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それからしばらく、どうにも重々しい空気が車内――ただし特定の学生たちのまわりだけ――を包み込んだが、列車が車両点検のため長い停止をすることになると、わずかにその空気が弛緩した。それは戸口から流れ込む冷気と、暇つぶしのため動きだす周りの客のおかげでもあるかもしれない。
「なんか……どんどんひんやりしてきてない?」
コートの襟を寄せ、ナタリーが呟く。
「もう夕方だし、いわゆる北部に入ったからね。これからもっと冷えるかも」
対してその北部出身であるステラは、冷静に答えた。ひええ、という悲鳴が聞こえたものの知らないふりをする。そんな女子二人のやりとりを眺めながら、レクシオが伸びをした。
「さて、どうする。これから三十分くらい停止するそうだが」
緑の目は舞台映えする顔の少年に向いていた。彼はうむ、というと急に立ち上がる。
「みんな。せっかくだから少し外をふらつこう。ずっと座ってばかりだと身体も固まるしね」
団長の言葉が合図だった。残る五人はばらばらと立ち上がり、今手元に置いている荷物を持って外に出るべく動きだす。ナタリーだけは最後までしり込みしていたが、結局、そばにいたステラが強引に連れ出した。
列車の外に出た途端、冷たい空気の薄布が六人を包み込む。さすがに全員、ぶるりと一度大きく震えるほどだった。だがしばらく経ちつくしているとその存在感は薄らいでいったので、町を観察する余裕ができる。
「へー……帝都周辺とはだいぶ趣が違うんだねえ」
真っ先に呟いたのはトニーだった。そうだね、と素っ気なく答えたステラは、改めて彼らが見ているものと同じ風景を見た。
帝都の駅と違って吹きっさらしになっているこの駅は、舎そのものが焼レンガでできていた。どんよりと垂れこめる灰色の下で、やや薄い茶色が存在を主張する。
「あっ」
最初にそう言ったのは誰だっただろう。その言葉に反応するかのように、冷たいものが少女の肌に触れた。覚えのある感覚に空を見上げると、雪がちらちらと舞っていた。それはまるで雲が流す涙のようで……あの日の空を、彷彿とさせる。
すごい、と団員たちがはしゃいでいる横で、ステラは一人この風景に故郷の面影を見いだし、ふっと微笑んだ。
白い雪がちらつき冷え込みが厳しくなる中、六人の学生は男子三人、女子三人にそれぞれ別れて駅の辺りを歩き回ってみることにした。といっても、田舎の駅なので大したものはない。小ぢんまりとした売店とトイレくらいのものである。
ひとまず各々に用を足した女子組は、その売店に行ってみることにした。見た目は小さな民家のようで、駅舎にくっついているという事実と、これまたそれらしい看板がなければ本当に勘違いしていたかもしれない。
意図的に古めかしい細工がほどこされている磨き上げられた木の扉を開けると、小さい部屋の両端に置かれた棚と、そこに陳列されるありとあらゆる品物という光景に遭遇した。それは包装された菓子の詰め合わせであったり、木彫りの人形であったり、偽物の剣であったりした。
「うわあ、すごいね」
所狭しと並べられている物品に感嘆の声を漏らしたのはナタリーだった。直後、
「あ、いらっしゃいませ」
という若い男の声が飛んでくる。点在する茫洋とした明りに照らされた店内を見ると、奥のカウンターでかがんだ姿勢から顔を上げた状態になっている男性が見えた。どうやら、ナタリーの声で来客の存在に気付いた様子らしい。
その店員に挨拶をしてから、三人は店の中をぐるりと見て回った。やはりその様相はよくある土産屋そのものだ。ふむ、と口元に手を当てて考え込むステラを見て、ミオンが唐突に瞬きをする。
「……今、思い出したんですが」
そんな言葉で始まった。彼女の台詞に、ステラは顔を上げた。
「ステラさん、ご実家にお土産とか、持ってきたんですか?」
実にさらりとした問いかけ。ミオンの何気ない表情から、答えはすでに分かっている、というような思いが読み取れる。少しだけ目を細めたステラは直後、実にあっさりと答えを吐き捨てた。ただし――
「うんにゃ。何も」
それはおそらく、ミオンが予想していたのとは正反対の答えだっただろう。ステラは密かにそんなことを思ったりした。
「――ええっ!?」
「まじか、さすがステラ」
案の定だったらしい。ミオンは人目もはばからず目を丸くして叫び、ナタリーはどういうわけか感嘆の声を漏らしている。やや大げさな反応をする二人を見て、少女は耳の辺りにこぼれた栗毛をいじくりまわした。
「えーっ。だって、お土産なんか持っていってもあんまり意味をなさないし。うちの人たち兄上以外、甘い物嫌いだから下手に菓子も持っていけないもん」
ステラの淡々とした説明に、顔を見合わせた少女二人は「さいですか……」と揃ってしぼんだ声を絞り出した。当のステラは首をきれいに九十度傾ける。
彼女らの奇妙な様子をぼんやりとながめていた店員が声をかけてきたのは、一連のやりとりが済んで少ししたときだった。カウンターの周辺を何気ない手つきで整理しながら、
「君たちみたいな学生が、この時期に北へ来るなんて珍しいねー。もしかして、目当ては女神像?」
世間話でもするような――事実、店員にとってはそのようなものだ――口調の中にまぎれこんだ嫌な単語に、三人の肩が大きく揺れる。途端、訝る雰囲気が読み取れたので、ステラが慌てて笑顔と言葉を繕った。
「いえ、あたしの里帰りにつき合ってもらってるんです。まあ、余裕があれば女神像も見たいと思っていますが」
ただし述べた内容は事実がほとんどだったので、繕うのに苦労はなかった。もしこれで追及されたら厄介だ、と内心ひやひやしたものの、店員は少女の言葉に「そっか」と満足げにうなずいたのみだった。
ほっと息を吐いた三人。その耳に、扉が開いて閉まる音がする。
「お、いらっしゃいませ」
二度目の来客。珍しいことなのだろう。店員の嬉しそうな声が、それを証明していた。客というのが何者なのか興味を抱いたステラは視線を上げた。
戸口に、男が立っている。若い、だが好青年とはいえずどちらかと不良に近い風体の男だ。くすんだ金髪をかきむしった彼は、ふうんと小さく呟いた。
「たまにはこういうとこ寄るのも、悪くねえかもな」
続けた彼はそのままどかどかとこちらに歩いてきた。無意識のうちに身構えていたステラはしかし、男に相手にもされなかった。彼女を含む三人の横を素通りし、細い目は商品棚を追っていく。
「わあ、びっくりしました」
肩の力を抜いたらしいミオンが小声で言う。ナタリーがそこに続いた。
「何かな、あの人。こう言うところに似つかわしくないような気も……するけど。あ、そう言っちゃ失礼だよね」
おどけた物言いにステラは苦笑する。しかし次の瞬間、剣呑な目がこちらを見ていることに気づいてぎょっとした。先程の男だ。彼はステラをじっと見た後、すぐにふいと顔を背けたが、彼女にとってはその数秒間が長いこと頭に焼き付いて離れなかった。
「お、女子たち」
妙な店を出た後に男子組と遭遇した。よく見ると、ふわふわの帽子をかぶったトニーが何か紙袋を抱えている。それ以外はみんな別れたときと変わらない手ぶらで、レクシオは欠伸をこぼしている。
「男子たちは休憩終わり? というかトニー、その袋なに」
「ん? この先のおやつ」
「……ああ、そう」
ステラが首をひねって聞くと、光の速さで答えが返ってきた。行きかけの沈黙の中もそもそと菓子をほおばっていた彼の姿を思い出し、まだ食べる気か、と呆れたが口には出さないでおく。
それから六人は特にやることもないので素直に列車へと乗り込むことにした。外に出ていた人もすでに何人か戻ってきている。ステラたちが元の席に着いたちょうどそのときに、車内放送が流れた。
『この列車は、あと五分ほどで発車いたします。もうしばらくお待ちください』
やけに耳に残る車掌の声。それを聞いてステラは、つい大きな欠伸をこぼしていた。横にちらと視線がいく。さすがに発車五分前ともなると多くの人が戻ってきたり新しく乗り込む人が出てきたりして、人の往来が増えていく。
彼女はその中に、黒い背広がなびくのを見つけた。ふいに、懐かしい気持ちになる。そのせいか背広をぼうっと見送った少女は、ふとしたところで我に返った。
「んん?」
自分でも変な気分になったステラはごしごしと目をこすり、もう一度背広の正体を確かめようとしたが、そのときにはもう、たなびく黒は人にまぎれて見えなくなっていた。
「なんだったんだろ」
彼女は呟き、首をかしげた。
「どうしたのー、ステラ?」
横合から声が飛んだ。ナタリーだ。不可思議な現象を説明するのが手間だと思えたステラはなんでもないと言ってごまかした。そしてどうにか話を逸らそうと目をやった先で揚げ菓子を頬張るトニーの姿を見つけると、冗談でも演技でもなくげんなりとして、肩を落とした。
五分後、列車はなんということもなく発車する。しかし外はだいぶ雪が激しくなっていた。遠くなっていく駅舎が、白にかすむ。
「うわあ、すごいですね」
ミオンが心からの感嘆の声を上げていた。その一方でステラは吹雪になるかな、などと冷めたことを考える。白い雪煙のなかにわずかにのぞく重い灰色は、少女にいやおうなく『あの日』のことを思い出させた。
親戚との遠出から帰ってきたそのとき、父と母はすでに血だまりの中だった。ステラも兄も幼くて、どうしていいか分からなくて、ただひたすらに固まって震えていることしかできなかった。
きっと兄上は、それが溜まらなく憎かったのだろう、と思う。
殺した犯人以上に、その意志を継ぐだろう者以上に、自分を憎んでいた。そしてその憎しみは、自然と妹にも伝染していった。彼女もまた、どうにもできないことが辛くて、憎らしくてたまらなかったのだ。
雪の嵐が背後に去ってはまた覆いかぶさってくる。寒々しい景色に背筋が張りつめる思いがして、ステラはぶるりと身震いした。すぐにでも、その向こうに深紅が見えるのではないかと、気づかぬうちに怯えていた。
息をつき、ステラはもそりと自分のコートに身をゆだねる。兄上、と我知らず独白していた。それが仲間たちに聞かれなかったのは幸いだっただろう。
憂鬱にひたっていると、横から何かが差しだされる。それは、小さな丸いクッキーが大量に詰め込まれた紙袋だった。甘い匂いに包まれながら顔を上げると、目の前に不敵な笑みをたたえたナタリーの顔がある。
「なーに今さら真面目な顔してるのよ。とりあえずこれを食え!」
力強い言葉に気圧された少女は数度目を瞬く。それから笑った。なぜか妙に力の抜けた笑みになった。
「あんたら、まだ食べる気?」
そう言いながらも袋に手を伸ばす。
――この先、何が待ちかまえているか分からない。けれど、今はとりあえず、仲間の優しさに甘えたっていいはずだ。今だけは。
複雑な思いを抱えた少女と友である学生たちを乗せて、霧のごとき吹雪の中を列車はひた走っていた。