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向いてない。

作者: Rainy

 人間には向き不向きがあって、向いていないことはできるだけやらないほうがいい。例えばじっくり考えることに向いていないのならすぐ行動してみればいいし、反対に直感で動くのに向いていないのなら長い時間をかけて考えればいい。そんなに難しい話ではない。何かに向いていなくとも、自分にとって向いていることをすればいいのだから。自分以外にも人間はたくさんいるのだから、自分が苦手なことを得意としている人間にやってもらえばいい。

 でもそうもいかないときも、ある。

 生きることに向いていない人間も、いる。正確に言うなら、社会の中で生きていくことに向いていない人間。集団生活に慣れることができないまま義務教育も高校も大学も通過してしまう人間。どうやら自分は生きるのに向いていないみたいだぞ、と気が付いたときにはもう遅いのだ。だってもう、社会的には、大人だと判断されてしまうから。大人になったら、生きるのが向いてるとか向いてないとか、そんなことを言ってはいけない。そういう決まりになっているのだ。誰も教えてはくれないけれど。

 いくら現代社会が、人間関係が希薄になったと批判されていようとも、誰とも関わらず生きていくことだけはできない。どれだけネットが発達しようと、家から出ないままで生活ができるようになろうとも、それだけは不可能なのだ。だってネットの向こう側には自分以外の人間がたくさん蠢いているから。この世界は自分以外の人間で溢れていて、そいつらと上手く折り合いを付けられない人間は、生きることに向いていない。

 例えば俺みたいに。例えば俺以外の誰かみたいに。

 バカみたいにたくさんの人間がこの地球上にはいるのだ。全員が人間と上手くやっていけるわけではない。それは当然のことで、むしろきっと必要なのだ。こういう存在が。誰が必要としているかは知らないが。

 そんなに生きるのが嫌なら死ねばいい、というのが一番簡単な解決方法なのだけれど、それも上手くいかない。何故なら生きることに向いていない人間は死ぬことにも向いていないからだ。生きていることに「向いていない」だけであって、生きているのがどうしても嫌だとか、そういう強い思いはない。逆に、死を強く求めているわけでもない。だから自分から死ぬことが出来ない。交通事故にでも遭えばよいのかもしれないが、事故に遭うことを望む人間が都合よく事故に遭う確率などたかが知れている。隕石も落ちてこないし駅のホームからも落ちないし通り魔に刺されたりしないし余命宣告を受けたりもしない。現実は、そうそう上手くいかない。都合よく死ねたりは、しない。

 要するに、俺は今、とても暇だった。本気で死ぬ気も本気で生きる気もないのにこんなことを考えるくらいには。時間を持て余すとどうでもいいことばかり考えてしまう。

 壁掛け時計を見ると午後二時を指していた。起きてから二時間しか経っていないなんて残酷な話だ。もっと早く一日が過ぎてくれれば、こんなどうでもいいことを考える暇などないのに。天井と見つめ合ってみたところで、天井は何も言ってくれないし、時間の進みを遅くすることも早くすることもない。何事も、上手くはいかない。

 なんとなく体を起こす。テーブルの上には、昨日の夜に飲んだチューハイの空き缶と、二時間前に朝飯兼昼飯として食べたカップラーメンの残骸。虚しさを具現化したみたいだ。どうでもいいと言ってしまえばそれだけ、でも、このチューハイもカップラーメンも俺の金で買ったものではないのだと認識した途端に虚しさは消えてしまって、何故だか可笑しくなってしまう。

 居候とか同棲とか、誤魔化す言い方はいろいろ存在するけれど、一番正しいのはヒモという表現であって、俺はそれ以上でもそれ以下でもなかった。真っ当なヒモ。ヒモに真っ当も何もないのだろうけれど、まあそういうことだ。彼女の収入で服を着て飯を食い屋根のあるところで暮らしているのだから。

 加えて言うなら、別に俺は、彼女のことを好きだとか愛してるとか、そんなことはない。我ながら最低だと思うけれど、仕方ない。本当のことだから。

 彼女はとてもまともな人だ。いや、俺みたいなのに引っかかった時点で多少はまともでない部分もあるとは思うけれど、総合すればとてもまともだ。普通のОL。それなりに美人。頭も悪くない。でも俺を家に泊めている。俺を、養っている。それは彼女にとって重大な欠陥のように思えた。

 申し訳ないと、思わないわけではない。本当に彼女のことを思うのならば出ていったほうがいいのだろうけれど、彼女がそれを要求しないから、というなんとも消極的な理由から、俺はここを動かないままでいる。じゃあ彼女が要求したらどうするのかという話になるけど、たぶん俺は出ていく。それは彼女のことを思ってじゃない。出ていけと言われたから出ていくだけだ。そうして、そのままどこかで野垂れ死にするかもしれないし、また誰かの厄介になるのかもしれない。俺にとっては、どっちでもいい話だった。

 自分で考えても、馬鹿げた話だと思う。何もしないまま誰かに養ってもらっているなんて、男としてとか何とか以前に、人として駄目だ。知っている。

せめて追いかける夢でもあればいいのだろうが、俺にはそれもなかった。ただなんとなく日々を消化して、食べて寝て朝を待つだけ。死んでもいい命なんてない、命は平等なんだから、と何かのドラマで言っていたような気がするけれど、無かった方が世の中のためになる命はたぶん存在する。だって別に、命は平等じゃないから。底辺も頂点も存在する。ただ単に、真ん中のランクにたくさんの命が存在していて、平等のように見えるだけだ。と、俺は思う。

 はは、何これ、俺、すっごい偉そう。わざわざ声を出して笑ってみた。笑えた。まだ声は出る。まだ、生きている。不思議だ。死んだほうがいいはずなのに死なない。不思議。

 カップラーメンの空容器とチューハイの空き缶をゴミ箱に放り込んでまた寝転がる。何か時間潰しになることをしなくては。そうじゃなきゃ今日が終わらない。どうやって夜が過ぎていくのを待てばいいのだろう。他の人たちはどうやって一日を消化しているのだろうか。

 仕方なくテレビをつける。ドラマの再放送。ニュース。野球中継。よくわからないバラエティ。消した。また部屋が静かになってしまった。どうしたらいいんだ、本当に。

 そっと目を閉じてみる。このまま眠るように死ねたら便利だ。仕事から帰った彼女が、俺の死体を発見する。悲しむだろうか。泣いてくれるだろうか。でもきっと、一か月もしないうちに忘れるだろう。新しい彼氏もすぐにできる。そいつはまた俺のようにヒモになるかもしれないけれど、それはそれで彼女は幸せだろうからまあよしとする。そうして俺は最初からこの世にはいなかったかのようになる。それはとても素敵な未来に思えたけれど、やっぱり現実はそうそう上手くいかないのだ。

 だってほら、眠ることさえできやしない。窓からの光はとても眩しい。太陽は誰にでも降り注ぐのだ、頼んでもいないのに。

 カーテンをぴしゃりと閉じて部屋を薄暗くしてみた。眠るには明るすぎるけれど、さっきよりはまだましだ。眠ろう。何も考えなくてすむから。

 夢を見た。

 くるくると回るメリーゴーランド。白馬も馬車も、楽しげな家族やカップルでいっぱいだ。俺は順番待ちをしているのに、メリーゴーランドは止まってくれそうになかった。楽しげな音楽と、きらきらした光。でも止まってくれない。だから俺は、それに乗ることが出来ない。どれだけ待っても、俺が乗る順番は来ない。ずっと。

 俺のすぐそばでメリーゴーランドを眺めている従業員を見つけて、聞いてみる。これはいつ止まるのかと。俺はいつ、これに乗れるのかと。

 帽子をかぶっているせいで顔のよく見えない彼は、まだですよ、とだけ呟く。それならいつなのかと聞いてみるが、彼はまだですよとしか答えない。俺はただメリーゴーランドの光を見つめるだけ。誰もが楽しそうだ。俺以外の誰もが。

 くるくる、くるくる。乗っている人はどうなるのだろう。降りられないのだろうか。降りたくないのだろうか。降りてはいけないのだろうか。初めから乗ることもできていない俺にはわからないけれど、でもきっと、どちらでもよいのだろう。だってメリーゴーランドに乗っている人はみんな楽しそうだから。きっと幸せなんだ、あの人たちは。

 急に右肩を掴まれた。すぐそばにいた従業員だった。なんですか、と言おうとしたが声が出ない。怖い。痛い。怖い。怖い。

 ぴしゃん、という音がして、メリーゴーランドが消えた。じわじわと感じる頬の痛みで、要するに、ビンタされたことを認識した。そうしてやっと、視界にいるのがあの従業員ではなく彼女だということを理解した。

「起きた?」

「……あ、……うん、おかえり」

「ただいま。なんか全然起きないから死んでるのかと思っちゃった」

「そんな簡単に死なないよ」

 そうだね、と彼女は笑って台所に向かった。夕飯は何がいいかと聞く声がする。何でもいいよと返すと、それが一番困る、と教科書みたいな答えが返ってきた。

 彼女がつけたらしいテレビは、いつも通りによくわからない音を立ててそこにあった。さっきのは、本当に夢だったらしい。もうどこにもメリーゴーランドなんてなかった。やっぱりどこか生きることに馴染めない俺と、この世界の中できちんと生きていける彼女しか、この部屋にはいなかった。

「夢を見たんだ」

「夢?さっき寝てた時?」

「そう。メリーゴーランドに乗れない夢」

「ふーん」

 彼女が何かを炒めている音が聞こえた。それから、焼けたバターと醤油の匂い。野菜炒めだ、たぶん。

 夢の話をこと細かく話そうかとも思ったけれど、もうはっきりとは思い出せなかった。メリーゴーランドに乗れなかったということしか、俺は覚えていなかった。

 電子レンジの音がして、彼女が「できたよ」と俺を呼ぶ。二人分の皿と箸、それとさっき温めたらしい、湯気の立つご飯を渡された。持って行けということらしいのでおとなしく従う。彼女は野菜炒めの大きい皿を持って俺の後ろをついてきた。

「いただきます」

 彼女は丁寧に手を合わせてから食事を始める。こういう仕草一つとっても、彼女は本当に、『まとも』なのだ。どうして俺と同じ部屋にいるのか不思議なほど。

 彼女がぽつりと言った。

「メリーゴーランド、乗りたかったの?」

「えっ?」

「さっきの夢の話。乗りたかった?」

「……さあ、どうだろう。たぶん乗りたかったんだと思うけど、でも乗れないなら仕方ないから。別なのに乗ったんじゃないの、コーヒーカップとかジェットコースターとか」

 ふふ、と彼女は笑った。きっと世の中で、一番幸せな瞬間なのだろうなと思った。彼女が幸せそうに笑う。でも俺の視界に入ってしまったら作り物みたいだ。

 彼女は野菜炒めを食べながら言った。

「君は、生きてて楽しそうだね」

 彼女の発言は全く持って的外れなのだけれど、俺にはそれを指摘する権利もないのだ。だって俺、ヒモだから。


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― 新着の感想 ―
何も面白くない。
[良い点] 面白かったです 読んでて面白かったし、メリーゴーランドのやつはなんとなく良かった 自分に似ている部分があると思った
[一言] 読んでいて引き込まれました。 ありがとうございます。 また読みたいと思います。
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