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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第一章 故郷へ続く道
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 クマは冬に冬眠をする。どこの国でも、よく知られている話だ。頃あいになると活動を停止し、体温を下げる。これはひとえに食料の少ない冬をやり過ごすためのクマなりの知恵であるが、幼いときのステラはその意味がまったく分からなかった。ゆえに、寒くて外に出られないだけなんじゃないか、と勝手な解釈をしていたものである。

「……幼いながらのそんな解釈も、あながち間違いじゃないかもしれない」

 朝六時三十分。いつもより緩慢な動きで起き上がったステラは、地獄の底から這い上がってくるような声でそんなことを呟いた。

 もちろん、今彼女がいる場所と言えば帝都の孤児院、ステラの私室である。その部屋は今、かなり冷え切っていた。そう、もう原始的冷蔵庫の代わりになるのではないのかというくらい。

 言うまでもなく彼女の体感温度だけの話だが、冬でも比較的暖かい帝都にしては低い気温であることは間違いない。史上初の大寒波が襲っているとかいないとか、そんな話だ。

「ううう、さっぶ~」

 ベッドの上で身震いしたステラはその後、言うわりにはあっさりとそのベッドを這い出てクローゼット前に直行した。そして本日の服を手早く着ると、洗面所に向かうべく部屋を出ようとした。しかし、

「ステラねーちゃん!」

 喜々として一人の子供が部屋に飛び込んできたことを受け、彼女は動きをとめざるを得なくなった。苦笑しながら、問う。

「どうかしたの、ジョージ?」

 ステラの部屋に朝っぱらから突撃をしかけてきた勇敢なこの男の子、ジョージは、言うまでもなく孤児院の子供の一人であった。つい半年前に西の方で起こった小規模の紛争で親を亡くし、この孤児院に引き取られた戦災孤児である。父が剣士であった影響からか、ステラはかなり懐かれていた。

 そのジョージは尊敬する『姉』の呆れ顔を見ると、その姉に一枚の封筒を手渡す。

「今日ね、ぼくがポストをたしかめにいったんだ。そしたら、ねーちゃんあてにこんな手紙がきてたんだよ」

 舌足らずな発音で言うジョージ。彼の言葉を訝ったステラは、首をかしげながらも封筒を受け取る。自分に手紙を送りつけてくるような友人知人はいなかったはずだ、と頭の中で確認しながら。

 しかし、封筒の表にかかれた紋章を見るや、そのような考えは消しとんだ。

「二対の剣にユリの花……って、これ……」

 彼女にとって見覚えのありすぎる家紋。一瞬これは夢ではないかと思ったステラは、もう一度家紋を凝視してから自分の頬をつねった。痛いだけだった。

 現実を認識し、叫び声をこらえながら差出人の名を見たステラは――

「う……そだああああああっ!」

 今度こそジョージの目も気にせず叫んでしまった。

 ステラに悲鳴を上げさせた手紙の差出人は、名をラキアス・イルフォードという。

 北の町シュテルンに存在する、長き歴史を誇る武家の長男であり、帝都の孤児院で絶叫する少女――ステラ・イルフォードの実兄である。


   ◇      ◇      ◇


 クレメンツ・フェスティバルが閉幕してからの約二ヵ月間、ステラの学院生活は平和そのものと言ってよかった。普通に日々の授業をこなし、普通にテストを受け、ときおり幽霊調査に赴き、順調に冬期休暇直前までこぎつけた。

 しかし、平和の代償は意外なかたちで突きつけられる。

 兄から送られてきた手紙のせいで午前中の授業がままならなかった彼女は、食堂に自らの友人が一堂に会するときを狙って、矜持という矜持をかなぐり捨てて頼みこんだ。

「お願い! 冬休み、一緒にシュトラーゼについてって!」

 対して返ってきたのは、五人分の

「――は?」

 という間抜けな声だった。その中の二人くらいはどことなく事情を察した顔だったが、ほかの三人は本当に訳が分からないという顔をしていた。

 そんなわけで、ステラは一から話をすることに。とはいえそこまで複雑なことではなかったので、すぐに話し終えた。すべてが終わった後、口を開いたのは、友人諸君の一人、黒い髪の少女ナタリーである。

「なるほどねえ。要はあんたの兄貴から、たまには家に顔出せや! っていう手紙が来てしまったと」

 あれ? でもあんた『家出』じゃなかったっけ? などと呟く彼女に続いて口を開いたのは、男子用の制服が似合わないことこの上ない猫目の少年トニー。ちょうど、ステラの正面でシチューをほおばっていたところであった。

「でも、なんでそれがいけないのさ?」

「ううう……」

 もっともな指摘にうめき声を上げたステラ。そんな彼女を良くも悪くも後押ししたのは、隣から飛ぶ声だった。

「ああー、例のじいちゃんのことなー」

「うっ!」

 ステラの内心を知った上でそんな発言をしたのは、初等部からの付き合いであるレクシオ・エルデ。エルデの系譜に連なる者特有の緑色の瞳は、悪戯っぽく輝いている。

「どーゆーことよ、レク?」

 興味津津といったふうに身を乗り出し、使われることは少ない愛称でレクシオを呼んだのは、ステラをからかうのが大好きなナタリーだ。しかし彼女に対しレクシオは「それはこいつから話させた方がいいな」と言って、ステラに話を振る。あまりにも気が進まない彼女であったが、こうして無理を言っている以上、その最たる理由を話さなければなるまいと判断し、口を開いた。

「あの……うちには今、兄上と弟とお、おじいちゃんがいるんだ」

「それは分かりますけど……」

 戸惑うような相槌を打ったのは、だいぶこのメンバーの雰囲気になじんだミオン・ゼーレ。普段からおどおどしているが、その惑いぶりに今は拍車がかかっていた。肩をすぼめながら、剣士の少女は言葉を紡ぐ。

「そのおじいちゃんっていうのが……いわばあたしの師匠なんだけど……すごい厳格な人で。何も言わずに家を飛び出してったあたしが今更のうのうと顔を出したら、なんていわれるか……!」

「かといってお兄さんの声に答えないわけにもいかない、ということかあ」

 震えあがってついに言葉を続けられなくなったステラに代わって話を総括したのは、スプーンですくい上げたシチューにふーふーと息を吹きかけて冷ましているトニー。彼はどこまでものん気な態度を崩さなかった。

「それで私たちについていってほしい、ってことですか」

 ミオンが身を乗り出して訊いてくる。それにステラは、何度も何度もうなずいた。あまりに必死な様子に、残りの四人も顔を見合わせていた。しかしそんなことにはお構いなしに、ステラはとどめとばかりにこの中で唯一、一度も口を開いていない人物に目を向ける。

「ねえ。だめかしら、団長」

 すると、一見彼女らと同い年には見えない少年、『団長』ことジャックは口元を三日月形につり上げて言った。

「ふふん、おもしろそうじゃないか。さらなる親睦を深める合宿という名目で、赴くとしよう」

 いつものことながらその了承はあっさりとしたものだった。それを聞いてステラが息を吐き、テーブルに突っ伏したことを機に、仲間たちはやいのやいのと騒ぎ始める。

「あれ? イルフォード家ってどこにあるんだっけ」

「北方の都市シュトラーゼだよ。有名だろ。というか話の流れから分かるだろ」

 トニーとレクシオがそんな会話を繰り広げたかと思えば、

「うわーい! 私、一度でいいからシュトラーゼって行ってみたかったんだよね」

 ナタリーが手を広げて叫ぶ。その様子を見たレクシオは、どこか呆れているようだった。

 一方、テーブルに突っ伏しているステラは、みんなに気づかれないようそっと息を吐いた。これで少しは心の慰みになる。祖父の怒りと兄の追跡をやり過ごすのは、身体的にも精神的にもかなりの負担がかかるのだ。

 実家、か。

 心の中で呟いたステラは目を伏せる。

 仲間たちがついてきてくれることになったとは言え、帰郷というものは彼女にとって憂鬱になる要因のひとつでしかなかった。兄と比べられることを嫌い、だれにも言わず家を飛び出してきてしまったのだから、当然といえる。

 しかしステラには、もうひとつの「引け目」もあった。それは――父と母のこと。二人が亡くなって大分経つが、むろんのこと家出以降は一度も墓参りに訪れていない。それはさすがにまずいだろうと、ずっと気にしていた。その観点から考えればこれはチャンスにほかならない。

 二つの考えの中をしばし行き来したステラは、

「よし、頑張ろう」

 やがて決意して、元気よく起き上がった。

「よっしゃ、これで冬休みの予定ができた」

 どこに隠し持っていたのか、緑色の表紙の手帳を開きながらトニーが言う。そこでステラが慌てて付け足した。

「あ。でも年末には帰ってくるつもりだから」

「え? 実家で年越さなくていいの?」

 ナタリーが驚いたように訊き返す。それに対しステラは、妙に優雅な微笑みをおくった。

「うん。どうせあたし、家出娘だしね」

 その後の話は、主にイルフォード家に関することになった。さすがに実家のことなので、ステラの口からもよく言葉が滑り出る。

 イルフォード家は、古くから武の名門としてその名をとどろかせた家である。まだこの国が小さな王国であった時代には騎士として、あるいは一部隊の司令官としてイルフォードの者が名を連ね国の発展に力を貸した。一時は反乱分子の活動などにより廃れたものの、この国が帝政に移行して、初代皇帝にその力に目をつけられてからは再び名家としての面目を取り戻すことになる。そして今日にいたるまで、国の中枢で不動の地位を築いている――はずだった。

「……けど、その国の中枢にいたステラの両親が亡くなってしまったことで、多少なりとも状況は変じた、というわけだね」

「そういうこと。まあ、それで崩落するほどうちの地位は安くないし、兄の存在もあるから、どうにか命脈は保ててるけどね。それでも、腕のいい戦士が二人もいなくなって、軍部や宮廷はかなり動揺したらしいわ」

 おもしろくなさそうにステラがジャックの言葉に答える。事実、ステラとしてはあまり良い話ではなかった。両親が姿を消しただけで途端にもろくなり、そして彼らを戦力のひとつで片付けてしまう軍は昔から好きではなかった。後者に関しては、幼い頃にうまれた身勝手な考え方でしかないのだが。

 一時期拭い去ることができていたその嫌悪感は秋から再燃してきている。その理由は、ここにいる面々が一番よく知っていた。

「それにしてもさー」

 話題を転換させるように、唐突に口を開いたのはレクシオだった。全員の視線が彼の方に集中する。

「なんでステラの兄貴は、今になってステラを呼び戻したんだろうか」

 彼女は、思わず顔をしかめた。自分も同じことを疑問に思っていたからである。いつの間にか孤児院のことを突き止められたことも気になっていたが、同じくらい、今さら『招集』をかけてくることに腹立たしさを覚えていたのだった。

「さあねえ。それはあたしにもよくわからないけど」

 内心の不満を隠そうともせず、ステラは言う。

「……おおかた、師匠の差し金じゃないかしら?」

 ただし、祖父のことを口にする瞬間だけは、別の意味で苦々しい表情になった。その様子を見ていたレクシオが、唐突に口を開く。

「そういえば、俺もシュトラーゼに行ったことあるけど、ステラには学院に入るまで会ったことなかったな」

「え、そうなの?」

 ステラは思わず素っ頓狂な声を上げ、身を乗り出した。幼馴染は眉をひそめて眉間を押さえた。

「ああ。でも、そのときのことってあんま覚えてないし、思い出そうとすると頭痛がするんだよなー」

 彼の言葉を聞いて、ステラはたちまち妙なものを見るような顔になった。

「何があったか知らないけど、そういうことなら無理に思い出さなくても良いのよ」

 ただでさえ彼には悲惨な「前例」があるのだ。変なところで変なことを思い出して、錯乱されても困る。辺りを見回せばみんな似たようなことを思ったのか、困惑したように顔を見合わせていた。それを感じたのかどうかは分からないが、レクシオも苦笑とともにうなずいた。


 こんな調子で実家行きが決定したステラは、この日さっそくミントおばさんと話をつけることにした。ここで意外だったのが、ミントおばさんがステラの帰省に対して多少だが難色をしめしたことである。

「もちろん、一度正式に顔を見せに行く――というのは、悪いことではないと思うのよ。ご両親のことも考えるとね」

「うん……そう思ったから決断したんだけどさあ」

 まだ小さな子供たちが寝静まった時分。薄暗い部屋の中でテーブルを挟んで向かい合う二人は、ささやきの声を交わしていた。その二人の間では、古めかしいランプの灯火が揺れている。

「なんで、それがダメなの?」

 ステラが直球の質問をぶつけると、やはりミントおばさんは苦々しい表情を崩さず続けた。

「だめ、というかね。奇妙な噂を聞いたから」

「噂」

 ステラがミントおばさんの口から出てきた単語を反芻すると、彼女は重々しくうなずいた。

「そう。なんでも、軍に関わる怪しい奴らが暗躍しているって話なのよね」

 ステラは、目をみはった。直接関係がある話という確証はない。なのに、心がざわついた。

 ランプの灯は、そんな少女のざわつきに呼応するかのように激しく揺れるのだった。


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