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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第二章 北方都市シュトラーゼ
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2

 彼は一度全員の顔を見ると、ふむ、と一度大きくうなずいてから身をひるがえした。

「本当に妹が友をつくって戻ってくるとは思っていなかったよ。どうぞ」

「どういう意味ですか」

 明らかにある種の皮肉ととれる言葉へ、とげのある口調で問いを返すがラキアスは一切取り合わない。ただすたすたと、邸宅の方へ歩いていく。その足取りが妙に楽しそうだと感じたステラはため息をつきながら、その後を追った。残る五人もそれに倣う。

「オルドール王国」時代から存続し続けている「貴族」の家としては質素な大扉をくぐると、窓から差し込む光と壁際の灯火に照らされる廊下が現れた。歴史の教科書で見たことがある列柱廊を思い起こさせるそれは、またしてもステラの記憶を刺激する。

「変わって、いませんね」

 ついそう呟くと、兄は振り返って笑った。

「これでも多少の修築はしてるけど、あの頃の面影は残ってる。懐かしいだろ?」

「……ええ」

 ステラは首を振ってから、前に向き直った兄の揺れる背中を見て不審に思った。素直に帰還を喜ぶのとも違う、家出を咎めるそれとも違う、彼の声音から感じるこの違和感はなんだろうか。

 ただいくら思考を巡らせても答えなど出るはずもなく、悶々としているうちに目的地へと着いたらしく、ラキアスの足が止まった。果たして行き着いた先は、応接間だ。彼は迷いのない手つきでその扉を開け、その先にまず五人を招き入れる。

 友人たちはいささか戸惑った様子だったが、おずおずと入っていった。それを兄妹が追う形となる。

「うっわー」

 そんな気の抜けた声を誰かが上げた。応接間は公共施設のそれと大差がない。際立って広いわけでもない。ただし、置かれている家具ひとつひとつは庶民から見ればとんでもない高級品だ。その手の物を見慣れている――と、トニーから聞いたことがある――ジャックが、うなりながら目を細めているのがその証拠。

 ただ、ラキアスはそんな彼らの様子を大して気にしない。

「さあ、どうぞ座って」

 穏やかな声が五人を促した。彼らは落ち着かない様子で黒いソファに腰掛ける。茶色の長机を挟んで数人が向かい合う形になった。遅れて、ステラとラキアスも向かい合って座る。偶然か、運命のいたずらとでも言うべきか、ステラの隣にレクシオがいた。

 ラキアスは彼らを順繰りに見回すと、膝の上で指を組んだ。

「改めて、我がイルフォード家にようこそ。妹がだいぶ世話になっているみたいだね」

 微笑みとともに放たれた前置きに、どういうわけかステラは背を震わせた。

「俺はラキアス・イルフォード。この家の長男でステラの兄です。どうぞよろしく」

 彼の名乗りに後押しされる形で残る五人が簡潔に自己紹介をする。兄は黙ってそれを聞いていた。そしてすべてが終わると満足げにうなずいてから、妹である少女の方を見てくる。

「……さて、ステラ。俺としてはおまえの家出にいろいろと思うところがあるが、とりあえずは元気そうで安心したよ」

「それは、どうも。ご心配をおかけしました」

 かすかな皮肉に片眉をつり上げかけたステラは、それでも表面上は穏やかに応じた。ただし語調が多少険悪になってしまったのはいなめない。だがラキアスは貴公子然としてこれを受け流す。

「たくさんの仲間ができたようだしね」

 だがそう言ったときだけは、瞳に喜びとも悲しみともいえない複雑な光がさす。彼の胸中をはかりかねたステラは、何も返さなかった。

 それからしばらくは他愛もない話に興じる。イルフォード家の現在の状況、学院での生活、等々。ただしラフィアに関する部分は適当にぼかしている。ラキアスは時に淡々としゃべり、時に真剣な目をしてみんなの話を聞いた。そんな調子であっという間に一時間が経っていく。

 あらかた話を終えたところで、ラキアスがさて、と切り出した。

「それじゃあ、みんなを客室に案内するからついてきて」

 この一時間の間にすっかり打ち解けたおかげか、五人は元気よく返事をする。そうしていると、ラキアスの目がステラの方に向いた。

「あ、そうそう」

 彼はどうでもいいことを思い出したかのような口調で、

「ステラは自分の部屋で着替えて、おじい様に挨拶してきな」

 さらりと重要なことを言った。

 一瞬、面白いほどはっきりと硬直した彼女はしかし、それから立ち直ると表情を引き締めた。

「――はい」


 数分後、ステラの服装はまるっきり変わっていた。さりげなく襟元にレースをあしらった白い服と、脚にぴたりと沿った黒いズボン。そして、腰では剣の鞘が音を立てる。これは家の中での改まった行事などのときに着る、いわば礼服の一つ、というより略装だった。「よそ行き」の正装はもう少しいかめしいものなのだ。

 多少の窮屈さと懐かしさを覚えながら、彼女は廊下を歩いていた。時折すれ違う使用人などにぎょっとして話しかけられたり涙されたりもしたが、その表情が本当の意味で緩むことはない。

 やがてひとつの扉の前で立ち止まる。別になんということもない、普通の扉だ。装飾が施されているわけでもなく、そこだけ色が変わっているということもなく。まるで部屋の主の性格を体現したかのようである。

 ステラはその扉と数秒間にらめっこをし、小さく息を吸った。ゆっくり腕を上げると、いつもより固く握った拳で扉をノックする。こん、こんとゆっくり、二回。

 五秒ののち、扉の奥からくぐもったうなり声にも似た「誰だ」という声が聞こえてくる。一瞬だけ怯んだステラはしかし、きっと睨み据える。

「おじい様、ステラです」

 存外しっかりとした声が出た。しかし孫娘の名を聞いた祖父が、部屋の中で苦々しく沈黙しているのが空気で伝わってきてうつむく。

「入れ」

 くぐもった声。しかし今度はうなっていなかった。祖父の声にぱっと顔を上げたステラは、失礼します、とはっきり言ってから把手をにぎる。口元を引き結んで部屋に滑り込んだ。

 部屋は、恐ろしいくらい質素というか庶民的だ。豪華な部屋は落ち着かない、という性質のラキアスやステラの私室でさえ、もう少し「貴族の家」といった風合いが出ているのだが、ここはそういったものとは無縁である。

 そして、部屋の奥、木の椅子に腰かけている一人の老人。そこらの荒くれ者に似た雰囲気を醸し出す彼に、ステラははっきりとした声で告げた。

「帰りました」

 他になんと言って良いか分からなかった。街で見かける人と大差ない格好をした、しかし気迫だけは鬼のような祖父は、鋭い目で、直立不動の孫をにらむ。それから少しして、おもむろに口を開いた。

「どうして、もどってきた」

「……は?」

 もごもごとひねりだされた言葉に、ステラは状況も忘れて目を瞬く。だが、呆ける一方で彼の問いはステラの心に深く突き刺さっていた。だが退けばそこで終わりである。そんなのはごめんだった。

「むろん、兄上がお出しになった“書簡”が――」

「そんなことは知っておる」

 少女の努力は、耳に馴染んだ厳しい声でぴしゃりとさえぎられる。渋面のまま沈黙した彼女に、祖父はさらなる問いを投げつけた。

「わしはきっかけではなく理由を聞いておるのだ、ステラよ。あの年で、浮浪者になることを知りながら強固な意志で家出を敢行した貴様が、なぜ今さら手紙一つで戻ってくる気になったのか、知りたいのはそこだ」

 痛烈な皮肉を並べ立てられ、ステラは正直泣きたい気分になったが、心の中だけにとどめておく。代わりに目を伏せ、しばらく言葉を探す動作をしたが、やがて再び祖父を見た。

「大仰な理由はありません。ただ、父と母に顔を見せるべき時期だからと思っただけです」

 祖父はそれに対しつまらなそうに鼻を鳴らす。それから傍らにある煙管をつかもうとしたらしいが、ステラを一瞥してからその手をひっこめた。

「それならなぜ、もっと早くに来なかった」

 小さな呟きが聞こえた。ステラは息を吸い、寂しげに笑う。

「こんなことを申せば、またおじい様はお怒りになるかもしれませんが……」

 そういう切り出し方で、語り始めた。

「私は、世界を見てみたかった。そして同時に、“自分”を見つけたかったのです。イルフォード家の息女、後継者候補という枠を離れて、“ステラ”という名の自分がなんなのか、はっきりさせたかった。そうでなければ、自分が壊れてしまうような気がして」

 だから、とまで言ったところでステラは口を閉じた。そのままふっつりと黙っていると、いつの間にか腕組みをしていた祖父がため息をつく。

「それで、帝都で路頭に迷ってまで探したものは、見つかったのか?」

 険悪な瞳がぎらりと光る。だがステラはもう怯まなかった。苦笑に近い笑みを浮かべる。

「分かりません」

 ようやく、この老齢な男の表情に大きな変化が見られた。わずかに目を見張り、訝しげに見つめてくる。その様子がなんだかおかしかったが、表に出すことはしなかった。

 述べる時は、ただ淡々と。

「そこで見つけた物が、私が探していたものなのかどうかはさっぱりわかりません。ですが……大切なもの、守りたいもの、たくさんの素晴らしいものには出会えました」

 言いきると、ステラは精一杯胸を張った。

 対面で顔をしかめたままの祖父がいったいどう思ったのかは分からない。ただ彼は、そうか、と言って、それから「下がっていい」とぶっきらぼうに告げたのだった。

 それではと言いかけたステラはしかし、ふと思い出して顔を上げる。

「私の友人が来ています。兄上への紹介は済ませました。おじい様にも、近いうちに……」

「馬鹿を言うな。わしは今やただの隠居じじいにすぎん。実質イルフォード家を取り仕切っているのはラキアスの奴なのだから、あ奴がよいと言えばわしは何も言わんさ。勝手にしろ」

 光のごとき切り返しに、ステラは今度こそ苦笑した。「失礼します」と楽しそうに述べて頭を下げ、踵を返した。だが部屋を出ていこうとした少女の背中に、再び言葉が投げつけられる。

「ステラよ」

「なんでしょう?」

 しばしの間のあと、彼女はいつもの祖父を振りかえった。彼はあくまで淡々と、

「リオンの奴にも会っておけ。それから……」

 いつものことを言ってから、こう続けた。

「親にとって、子が脅かされるというのは何にもまして悲しいものだ。だから……決して復讐などといった馬鹿なことは考えるなよ」

 ステラはぎくりと身をこわばらせる。自分自身はそんなことを考えたこともなかったはずなのに、いきなり心の中に氷の塊を流しこまれたような気分になる。

 発言の意図など露ほども分からぬまま、ステラは了承の言葉を告げて部屋を辞した。

 退出の瞬間、彼女の脳裏によぎったのは、寂しげに笑う兄の顔だった。


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