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「レク!?」
ステラは無意識のうちに、引きつった声で彼の名を呼んでいた。心臓が凍るような思いで、ぎゅっと拳を握りしめる。その間にも、レクシオは平然として、ラキアスの方を見ていた。
ラキアスは、訝しげに目を細める。
「何を、考えている?」
「別に何も」
素っ気なく答えたレクシオは、前へと歩き出した。そして、短剣の切っ先が自分の首筋に触れたところで、ぴたりと足を止める。
「俺を殺して気が済むのなら、そうすればいい。俺は拒みませんよ」
ヴィントとは似て非なる緑の目が、このとき、すうっと冷え切った。だが、後ろで見守っているステラは、それを知らない。
「確かにあなたの言う通り、元凶は俺かもしれません。それは、自分でも考えたことです。だから、あなたが俺を本気で断罪する気なら、『俺は』それを受け入れましょう」
ラキアスの目に激情が走った。彼はわずかに短剣を前へ突き出した。刃が少年の喉元に薄く食い込む。赤い線が、つうっと滴り落ちた。
だが、レクシオはそれを意にも介さず続ける。
「けど、本当にそれでいいんですか? あなたは今、その後のことを考えてます?」
「――どういう、意味だ」
「俺が殺されたのを目の前で見たステラは、どう思うでしょうね。ステラだけじゃない。ここには、『調査団』のみんな――俺たちの仲間が来ています。彼らはどう思い、どういう行動に出るか、少しでも考えました?」
口早に言ったレクシオは、くしゃりと顔を歪め、静かに言葉を叩きつけた。
「あなたと同じ行動に出るかもしれない、とは思わないんですか」
ラキアスが、はっと息をのんだ。後ろにいたステラも言葉に詰まる。
ここでレクシオが殺されたら、自分はどう思うだろう。怒り狂うだろうか、泣き叫ぶだろうか。そして――衝動にかられて、凶行に及ぶだろうか。
分からない。肯定も、否定もできない。
「復讐の連鎖、とはよく言ったものです。こうして、俺とあなたが向かい合っていることも、元を辿れば軍人によるデルタの子供たちの虐殺でしょうから」
帝国における、デルタ差別の嚆矢とも言える出来事――それを静かに思い起こしたステラは、向かい合う二人を見た。レクシオは、きっとラキアスを見据えている。
「ラキアスさん、どうですか? 自分の家族や、俺の父を敵に回して……その因縁を、家族や子孫に背負わせたいですか?」
短剣の切っ先が、微かに震える。その、ラキアスの心の隙ともいえる震えを見てとったかのように、レクシオは思いっきり刃を手でつかんだ。自分の手に血がにじむことも厭わずに、しかと握りしめた。
澄んだ両目に、鋭い光が走る。
「俺はそんなの、御免だ! こんな思いは、俺たちだけで充分だろ!!」
轟いた少年の言葉は、もはや悲痛な叫びだった。
ラキアスは、返す言葉もないような表情で、痛みをこらえているような少年を見つめていた。
それまで黙って見守っていたステラが、すっと、一歩を踏み出す。小さく息を吸い込んだ。
「兄上」
呼びかけると、兄はそっと視線をこちらに向けてきた。ステラは穏やかな表情で口を開いた。
「兄上の気持ちは、分かります。私の中にも、憎しみはありました。……でも、悪いのはヴィントやレクシオだけではないんです。彼らを追いつめた父上や母上にだって、非はありました。その両親を追いつめたのは、帝国……この国そのものです」
秋に起こった事件のときから、ずっと感じていたことだ。自分も、レクシオも、ミオンも、兄も。そしてヴィントやかつての両親も。国そのものに、追いつめられている。彼らのやり方にむしばまれている。それだけだ。
だから。
「だから、もうこんなことは終わりにしませんか。復讐なんてしても、苦しくなるだけです。私はもう、そんな苦しみには耐えられない。苦しむくらいだったら、すべてを終わらせます」
怒りも、悲しみも、憎しみも、もうない。そんなものは、家族や友達を守るためなら、すべて飲み下す。ステラは既に、そう決めていた。
少女の強い瞳が、青年に向けられる。
「兄上」
彼女がもう一度呼ぶと、ラキアスは深く息を吸った。
そして――短剣を、引いた。無言で剣を鞘に収めて、うつむく。彼はしばらく無言でいたが、やがてうつむいたまま、少年の名前を呼んだ。
「レクシオ・エルデ」
「――なんでしょう」
レクシオは無表情のまま返す。ラキアスも、未だ顔を見せない。
「俺は、君の父と君を許してはいない」
ラキアスは言った。するとレクシオが目を見開く。だが、彼はやがて、ふっきれたように微笑んだ。
「許さなくていいんです。俺は、その憎しみを背負って生きていきたい。人の命を奪って守られた身ですからね」
青年の肩がピクリと震えた。彼はようやく顔を上げると、無理矢理笑顔を作って言った。
「これは、一本取られたな」
青年の言葉に誘われるように、少年が小さく吹きだす。もう、そこに因縁も憎悪もない。
背後で彼らのやり取りを聞いていたステラは、ほっと肩の力を抜いていた。
「な、ん、で! こんな無茶するのかしらね!」
数分後。ラキアスの去った私室で、ステラは幼馴染に指を突きつけて怒鳴っていた。レクシオは嫌いなものを出された子供のような顔で彼女を見ている。
「なんで俺、怒られてるのかなー。ちゃんと兄さん説得できただろ?」
「それはそれ! これはこれ、よ!」
ステラはすぐさまレクシオの反論を制し、彼の喉元を示した。小さな傷口から出た血は既に固まって茶色くなっているが、どことなく痛々しい。
「自分から殺されに行くなんて馬鹿じゃないの!? 見てるこっちが死にそうだったわ!」
「馬鹿なんて言わなくてもいいじゃんか」
「馬鹿でも足りないくらいよ!」
ふんっ、とそっぽを向いた少女は、荒々しく鼻を鳴らす。
以前、かなりの無茶をしてレクシオに説教されたことがあったが、彼も人のことを言える立場ではないだろう。しかも、勢い余ってではなく、分かっていてやっているからたちが悪い。その胆力はどこから来るのやら。
ステラがつらつらとそんなことを考えていると、唐突に部屋の扉が開いた。ひょっこりと、覇気のない男の顔がのぞく。
「やあお二人さん。痴話げんかかい?」
「違います!」
「……息、ぴったりだけどね」
ステラに呼び出されたこの家の侍医は、仲のよい二人を見て苦笑した。
ラキアスは話が終わるとすぐに部屋を出ていった。それを見届けた直後に、ステラが侍医を呼んだのである。喉元の傷は大したものではなかったが、念のため治療をしてもらおうと思ったのだ。
「君、怪我多いね。お嬢様に負けてないんじゃない?」
首元に軽く包帯を巻いて留めたあと、侍医はそう言った。引きあいに出されたステラは、むっと唇を尖らせる。一方、レクシオは笑っていた。
「ほんとにねー。俺も、嫌になりそうですよ。もうちょっと武術を磨こうかな」
ポロっと飛び出た彼の言葉に、ステラは顔を引きつらせた。
「やめてよ! あんたがこれ以上強くなったら、あたし勝てなくなっちゃう!」
「そうかあ? じゃ、今度鍛錬項目変えてみるか」
「話聞いてる!?」
「はい、次。手を出してー」
眦をつり上げる少女の言葉をのらくらとかわす少年が笑顔で治療を受けている――という光景は、奇妙なものだった。この間、誰も人が入ってこなかったことは、彼らにとっての幸運だったかもしれない。
そうして治療を終えたレクシオを連れだって、ステラは仲間たちの元に戻った。もう、すっかり辺りは暗くなっていて、『調査団』の面々は、寝る前の座談会を繰り広げていた。
「ただいまー。遅くなったー」
「風呂は明日にしようかな」
二人がそんなことを言いながら部屋に入ると、にわかに少年少女が沸きたった。真っ先に反応したのは、ナタリーである。
「おっそーい! 二人して何やってたのよ!」
「ごめんごめん。ちょっと混み入った話をしてて」
ステラは笑いながら言うが、ナタリーの怒りは収まらないようだ。「ほんとにもう」と憤慨しながら、寝台に腰を下ろす。その横からひょっこりと顔を出したミオンは苦笑をしていたが、直後、レクシオを見て訝しげな表情になった。
「あれ……? レクシオさん、またお怪我ですか?」
「え」
レクシオは素っ頓狂な声を上げたあと、首と右手に包帯が巻いてあることを思い出し、口元をひくつかせた。
「あー。うん。ちょっと、ドジ踏んじゃって」
まさか、「前の怪我も今回の怪我もステラの兄貴が原因です」とは言えまい。ステラもそれは明かしたくなかった。だから、彼の誤魔化しを少し助けてやることにする。息を吸い、わざと呆れた表情を作った。
「本当にねえ。このお馬鹿さんには、嫌になるわ。聞いてよー」
「あっ!? だからそんな、何回も馬鹿っていうなっつーの!」
もちろん、多少の意趣返しも含まれていたが。
夫婦漫才顔負けの二人のやり取りを見て、トニーが腹を抱えて笑う。
「二人とも、その辺にしたら? まったく……一時期様子がおかしかったから、どうしたもんかと思ってたけど、無用な心配だったみたいだね」
「いやー、元気になったようで、何よりだ!」
ジャックも、手を叩いて賛同している。
ステラとレクシオは、虚を突かれたようにぽかんとして、それから揃って吹き出した。笑っている二人を見て、『調査団』の四人は不思議そうにしていたが、すぐに気を取り直したようである。さっさとステラたちを自分たちの輪に誘い込んだ。
「さあさあ! 二人もそんなところに立っていないで、座談会に加わりたまえよ!」
「そういえば、今日はなんの話をするか、全然決まっていませんでしたね」
「俺、イルフォード家の面白い話を聞いてみたいなー。なんかないの、ステラ?」
「どうかしら……。あたしはその辺、詳しくないから。明日、兄上に訊いてみる?」
冷やかに繰り広げられた争いが終わり、ようやく訪れた平穏な夜は、こうして賑やかに更けていった。




