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イルフォード家が置かれる街、シュトラーゼは、いつも閑散としている。都市の規模としては北部最大級なのだが、この静けさで都市が成り立つのかとよそ者に心配されるほどだ。そして、そんな街は、密談にはもってこいの場所なのである。
雪の降りしきる街の路地。そこに、ヴィント・エルデはいた。
ステラとレクシオに十二年前の話をした後、彼は逃げるようにしてここに来たのである。かつて、幼いレクシオとともにパンをかじった思い出の路地は、あの頃とまったく変わっていなかった。
積もる雪をじっと見つめながら、ヴィントは喫茶店でのことを思い出す。
ステラとレクシオは、明かされた過去に、どのようにして折り合いをつけたのだろう。自分には関係のないことのはずなのに、ヴィントはそれが気になって仕方がなかった。
――あの雪の日、静寂の中で聞いた、ディオルグの言葉。その『遺言』は、今でも耳の奥によみがえる。
もし再びイルフォード家と関わることになったなら、子供たちを頼むと、そう言われた。だが、自分が彼らにしてやれることが、どれほど残されているのかとヴィントは思う。むしろそういうことは、レクシオや学友たちの方が遥かに上手くやるだろう。
「俺のできることは……もう、そんなに多くない」
呟いたヴィントは、自嘲気味に笑う。
彼にできること。残された、数少ないこと。そもそも、今彼がこの街にいるのは、それを果たすためなのだ。
佇む彼の背後に、人が立つ。ほとんど気配はなかったが、ヴィントには分かった。
「何者だ」
相手に背を向けたまま、ヴィントは言う。
相手は、しばらく何も答えなかった。だがややあって、吐息と共に口を開いた。
「あなたに出会えて、良かった。わざわざ北までやってきたのが、徒労に終わるところだった」
ヴィントは、視線だけで背後をうかがう。
立っているのは、男だ。背丈はヴィントと同じか、もう少し高いか。黒いコートが風にあおられ、はためいているのが分かる。
彼は、訊いた。
「……帝国軍の意向か?」
端的な問いに、相手はすぐさま答えた。
「いいや、私の個人的な興味だ」
あっけらかんとした言葉を、ヴィントは思わず鼻であしらう。
「愚かだな。それが軍にばれたら、どうなる?」
「承知の上だ。が、元より閑職に身を置いているのでね。今さら怖がることはあまりない。それに、知ってしまったからには、無視できない」
男が、一歩を踏み出す。黒い長靴が、白雪を踏みしめた。
「ヴィント・エルデ。あなたを逮捕しない代わりに――あなたが知り得た『神』の情報を、提供してほしい」
ヴィントは驚きに目を開き、ついに振り返った。
軍服ではなく背広姿の男は、まっすぐにヴィントを見つめている。
――こいつは、強い。そう、ヴィントは思った。
一見、ただの青臭い軍人かとも思うが、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた『魔導の一族』の目はごまかせない。彼の中には強大な魔力が渦巻いている。おそらく、ヴィントや彼の息子にも引けを取らないほどだ。
だが、『こういう駆け引き』にはあまり慣れていないらしい。ヴィントは鼻を鳴らした。
「愚かだな」
相手の顔が、少しこわばる。
「一介の軍人が司法取引か? おまえにそれほどの権限があるとは思えんな」
「権限があるのか、と言われれば、答えは『ノー』だ。さっきも言った通り、閑職に身を置いているのでね。だが、権限はなくとも出来ることはある」
はっきりと言いきった男は、ヴィントの眉間を指さした。
「それに、あなたは今、動揺しているはずだ」
ヴィントは眉をひそめた。
言動が、思考が読めない。それなのにこちらの内心をのぞきこんでこようとする。どうすればよいのか分からなかった。彼が戸惑っている間にも、男は淡々と続けた。
「動揺するのも無理はない。普通の人は、神の話など知らないはずだから。いや、知っていても本気にはしないはずだ」
「……ならばなぜ、貴様はそれを信じる」
ヴィントが問う。男は、すぐには答えなかった。寒々しい風が吹き抜け、雪の粉が舞う中、男は瞑目している。ヴィントは視線だけで、鋭く様子をうかがう。
――風がやむと同時に、男は口を開いた。
「夏の、神父殺害事件」
何かを試すような声音だった。男の言葉に、ヴィントの眉が動く。男は、少し疲れた様子で腰に手を当てた。
「正確には、帝都で起きた未遂事件だな。結局犯人は特定できなかったが、その犯人像に私は違和感を抱いた。目撃者の証言によれば、その者は魔導士ではないが、奇妙な力を使ったという。そんなことが可能な人間が、本当にいるのか――とね」
ヴィントは彼が語っている間に、思考していた。確か神父の殺害を担当していたのは、ギーメルだ。「あの夜」、実際に接触しているから間違いない。そして目撃者というのは、帝都の神父とイルフォードの娘たちだろう。あの夜に戦いを始める前に、彼らが一度接触していたことを、ヴィントはここで初めて悟った。
奴め。派手に動き回るから、直接捜査をしていない軍人にまで睨まれているではないか。ヴィントは舌うちしたい思いをこらえながら、男の話に耳を傾ける。
「それだけではない。犯人の襲撃から数日後。満月の夜に、件の教会の方から剣の音や爆発音を聞いたという証言が、いくつもあったそうじゃないか。だが、目だった痕跡は残らなかった。俺はそのことにますます不信感を抱いて、調べた。犯人の詳しい特徴と、満月の日。それらが、どう関連してくるのかを」
「そして、『神』とやらに辿り着いた?」
ヴィントが言葉を引き継ぐと、男は余裕に満ちた表情でうなずく。
「創造神ラフィアと、彼女を取り巻く神の争い。そして、ラフィアが選ぶ人間たちの神話。私はそれを知った。最初はもちろん、おとぎ話ではないかと思ったがね。とりあえず今は、事実であると仮定して動いている」
なるほど、とヴィントは声に出さずうなずいた。交渉事は苦手でも、それなりに勘が働くようである。物事を柔軟に考える頭も持ち合わせている。でなければ、神話を事実と仮定するなどということは、できないだろう。
男は再び、ヴィントに言った。
「さて、どうかな。教えてくださる気にはならないか」
彼を見つめる目は鋭く、触れれば切れる刃のようだった。だが、ヴィントはまったく動揺しない。わずかに口角を上げてから、身体ごと彼の男の方を振り返った。
「教えてやらんこともない。が、その前に忠告だ」
その言葉を聞いた男は、虚を突かれたような顔をした。ヴィントは構わず、曇り空を指さした。
「――そういう話をするときは、声を潜めた方がいい。どこで誰が聞いているとも知れないからな」
ヴィントが言うと、男は眉をひそめて、視線だけで辺りをうかがった。一応、相手に悟られない探り方を心得てはいるようだ。
「……誰かに、聞かれたか?」
「気配はないな。だが分からん。『神の敵対者』を人と同じように考えない方がいい」
ヴィントは一息にそう言うと、男の方に歩み寄った。
「さて。では、今一番急を要することを、先に教えておこう」
男が居住まいを正している。引きつった顔面を見たヴィントは、珍しく楽しそうな声で事実を告げた。
「もうすぐ『金の選定』が始まるぞ。――この街で、な」
男は、こわばった顔のまま絶句する。
空は黒く陰り、止んでいた雪が再び降り始めた。




