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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第三章 思いの交錯
13/23

4

男、ヴィントの視線と態度はいつも通りかあるいはいつもより冷厳としているような気がした。黒い外套が死神のマントに見えてしまう。自らの父親、そしてこの墓の下に眠る人たちを殺した張本人であるはずの彼がここにいることに対してレクシオは戸惑いを隠せず、ただただ立ち尽くすばかりである。

 そのうちにヴィント本人の方が口を開いた。

「どうしておまえたちがこの地にいるんだ」

 平板な声音。思い返せば最後に会ったのは夏の事件の折だったが、あの頃とちっとも変らない。

 ヴィントの問いかけに答えたのは意外にもステラだった。思わぬ人と出くわした衝撃と怒りのおかげか、瞳にはすっかり力強い光が戻ってきており、態度も多かれ少なかれ怒っているときのそれである。

「あたしが故郷にいるのは、そんなに変なことかしら? ちなみにレクと『調査団』のみんなには無理言って付き合ってもらっているだけよ」

 墓参りがレクシオから提示されたことだとは言わなかったし、本人もそれが正解のような気がした。だがヴィントはどうでもいいといわんばかりにふいとあらぬ方向を向くと、呟きをぼらす。

「あいつらもいるのか。ふむ……」

「それより」

 男の呟きを、少女の鋭い一声がぴしゃりとさえぎった。自分たちを無視した態度に腹が立ったらしく、ステラの表情は秒を追うごとに厳しくなっていく。父との対面でありながら傍観者の役に徹している自分が不思議に思えてならないレクシオだったが、だからといって水を差すつもりは毛頭ない。

 ヴィントが黙ってこちらを見たことを確認したステラが口を開く。

「さっきの台詞、そのままあなたにお返しするわ。どうしてあなたがここにいるの? 両親を殺した張本人が、わざわざ許しでも乞いに来たつもり?」

 鋭い、というよりむしろとげとげしいという言葉が似合うステラの台詞と態度にレクシオの方がたじろいでしまう。彼女との付き合いは長いが、ここまで厳しい態度の彼女は数えるほどしか見たことがない。だが父親の方はというと、そんなものどこ吹く風という表情。

「なんだ、知ったのか。おまえが一緒にいるということは、おまえも『思い出した』ということだな」

「…………ああ。俺が知ったのはあくまで“事実”だがな」

 急に話の矛先が自分に向いたことに驚いたレクシオはしかし、それを感じさせないほど静かにうなずく。自然と表情は険しくなり、全身がこわばる。ただヴィントは相変わらず、歯牙にもかけない。

「その上で一緒にいるとは。二人揃ってとんでもない物好きだな。呆れることもできん」

 ステラの表情が一気に引きつり、怒気が周囲に渦巻くのが分かった。赤黒い混沌の渦がこの目に映りそうである。レクシオはそれのおかげもあり冷たい沈黙を下ろした。それを話したラキアスに斬られたことは言わない方がいいな、などと思いながら。

「どういう、つもりだったの」

 ステラが明らかな怒気をはらんだ声で問う。それに対する応えはない。するとついに、少女の感情が爆発した。歯を食いしばったかと思うと、拳をにぎって激しく振る。それは刹那、雪煙を切り裂いた。

「どういうつもりで、父上を、母上をあたしたちから奪ったの。二人が何か殺されなきゃいけないようなことでもしたっていうの、あなたの怒りに触れるようなことをしたとでも?」

 ヴィントは変わらず無言。するとステラは、懐の辺りから何かを引きぬいて、それを彼に向かって突きつけた。

――なんと、研ぎ澄まされた短剣だった。それがヴィントの喉元を狙ってぎらりと光る。「本当なら両親の墓の前でこんなことはしたくないのだけれど」と前置きをしたステラの目は、次の瞬間にきっと見開かれた。

「……ヴィント・エルデ。あなたに我らイルフォード家を敵に回す気がないというのであれば、まずはこの私を納得させられるような説明をしてみなさい!」

 このときのステラが今までにないくらいの怒りを抱いていたことにレクシオが気付いたのは、そう彼女が叫んだ瞬間だったのかもしれない。冷静な女騎士の態度を装ってはいるが、その瞳と声が確かにめらめらと燃えていた。

 三者の間に雪をはらんだ風が吹き抜ける。心まで凍てついてしまいそうな寒々しい音が、傍観に徹する少年の耳を貫いた。風はやがて、冷たい音の尾を引きながら過ぎ去っていく。その中にそっと、ヴィントの起伏に乏しい声が乗せられた。

「『殺されなくてはならないようなことをしたとでも』、か」

 独白とも皮肉ともとれる呟きに少年と少女が硬直する。ヴィントの瞳は、恐ろしく暗かった。

「その通りだ、と言ったらどうする?」

 父の口から放たれた予想外の言葉に、レクシオは瞠目した。喉に見えない何かがつっかえたような気分を味わいながら、つい半歩後ずさりをする。ちらと視線を動かすと、ステラも呆けたように目と口を開いて相手を見ていた。

「なんですって?」

 彼女の口から辛うじて出たのは、うめき声にもにた反問。ヴィントはそれに、答えになるかも分からない言葉を返す。

「むしろ、あの日のことはこちらとしては正当防衛を主張したいくらいだが。こちらが一方的に悪いと決めつけるイルフォード家の人間には呆れを通り越して怒りを覚えたくらいだ」

 緑の目が二つの墓石に注がれる。それが一瞬だけ悲しげに揺れたのを、彼の息子は見逃さない。気がつけば、一歩を踏み出していた。ざく、と雪の音が耳につく。

「話せよ」

 ほぼ無意識のうちにしぼった声は自分でもびっくりするくらい冷たかった。ステラが、短剣の構えを解いて後ずさりをするほどだ。ヴィントも、わずかに目をみはっている。レクシオはほんの数秒だけ逡巡したが、厳しい顔を崩さずに続けた。

「あの事件の裏で何があったのか、一から十まで説明しろ。俺は当事者で、ステラも両親を奪われた身なんだ。知る権利はあるはずだぞ」

 父親に対して言葉を向けている、という意識がほとんどなかった。そんな自分にちりちりとした苛立ちを覚えるが、後悔はしていない。真実を知るにはここで踏みとどまるしかないと、なんとなくそう直感していた。

 やがてヴィントが口を開く。

「絶望を受け入れる覚悟はあるか?」

 小さな問いかけ。レクシオはその問いに怒りの炎を消し、わずかな間だけ考え込む。それからはふっと皮肉めいた笑みを刻んだ。

「さあ、どうだろうね」

 ぼかすような答えが意外だったのかヴィントの動きが止まる。その間にレクシオが畳みこんだ。

「だがまあ、その『絶望』とやらに打ちひしがれて地面をはいずり回って、それでも立ち直ってみせるくらいの気概はあるつもりでいるさ。なあ、ステラ?」

 繕った笑顔を消さぬままに少年は幼馴染を振りかえる。彼女は呆気にとられていたものの、彼の視線を感じると力強くうなずいた。それから短剣をしまう。レクシオは再び、ヴィントをまっすぐに見た。どうだ、と声なき言葉で伝えるために。

 ヴィントはやれやれと言わんばかりに頭を振っていたが、やがて二人を一瞥するとさっと墓石に背を向けた。

「――来い」

 無感情に発された声は、どこか儚いものだった。


 二人が案内されたのは街中の小さな喫茶店だった。その小さな看板に見覚えはないので、地元の小さな店だろう。

 人もまばらなこの時間、三人は窓際の適当な席に陣取って適当に飲み物を注文した。それを待っている間に奇妙な沈黙が流れるが、意外にもヴィントがそれを打ち破った。

「イルフォードの娘……ステラ、といったか。ひとつ訊いておきたいことがある」

 するとステラが顔を上げ、二、三度目を瞬く。ああ、この親父に名前を呼ばれたのにびっくりしたんだろうななどと考えながらレクシオは頬杖をついて、再び傍観者となった。

「何かしら」

「おまえは、俺たちのことをどこまで知っている?」

 ステラが息をのむ気配が伝わってきた。隣のレクシオもわずかに自らの父の方へと視線をやる。『俺たち』、ということは、言うまでもなく彼もその対象に含まれているわけだから。

 理由のわからない疲れに辟易していると、隣から視線を感じて少年は軽く目配せをした。幼馴染の少女が不安げにこちらを見ている。おそらく、話して良いものかと悩んでいるのだろう。――だがもちろん、肉親相手に隠すようなことではない。レクシオは素っ気ない態度で許可を示した。

 すると、ステラが流暢に語ってくれた。

「あなたたちがデルタ一族の人間だということ。焼き払われたルーウェンから逃げのびたこと。そのときにレクが、火に巻き込まれたこと、くらいかしら」

 その先でレクシオが語った「父との決別」をあえて彼女は口にしなかった。そしてレクシオも付け足すつもりはなかった。

 ヴィントもまた、そこのところは気がついているのかどうでもいいのか、さらりと受け流して話を続ける。

「なるほど。では、それ以降のことから話を始めた方がいいな」

 まるでレクシオがステラたちにすべてを告白していたことを見透かしているかのように、驚きがなかった。それでもレクシオは動じない。いつものことだと呆れる程度である。

 ちょうどそのとき、それぞれの飲み物が運ばれてきた。レクシオは赤とも茶色ともとれる茶の揺らめきを見ながら、紅茶を頼んだのは昨日の雰囲気をひきずっているからなのかもしれないなどと、くだらないことに思いをはせてみた。

 父親の回顧が始まったのは、その直後だった。

「ルーウェンが完全に焼け落ち、もう手の施しようがないと判断したのは、俺がこいつを逃がしてから三時間ほど経ったあとだった」

 今まで知らなかった話の始まりに、レクシオもさすがに知らぬ存ぜぬを決め込むことをやめた。しかめっ面のままの父親を見やる。

「俺はすぐさま自らが逃がした同胞の後を追おうとした。その途中でこいつが火傷を負って倒れているのを発見してな。すぐさま近くの治療院に駆けこんだ。そこの主は話が分かる奴だったから、数日間、こいつが目覚めるまでそこに置いてもらって、それからは二人で旅に出た」

 低い声を聞きながらおぼろげに当時のことを思い出す。揺らぎが少ないはずの瞳に本気の憂いを感じ取ったあのときは、なんともいえない不思議な気分だった。幼い自分はその感情を的確に説明することなどできなかった。ただ、治療院で目覚めてからの二日間、呆然と父の真意を探ってみたのだが、答えはでないままであった。

「旅といっても、あてはない。ただただ帝国兵士の目を必死でやり過ごして各地を巡るだけの放浪生活だ」

 言った父は、そこでふと言葉を切る。

「……いや、本当はずっと、求めていた。俺たちにとっての楽園を」

「楽園?」

 ステラが初めて、素っ頓狂な声で聞き返す。ヴィントはゆったりとうなずいた。

「蔑まれることがなく、まわりと手を取り合って暮らせる、安住できる、そんな世界」

 言われてレクシオは、ある一瞬の光景を、鮮明な景色を眼前に見た。

 まだ周囲に炎と死の気配が漂う大地へ踏み出したあとのこと。治療院も、そこの主のすがたも遥か遠くに過ぎ去り、何もない世界に二人だけが放りだされた。そんな中で、ヴィントが言ったのだ。

『見つかるだろうか。……俺が、こいつが安らかに暮らせる場所』

 それは確かに独り言だったが、彼としてはそれを聞き逃せなかった。にぎっていた父の手をさらに強く握りしめ、彼を見上げて、言ったのだ。

『みつかるか、じゃないよ。みつけるんだよ。みんなで暮らせる、すてきな場所!』

 ヴィントはこれまでにないくらい驚いた顔をしていたが、やがて微笑むと「そうだな」と呟いたのだった。

「それなら、国外に逃げようとは思わなかったの?」

 ステラの声でレクシオは我に返る。目の前に広がったのは懐かしい荒野ではなく、見慣れぬ喫茶店だった。

「もちろんそれは考えた。外国で暮らせる地を見つけ、生き残ってくれた同胞を訪ねて回ろうと……。しかし、無理に外に出ようとすればそれだけで足がつく。俺だけならまだしも、小さい家族を連れている状態で危険を冒したくはなかった」

「……そう」

 ステラが目を伏せて言う。それに何も感じないわけはなかろうが、ヴィントは淡々と続けた。

「俺とレクは帝国各地を回った。帝都の裏側に身を潜めてみたりもした。そこで武器屋を営む男と知り合ってある程度つながりはできたが、さすがに兵士の目が厳しすぎて早々に脱することになってしまったな」

 久し振りに名前を呼ばれたことに驚いたレクシオは、呆けてしまう。するとステラが肩をつついてきた。

「レク、武器屋を営む男って」

「え? あ、ああ。チャールズのことだよ」

 ステラが興味をそそられたことをすぐに察したレクシオは苦笑とともに答えてやった。ヴィントの眉が微かに動いた気がしたが、それはすぐに元の位置に戻ってしまう。

「そんなことを続けてしばらく……といっても、一年経ったかは分からんが。俺たちは冬迫る北部へと追い込まれた。そして、あいつと出会った」

――ついに、この時が来た。そう言いたげなヴィントの目と顔に、緊張が走る。珍しいことだが、無理もなかろう。

 ステラがじっと眉根を寄せて身を乗り出すのが見える。その横でレクシオは、ただ静かに瞑目した。


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