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その日の夜はどういうわけか、ステラの祖父も交えての夕食会になった。ラキアスの陰謀、もとい計らいによるところが大きいが、ラキアス、リオン以外の面々は彼の気迫に少し気まずくなったものである。
いろいろと変な雰囲気だった夕食会が終わった後、レクシオはイルフォード家の庭園の前にある列柱廊をぶらついていた。庭園といっても、今はすべてが雪をかぶっていて特に見るものもないのだが。
「あの豪華な部屋、けっこー落ち着かないんだよな」
今もジャックとトニーがチェスの真剣勝負を繰り広げているだろう部屋の様相を思い出し、彼は顔をしかめる。ベッドが妙に大きいし、調度品や壁に飾られている絵画も見るからに高そうなので気が気ではなくなる。
ステラは小さい頃、ずっとあんな生活を送っていたのかな。
雪化粧した草木を見ながら、ふとそんなことを考える。思えば自分は彼女のことを、話によるものでしか知らなかった。それは彼女が、あまり家のことを語りたがらなかったせいであり、それを早々に悟って何も訊かなかった自分のせいでもある。
「ま、俺も俺のことずーっとひた隠しにしてたし、そこはおあいこってことでいいか」
思考の海に沈みかけた自分を苦笑と共に納得させたレクシオは、それから、張りつめるほどに冷たい空気を肺いっぱいに送り込んだ。
空気がしみわたる中、足音が聞こえた。
最初は使用人かと思い気にも留めなかったが、その歩調が覚えのあるものだと分かって振り返る。結果は、予想した通り。ラキアスが、歩いてくるところだった。
「おや、どーも。ラキアスさん」
すっかり打ち解けてしまったレクシオは、砕けた口調で話しかける。すると彼も親しげに手をあげて寄ってきた。
「やあ。ここにいたのか」
彼がそんなことを言うものだから、レクシオは口をとがらせて首を傾ける。するとラキアスは、驚くべきことを口にした。
「せっかくだから、君と二人だけで話をしたいと思ってね」
その瞬間、自分がどんな表情をしたのかレクシオは覚えていない。ただ、相手が本当におかしそうに笑ったので、さぞ間抜けだったのだろうとは思った。
「……そんなに驚かなくてもいいのに」
言うラキアスに案内されたのは、なんと彼の私室だった。ひょっとすると彼の妹にも言えるのかもしれないが、貴族の部屋としてはあまりにも素っ気ない。必要最低限の家具と武器しか置いていないのだ。
ただし、くどいようだが地味でも高級品ばかりである。
こういう「落ち着かない部屋」の典型例ともいえる場所でお茶をいただくことになってしまったレクシオは、らしくもなくそわそわした。男性のものらしい落ち着いた色調のカップに目を落とす。ふいに、椅子が引かれる音がした。
「君はこういうところ、苦手かな」
ラキアスが、自分のカップを手に腰かけるところだった。レクシオは笑みにもなっていない笑みを浮かべた。
「はい。なんだか落ち着かないんで……俺、根っからの庶民だし」
返ってきたのは、申し訳ない、という弾んだ言葉だった。
やはり、ラキアスが気にしていたのは彼とステラの親密さについてだったらしい。それにまつわるいろんな話を、お茶片手に彼とすることになった。しばらくそんなことをした後で、レクシオはずっと気になっていた疑問をぶつける。
「ステラが友達を作るって、そんなに珍事なんですか?」
――相手は、見事にお茶を吹きだした。レクシオは、はて可笑しなことを言っただろうかと先の言葉を心で反芻したが、そうしているうちにラキアスが答える。
「いや、ごめんごめん。珍事とかそういう言い方をする人に出会ったのは初めてでね」
笑いをこらえきった青年は、一度茶をすすって、それからカップをソーサーに置くと、懐かしそうな目をして語りだした。
「かつてのステラは、それこそ根っからのイルフォード家息女としてふるまっていたからね。どうしてもよりつく人は少なかったし、彼女も立場上、あまり外の人間と関わることがなかった。俺がどうにか連れ出して、ようやく人前で笑ったり冗談を言ったりするようになったけど……直後、両親が亡くなったんだ」
レクシオは息をのむ。殺された、と語ったかつてのステラの顔がよぎった。
「それからというもの、彼女はすべての人間に心を閉ざしてしまってね。友達どころか、家の者と顔を合わせることすら嫌がるようになった。背景にはいろいろあっただろうけど、きっと家出のきっかけはそこだったに違いない。
……君たちも知るバーバラと、わずかな関わりはあったけど、それもステラの心を開ききるには至らなかったんだよ」
淡々と語ったラキアスは、そこで閉口した。あまりにも静かな彼に対し、レクシオは呟く。
「あの、ステラがですか。……そんな時期があったんですね、あいつにも」
ちょうど、母を失い逃亡に転がり込んだばかりの頃の自分と同じように。
ラキアスは、直後のレクシオの沈黙をどうとったのか、やんわりと口を笑みの形にする。
「だからね。君たちがステラと打ち解けているのを見て心底驚いた。一気に六人も、仲間を作って戻ってくるとは思っていなかったんだ。君とはそれ以上に親しいようだしね」
感謝してるよ、と彼は言った。レクシオもほっとして頭を垂れる。だが――
「でも」
次の瞬間、ぴしゃりと放たれた言葉にぞくっとして、彼はすぐ顔を上げた。
ラキアスの目が、剣の刃のごとく光っている。
「君には、訊いておかなきゃいけないこともあるんだ」
何かが膨れ上がっている。何か、おぞましいものが。レクシオはそう直感した。だがもう、身じろぎすらできそうにない。
「なん、ですか?」
辛うじて声を絞り出す。
突然、部屋の中が暗がりに沈んだように錯覚する。そしてその中で、ラキアスの瞳だけが爛々と輝いていた。その中で揺らめく炎は、赤黒い感情をたたえて。そしてその言葉は――
「デルタ一族のエルデ家」
鉛のように重く、レクシオの肩にのしかかった。
「君は、その系譜に連なる者だ。そうだろう?」
しばらく何も言えなかった。言おうとしても言葉が出なかった。だがなんとか、あえぎに近いものがしぼりだせる。
「なんのことだか、分かりませんね」
だがそれは、ひどく弱々しい。ラキアスの刃の前では、なんの力も持たないものだ。
「ごまかしても無駄だよ。黒い髪に緑の瞳は、エルデ最大の特徴だ。
……先のルーウェン焦土作戦で絶たれたはずの血統が、それを受け継ぐ君が、どうしてここにいるのか」
テーブルを指で叩く青年の声は問いかけの形をとっていたが、そこにはすでに確信があった。この口調に既存感を覚えたレクシオは、ゆっくりと体を引く。おそれおののいていた脳は、急激に冷えていた。
「それを知って、どうするんですか」
刹那、ラキアスの目が輝いた。レクシオはそれと同時に飛び退る。だが。
すぐ後に彼が見たのは、自分の腹から小さな飛沫となって吹きだす鮮血だった。鋭い痛みにうめきすらあげず、それでもどうにか踏みとどまる。
改めて見れば、ラキアスが立ち上がって剣を抜いていた。
「決まりだ」
発された低い声。レクシオは、不敵とも取れる笑みを浮かべる。
「おいおい、なんちゅー化け物だ」
だが、そう言う彼の頬には汗が伝った。
ステラも相当な腕前で、彼女とは何度も組んでそのすごさを味わったが、もはやラキアスはその比ではない。
無言のラキアスは一歩踏み出すと、そのままレクシオに向かって突進し、剣を薙ぐ。それをすぐによけた彼は、反射的に魔導術を展開していた。ラキアスの第二撃より早く、手元に炎の塊をうみだしてそれを投げつける。
吹きだす爆発と煙。屋敷中を震わせるのではと思う程の轟音。それを見届けることをしないまま、レクシオは身をひるがえして走り出した。
とりあえず、このままラキアスから離れてしまえばどうにかなるだろう。家の者の前では、迂闊に騒ぎも起こせまいから。
思考しながらラキアスの私室を抜け出ようとした彼は、しかしすぐ後に横から鈍い衝撃を受けて弾き飛ばされる。そして、身体を壁に打ち付けた。おそってくる痛みとめまいに、うっとうめく。さらに、瞠目した。
煙が晴れようとする中に、剣を構えるラキアスの姿を見たから。
「…………速すぎ、だろ……」
呟いた彼は、だがそのまま呆けているほど馬鹿ではない。ルーウェンが焼かれたあの日からまったく摩耗していない本能にしたがって、逃げだそうとする。だが、痛みが襲ってくるばかりで、まともに動かなかった。
加えて胸から流れ出る真っ赤な物を直視してしまったのだから、最悪だった。
少年の脳裏に、残酷な日の記憶がよみがえる。真っ赤な炎。動かない母親。下卑た軍人の笑みと殺気に満ちた父の背。
それらと、剣を構えるラキアスの姿が重なり、直感した。
――死ぬ!!
「あっ……」
血の気が引いた唇から紡ぎ出された声は、まともな言葉にならなかった。顔面蒼白になって震える少年を、青年が冷やかに見下ろす。
「レクシオ・エルデ。君には罪を贖う責任がある」
これまでに聞いたことのない、無感情な声音。それはやはり、どこか父のものに似ていて。だが父とは違い、すべてを失ったものだった。
「あの日、君の血族が犯した大罪を、その血をもって償ってもらう」
血族、罪、そして償い。何度も何度も聞いた言葉は、もはやすべての感覚を失ったレクシオの中でぐるぐると回り続ける。
その中でふと思い出したのは――雪の中に咲く、残酷な赤の華。
視界の端で剣の刃がきらめいた。力を失ったレクシオはしかし、瞬時に自我を取り戻し、身体をかき抱く。
無言で振り下ろされた刃に、静かに死を覚悟した。
だが、待っていた時は来なかった。代わりに響いたのは、澄み渡った金属の音。
いつの間にかかたく目をつぶっていた彼はそっと、その目を開く。視界に映った人の背中を認めて、呆然と呟いた。
「……ステラ……」
なびく栗色の髪を、気にも留めない少女。その手元に光る見慣れた剣が、相手の刃をしっかりと受け止めていた。
黒い瞳は、ひたと自らの兄を睨み据える。
「どういうことです、兄上」
ラキアスからの返答はなかった。代わりに、厳しい言が飛ぶ。
「やるようになったな、ステラ。兄であり次期当主である俺に、公然と刃向かう気か」
「そういう問題ではありません」
だが少女は、それを上回る鋭い声でさえぎった。剣をにぎる手に力を込める。
「どうしてあなたが、私の友人を害するのか。私が聞きたいのはそこです。今は身分も力関係も何も、問題じゃない!」
「邪魔をするならおまえも斬り殺してしまうかもしれんぞ」
「なら勝負すればいいじゃない!!」
氷の仮面を崩さない兄に向かって、ステラは叫ぶように言いきった。そして両足でしっかりと地面を踏みしめ、冷たい刃を切りはらう。
「けれどあたしは、兄上がレクを殺そうとする限り、たとえ死んでもここを退く気はない! たとえその理由が何であれ! けれどあたしも、そしてレクも、その理由を聞かない限り何も納得できないわ!! 何も分からないまま剣を向けられることほど、恐ろしいことはない……」
ふたつの黒瞳がぶつかり合う。
「兄上なら、よくご存じのはずでしょう!」
気迫に満ちたステラの姿を見ながら、レクシオはただ呆然としていた。何か次元の違うものを前にしているような気分だ。だが、なんとなくこの感覚に覚えがあるような気がする、と朦朧とした意識の中で考える。
再び、ステラが兄に剣を向けた。
「答えてください、兄上」




