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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第三章 思いの交錯
11/23

2

 相変わらずどこまでも広がる白い大地に波紋を生むかのように、澄んだ金属音が二度、三度と響き渡った。イルフォード家周辺をたまたま通りかかった新聞配達の若者が驚いたように顔を上げたが、すぐにああと納得すると、何事もなかったかのように歩いていく。

 そんなことがあったと気付きもしないまま、家の中庭では栗毛の兄妹が凄まじい打ちあいを繰り広げていた。それは稽古などと呼ぶのは生易しい、剣士同士の本気の戦いである。

 一度大きく距離をとったステラは、しばらく兄ラキアスの足の運びをじっと観察する。それからすうっ、と冬の冷たい空気を思いっきり吸うと、地面を蹴って駆けだした。

 斬りかかってくる妹を冷厳に見つめたラキアスは、避けることをしなかった。ただ黙って剣を構える。白い刃が振り下ろされると、見た目ちがいが分からないラキアスの刃はそれを華麗に受け流した。

「はあ~。見事なもんだわ」

 暖かい部屋と寒い外の境目、窓を開け放った居間。そこで、二本の剣が鮮やかに煌めく様を、ナタリーは言葉とは裏腹に無感動な表情で見つめていた。そこには、本当に微かな不満がにじみ出ている。

「あ、ナタリーさん。ここにいたんですか」

 後ろから優しい声が飛んできたのでナタリーは振り返る。それから、ぞろぞろとやってきた数人に向けてふっと笑みを浮かべた。

「おはよ、ミオン。それにみんなも」

 そこにいたのは、普段着のミオンと残る『調査団』の面々だった。しかし、何か違和感がある。その違和感の正体にすぐさま気付いた少女はあれと言いながら目を瞬いた。

「レクはどこいったの」

「なんか知らないけど、気分悪いから休んでるって言っててさ。客間にいるよ」

 トニーがナタリーの隣に腰をおろしながら答えた。それから足をふらふらと上下させる。

「ところであいつ、胸か腹のあたりに包帯まいてたけど、なんかあったのかな」

 さりげなく放たれた一言。まず、ジャックが背後でぎょっと目を見開いた。

「ちょっと、トニー! それは……」

 つい、昔の呼び方に戻っているが本人はまったく気付いていない。しかし周りもそれどころではなかった。残る女子二人は顔を見合わせてから、見事に叫び声を上げたのだ。

「ええっ!?」

「どういう――」

 ミオンがそこまで言ってからはっと口を押さえる。三人も彼女の思いに気づき、慌てて打ちあっているイルフォード兄妹を振りかえる。しかし彼らはそもそも『調査団』の存在すら眼中にない様子だった。

 三人はほっと胸をなでおろすと、声を潜めて話を再開した。

「どういうことですか? レクシオさん、怪我したんですか?」

 ミオンの問いかけにうなずいたのは、ジャック。

「うん。しかも、なんかよくわからないけど、昨日夜遅くにお医者さんらしき人と戻ってきたんだ」

「えー? その話、俺知らないよ?」

 団長の証言にトニーが眉をひそめて首をひねる。彼はあっさり「そうだね」と言った。

「トニー君はその時、もう寝てただろうから。僕はたまたまトイレから帰るところでその姿を目撃したんだ。なんか、小さい声で一言二言会話してから、その人は帰っていったよ」

 ナタリーは思わず、頬をかいてうなる。

 普段から、自分から騒動に飛び込むことを良しとしないレクシオ。何事かに介入するにしてもステラや周りの人間に引きずられることが多い。そんな彼が自分から、しかも人様の家で騒ぎを起こすとは考えにくかった。

「どういうこと? ステラと大げんかしたのかしら」

 ミオンがええっ、と小さな悲鳴を上げた。同時に、男二人も嫌そうな顔をする。

「それはない。あの二人が武力を持ち出すケンカをしているところなんて見たことないし、もしそうだとしたらステラも無傷じゃすんでないと思うよ」

 ジャックが左の人差し指を立てて冷静に解説する横で、トニーは壊れた蝶番(ちょうつがい)のようにぎこぎことうなずいている。よく考えると面白い光景をさらりと受け流したナタリーは、ふうむ、とうなりながら外へ視線を流した。

「……だとしたら、その線はないわね。でもなんていうか」

 ナタリーはそこで、ぎこちなく沈黙した。

 ステラは無傷だ。もしかしたらかすり傷一つくらい、新しくできているかもしれないが、それはあくまで鍛錬によるものだろう。ただよく見てみると、少し――

「ステラさん……怒ってる?」

 ミオンが、無意識だろうが己の拳をにぎって言葉を引き継ぐ。ナタリーはそれに、とても静かにうなずいた。そして数秒間沈黙してから、あることを思い出して口を開いた。

「そういや昨日、ステラってば私たちの部屋に戻ってこなかったわ」

 それに男子二人が敏感に反応して顔を見合わせる。ミオンもまた、あ、と小さく漏らした。それから急くようにして話し始める。

「それなんですけど。さっきこの家の使用人さんに聞いてみたら、夜遅くに自室に駆けこんでいったそうなんですよ、ステラさん」

「えーっ?」

 ナタリーはつい素っ頓狂な声を上げていた。

 別にステラが自室で寝泊まりするのは構わない。ここは彼女の家だ。だが、今回は合宿としてここに来ているので、全員が原則客間で過ごすというほぼ暗黙の取り決めがなされていたのだ。ステラもそこに納得し、むしろ自分から言いだすほどだった。だというのに、

「女子部屋への言伝も無しにかい? 彼女にしては、なんというか、変だね」

 ジャックが、珍しく大真面目な顔で言う。それに対してトニーが身を乗り出した。

「やっぱりなんかあったんじゃないのか!? しかもそんな夜遅くってことは甘い――」

 女の勘で先に続く言葉を予測したナタリーは、トニーの声が続くより早くその頭をひっぱたく。いて、という小さな声が意気揚々とした推測をさえぎった。一瞬、強くたたきすぎたかという思いが脳裏をかすめたが、彼女はその気持ちをひとまず振り払った。

「変な想像するんじゃない! まったく、これだから男の子は」

 ジャックが苦い顔をし、ミオンが乾いた笑いを浮かべていたが、ナタリーはどちらにも気付いていなかった。やがて、頭を押さえるトニーの背中を軽く叩きながらジャックが話題を戻す。

「でも、何かがあった、っていうのは否定できないよ」

「そう思ってしまうと、もやもやして気持ち悪いですね。ただ」

 ミオンはそこで黙り込み、うつむいてしまった。ふと、ナタリーの脳裏に数日前すがりついてきた赤毛の少女の姿がよぎる。それからふいにミオンが言い淀んだ理由を理解した。彼女はやれやれと言いたくなる心持でため息をつく。

 知り合い同士のにらみ合いで板挟みにされていた「彼女」の気持ちが、今さらながら少しだけ分かったような気がした。

 ステラとラキアスの特訓が終わる前にその場からそそくさと離れて廊下へ出た四人は、ひとまず本人たちに話を聞いてみるか、などと話しあいながら歩いていた。今はまだいいが、このまま放置しておけばグループ活動に支障が出かねない、とそんな気がしていたのは四人とも同じらしい。

 ただ、本人たちには知られないようにとある種の密談を繰り広げていたので、

「朝から陰鬱な顔してなーにを話してるんだ? おまえらは」

 廊下の曲がり角に立っていたレクシオに、そう声をかけられたときは、全員の心臓が等しくはねあがった。思わず半歩後ずさってからナタリーは少年の名を呼ぶ。

「れ、レク……おは、よう」

「おはよう。で、おまえら。今度は俺たちに内緒で何を決行しようとしてるんだ?」

 笑顔とあいさつでごまかそうと試みたが、だめだった。柱に背中を預け、腕組みをして立つ少年の顔が妙に不満げな理由は分からないが、そんなことはどうでもよろしい。四人は視線を交差させながら気まずい沈黙をつくる。

 それがレクシオにとって何よりの答えだった。彼はため息をつくと片手で額を押さえる。

「……まあいいよ。どうせこの『調査団』のことだ。こそこそかぎ回ろうとしてたんだろ。そんなに知りたきゃ教えてやる。

確かにまあ、俺とステラと、もう一人の間ではいろいろあったさ。俺の怪我の原因がそれだってことも否定はしない。ただし、今回ばかりははっきり言ってやる」

 口早にそこまで言った彼は姿勢を元に戻した。

 そして、見たこともないような鋭い瞳で、四人を睨み据える。ナタリーたちはひくっ、と身をすくませた。

「これは、俺と親父とイルフォード家の問題だ。おまえらには関係ない。よって、首を突っ込むことは許さない」

 緑の瞳に宿る光は抜き身の剣の輝きを彷彿とさせる。

 ごくりと喉を鳴らしたナタリーはその瞬間、先程の言葉に引っかかりを覚えて追及を試みるが、それをする前にレクシオは四人に背を向けて歩いていってしまった。残された四人の学生は、呆然自失の状態から立ち直るまで、使用人の目もはばからず突っ立っていたという。

 しばらくしてようやく我に返った彼らは、揃いもそろって深いため息をついて身体を折り曲げた。それから、ミオンがうなだれる。

「まさかあんなふうに突き放されるとは、思いませんでした」

「でも、どういう意味だろうね」

 トニーが疲れ切った声音で言う。その発言の意図を解したナタリーは彼を一瞥し、そのうなずきを見ると発言を引きとった。

「レクとお父さんとイルフォード家の問題? でも、レクのお父さんって……その、ヴィントって人のことだよね」

 すると、ジャックとミオンが顔を見合わせた。

「そういえば」

「そうですね」

 この二人が息を合わせてそう言ってしまうほど、ヴィント・エルデという男の謎は深く多かった。遭遇したり、話題に出たり、息子から直接話を聞いたりしているが、その謎は未だ尽きないどころか深まり混迷するばかり。

「あの親子とこの家の間に、どんな関係があるっていうんだよ」

 トニーが頭をかきむしる。

 エルデ家の実情を知っているから。イルフォード家の実態を知らないから。自分たちはこんなにも悩むんだろうなとナタリーは考えた。だが同時に、こうも思う。

「でも、ステラん家とレクとヴィントの問題なら、私たちが口出しすべきじゃないことは確かだよね」

 この一言にミオンがうつむいたことには気付いたが、ナタリーはあえて何も言わず視線を逸らした。その時彼女は、動揺を一片も感じさせない涼しい顔で、ふむ、と言うジャックの姿を認めた。そして、はて、何をする気なのやら――とほとんど他人事のように首をひねったのである。


 落ち着かない客間に人が戻ってきたのは、レクシオが廊下でナタリーたちと邂逅してからおよそ五分後のことであった。徐々に大きくなり、やがて部屋の前で止まったくぐもった足音でそれに気付いた当人は、視線を上げて少しだけ腰を浮かす。気付けば、ベッドの敷布を握りしめていた。

「ただいまー」

 扉と壁の隙間から顔を出したのは、相変わらず陽気な顔のジャックであった。気負った様子が欠片もないその姿に、レクシオは全身の力をふっと抜いてベッドに座りこむ。ジャックはその一連の流れに気付いた様子がないままいつもの調子で、部屋の中心にあるテーブルを囲んでいる椅子のうちひとつを引いて、腰を下ろした。

 その様子をぼんやり眺めていたレクシオは口をへの字に曲げた。

「ずいぶんと楽しそうじゃないか」

 何か探りを入れたんじゃないだろうな、言外にそう(うたぐ)っている緑の瞳は鋭くジャックを射抜く。しかし彼は動じることもなく穏やかな笑みを広げた。

「そうかい? 僕はいつもこんな感じだと自負しているけど」

「そうか……そうだな」

 滑らかで鮮やかな返答に、レクシオもつい繕いでなく笑う。

 それから二人はしばらく黙りこんでいた。が、そのうちジャックの方が部屋を出ていき、少ししてまた戻ってくる。その両手には小ぶりのカップがあった。彼はそのうちのひとつをレクシオに差し出す。

「はい」

「……? ありがとう」

 首をひねりながら礼を言った彼はカップの中身をのぞきこむ。牛乳のおかげで色の薄くなっている紅茶が湯気を立てていた。

 レクシオがそれを控えめに吸ったのと時を同じくしてジャックが自分のカップを手に椅子に腰を下ろした。それから何気ない風情で口を開く。

「秋の幽霊騒ぎ、覚えてるかい?」

 唐突な話題にレクシオは戸惑ったが、カップを揺らしながらその話題に乗ってみることに決めた。

「ああ。懐かしいな。最後、死霊魔導士(ネクロマンサー)が出てきてだいぶ事が大きくなったよな」

「あれを『新聞部』のみんなに見られたときは、ひやっとしたよ」

 レクシオの言葉に、ジャックは苦笑を刻んだ。それから紅茶を口に含んで飲み下すと、カップを一度テーブルの上に置いた。

「でもあれは、僕がオスカーとの関係を修築するいいきっかけになったと自分では思っているよ。少し、ステラを利用してしまった感じは否めないが、それでも」

 少年がそれに返したのは沈黙だった。

 確かにあの事件のあと、『調査団』と『新聞部』の関係、ひいてはジャックとオスカーの関係は著しく改善した。このときはそれが表面上のものだったとしても、やがては内面にまで浸透していく。それ以降の協力関係はそんな事実を暗示していたように思えた。

「きっかけ、っていうのは案外だいじなものだったんだなあって、ちょっと思ったよ。あれがなければ僕らの心は離れたままだったに違いない」

 そこまで聞いて、レクシオはちょっと顔を伏せた。ジャックの言いたいことがおぼろげながら分かった気がする。ごまかすように茶をすすったあと、ため息を漏らした。

「そりゃああれか。今の俺へのあてつけのつもりか」

 わざとそう言ってみた。どうせ水を向けたところであっさりと真意を白状することはあるまい、そう思いながら。そして案の定、ジャックは意地悪く微笑んだのだ。

「なんのことだかわからないかな。君とステラの間に何があったかなんて知らないし。ま、僕らを挟んでぎすぎすするのは勘弁してほしいけどね」

「やっぱりそっちが本音か」

 ひょっこりと顔を出した穴を容赦なくつついてえぐると、ジャックはきょとんとしたように目を瞬いた。それからぷっと吹き出す。

「何も嘘は言ってないよ。まったく、本当にあの時期の君たちの気持ちが分かるようになった」

「嫌味か」

「滅相もない」

 ふくれっ面でレクシオが言うと、ジャックはおどけて降参の姿勢をとった。挙げた両手をひらひらと振られると、再びため息がこぼれる。

「案外、おまえも意地悪だな」

「そうかな」

 未だとぼけている友にレクシオは顔をしかめたまま、そうだよ、と返しておいた。


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