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――ステラの部屋まで辿り着くのには、いくばくかの労力を必要とした。というのも、場所が分からなかった上にこの屋敷が広すぎて単純に行くだけでもかなり消耗したからである。しかも現在の状態だと、ラキアスに道案内を頼むわけにもいかない。幼馴染に会おうとしただけで斬られるのは御免だった。
長い長い階段をようやく上りきり、ひとつの扉の前に到達したレクシオは荒くなった呼吸を少し整えると、短く息を吸ってから扉を叩いた。軽く、二回。
沈黙が流れる。そのまましばらく経って、やっぱ出てきちゃくれないかなあと諦め半分に彼が肩をすくめた頃になってようやく、扉は静かに開いた。彼が虚を突かれている間に、細い闇の中から生気のない少女の顔がのぞく。
輝きのない、縁取られた闇のような瞳はレクシオの顔を認めたその瞬間だけ光を取り戻したように見えた。しかし彼女は、ステラはその後すぐに視線を落としてしまう。いつもとあまりにも違う姿に戸惑いを隠せないまま、しかしレクシオははっきりと、名前を呼んだ。
「ステラ」
すると少女の虚ろな目が再び少年を捉える。彼はなるべく明るい笑みを取り繕って誘いをかけた。
「墓参り、行かないか?」
え、と小さな反問の声が聞こえたような気がした。
その後ステラは、本当に小さな、消え入りそうな声で「行く」と言った。果たしてこれはまことに本人の意志なのかとレクシオは頭をかいたが彼女が行くと言ってくれたので言葉の方を尊重することにした。
一応、家人と仲間たちに断りを入れてから、未だ解けぬ雪を踏みしめる。イルフォード家の暴挙により店舗数が規制されている区画に小さな花屋があったので、そこに寄ってお供え用の小さな花束を買っておいた。
その間、両者に流れるのは気まずい沈黙だった。
いつまで経っても話が始まらないこの状況に、レクシオは心の中だけでため息をつく。昨日ジャックに背中を押されたのがきっかけでどうにかここまで勇気が出せたが、さすがに自分の親がもう一方の親を殺したなどという話を聞かされたあとにどう対応していいかなど、分かるはずがなかった。
うつむきがちなステラに気づかれない程度に頭を振ったレクシオは適当なところに視線を投げる。相変わらず白い雪が目に焼きつくだけだったが、少しだけ角度を上げて建物を見てみると――
「あ」
ふいに、懐かしさがこみあげてきた。
小ぶりな店屋と用途がよくわからない大きな建物の間に広がる薄暗い路地。石畳と雪のまだら模様に、男と子供の姿が映ったような気がした。
「……どうしたの?」
横から声がかかる。レクシオははっとした。物思いにふけっているうちに足を止めてしまっていたようだ。振り返るとステラが覇気のない顔でこちらを見ていた。ただ、虚ろな瞳に純粋な疑念が感じ取れたので、少年は再び路地に目をやって答えてあげた。
「ここ――俺と親父が『あの人』に、ステラのお父さんに会った日に、二人でパンを食べた場所なんだ。といってもそれ、親父が近くの店から泥棒してきた物だったんだけどな。その頃の俺はそんなこと、知らなかった」
少女が息をのむ気配が伝わってくる。同時にあのときの情景と感覚が鮮やかによみがえってきた。
氷のように冷たい石畳。うずくまり、息を荒くして父の帰りを待っていたときの心細さ。少しさめてしまったけれど柔らかいパンの、香ばしさと甘い味。大きな手の、冷たいけれど優しい心の、温もり。それら、すべて。
黙り込んでいたレクシオは一度息を吐き出すと、過去を振り払うかのように歩き出す。
「行こう」
そう声をかけると、ステラは何も言わずについてきた。雪を踏みしめる静かな足音だけがしばらく響いた。
それからどれくらい経った頃だろう。ついに、ステラが話の口火を切った。
「レクは」
うつむいたまま発された言葉に、レクシオは無言で振り向く。ステラはしばらく唇をもそもそと動かしていたが、やがて決意したように続ける。
「レクは、父上と母上が殺されたとき、あの場所にいたの?」
唐突な質問にぐっと詰まったレクシオ。しかし、たびたび見る夢の白と赤を思い出しながら、ゆっくりと答えを吐きだした。
「……ああ。多分な」
「そっか」
幼馴染の声は、なぜかほっとしたようだった。だが微かに震えていた。灰色の中にちらちらとのぞく青を仰いでから、レクシオは一度深く深呼吸。それからここのところほとんど顔を上げないステラを再び見た。
「俺のこと、嫌いになったか?」
本心からの問いかけである。しかしその言葉の威力は半端ではなかったようで、ステラは弾かれたように顔を上げると目を丸くして彼の方を見てきた。心なしかその瞳は動揺しているように思えた。
彼女はしばらく沈黙を保っていたが、レクシオが返答を待っているとやがて口を動かした。
「そんなこと…………ない。ないよ」
たっぷりと間が開いた言葉にレクシオは、厭味でもなんでもなくただやりきれなさに肩をすくめる。
「そうか。俺はてっきり、憎まれているもんかと思っていたが」
「……っ。じゃあ、なんで誘ったのよ」
いつもより弱々しい声で、しかし突き放すように投げかけられた問いにわざと考える素振りを見せる。二人の間を寒風が吹き抜けた。
「きっかけ、ってやつ?」
少しおどけてみたものの答えがない。ただ、訝られているのは雰囲気で伝わってきた。疲れるなあと他人事のように思ったレクシオは、いつの間にか止まっていた足をしっかりと動かす。自分の存在を確かめるかのように。
そして横に並んだステラに笑顔を向けた。
「それに俺は、憎まれた程度でおまえを邪険にするつもりはないぞ」
昨日、ジャックに「あの時期の君たちの気持ちが分かる」と言われたばかりだが、レクシオにしてみれば、あの『クレメンツ怪奇現象調査団』と『特殊新聞部』の間に――もっと正確に言えばジャックとオスカーの間に――亀裂が生じていた頃のジャックの気持ちがようやく分かった気がした。
たとえ憎まれても疎まれてもこちらから遠ざける気にはならない。自分が相手に抱く気持ちの証明はそれだけで十分だ。
ステラは再びそっぽを向いて視線を落としていたが、やがてゆっくりと頭を二度振ると、明らかに無理していると分かる苦笑を浮かべた。
「――ばか」
いつもより儚く、しかしいつも通りの響が残るステラの声をレクシオは笑みを浮かべたまま無言で流した。何を今さら、とでもいわんばかりに。だが、次の彼女の言葉はレクシオの予想の外だった。
「レクのせいじゃない」
先程の問いに対する答えよりずっとはっきりした声音だった。久し振りにステラの強い意思を感じた気がして、少年は安堵の吐息を漏らす。
これまたわざと、そうか、と投げやりに答えておいた。
二人はまた、会話が始まる前の静寂を取り戻して歩き出した。だがそこに漂う空気は先よりも緩んでいた。
ゆったりと規則的な足音が響き渡る中、重い灰色が不思議と優しく空を覆い、白い雪がちらちらと舞い始める。暗雲たれこめる街中で、雪と吐息の白さはいっそう際立っていた。レクシオは束の間、世界から一切の音が消えたかのように錯覚した。
墓地へと続く道の最後の難関として、少し急な上り坂がある。イルフォード家周辺に負けないくらい閑散としたその道を、二人は黙々と歩いていった。綿帽子をかぶった木々がふっつりと押し黙った少年少女を無言で見送る。
そうして坂を上りきると、開けた空間が見えた。曇天の中にぽつりぽつりと、砂場でこしらえた砂山くらいに小さい影が浮かびあがる。それの規則的な並び方は周囲の雰囲気と相まって、不気味さをかもしだしていた。
「あそこよ、父上と母上のお墓があるのは」
いくらか生気の戻った顔でステラが教えてくれた。彼女は少しの間だけ足を止め、せつない風に栗毛を遊ばせる。
「元々あの墓地には戦没者や町で有名な人がたくさん眠っているの。イルフォード家のご先祖様の多くもいらっしゃるわ」
この世から離れた魂に対する敬意のようなものを感じ取ったレクシオは、あえて何も言わなかった。ただひとつうなずいて、静かに踏み出す。
近づいて行くにつれ、墓石の形がはっきりしてきた。といってもそれらは名と生没年、人によっては戦歴などが刻まれた、ただそれだけの素っ気ない物が多い。ひょっとしたら本人の希望なのかもしれない。そこのところが気になったレクシオだったが、あえてステラに尋ねることはしなかった。代わりに他愛もない言葉を雪に乗せる。
「けっこう、奥まで行くんだな」
静かな表情のステラがうなずいた。
「二人がかねがね『目立つ所に埋めるな』って仰ってたから」
語尾が笑いを含んでゆれた。親しみとおかしみを読み取ったレクシオもそれに便乗し、へえ、と明るい声で相槌をうつ。それでも、ステラにとって久方ぶりの墓参は静かだった。
ふと意識をしてみれば、雪の勢いは強くなっていた。少しちらついていた程度だったはずなのに、いつの間にか湯気のように薄く世界を覆っている。シュトラーゼで銀世界が続くのは、こういう天候になることがしょっちゅうだからだろう。そういったことに思考を費やしながらぼんやり歩いていると、墓地の奥までやってきていた。「そろそろのはずだけど」というステラの声が聞こえる。
「あ、あった」
少しして、少年の幼馴染はそう言った。花束を持ったままのレクシオはふと顔を上げ、手袋に覆われた指が示す先の二つ並んだ墓石をながめ……ふと、目を瞬く。
「ん?」
知らないうちに声をこぼしていた。これまでの墓石にはない確かな違和感。ステラの方もそれに気づいたらしく、眉をよせて足を止める。白く煙る石の前に、異質な影がちらついた。目を凝らして見ると、はたしてそれが人影であることが分かった。
「誰……? 父上と母上のお墓の前で」
先がありそうだったステラの言葉は、しかし尻すぼみに消えた。レクシオもふっつりと黙りこみ、やがて――目をいっぱいにみはる。
ここへきてようやく、二人とも違和感の正体に気付いたのだ。
風が強くなり吹雪と化した周囲の白の合間にのぞく人は、黒髪が暴れることに頓着していなかった。しかし、言葉をかわす二人の存在を知るとそちらには興味をそそられたのかゆっくりと振り返る。瞠目して石像のように固まる少年と同じ緑色の瞳は、冷たい光で少年少女を射抜いた。
「うそ……」
ステラが、呟いて数歩踏み出す。レクシオもその後を追う。すると、人の姿は急に明瞭になった。相変わらず無表情で無愛想な男は、今日も静かに立っていた。ただ、その表情はいつもより冷たく、静謐な空気をまとう。
彼は何も言わず、黙って二人を見ていた。一方のレクシオは、わななく唇を懸命に動かして、音を紡いだ。
「親、父……?」




