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あれから終業式を迎えるまでの数日間の間に、ステラはどうにか養母の説得を済ますことができた。仲間がついていることといざとなったら実家の大人を頼ることを材料に、どうにか勝利を収めたかたちである。ただ、ミントおばさんが噂のひとつにあそこまで神経質になる理由がステラ自身にもなんとなく分かったため、表情は晴れやかではなかった。
寒い寒い終業式を終えたあと、ステラがうなりながら教室に戻るため廊下を歩いているとふいにこんな会話が飛び込んでくる。
「ねえねえ、『調査団』の人たちは冬休み、空いてる?」
その訊き方に違和感を覚えたステラはふと声がした方に視線をめぐらせる。そこには、くりくりと目を輝かせる赤毛の少女がいて、ああと納得してしまった。対面にいたナタリーは苦笑している。
「残念ながら、一人も予定が空いてる人はなし。みんなで北の方に行くから」
「えーっ!」
「あ、でも年末には帰るみたいよ。ごめんね、ブライス」
少女――ブライスの不服そうな声を受け、すかさず彼女はそう付け加えていた。どうしても気になったステラは、それとなく二人に近寄る。
「やっほ、二人とも。どうしたの」
彼女の声にナタリーが「あ、ステラ」と振り返った。すると『特殊新聞部』部員のブライスは、すぐさま身体に飛びついてきた。毎度のことながら、凄まじい勢いである。
「ぐえ」
「わー! そっか、ステラも行っちゃうのかあ」
わざとらしく泣きじゃくりながら頬をすりつけてくるブライス。慣れたつもりだったが、こんな公衆の面前でそれをされるとさすがに腹立たしくなってくる。が、今回はステラがこの娘を引き剥がす前に、彼女の方から離れてくれた。
いや、勝手にその小さな手の力が抜けていた。
「……? ブライス?」
ありがたいことのはずなのに妙な不安を覚えた少女は、おそるおそる問いかける。すると『新聞部』の「猫娘」は深いため息をついた。
「はあ。どーしよー……。やっぱりこのまま部長が切れるのを待つしかないのかなあ」
「は?」
素っ頓狂な声を上げたステラとナタリーは、柄にもなく落ち込みきった赤毛の少女を見つめた。
「最近ね、シアの様子がおかしいの」
ブライスの暴露は、そんな言葉から始まった。ひとまず廊下を歩きながら、二人はその話に耳を傾けているところである。さっそくナタリーが相槌を打った。
「シア……シンシアのことね。でも、あの高飛車女の何がおかしいの」
この話に出てきているシンシアという少女は、いうほど高飛車ではないのだがステラは何も言わずに続きを待った。力なく首を縦に振ったブライスが、続ける。
「うん、それがね。最近やけに、部長に突っかかるんだ」
「オスカーに?」
「そ。今までそんなことなかったのに、あいつが何か言うたびにとげのある言葉を返すんだ。しかも、今まで部の方針に文句を垂れたことはあっても反発しなかったシアが……この前面と向かって、意見も言わずに、『そういうことなら私は一緒に行けませんわ』って言ったんだよ」
あああ、と叫んでこの世の終わりのように頭を抱え込むブライス。ステラとしてはその気持ちはなんとなく分かる。だが、ナタリーの方は腕を組んで首をかしげていた。
「そんなの、いつものことじゃない?」
「いや、それがいつものことなのは、ナタリーが相手のときくらいだから」
ステラは素早く突っ込んだ。ケンカするほど仲がいいナタリーとはともかく、ほかの『調査団』や『新聞部』の面子とはおおむね良好な関係を保っているのがシンシアだ。一見すれば高飛車なお嬢様以外の何物でもないが、根は優しい少女なのである。その中でも特に、オスカーに対してはある種の尊敬を抱いているようにも見えていた。それなのに。
「何か、理由があるのかな」
ステラが呟くと、ブライスはぱっと顔を上げる。
「やっぱりステラもそう思う!?」
まあね、とステラが答えると、ブライスは再びうずくまった。
「今は部長も華麗に受け流してるけど、これじゃあブチ切れるのも時間の問題だよ。そこで『調査団』の人たちにも協力してもらって、シアがカリカリしてる理由を暴こうと思ってたんだけど」
なるほど、そういうことかと二人は納得していた。だが、
「ごめん。本当に悪いけど、こっちも急な用事でさ」
それにこれは、結局のところシンシアとオスカーがどうにかしなければならない問題のような気がするのだ。ブライスと、それから気弱なカーターには申し訳ないとは思うが。
ただ顔を曇らせる二人に対し、『新聞部』の少女はひらひらと手を振る。諦めきった目だった。
「うん、分かってるよー。ステラのその、疲れ切った顔を見ればさ。お互い大変だねえ」
少女の口から放たれた思わぬ言葉に、二人は目をぱちくりさせる。やがてステラが、自分の両頬をつねってから、ナタリーに尋ねた。
「あたしって、そんな疲れた顔してる?」
「……うん、言われて、みれば」
引きつった笑みとともに返された言葉は、ステラの肺腑を容赦なくえぐった。
『間もなく、三番乗り場から列車が発車いたします。駆けこみ乗車は……』
汽笛とそんな放送が混ざり合って聞こえる中を、紙きれと鞄を手にした少女は駆けていた。落ち着いた藍色のダッフルコートに白いマフラーを巻いて、さらにクリーム色の手袋をしている。彼女が今いる場所も、これから行く場所も、このくらいの重装備でないと凍えてしまいそうな寒さだ。
走っていた少女は、ホームの端。木製のベンチの前に人の姿を発見し、一度足を止めた。茶色い編みこみブーツが床を鳴らす。
「おーい!」
少女、ステラ・イルフォードがあらん限りの力で叫ぶと、ベンチの前にいた人々は元気よく振り返った。今、そこにいるのは二人だった。
終業式の、翌日。さっそく『調査団』はステラの実家がある町シュトラーゼに向けて出発する。シュトラーゼに向かう列車が来るのは、あと四十分後くらいだろうか。そんな段階ですでに集まっていたのは、ジャックとレクシオだった。
「おお、ステラ。昨日ぶり」
「朝から元気そうだな」
元気いっぱい笑って言うジャック。対して欠伸をこぼしながら言ったのが、レクシオである。二人ともさすがに厚着だが、
「レク……それ、寒くない? これから行くのはシュトラーゼよ」
「あー平気平気」
厚手のコート一枚という彼のいで立ちに、幼馴染の少女はつい眉をひそめた。だが彼は、いつものように笑っている。相変わらずというか、よくわからない人だった。
それから三人は、これからの道行きに関して話していた。帝都からシュトラーゼまでは、一番早い移動手段である、この開設されたばかりの鉄道を使っても五日かかる。その五日間にやること、それからイルフォード家までの道のり、等々。
「そういえばステラ、実家に連絡入れたのか?」
「入れたくなかったけど入れた。あと五人引きつれていくって言っといた。弟が出たのが幸いだったわ」
そんな話をしているうちにばらばらと仲間が集まり、列車が来る三分前には六人全員が集合していた。彼らの顔を見回しながら口を開いたのは、やはり団長のジャック。
「さあみんな。これから僕らは、史上初の遠方合宿に臨む。経緯が経緯だからいろいろと思うところがある人もいるだろうが、こうなれば精一杯楽しんでいこう!」
団長の爽やかな叫びに、五人ともが拳を突き上げて応じた。ステラもまた、今まで鬱屈としていた気分が一気に晴れる思いがした。
ほどなくして、列車がやってくる。向こうに伸びる線路から、きらりとライトを光らせて走ってくる鉄の乗り物に興奮していたのは、トニーやナタリー、それからレクシオだった。
「都市と都市を移動したことはあったけど、列車に乗ったことはなかったんだよ!」
少年は珍しく、そんなことを熱く語っていた。ぞろぞろと蛇のように続く観光客の列に混じって六人も列車に乗り込む。すると、ほんのわずかだが暖かくなった。
あまりの人の多さに席を確保できるか心配だったが、どうにか窓側の椅子を陣取ることができた。向かい合わせるかたちで並ぶ椅子に、三人ずつが座る。ちなみに荷物は、必要最低限の物以外、上にある荷物置きのスペースに置いておくことにした。
そうこうしているうちに、列車はゆっくりと走り出す。懐かしい汽笛の音は、ここからもよく聞こえた。
「うわー、走った走った」
ぎぃぎぃと軋みを上げながら動きだす機体と、少しずつ流れていく駅の様子に、ナタリーが小さな子供のように興奮して、目を輝かせている。それでもまだ大人しい方だとは思うが、幼稚には変わりない。ミオンが苦笑しながらその様子を見ていた。
それから十秒としないうちに窓の外の景色の流れは速くなり、駅はあっという間に遠ざかっていった。それでもしばらくは、街並みが続いていく。
「はー。改めて思うと、グループ活動でこんな遠くまで行くのって初めてなんだな。なんかわくわくするよ」
トニーが窓の方に目をやりながら言う。ステラは首をかしげた。
「そう? あたしは憂鬱でしかないけど」
「……ステラは里帰りが目的だからそう思うんだろ」
正直なことを言ったのに、彼には呆れた目で見られてしまった。再び首をひねったステラはしかし、まあいいか、と言ってから背もたれに背中を預ける。ここで、ふと目を瞬いたのが、団長のジャックだった。
「そういえばステラ、シュトラーゼってどんなところなんだい?」
ん、と声だけを返した彼女は、ここにいるほとんどの人がシュトラーゼを知らないのだと思い出して、舌で唇を湿らせてから説明を始めた。
「とりあえず寒いところかな。帝国の北方に位置するだけあって、年中、比較的寒冷なのね。で、冬には雪が多い。今年はもう銀世界になってても驚かないわ」
何せ、帝都ですら記録的な大寒波が襲っている年である。北辺の町など、どうなっているか分からない。寒いの苦手なんだよねえ、と嫌そうに呟くナタリーは無視して、ステラは弁を振るった。
「特に観光名所と呼べる場所はないけど……イルフォード家のおかげで存在は広く知れ渡ってるかもね。あと北方独特の街並みが人気。それから――」
ここでふと、ステラは眉根を寄せた。そこにミオンが問いかけてくる。
「どうしたんですか、ステラさん?」
怪訝そうな黒い目を見て、彼女は頬をかいた。
「いや、ちょっと。嫌なことを思い出してね。もっとも、これまでは嫌とか何とか思っていなかったんだけど」
そう前置きした彼女はしかし、またもためらって五人の顔を順繰りに見た。みんな、興味津々といったふうである。諦めたステラは答えを口にした。
「あの町にはね、女神像があるの」
瞬間、この六人が座る席だけが凍りついたかのように、空気が張り詰めた。初秋から続く事件のおかげで彼らは「女神」といえば特定のものと物騒な予感しか覚えなくなってしまっている。
「もしかして、ラフィアか?」
おそるおそるといったレクシオの問いかけに、ステラは首を振る。
「分からない。町にいた頃はさして注目もしていなかったし。……でも、調べればすぐわかるし、可能性は高いと思う」
そこまで言いきった彼女は、話をつなげる。
「ついでに言うとその女神像ね、ちょうどあたしたちが行く頃に、年に一度の一般公開があるの。普段は教会に隠されてるんだけど、その日だけはお披露目されるのよ。不思議な力を秘めているっていう女神像を見に、多くの人が集まるらしいよ」
でも、と言いかかって言葉を飲みこんだ。こんなときに、「例の話」はしたくない。だがステラが言わずとも別の人が口にしていた。
「不思議な力って、明らかに『彼ら』が食いつきそうだよねえ」
「いやああ。冬休みくらい平穏に終わってよおお!」
のん気なトニーの声に続き、ナタリーがステラの心の声を代弁して頭を抱えた。レクシオとジャックはそれでも悠長に構えている。ただ一人、未だ実感の湧かない秋からの転校生、ミオン・ゼーレだけがぽかんとしていた。