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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第一章 故郷へ続く道
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4

 薄く鋭い闇と冷気が漂う廊下に、ある意味で異質な音が響き渡っていた。鎌を岩に叩きつけるときのそれに似た硬質な音は、かすかに浮かんでは消えることを繰り返す。

――それは結局、靴音だった。硬い床を硬い靴が叩いている。そして廊下を歩く青年はふと目を細めると、腰に佩いている剣の柄に手をやった。彼は慣れ親しんだ冷たさを覚えると、細い吐息を漏らした。

 先程のことを思い出す。当主代理である祖父との会話。相変わらずぶっきらぼうな彼は、自分の孫娘――青年の妹の話が出てくると、露骨に嫌悪感を見せた。

「なぜだろうな」

 呟く。

 考えてみれば、家人の誰もかれもが彼女に厳しすぎるのだ。武家の名門イルフォード家の跡継ぎ候補としての期待、そしてその先に待ちかまえていた身勝手な落胆。そういうものが影響したにしても、人々はあの幼い少女に対して冷たかった。

 両親の死と、彼らの態度。それが後の彼女の行動に拍車をかけたことは、言うまでもない。

「だが、だとしたら」

 青年は足を止める。自分の上に切り取られた窓の向こうに広がる、紫紺の空を見る。星の粒たちが、今日も生命の輝きを惜しげもなく発揮していた。

「その責任の一端は、俺にもあるんだろうな」

 吐きだされた息は霧のように白く、それが青年の心を曇らせた。

 彼と妹は常に比較対象だった。それに気づいていながら何事もなかったかのようにふるまった彼も、ある意味では家人たちと同罪だろう。

 がりがりと頭をかいた彼は再び歩き出す。今はそのようなことを考えている暇もない。

 一週間ほど後に待ちかまえる行事の準備を進めなければならないのだ。

――女神像の公開。毎年行われてきた行事で、イルフォード家が率先して開催支援をしている行事でもある。青年自身、幼い頃に二度くらいは見たことがあった。

「俺としてはなんの感慨もわかないんだがなあ。分かる人には分かるもんなのか、あの像に秘められた不思議な力ってやつ」

 つまらなさそうに漏らした彼は一度小さく舌打ちをすると、少しだけ足を速めた。それと時を同じくして青年の向かいから騒がしい足音が聞こえてくる。

「兄様! ラキアス兄様!」

 幼い少年の声。事実、廊下の闇の中から飛びだしてきたのは十歳程度の少年だった。青年、ラキアスによく似た色の髪と目は、彼の目にはなぜか淡い光をまとっているように見える。

 その天真爛漫な様子にラキアスは思わず苦笑した。

「こらこら、リオン。夜にあまり騒いではいけないと何度言ったら分かるんだ」

 そう言うと少年の頭に手を置く。彼はくすぐったそうに目を細めた。

「ごめんなさい。でも、兄様がお戻りになられていたと聞いて、いても立ってもいられなくなって」

「何か嬉しいことでもあったのか?」

 いつにもまして高ぶっている弟を見て、ラキアスは優しく聞く。すると彼は大きく首を縦に振った。

「はい! 今朝、姉様からご連絡があったんです! これからご学友と一緒にこの町へ向かうと」

 彼の言葉に、分かっていたことだというのに、ラキアスは瞠目した。

「――ステラが」

 妹の名を呟いた彼はそれから気まずそうに目を伏せる。しかし、数年ぶりに姉に会える喜びに浸っている弟はそれに気づいていないらしかった。

「姉様、お元気そうでした。今からもう、楽しみです」

 弾んだ声で言う少年に、ラキアスは慌てて繕った声で返した。

「そうか。それは楽しみだな」

 しかし言葉自体は偽りでもなんでもない。ラキアスにとっても妹との再会は楽しみなことであった。

 親を失った悲しみと比べられる重圧に耐えかね、家を飛び出した彼女が曲がりなりにも立ち直り、今再びこの家の敷地を踏もうというのだ。兄として、それを見てみたいとは思う。

 しかも、友ができたというではないか。

「おまえがどれだけ成長したか、見せてもらうぞ。ステラ」

 ラキアスは再び天を仰ぎ、そこにはいない妹に向けて挑戦的な台詞をおくった。


 呟きをこぼしながら歩いていた青年がいた家の外に、シュトラーゼという町がある。帝国北部では最大の都市であり、最強の都市とさえいわれる。その理由はいうまでもなく、イルフォード家の存在だ。戦士、軍人の類を輩出し続けるその家の力を恐れてか、犯罪者は近づこうともしない。

――だがそんなシュトラーゼでも見落としてしまう部分はある。

「そちらでの予定合わせはどうなっていますか」

 街の一角に伸びる細い路地。その奥に打ち捨てられたがごとくたたずむ石造りの小さな廃屋があった。壁のあちこちがひび割れ、窓の硝子にも曇りと汚れがこびりつき、戸は曲がり、狭い室内に冷たい隙間風が吹きこむ。

『彼』がいたのはそんな廃屋の奥だった。古くなった板張りの床の上に腰かけて手元に光る玉を持ち、そこに小声で話しかける。傍から見れば不気味極まりない状態なのだが『彼』にとってはどうでもよかった。

「なるほど。では、計画実行のための準備は万端、というわけですね」

『彼』は玉の向こうから聞こえた声にほくそ笑む。雑音混じりの小声だったそれはしかし、『彼』の言葉を受けると少し大きくなった。

『そちらはまだ行動に映していなかったのだな』

「失礼いたしました。予定が整わないうちに勝手な行動をすれば、足並みを乱すと愚考いたしまして」

 聞こえてきた声はしわがれていた。それに対し恭しく頭を垂れた『彼』は言う。言葉の内容は敬意など感じられないようなものだったが。

 先程、彼を静かに叱咤した声の主が面白くなさそうに鼻を鳴らす。

『まあいい。ただちに作戦を開始しろ。おまえには無用な心配だろうが、決して悟られないように』

「心得ております。宗主はどうぞ、堂々とご覧になっていてください」

『彼』の言葉に返事はなかった。魔導術による通信が乱暴に切れる。それを感じた『彼』は、そっと玉を床に置いた。それから静かにたちあがる。

「やれやれ、あのお方も人使いが荒い。こちらとしては既にかなり頑張っているつもりなんですがね」

 言葉とは裏腹に笑みを含んだ声で言った『彼』は玉を置き去りにしたまま、小屋からゆっくりとした足取りで出ていこうとする。歪んだ戸に手をかけると、大きく軋んで開いた。扉と壁の隙間をするりと抜けた『彼』は、無音が支配する北の町を見ながら再び微笑んだ。

「さてと。我らの祭典に向けて準備でもしましょうか」

 ちょっとお使いにでも行ってこようか、というような口調で呟き、『彼』は軽い足取りで歩き出した。


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