袋に近づき、ゆっくりと袋の封印を解いた。口を開くと、すぐにもわっとした湿っぽい空気が溢れ出してきた。その汚臭と共に袋の中から現れたのは、他ならぬ、りんごの木商店店主その人であった。店主は助け出してやるとすぐに起き上がり僕の腕を乱暴に振り払った。
「なんじゃ、おまえらは、また来たのか! 寄付金は絶対に払わぬとあれほど言ったろうが!」
信じがたいことに第一声がそれであった。僕らを生徒会員と間違っているのだろうか。店主は数日前の来店時に輪をかけて身体全体からひどい体臭を放ち、着ているものはあちこちすすけていて全体に埃っぽかった。ぼーぼーに伸ばした口髭を見苦しく晒し、自分がこの地区の代表者だといわんばかりの凄まじい出で立ちだった。マリアンヌが店主と接触を持とうと、彼に近づいていったが、そんなけなげな交渉人を店主は鋭い眼光で睨みつけた。
「なんじゃ、この女は! うちの店に女人は近づくな! 去れ!」
「ブレゴール三世、お帰りをお待ちしておりました。私はあなたの生活をより良くするための、異国からの助け舟。交渉人でございます。お加減はいかがですか?」
「誰じゃ、おまえは! おまえなど知らんわ! わしの名前はガルツじゃ! とっとと去れ!」
店主は地面を蹴り上げるような乱暴な仕草を見せ、交渉人を近づけようともしなかった。マリアンヌは一度静かにうなずくと、申しわけなさそうな顔に変わり、脇へどいてしまった。こんな簡単にこの女を追い払えるのなら僕らも最初からそうすればよかったのだが。
「店主、ずいぶん機嫌が悪いですね。大丈夫ですか?」
僕は後ろから恐る恐る話しかけた。
「おまえはアホか! 丸二日も熟成ワインみたいに樽の中に押し込められて機嫌が良くなる人間などいるか! わしはなあ、こんなゴミ溜めのような地区に住んでいても、プライドだけは高いんじゃ! いままであんな扱いを受けたことは誓って一度もないわ!」
僕は救い出したことへの感謝の言葉を期待していたのに、待っていたのはじいさんからの罵倒という非現実的な結果だった。仲間に助けを求めるべくロドリゲスたちの方を振り返ってみたが、彼らは一番出会いたくない人間に出会ってしまったといわんばかりの不快感極まった表情をしていて、なぜ、この長い一日の捜査の結末がこんなむごい現実なのかといったような絶望感たっぷりの雰囲気で立ちすくんでいた。
ラルセは自分の両肩を押さえながら震えていて、この世で一番汚い生き物を見つめるような視線で店主を見ていたが、やがて、僕の方にも不審極まった視線を向け、『ほら、この一件には手を出さないほうがよかったでしょ?』と言いたげな表情だった。僕も好奇心に動かされてここまで来てしまったことを、今は深く後悔していて、長い時間付き合わせてしまった三人に対して申しわけない気持ちでいっぱいだった。僕が何も言えずにいると、京介が前に進み出て店主に迫った。
「おい! 俺達は命懸けで捜査をして、あんたを救ってやったんだぞ! そんな言い草があるのか? 一言礼を言ったらどうなんだ?」
「やかましいわ! それだけ偉そうなことを言うなら、祭りの夜になんで助けてくれなかったんじゃ! 周りに見物人が百人はいたが、わしの援護をしてくれたものは一人もおらんかったぞ! 警察も民衆もみんながわしに襲いかかってきたんじゃ! こんな理不尽があるか!」
店主はそれだけ言うと、京介の胸を両手で突き飛ばし、彼を道路に押し倒すと、つかつかと店の入り口へ歩み寄り、そのままの勢いで中へ入り込むと、バシンという大きな音と共に内側からドアを閉めて家に閉じこもってしまった。
「店主、せめて一言だけでも話を聞かせて下さい! 今はどんなお気持ちですか?」
僕は扉をドンドンと叩きながらそう怒鳴った。
「うるさい! マリアナ海溝のような、とてつもない深い絶望の谷へ叩き落とされて、いまさら感想などないわ! おまえらみたいに弱者の傷口を押し拡げて、それを楽しんで見るような奴らがいると、わしらみたいな落ちこぼれた人種は夜もおちおち寝ていられんわ!」
「そんなことを言わず出て来てください! 一緒に真実を明らかにしましょう! お話を聞かせてください!」
僕は近所中に鳴り響くほど強く何度も何度も商店のドアを叩いた。そんな僕のことを友人たちは哀れみの目で見守っていたが、やがて、ラルセが歩み寄って来て僕の肩を優しく叩いた。
「今夜はもう帰りましょ? ね? とりあえず、おじいさんも無事だったわけだったし……。勝負としては完全な負けだけど、あなたの希望が一つは叶ったわけよね?」
彼女にそう言われてしまうと、僕も今日の闘争を終えようかという気持ちになってきた。警察も生徒会もこの地区の住民もすべてを敵にまわしながら行った今日の調査だったが、結局、きちんとした結果をだすことはできなかった。それはつまり、禍根を大量に生み出しただけの一日になってしまったというわけだ。実社会の裏側にあるこの暗闇の中を、もう一歩か二歩だけでも前に進んでみたかったが、警察と生徒会が僕らの捜査を察知して、拉致していたじいさんを手放してしまった以上、ここから先には進めなかった。彼らの破れかぶれな戦術によって、ここまで来ていながら最後は権力という厚い壁に阻まれてしまったのだ。僕は彼女の言葉に同意し、商店から目を放した。帰る支度を始めた僕らの後ろには交渉人の女が申し訳なさそうに立っていた。おじいさんに追い払われた直後だったので、さすがに名うての交渉人も落ち込んでいる様子だった。
「あなたは家に帰らないの?」
ラルセがいくらか同情したようにそう声をかけた。
「どうやら、雇用関係を解除されてしまったようなので、私も皆さんと同じく敗北者として家に帰ります。ポーランドやアメリカで学んできたことがあまり生かせなかったのが残念でなりません」
最後まで自分の言葉を使わずに淡々と言うと、彼女は僕らに背を向け、中央区の方角に向けて歩きだした。
「ここはあんたの講演会じゃないんだぞ! マニュアル通りの言葉だけじゃなくて、たまには自分の心に宿る感情で話してみろよ!」
彼女の背中に向けてそう叫んだが、今度こそ返事は返ってこなかった。それを言ってしまうと、心も落ち着き、ようやく気が済んだので、僕らも今夜の調査をここで終えて、家路につくことにした。暗い夜道をしばらくは四人並んで歩いていたのだが、京介の歩む速度が少しずつあがり、彼はやがて走り出した。
「悪い! 先に行くな! 腹減ったから中央区でスパゲティー食ってから帰るわ。家に帰ってからじゃ、時間的にあまりに遅くなって胃に悪いからな」
手を振ってやる間もなく彼の姿は闇に飲み込まれていった。舗装もされていない荒れたでこぼこ道を黙って歩いていると、不意に僕は淋しくなり、「結局、何もわからなかったな~」と口走っていた。
「何が?」とラルセ。
「この事件全体がだよ。いろんな人が現れて、みんな自分勝手に語っていたけど、いったい、誰の言ったことが本当なんだろう?」
「みんな、事件の当日はひどい混乱の中にいたから、しっかりと客観的に事実を見てた人はいないんじゃない?」
ラルセがそう答えてくれたが、声のトーンはいつもよりかなり低く、疲れて大きな声が出ないようだった。
「人類の歴史上に重大な事件は多々あるけど、どれも客観的な真実なんてないんだよ。各々が自分の目で見て、自分の心で判断したことが真実なんだ」
ロドリゲスが僕の肩をギュッとつかんで、無理矢理ながらも、今回の一件にそのような結論を付けてくれた。
「今日は少し突っ走っちゃったかな? 君らを巻き込んじゃって悪かったね。不快になったかい?」
僕がそう言うと、ラルセはワンピースの裾をまくって少し赤く腫れた肌を見せ、そこを指差して軽く笑ってみせた。
「あの時は悪かったよ。あまりにもむかついていたから、意識が飛んだんだ」
「それって私に対して? それとも私の女友達に対して?」
「事件に対してだよ。この事件全体にむかついていたんだ」
「ブエナもビヴラータさんも、もう寝ている頃かしら?」
少し間を空けてラルセはそう言った。彼らのことを考えてしまうと、いろんなことが頭をよぎってしまい、言葉が出てこなかった。上空を見上げると、ヘルズ地区にはもったいないような美しい星空が広がっていた。
「おかしいなあ、ここがそんなに怖い地区なのかなあ、何度か来たことがあるけど、そんな怖い人に出会ったことないけどなあ……」
「昼間、中央区の交差点で会ったおばさんたち、怖かったわね。これぞクレーマーって感じで」
「あれはもう会いたくないな……。それにしても静かだなあ。ヘルズ地区の人はみんな寝ちゃったのかなあ」
「みんなもう寝てるわよ。明日も朝からみかん畑でしょ?」
ラルセはそう言って軽く目くばせした。僕には今日起きた出来事の半分も理解できなかったが、彼女には何かわかったようだ。
この地区の出口が近づいてきたとき、僕らの淋しさが届いたのか、付近の住民たちが家の外へ次々と出て来て、庭に蒔きを積み上げ、たき火の支度を始めた。夜になって冷えてきたので火をおこしたのかもしれない。これから食べ物を焼いて食事にするのかもしれない。やがて、道の両側の家々が次々に火をおこすと、赤い炎が揺らめきながら幻想的な道を作っていた。
この作品は長大なので少しずつ区切って投稿していきます。気軽に感想をいただければ幸せです。




