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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第二章 北方都市シュトラーゼ
6/23

1

 帝都の駅を発ってから数日経つ頃。列車は悲鳴のような音を立てて停車する。その列車を出迎えるように、あるいは包み込むように、真っ白な雪がしずしずと舞っていた。

「……着いた」

 車窓からその様をながめていたステラは、思いがけずといったふうにそんな言葉を漏らす。これをきっかけに、同乗していた五人が騒ぎだす。静かに降る雪に騒いだり、ようやくかと背伸びをしたりなんともかしましい様子だった。

「ここがシュトラーゼですか。名前でしか知らなかったんですけど、すごいところですね」

 うち一人、おさげの少女ミオンが身を乗り出す。目をきらきらと輝かせる彼女に、ステラは少し笑って見せた。

「駅の外に出たら、もっと驚くわよ」

 完全に観光旅行気分の五人と、帰省に引け目を感じる一人は下車した。都以上にぴんと張り詰めた空気が吹きさらしの乗り場を覆っているようで、さすがのステラもわずかに身震いする。それから切符を切ってもらって一階に下り、小ぢんまりとした土産屋が並ぶ屋内を通り抜けて、街の中へと飛び出した。

「うわあ!」

 感嘆の叫びを上げたのは、果たしてだれだっただろうか。

 勇んで街中に顔を出した少年少女を出迎えたのは、一面の銀世界であった。目がくらむほどの白銀の上に、レンガと丸太の家々が立ち並び、雪国の風景との調和を保つ。

 なおも止まぬ雪の中、慣れ親しんでいる一人以外は呆然としていた。

「こ、これが北国……なんか、遠くまで来ちゃった気分だな」

 活気ではなく、不思議な静寂が支配する街の中に、トニーのうめくような声が溶けていく。それを少しばかり振り返ったステラはしかし、一歩を踏み出した。ざく、と懐かしい音がする。

 家を飛び出すあの日まで親しみを持ち続けて来た雪の感触は、少女に温かい風景を思い出させた。

 さて、と呟いた彼女は雰囲気にのまれている五人を振りかえった。

「これからどうしよう。このまま実家(うち)に向かってもいい?」

 彼女の声に叩き起こされたらしい彼らは、一瞬視線を交差させた。その後、レクシオがみなの考えを代弁する。

「実家の都合もあるだろうし、ステラの好きなようにすりゃいいんじゃないか」

「そ、そう?」

 想像していたよりずっとあっさりした返答に、ステラは顔をこわばらせた。本当のことを言えばできる限り家に行くまでの時間を延ばしたくはあったが、だらだらとそんなことをしていては家族に何を言われるか分かったものではない。片手で額を押さえた彼女はしばらくうめいてから、決断した。

「――よし、行こう!」

「すごい決断力だね。やけになっただけかもしれないけど」

 ナタリーの余計な呟きは家族への対応で頭がいっぱいのステラには聞こえていなかった。

 市街は、ひどく静かだ。人の数は決して少なくないのだが、みな騒がしくはしない。誰かの視線を気にするかのように大人しく、日々の生活を営んでいる。そんな世界をかき乱すかのように子供たちが雪の上ではしゃぎ回る姿はどういうわけか、シュトラーゼの静寂を引き立てていた。

 透明な空気に笑い声が吸い込まれていく。これを聞いて何かを思ったのか、ジャックが鉛色の空を仰いだ。

「場所が変わるだけで、ずいぶんと雰囲気も変わるものなんだね」

「まあねえ。ずっと昔から、大人たちはつつましくしてる感じだし、北部の地域性なのかしら」

 故郷より帝都の雰囲気に慣れてしまったステラにもまた、その理由は分からない。ただ、このある意味異様とも言える空気がずっと昔から変わらないものであることは確かだ。

 小麦の袋を担いで家路を急ぐいかつい男が、五人の前を横切った。明らかに見慣れない顔を訝った様子ではあったが、すぐにどうでもよくなったらしく、一瞥しただけで去っていく。そんな姿を見ながら、ナタリーが小さく身震いをした。

「というかものすごく寒いんだけど。どうにかならないの」

「……もうここまで来たら我慢しようよ」

 五日前から変わらず続く台詞に、トニーがげんなりした表情で応じる。これを見ていたミオンが小さく失笑したのに気づき、ステラは口元をほころばせた。そのときだ。

「あれー!? あんた、ステラじゃない?」

 沈黙のベールに覆われた街にそぐわない快活な呼びかけ。ぎくりと固まったステラは、呼びかけのあった方向を見る。すると、肩口で切りそろえられた亜麻色の髪を振り乱しながら、空色を基調とした神官服をきた少女が駆けてきた。

「ひっさしぶりー! 長いことどこ行ってたの」

 少女は相手が呆然としているのにもまったく頓着せず、親しげに手をふる。それを見てステラは目をぱちくりと瞬いた。元気いっぱいの少女の姿に、幼い女の子の顔が重なる。

「え!? ば、バーバラ!?」

「誰だ」

 ただぎょっとしているステラに、レクシオが問いかけてきた。しばらく視線を泳がせ続けた彼女はやがて、がっくりと肩を落とした。

「えーと、なんていうのかな。あたしがここにいた頃に、しょっちゅう絡んできた女の子」

「幼馴染、的な」

 トニーがレクシオを見ながら言葉の真意を汲もうとする。対するステラは曖昧に首をかしげた。

「どうだろう。あの子よりレクの方が付き合い長いし、特に仲良しだったというほどの関係でもないし」

 こんな収拾のつかない謎の会話をしているうちに、バーバラはステラの前まで来ていた。

「へえー。学院に通ってるっていう噂は本当だったんだ。……あ、初めまして。わたし、バーバラって言います。よしなに」

 しげしげとステラを眺めたあと、バーバラは少女の予想に反して丁寧なお辞儀をした。元々そんな性格ではなかったが、やはり月日がたてば何かしらは変わるものである。

 挨拶をしてきた彼女にそれぞれの自己紹介を済ませると、ステラはさっそく質問した。

「あのさ。その神官服……どうしたの?」

「ん、これか」

 しかめっ面を捉えたバーバラは空色の布地をちょっとつまむ。それから、こともなげに笑った。

「へへ。わたし、ラフェイリアス教の神官になったんだよー」

 え、と全員が叫んだ。だが、一番驚いていたのはやはりステラである。

「あんたが神官って。なんか似合わない」

 失礼な、と頬を膨らませたバーバラは心なしか嬉しそうであった。

 ここでステラはようやく、そういえば彼女の家はラフェイリアス教だったと思い出す。しかも、彼女の父親もまた神官だったはずだ。それに倣ったと考えれば自然と言えば自然である。

 ただ――

「まずいことになったなあ」

「どしたの」

「なんでもない」

 前方からの問いに首を振る。彼女が神官になったということは、ラフェイリアス教の機密事項にもある程度通じているはずだ。万が一ステラが『翼』であるとばれたら、何が起こるか分からない。

 注意していこう、と思った。

 六人はひとまずバーバラを伴って歩き出した。仕事を終えて聖堂に帰るところだったので途中まで一緒に行く、と彼女が言いだしたためだ。

「しかしまあ、あの人間不信ステラちゃんがこんなに友達を作るとは」

 神官服をなびかせる少女は、改めて五人を順繰りに見た。彼らは一様に訝る。

「人間不信? ステラが?」

「違う、違う」

 ステラは呆れながらひらひらと手を振った。

「あたしがこの子と関わってた時期は、ちょっと荒んでたのよ。両親が亡くなったあとだったし、ちょうど家出のこととか考えだした頃だったし」

 そう考えると、バーバラと関わった時間はほんのわずかだ。

「なるほど」

 今まで何度か故郷でのことを話したことがあったレクシオは、それを聞いてあっさりとうなずく。するとバーバラの視線は彼の方にいった。

「おにーさん、ずいぶんとステラのこと知ってるみたいね」

「ん。まあ、初等部の頃からの付き合いだし」

 彼は特にためらう様子もなくさらりと言ってのけた。もちろん、少女のまん丸の目がきらりと光ったことなど、知る由もない。どういう想像をしたのか知らないが、彼女は面白そうにステラの方を見てくる。

「言っておくけど、あんたの想像してるような関係じゃないからね」

「なんだ、つまらない」

 動揺の欠片もなく答えたおかげか、バーバラはあっさりと引き下がって肩をすくめた。何がどうなれば「面白い」のかが妙に気になったが、問うのはやめておいた。

 薄暗い中、丸太で作られた民家の窓の向こうから、橙色の光が見える。連続する炎の薄明かりに照らされて進んでいく少年少女の目に、やがて少し大きめの建物が見えた。豪奢な装飾が施してあり、壁面には神々の彫刻が施してある。

「あ、大聖堂だ。なつかしー」

 ミント色の屋根を見ながらさらりと呟く。対してバーバラは、あ、と目を丸くした。

「そろそろ行かなきゃ。大神官に怒られるー」

 心底残念そうに漏らしたバーバラはひらりと一行の前まで来ると、舞でも舞うかのような調子で振り返り、微笑んだ。

「それじゃあね、みなさん。シュトラーゼに滞在してる間に、また会えるといいね。それと」

 彼女はここまで言って、ふと憐れむような目をする。

「ステラは実家での大戦争、がんばって」

「それは言わないでおいてよ」

 忘れかけていた現実を突きつけられる。泣きたくなった。

 しかしバーバラはステラの胸のうちを知らないまま、快活に笑って去っていった。これを見届けたあと、後ろから、

「いったい何が始まるの」

 人数分の質問が飛んできたが、少女は答えなかった。

 ひとつ嵐が去ったあと、一行の周辺にはやはり静けさが戻ってきた。買い物袋を手に提げて小走りで道を行く女性、犬を追いかける元気な子供、新聞片手に散歩をする老紳士、そういった何人かに遭遇しはしたが、すれ違うだけである。おもしろいことに誰もステラに気づかない。

「多分みんな、イルフォード家の家出娘が帰ってくるとは思わないんだろうね」

 不思議がる友人たちに、やりきれない思いで答えた。

 彼ら六人は今、街の最奥部へと向かっている。今でも名をとどろかせるイルフォード家の邸宅は、そこにあるからだ。そしてそこへ続く通りに差し掛かると、急に建物の数が減った。小さな店と思しきものが点在するだけである。あとにひたすら続くのは、白い帽子をかぶった裸の木だけ。

「急にさみしくなりましたね」

「この辺に建てる建物の数に、あらかじめ制限がかけてあるからね」

 これまでに二、三度したことがある説明を口にした。

「それはやはり、イルフォード家関連かい?」

「うん。訓練と称して武器片手に駆けまわる子供が加減を忘れて建物を壊すことも珍しくないから、この地域にあるのは最低限のお店だけ」

 あっけらかんとした言葉に対し、何やら気まずい沈黙が下りる。全員が全員顔をひきつらせて、返事に困っていた。いつものことではあるのでステラは何も言わずに歩みを進めた。

 とんでもないところに行くんだな、そんな声が聞こえた気がする。

 それからまたしばらく、沈黙の中を歩いた。そうしているうちに市街を囲む壁が小さく見え、さらに大きな壁が六人の前に立ちはだかる。六人はそこで、足を止めた。

「来てしまった」

 吐息とさして変わらないそれは、間違いなくステラの発言だ。

「でかい」

 それは、五人中何人かの言葉である。

 彼らの前にそびえ立つ壁、それは巨大な邸宅だった。黒い門を越えた先に白壁の家が見える。ただそれは家というより要塞の雰囲気に近い。テラスの手すりや窓枠、そして扉などに金銀、あるいは宝石の細工がほどこされてはいるものの、いわゆる貴族の大邸宅のような豪奢さはない。ただしここは、ひどく堅牢である。それは中に入ってみないと分からないものなのだが。

「ここが、ステラの家」

「来てしまったよ。とんでもないところに来てしまった」

 感情というものを失ったかのようなナタリーの声に、家のただならぬ雰囲気を感じ取ったのかかたいジャックのうめきが続く。苦笑したステラは彼らを振りかえった。

「そうよ。――ようこそ、イルフォード家へ」

 今だけは言ってもいいような気がした。

 そうしていると、ふいに重厚な門が音を立てて開く。全員が目をみはり、門を見上げた。するとそれは開ききり、向こう側から人影が現れる。それはだんだんと輪郭をはっきりさせ、やがて一人の青年の姿を浮き彫りにした。

 ステラは無意識のうちに背筋を正す。昔の習慣が戻ってきた。

「やあ、おはよう。こんなにたくさんのお客が来るのは久し振りで少し驚いているよ」

 六人よりいくらか年上の青年はにこやかにそう言った。ステラはわずかに顔をしかめ、それでも丁寧に、胸に手を当てて礼をする。意外にも、ぎこちなくならなかった。

「――ご健勝のようでなによりです、兄上」

 背後で息をのむ気配がする。青年はステラの方を見ると、貼り付けていた笑みを崩して顔をほころばせた。それは間違いなく兄から妹に向ける表情。

「久し振りだね。そしてお帰り、ステラ」

 ステラは今一度一礼を返すと、顔を上げて相手を見た。

 たくましい体躯に、油断のない瞳。ステラと同じ栗色の髪の下で、鋭利な瞳が輝いている。

――彼こそが、ラキアス・イルフォード。ステラの兄で、帰郷のきっかけとなった手紙の差出人、その人だ。


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